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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
32/563

8. 都鄙の難 2

※グロテスクな表現が含まれています。


平穏な朝――リリアナたちは朝食を終え、宿から出ようと足を踏み出した。


「逃げろ!!」


外から男の叫び声が聞こえる。その瞬間、ぞっと総毛立つような気配が襲う。警戒を高めるリリアナの耳に、ペトラの舌打ちが聞こえた。次いで外からは悲鳴と怒声が響く。


魔物の襲撃(スタンピード)だ!」

「逃げろ、衛兵はどこだ!?」


リリアナの護衛二人が外に出る。滅多に表情を変えない二人の顔色が変わるのを、リリアナはその目で見た。


「不味い、瘴気だ」


瘴気に触れたら体調を崩し身動きが取れなくなる。人の体には毒だ。

ペトラが唸った瞬間、リリアナはペトラに腕を引かれ走り出す。マリアンヌもそのすぐ後ろを付いて走った。宿泊客たちも、ようやく外の異変を悟る。魔物という言葉に、皆一様に顔色をなくす。


――――穏やかな街は、一瞬にして狂乱に陥った。


「衛兵は!? まだなの!?」


絹を切り裂くような女の悲鳴。助けを求める声。道を開けろと叫ぶ男の怒声。


外へ出た瞬間、リリアナは瘴気が漂って来る方向を感知した――森の方向。そこから、異様なほど立ち込めた黒い霧が迫り来る。

リリアナは血の気が失せるのを感じていた。魔術を極めていなければ、死の恐怖に駆られていたかもしれない。それほどの威圧感だ。実際、逃げようとして蒼白になり腰を抜かし動けなくなった人がちらほら居る。


「お嬢様、馬車を――」


血の気の失せた顔のマリアンヌが口を震わせ告げる。ペトラが首を振る。護衛二人は殿(しんがり)を務め、鋭く言い放った。


「この瘴気では、馬は使い物になりません!」

「徒歩で逃げろと言うの!?」


混乱に叫び返しながらもマリアンヌは足を止めない。

魔物の足は速い。人が走っても逃れられるものではない。こちらもやはり青白い顔のペトラが呟く。マリアンヌより多少は経験があると言っても、これほど大規模な魔物襲撃(スタンピード)に遭遇するのは初めてだった――命の危機が、死神が、間近に見える。


「時間を稼げば転移の陣を使える――全員は無理だけど、お嬢サマとそこの侍女と、あたしの三人だけなら」


ペトラも優秀な魔導士だ。普通であれば尻尾を巻いて魔物から逃げるなどしない。だが、今ここで魔物と正面切って戦うことは愚策だった。異様な数の魔物が至る所に出現している現状は、統制され専門の訓練を受けた騎士団であっても制圧できる可能性は低い。

護衛を切り捨てろと、ペトラは意味深にリリアナを見つめる。


(――わたくしが、術を使えば逃げられる――?)


だが、魔物の数は多い。まだその本体を視認できていない現状でも、その強さと多さは推察できる。

リリアナも複数人で転移の術を試したことはない。もしかしたら、今この場に居る人間だけであれば逃げられるかもしれない。だが、そうしたとしても――、


街の人々は、逃げられない。

恐らく、この街の衛兵たちでは魔物を退治できない。


しかし――リリアナが術を使えば、()()()()()()()()()()()()使()()()と、知られる危険性が増す。


ざわり、と、威圧感がリリアナたちを襲う。


「いやぁぁぁあああああ!!!!!」


つんざくような悲鳴が聞こえる。

必死で足を動かしながらも、リリアナは後ろを振り返る。

黒と、赤に世界が染まる。


「――――――っ!!」


異形の、集団が。

――――人の生き血と肉を食み、瘴気の中から、無数に姿を現した。


*****


その商人は王都へと商品を運ぶ予定だった。途中で立ち寄ったその街でゆっくりと体を休め、朝早く旅立つ予定だった。最近は街道にも魔物が出ると仲間内ではもっぱらの噂で、念のため護衛の傭兵を雇った。彼が泊ったのは街の外れ――リリアナ・アレクサンドラ・クラーク令嬢たちが泊ったのとは真反対だった。


――その、彼は。

瓦礫の中、物言わぬ(むくろ)となり、内臓を曝け出した胴体から頭が切り離された状態で、恐怖に慄き引き攣った顔を晒し、路上に転がっていた。他の宿泊客たちも、護衛も、女も子供も見境なく、魔物たちは攻撃し喰らい腸を引きずり出した。


噎せ返るような鉄と硫黄の臭いが混じり合い吐き気を催すほどの臭気を漂わせている。調理場があった場所も他と同じく瓦礫に埋もれていたが、火が燃え移ったのか徐々に範囲を広げ肉が焦げ燃えていく。


「くっそ!」


商人に雇われていた男が怒鳴る。彼は強かった。仲間は既にほとんどが事切れている。魔物に破壊され崩れた石造りの家々を上手く隠れ蓑にしながら、数多の魔物相手に善戦していた。

石畳の整然とした道が崩れ、瓦礫に埋もれ、血の川が幾筋にも流れる。瘴気と砂ぼこりが立ち込めるそこに立っている者は、二人の傭兵だけとなっていた。この場から逃げた者も、恐らく途中で別の魔物に殺されているに違いない。


「とんだ仕事だ、もっと前金で頂戴しておいたら良かったぜ」

「その台詞は、生き延びてから、言った方が良いのではないか、ジルド」


男に応えたのは男装した女の傭兵だった。二人とも服は破れ体は傷つき、魔物の返り血を浴びている。瘴気に中てられ体調は最悪だ。口の中に鉄の味が広がる。少しでも動けば眩暈がした。


――その中でも彼らの動きは群を抜いていた。


「なァ、オルガ。この街で何人が生き残ると思う? 賭けようぜ」

「私は賭け事はしない主義だ」

「詰まンねえ人生送ってんじゃねェかィ」


男は鋭い牙のような前歯を見せてニヤリと笑う。顔色と汗が酷いが、調子のよさを常に崩さないのは彼なりの矜持だった。脇腹に手を当てる。血が出ていた。口の中に堪った血を唾液と共に吐き出す。だが、これならまだ動ける――と男は剣を構える。


「――親玉のご登場だ」


これまでにない覇気。ジルドと呼ばれた男が声を低め警戒を高める。オルガは眉根を寄せた。彼女は額から流れる血と汗を乱暴に袖で拭った。視界が開ける。


「この親玉は、()()()()?」

「知らネ」


数えてねェよンなもん、とジルドは吐き捨てる。

すでに二人で百近くの魔物を屠った後だ。だが、魔物の気配は増えこそしないものの減ってもいない。

あまりにも不自然で――あまりにも、()()()()()()()


「――致し方ない。大して慰みにもならないが」


オルガは呟く。彼女の暗褐色の髪と黒い瞳が、金に変わる。


「幻視は使わねェのかィ」

「その余裕があると思うか?」

「――思わねェな」


それに、彼女たちの他には誰もいない。

ジルドの揶揄うような台詞にオルガは冷たく言い返す。彼女の持つ剣を、氷が纏った。



*****



魔物たちは素早かった。


「ぐぁ――――っ!!」


鉄の臭いが鼻をつんざく。噎せ返るような血の臭いと腐臭に、咄嗟にリリアナは自分たちの背後に防壁を張った――心中での詠唱すら、なしに。命の危機は彼女の能力を極限まで高めた。


「ひっ――!」


一瞬振り返りかけたマリアンヌが蒼白になって正面を凝視する。背後を振り返れば、自分(マリアンヌ)は恐怖に打ち勝てぬと直感的に悟っていた。

二人分の気配が、リリアナたちの背後から消えた――リリアナたちを守り魔物を斬り倒し続けていた護衛二人が、魔物に食い殺されたのだ。何かがぐしゃりと潰れたような音は、彼らの()()だろうか――。


リリアナは唇を引き結んで決意した。顔色がわずかに白くなっている。恐怖よりも焦燥が彼女の心を占めていた。


『ペトラ、マリアンヌをお願いいたしますわ』

「お嬢――っ!?」


愕然と、ペトラが目を見開く。リリアナは幻術を使う。己の姿を作り出す。一般的に用いられる高位の闇魔術ではなく、得意な風の魔術を使ったその術はそれほど魔力を消費しない。そして自身の姿を、()()


『わたくしの影と共に、逃げてくださいまし。後から、追いかけます。可能ならば――教会でお会いしましょう』


教会ならば魔物に対抗し得る策を持っている。

ペトラはリリアナの決意を悟った。一つ頷き、前を見据えて走り出す。

マリアンヌはリリアナが幻覚と入れ替わったことに気が付いていない。承知しているのはペトラだけだ。


リリアナは姿を消したまま、間近に迫った魔物を見据えた。

足が震える――圧倒的な覇気に、初めて彼女は()()()()()()。思考は冷え切っていた。


恐らく魔物の体組成は動物や人間と変わらない蛋白質だろう――逃げている最中に、魔術を食らい燃えた魔物の臭いは動物が焼ける臭いと大して変わりはなかった。

だが、魔物を纏めて()()()()()術の理論をリリアナは理解できない。そのような術を、通常リリアナが使っている簡略化された詠唱で行うことは失敗する可能性が非常に高い。死神と綱渡りをする現状では一切、危険(リスク)を冒せない。


(【祓魔(エクソルツィスムス)の理の元に我は命じる、聖なる力の導きに依り不浄よ永久に滅せ】)


全身が熱くなる。これまで経験したことのない魔力が体中を駆け巡る。ふらつきそうになる体を、リリアナは両足で支えた。


魔物を祓うは光の最高位魔術――それを使える者は王都に仕える数人の聖魔導士のみだ。膨大な魔力と光の魔術に対する()()、そしてその術に対抗し得る精神――その三つが揃っていなければ、完璧な形で発動することは敵わない。聖魔導士であろうと、精神と肉体の状態が万全でない場合は実行を躊躇うほどの強力な魔術であるとされている。そして彼らは、祓魔の術を一人で使うことはしない。必ず二、三人で行う。そうでなければ、精神が崩壊する危険性が高まるからだった。


だが、リリアナは躊躇わなかった――魔物に殺されるか、術に耐え切れず死ぬか。その二択であるならば、迷う必要性はなかった。そして、()()()()()()()()()()()()()という選択肢も、彼女の中にはない。


リリアナを中心に真白の光が魔法陣となり浮かび上がる。光に少しでも触れた魔物はそこから消滅していく。瘴気が浄化される。周囲から魔物の姿がなくなった時、リリアナはだいぶ消耗していた。

息が荒い。汗が額から流れ落ちる。

それでも彼女は足を止めなかった。


瘴気は――魔物は、まだこの街を食い荒らしている。振り返れば、街の反対側にも黒い霧がかかっていた。走ると体力を消耗する。そして、時間が掛かる。

リリアナは躊躇なく街の反対側に転移する。噎せ返る緋色の道には、人や犬の死体に紛れて魔物の死骸が転がっている。放置すれば魔物から発せられる瘴気でこの街が機能を失うが、周囲に生きた魔物はいない。恐らく攻撃場所が移動しているのだ。


だが、先に死骸を浄化をすれば生きた魔物と戦えなくなる可能性がある。浄化に必要な魔力は、生きた魔物の方が多い。瘴気が濃い場所には、生きた魔物がいる。目を眇めれば、残り二ヵ所。


リリアナは先に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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