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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
319/563

50. 繭の糸 1


メラーズ伯爵は、執務机を挟んで床に跪いた男の報告に息を飲んだ。下々の前では滅多に感情を表さない彼には珍しく、興奮で頬が紅潮している。


「それは誠か」

「はっ」


深く首を垂れた男の顔は、メラーズ伯爵には見えない。しかしその容姿はメラーズ伯爵には馴染んだ男のもので、昔から伯爵家のためによく働いてくれている影だった。勿論その能力は大禍の一族や王家の影、三大公爵家の者たちには劣る。しかしメラーズ伯爵の頭脳を以てすれば、駒の違いなど微々たるものだった。


「なるほど。それでは証拠が必要だな。何かしら見つけて来たか?」

「実物はまだですが、長年かけて証言を集めたと言う男に会う段取りとなっております」

「それは僥倖」


にやりとメラーズ伯爵は口角に笑みを浮かべる。

彼は長らくフランクリン・スリベグラード大公を玉座に就けるべく動いて来ていた。大公派とはいえ、一枚岩ではない。有象無象の欲に塗れた貴族たちを束ねることは非常に労力が必要だった。

その上、一番の実力者であった先代クラーク公爵が亡くなって以降、どうしても勢いは鈍化する。王太子やその側近候補たちの暗殺を企んだところで、悉く邪魔をされ上手くいかない。フランクリン・スリベグラード大公や実力者として力を借りているスコーン侯爵は事を楽観視しているが、メラーズ伯爵はなかなか思い通りにいかない現状をどうにか打破したいと足掻いていた。

その中で、ようやく得た自分たちに有利な情報だ。

諸手を挙げて喜びを表したい気持ちを抑え、メラーズ伯爵は男に指示を出した。


「早急にその証拠を入手し、秘密裏に持ち帰れ。金は幾らかかっても構わん」

「御意」


男は一礼すると、そのまま部屋を出て行く。一人残されたメラーズ伯爵は、抑えきれぬ笑みを顔に浮かべた。


「先代陛下の名声を傷つける訳にはいかないが――しかし、確かに今の陛下であれば如何様にでも料理できるな」


先代国王は今でも英雄として名高く、民衆からも広く支持を集めている。その彼の名誉を傷つけるようなことがあっては、寧ろメラーズ伯爵の評判が下がる危険性が高かった。それに、メラーズ伯爵もまた先代国王に対しては憧憬の念を抱いている。

だが、現国王に関してはその限りではない。即位前から国王に相応しくない男だと揶揄され、最後まで王太子には指名されなかった。彼が国王という座につけたのは、偏に運が味方しただけだ。しかしその幸運も長くは続かず、結局病床の人となり実質的な権力は何ひとつ手中にしていない。

そのことを知っている貴族たちは皆、現国王ホレイシオを表面上は敬いながらもそれほど重要視はしていなかった。


「証拠さえあれば先代陛下の御名を汚すことなく、現陛下(ホレイシオ)王太子殿下(ライリー)を失脚させられる」


男が持ち帰った情報を元に直接的に糾弾できるのは国王ホレイシオだが、ホレイシオの正当性が認められなければ必然的にライリーは王太子の地位を奪われる。先代国王が明示的に王太子を指名していない今、ライリーの立太子はただその血筋の正当性しか根拠がない。だが、スリベグランディア王国は元々英雄が打ち立てた国だ。より相応しい者――即ち英雄と高く評価される者がいれば、その者が王として君臨すべきだった。だが、メラーズ伯爵から見れば、ホレイシオもライリーもフランクリンも、英雄として呼ぶには稚拙すぎる。


「大公閣下はチェノウェス侯爵の血筋であらせられる。エイマーズ侯爵の血筋よりも英雄としての血は濃い」


チェノウェス侯爵家はフランクリン・スリベグラード大公の母親の生家であり、エイマーズ侯爵家は王太子ライリーの母親の生家だ。同じ侯爵家ではありながら、チェノウェス侯爵家には王家の血が入っている。

先の政変でチェノウェス侯爵家は先代国王に反旗を翻し取り潰されたが、実はそれこそがエイマーズ侯爵家の――否、国王ホレイシオの差し金だったとしたら。


「そのような甲斐性があれば、陛下も傀儡の王にはなっていなかっただろうが――だが、だからこそ証拠を揃えれば簡単に追い落とせるだろう」


王太子ライリーはメラーズ伯爵の予想を裏切り、図太く強かで隙がなかった。子供だからと軽んじていたが、ここまで来れば標的を変えなければ計画は延々と進まない。

それならば狙うべきは意識を取り戻した国王だと、メラーズ伯爵は計画を変更することにした。フランクリン・スリベグラード大公やスコーン侯爵は未だに王太子に拘っているようだが、手っ取り早く済ませるためには国王と王太子を共々追いやれば良いのだ。


「先代国王陛下は偉大な方だったが、残った者は誰も彼もが小粒な印象が否めんな」


ぼやいたメラーズ伯爵は、言葉とは裏腹に笑みを深める。

男が持ち込んで来た情報は、タナー侯爵の処刑が不当なものだったと主張するよりも、確実に国王と王太子を糾弾できる良い材料だ。あとは時が熟すのを待てば良い。それまでに根回しが必要になるだろうが、メラーズ伯爵は全てを万全に整える気だった。


「何よりも、これが明らかになれば旧国王派が――アルカシア派が我らに味方するに違いない」


それは確信だった。旧国王派とアルカシア派は完全にではないが、ほぼ同一の貴族から構成されている。現状ではアルカシア派は故エアルドレッド公爵の遺志を継いでライリーを王太子として支持しており、ライリーの盤石な後ろ盾となっている。だが、その後ろ盾が無くなってしまえば形勢は逆転し、フランクリン・スリベグラード大公が次期国王としてほぼ確定するだろう。そして現国王ホレイシオも追放してしまえば、空いた玉座は自動的にフランクリン・スリベグラード大公のものとなる。


「今からが楽しみだ」


だが、小さく呟いたメラーズ伯爵は気が付かない。彼の背後――暗く光の届かない部屋の隅を、一匹の小さな影が走り去って行った。



*****



リリアナ・アレクサンドラ・クラークは、招かれざる客の気配を察知して目を瞬かせていた。

普段と変わらず自室で寝る準備を整えていると、結界に異様な気配を感じた。ジルドやオルガが動く気配はない。どうやら侵入して来たのは人ではないらしいと、リリアナは悟った。


「人でないお客様は、アジュライト以来ですわね」


屋敷の周囲に張り巡らした結界が弾く存在は刺客や間者、狼藉者だけではない。人ではない存在も全て感知する。アジュライトは結界を物ともせず入って来るが、それでも彼が来たことは感覚的に分かる。そして、今リリアナの部屋に着実に近づいて来ている存在はリリアナの知っている気配でも魔力でもなかった。だが、どこか馴染みはある。


「この魔力――」


間違いない、と、リリアナは気配がだいぶ近づいたところで確信を抱いた。

アジュライトと同じ気配、地下迷宮の魔王が封じられた陣から出て来ていた魔力、そして先日王都の空を飛来しリリアナの体内に入って来た闇の力――その全てと共通している。つまり、新たな客人は魔王に近い存在ということだった。


少しして、小さな音をさせて庭に面した窓が揺れる。しかし窓は開かれることなく、リリアナが瞬いた瞬間に闖入者は窓の内側に立っていた。

透明な二枚の翅を持ち、線の細い肉体には一切無駄な脂肪が付いていない。筋肉に包まれた鋼のような肉体だ。

目を瞬かせてそちらを見たリリアナに、男は器用に片眉を上げてみせた。


『驚かないんですねえ』

「夜半過ぎに淑女の部屋へ無断で押し入るのは、さすがに不躾でしてよ」

『最初の挨拶がそれですか』


男は喉の奥で笑う。しかしリリアナは気分を害する様子もなく、表情を一切変えずに男を注視した。男はリリアナの視線にも動じることなく、腕を組んだまま片足に重心を掛ける。そして頭の先から足の先までリリアナをゆっくり観察すると「ふむ」と顎先に指をあてた。


『その概念は人間の常識であって、我々の常識ではないと言えば貴方は満足ですか?』


皮肉な言い回しに、短気な者であれば腹を立てたに違いない。しかしリリアナは、目の前にいる男が魔に属する存在であると理解していた。

自分とは違う種族に、人間の常識を理解して貰えるよう求めるのは無意味だ。そして同時に、人間もまた彼らの常識や思考回路を理解することはかなり難しい。

だからこそ、リリアナは口角を笑みの形に作った。予想外だったのか、男の美しく整った眉根が寄せられる。リリアナはどこまでも落ち着いた口調で答えた。


「だからこそ、互いの領分を侵さぬよう尊重し合うべきではなくて?」

『――なるほど。それは、私たちの考え方には即さぬ理屈ですね』

「それは残念ですわ」


リリアナは肩を竦める。言葉とは裏腹に、その表情は全く残念に思っていない様子だった。それどころか、リリアナはさっさと本題に入れと言わんばかりの態度で男に尋ねる。

男の存在を、リリアナは知らない。記憶にある乙女ゲームに、男は出て来なかった。二巡目の隠しキャラクターを攻略する段階になっても、当然姿形どころか名前も表示されない。これからの筋書きに影響を与える可能性はあっても、それほど重要な人物ではない可能性が高いとリリアナは判断していた。


「それでも、元々あなた方は人間には必要最小限しか関わらないのではなくて? それなのにわざわざわたくしの元までいらして、一体どのようなご用件なのかしら」


男は答えない。楽し気に目を細めてリリアナを見やる。その双眸は怪しく煌めき、リリアナは体内で落ち着きを見せていた闇の力がぞわりと蠢くのを感じた。相手に気が付かれないよう深呼吸をして、ゆっくりと魔力の動きを落ち着かせていく。下手に闇の力を動かせば、魔力暴走して周囲のものを破壊しかねない。それどころか、日々増え続けているリリアナの闇の力は膨大なものとなり、魔力暴走を引き起こせば王都を壊滅させられるほどになっていた。


『特にこれといった用件はないのですがね。ただ、堅物が気に入っているという人間が一体どのような女子(おなご)なのか、気になったので顔を見に来たのですよ』


堅物、と言う単語を聞いたリリアナの眉がわずかにピクリと動く。明言はされていないが、恐らくアジュライトのことを指しているのだろうと見当がついた。だが、反応はしないし名前も出さない。目の前の男がアジュライトの味方なのか敵なのか、判断がつきかねた。

男は無反応なリリアナを見て不機嫌な顔になる。思ったような反応がないことが詰まらないのか、更に言葉を重ねた。


『貴方が傍に置いている黒い獅子、あれは魔の眷属なのですよ。その様子では、ご存知でしたか?』


にこやかに尋ねるが、言外に知らなかっただろうと言う圧力が見える。リリアナは答えなかった。

アジュライトと初対面の時、リリアナはそれほど警戒心を抱かなかった。多少緊張はしたが、その後付き合っていく内に、真面目という第一印象が間違っていなかったと確信を抱くに至った。アジュライトは必要最低限のことしか口にしない。彼が何かを隠しているらしいことも、付き合いが長くなれば薄々察することになる。しかし、アジュライトはどこまでもリリアナに誠実であろうと努めているようだった。

そうでなければ、リリアナの体内に闇の力が流れ込んだ時、安定させる手伝いはしなかったに違いない。安定させることが出来なければリリアナの精神は死に、魔王の復活にちょうど良い器となる他なかったのだから、魔の眷属であるアジュライトにとっては願ってもないことだっただろう。

だが、アジュライトはリリアナに手を貸してくれた。魔王復活のために最後はリリアナを裏切るのだとしても、その時が来るまではリリアナに害は為さないだろう。だが、その時がいつ来るのかリリアナにも分からない。だからこそ、距離を取るしかないと思っていた。


だが、目の前の男はアジュライトとは違う。リリアナを動揺させ、混乱させたいと願っている。だからこそ、男の思惑通りに動いてやるつもりは更々なかった。


「そうでしたの。初耳ですわ」


リリアナは嘘は言っていない。これまでの情報を統合してアジュライトが魔の眷属――恐らくは魔王の配下であろうと見当を付けていたが、他人に明言されたのは今回が初めてだった。

そしてここでもリリアナが期待通りの反応をしなかったせいか、男は目を眇める。更に不機嫌になり、纏う空気が剣呑なものになった。しかし苛立ちを露わにするのは矜持が許さないのか、男の表情は更に笑みを張り付けたようになった。


『それでは』


男は小首を傾げてみせる。


『あの堅物が貴方を恨んでいると、それはご存知でしたか?』


一瞬、リリアナの表情が固まる。何食わぬ様子を直ぐに取り繕うが、確かにリリアナは動揺していた。必死で体内で揺れ動く闇の力を抑える。

そのことに気が付いたのか、男は目を細め満足気な笑みを零す。そして男が手を伸ばした瞬間、リリアナは動いていた。



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