49. 封印具の行方 2
ローランド・ディル・ユナカイティスが入った皇族専用の隠し部屋は、隠し部屋とは思えないほど広く豪華だった。だが、魔術を介してみているリリアナにもその部屋の異様さは伝わって来る。一見したところごく普通の部屋に見えるが、その部屋は非常に濃い密度の魔力で満ちていた。
『相変わらずだな、ここは』
思わずといったようにローランドの口から愚痴めいた言葉が漏れる。ローランドは元々魔力が高い。恐らくそのせいで、高密度の魔力に触れると気持ちが悪くなるのだろう。
だが、鼠の視界を介してみているだけのリリアナはローランドほどの悪影響を受けない。それどころか、体内を静かに巡っている闇の魔力がぞわりと蠢いたような気がした。咄嗟に両手で腕を抑え、深呼吸を繰り返す。
「わたくしの闇の力が反応している――ということは、」
考えられる仮説は幾つかあるが、最もあり得そうなのは、リリアナの体内にある闇の魔力と隠し部屋に満ちている魔力が同質のものである可能性だ。
乙女ゲームでは、悪役令嬢は今ローランドが立ちいった部屋には入っていない。ヒロインも同様だ。この部屋に入れるのはユナティアン皇国の皇族だけなのだから、当然だった。そのため、その部屋に重要な小道具があることだけが情報としてローランドの口から提示された。ヒロイン視点のプレイヤーが確認できたのは、ローランドの口頭での説明と、説明として表示された小道具の名称と外観だけだ。
鼠の視界が切り替わり、リリアナの目に見覚えのある物体が映る。それは人の腰ほどもある大きな黒水晶だった。床に面した部分は大仰な器具で固定され、取り外すにも時間がかかりそうだ。
禍々しいまでの魔力を蓄えた黒水晶は、ユナティアン皇国の国宝だった。真偽のほどは確かではないが、ユナティアン皇国が帝国と呼ばれていた時代から存在しているらしい。
ローランドはその黒水晶に慣れているようで、顔を顰めながらもゆっくりと黒水晶に近づいた。
『我らが血を古来より見守りし黒き記憶よ。我が問いに応えよ』
ローランドが口にしたのは、今では使われていない皇国の古語だった。その上、古語の中でも支配層が好んで使っていたと言われる声調と言い回しだ。
そして、ローランドが言葉を切った瞬間に黒水晶が鈍い光を放つ。黒水晶が反応を示したことを確認したローランドは、低く息を吐いて問いを発した。
『我らが始祖を封じた封印具と今の居場所を示せ』
その言葉が終わった瞬間、視界が鈍色に染まる。そしてその中に浮き上がったのは、漠然とした印象画のような景色だった。様々な景色が目まぐるしく浮かんでは消えていく。凝視すれば酔ってしまいそうなほど立て続けな変化に、リリアナは思わず眉根を寄せた。
最初に現われたのは、荒涼とした大地に立ち尽くす一人の青年だった。片手には剣を握っている。その剣は豪奢な装飾が施されていたが、単なる飾り物ではなく実用に適した業物だと一目で分かる迫力を醸し出していた。無機物である剣に“迫力”という形容詞は似合わないが、剣には素人のリリアナにも一見で只物ではないと分かる。
映し出される風景は一瞬で、すぐに豪奢な邸宅へと舞台が変わった。剣は紋章の刻まれた立派な台座に飾られている。しかし、すぐに剣は再び戦場へと舞い戻ったようだった――否。
「戦場ではなく――館が荒らされている?」
リリアナは胡乱な目を向ける。一瞬しか表示されなかった景色だが、リリアナの目はそれが戦場ではない事を見て取っていた。
剣を手に取った男は古めかしい騎士服のような衣装を纏っていたが、その服がどこの所属のものかは分からない。しかし半壊した館を捜索し、目ぼしい宝を手にしては粗雑に大きな麻袋へと放り込む。そして件の剣だけは、嬉しそうに己の腰へさしていた。
次いで映し出されたのが、宝珠だった。ローブを着た魔導士らしき青年が宝珠を手にしたまま魔法陣を展開している。その宝珠へは、黒く濁った靄が流れ込んでいた。
そしてその宝玉は、地中深くへ埋められる。しかし時は流れ遥か後世、盗賊団らしき男たちが宝珠を手に酒盛りをしていた。宝珠だけではなく他にも金銀財宝を山積みにしているから、恐らく宝珠の本来の意味を知らなかったに違いない。そして盗賊が得た宝珠は、他の財宝と共に闇商人の手に渡り、様々な人の手を渡って貴族の元に辿り着いたようだった。だが生憎と、その貴族の身元を特定できるようなものは何一つとしてない。
残るは鏡だ。だが、それだけは他と様相が違った。
「どういうこと――?」
目に映るものが理解できず、リリアナは眉根を寄せた。視界に広がるのは戦場だ。だが、これまでに見せられたどの戦場よりも荒廃が酷い。そして、表示される映像も不鮮明だった。お陰で映し出されている人物たちが一体何をしているのか、良く見えない。
「巨大な鏡のように見えますけれど、でもあれは本当に鏡なのかしら」
薄っすらと視界に映っているのは、人の背丈の倍ほどもある大きな物体だった。鏡のように何かを反射し、そして同時に何かを吸収しているらしいことが分かる。
リリアナは目を凝らした。場面が変わればその正体を知ることが出来るのではないかと思ったのだ。だが、巨大な鏡は木端微塵に砕け散ったようだ。そしてそのまま映像は焼失する。
鈍色の闇が消え、残されたのは何の変哲もない部屋だ。ただ部屋に充満している、寒気のするような気配はそのままだ。
リリアナと全く同じものを見ていたローランドは、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。
『何だったんだ――?』
彼のぼやきに、リリアナも同意するように頷く。乙女ゲームのローランドは今見た映像をそのままヒロインたちに伝え、ヒロインたちはそこから正解を導き出した。よくぞ彼らは正答に辿り着けたものだと感心したリリアナだが、ふと首を振った。
「いえ、その封印具が本当に正しいものだったかどうかは定かではございませんでしたわね」
乙女ゲームに出ていた封印具の正体を、リリアナは知っている。だが本当にその封印具が事実魔王を封印した道具なのかどうか、確証はない。
正しい封印具だったが魔王の封じ方を間違えたのか、いずれも正しかったが時機が悪かったのか、それともそもそも封印具が誤っていたのか――リリアナの中には、三つの可能性が芽生えていた。正しい封印具を用いて適切な時機に正しく封印できていたのであれば、二巡目に攻略ルートが開く隠しキャラクターは存在しなかったはずだ。
「可能性としては、鏡が誤っているか、それとも封印具としての効力を失っていたか」
剣と宝珠の姿かたちははっきりと目にした。その形はリリアナの記憶通りだ。しかし、鏡だけは不鮮明だった。最初に映し出された巨大な鏡であれば乙女ゲームに出て来た封印具とは異なる。それでも最後には巨大な鏡は砕けていたから、その破片が封印具として扱われていたのであれば辻褄は合った。
リリアナの視界の中で、ローランドは低く呟く。
『少なくとも、剣の在り処は分かった――が』
問題は宝珠と鏡だと、苦い呟きが彼の口から零れ出た。
*****
ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードは、ユナティアン皇国に嫁いだ伯母の手紙を熟読していた。差出人はヘンリエッタ・ブロムベルクだが、その内容自体は皇国の皇子ローランドの伝言だ。
リリアナは何気ない顔で茶を飲みながら、横目でライリーの様子を窺っていた。
「何か分かりましたの?」
ローランドが何を書いたのかおおよその内容は予想している。否、リリアナは恐らく手紙に書いてある以上のことを知っている。しかし、何食わぬ顔でリリアナはライリーに尋ねた。ライリーは手紙から顔を上げると、溜息混じりに頷いた。
「取り敢えず封印具は剣と宝珠、それから恐らくは鏡で間違いないようだ」
「そうでしたの。一歩前進しましたわね」
リリアナが答えると、ライリーはしかし苦い顔で呟く。
「鏡に関しては定かではないらしいよ。だが可能性は高いということだ。それから問題は、今どこにあるのか明確に分かっているのが剣だけだということだね」
「剣はどちらにありますの?」
「皇国」
隠すような内容でもないと、ライリーはあっさりと答えた。リリアナは目を丸くしてみせる。その様子を見たライリーはわずかに目を細めたが、何事もなかったかのように言葉を続けた。
「どうやらコンラート・ヘルツベルク大公が持っている愛剣が、封印具ではないかということだった」
「まあ。皇帝陛下の甥でしたかしら」
「そうだね。緋色の死神と呼ばれている戦闘狂だと聞く。皇族ながら傭兵として戦場に出ることも、嘗てはあったらしい」
リリアナは目を瞬かせた。傭兵として戦場に出ていたことがある情報は初耳だ。
乙女ゲームではヘルツベルク大公の名と緋色の死神という二つ名程度が入手できる情報で、そして愛剣は封印具だった剣だということしか分からない。知恵を絞って彼の元から剣を奪うことが、乙女ゲームでクリアしなければならないイベントの一つだった。
だが、そこでようやくリリアナは納得した。
(そういうことでしたの。政変の時に、ヘルツベルク大公はスリベグランディア王国へ傭兵としていらしたのね)
ローランドの元に鼠をやってみた映像では、戦を終えた封印具の剣は間違いなくスリベグランディア王国のとある貴族の家にあった。剣が飾られていた台に刻まれた紋章は、先の政変の時に反逆罪で取り潰されたチェノウェス侯爵家のものだった。
恐らくヘルツベルク大公は政変の時にスリベグランディア王国を訪れ、傭兵として国王軍に従軍したのだろう。彼が映像の中で着ていた服は、その時傭兵に支給された制服に違いない。確か政変の時は、敵味方の区別を明確にするため、味方陣営には同じ紋章を記した服を支給したと歴史書に記載されていた。
(そしてその時に、チェノウェス侯爵家が保管していた剣を奪い皇国へ去ったのでしょう)
だが、それでは釈然としない気持ちが残った。
剣の行方に、時の国王が気が付かなかったはずがない。否、それ以上に妙なのは、あれほど英雄譚に拘っていたリリアナの父が剣の行方を気に掛けなかったことだった。
当時の父親はもしかしたら、それほど英雄譚や魔王の封印に心を捕らわれていなかったのかもしれない。しかし国宝級の剣をみすみす他国に流すなど、普通に考えればあり得なかった。
(この点もできれば調べたいところですけれど、優先順位は下げた方が宜しいかしら)
何よりもすべきことは他にもたくさんある。リリアナは少し考えて、ぽつりと一言だけ口にした。
「本来でしたら我が国にありそうなものですのに、ヘルツベルク大公がお持ちだなんて、妙なこともありますのね」
「――――うん、そうだね」
ライリーは頷く。返答は短かったが、リリアナはライリーの双眸に思慮の光が浮かんでいるのを確認した。
これで恐らく、ライリーは動く。そして得られるかもしれない情報を、リリアナは待てば良い。その間に、リリアナは計画を一人進めておくつもりだった。
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