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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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48. 皇国の潮流 3


レンダーノ侯爵が二の句が継げないでいる内に、ローランドは会話を切り上げることにした。穏やかに言葉を続ける。


「俺はこれから父上に会いに行くのでな。失礼する」

「――承知いたしました。御前失礼致します」


深々と頭を下げたレンダーノ侯爵に、ローランドは鷹揚に頷くと歩き出した。護衛たちも釣られるようにして付いて行く。レンダーノ侯爵の気配が遠くなったところで、ローランドは詰めていた息を吐き出した。

レンダーノ侯爵を前に緊張していたわけではない。ただ、予定外に気を遣う場面が出て来て疲労を覚えた。しかし、本番はこれからだ。今からローランドは父である皇帝に会い、イーディスの婚約について話をしなければならない。


長い廊下を歩いて、ローランドは謁見の間に向かう。父親ではあるものの、皇帝と会うためには事前に申請し時間を確保して貰わなければならない。多忙を極める皇帝には、子供であろうが簡単に会うことはできない。

謁見の間に辿り着くと、扉の前には衛兵が立っていた。ローランドを見ると、事前に知らされていたのか衛兵は扉を開けた。ローランドは護衛を扉の前に残したまま、一人謁見の間に入る。その場には誰にも居なかったが、ローランドは立ったままその場で待った。

暫くして、皇帝の訪問が告げられる。扉が開いて入って来た、およそ一年振りに顔を見る皇帝は、多少老けたようにも見えた。


「お久しぶりです、父上」


ローランドは礼を取る。他では陛下と呼ぶが、本人を前にした時は父上と呼ぶようにしていた。皇帝という地位に固執しているカルヴィン・ゲイン・ユナカイティスだが、それなりに子に対しては父親としての愛情を持っているようだった。


「ローランドか。息災にしているようで何よりだ」

「お陰様で。父上におかれましてはご健勝のご様子、何よりに存じます」


皇帝カルヴィンは楽し気に笑うと一段高い位置にある椅子に腰かけ、ローランドには対面にある席に座るよう促す。一礼したローランドは、大人しくソファーに腰掛けた。


「それで、何用だ」


早速カルヴィンに話を促され、ローランドは「はい」と頷く。微笑を浮かべたローランドは真っ直ぐに父親の目を見つめた。


「イーディスの件でご報告とご相談に」

「ほう」


カルヴィンの眉がピクリと動く。

その方法が正しいどうかは別として、確かにカルヴィンは末娘であるイーディスのことを可愛がっている。だからこそ、イーディスの名を出せば聞く耳を持つとローランドは確信していた。実際に、カルヴィンはローランドの話に興味を持ったらしい。

レンダーノ侯爵の話が正しければ、侯爵はローランドよりも先にイーディスの婚約者について話を持ちかけているはずだ。だがカルヴィンはおくびにも出さず、今初めて聞いたとでも言うように目を瞬かせた。

ローランドは慎重に言葉を選ぶ。重要な点は、提案ではなくカルヴィンの意見を尊重し、そして相談したいという姿勢を見せることだった。たとえ最終的にはローランドの思惑通りに事を運ぶとしても、カルヴィンにはまるで自ら発案したと思わせなければならない。


「まだ本人は知らぬことですが、婚約者候補を名乗る者が出て来ているとか」

「ふむ」


ゆっくりと切り出したローランドを見て、カルヴィンの口角が僅かに上がる。殆ど変わらない表情の中で、カルヴィンの双眸だけは楽し気な光を浮かべていた。

イーディスに婚約者を宛がおうという動きは、ごく最近出て来た新たな流れだ。ドルミル・バトラーに調べさせたところ、どうやらその情報を掴んでいる者はローランドとブロムベルク公爵夫妻だけのようだった。そしてレンダーノ侯爵から直接話を聞いた皇帝カルヴィンだけが知っている。即ち、今の段階でローランドがイーディスの婚約に関して最新の情報を掴んでいると知らしめることは、皇位継承権を持つ皇族の中でもローランドの情報収集能力と人脈が最も優れていると示すことだった。


「まだイーディスの耳には入れておりませんが、どこからか噂が流れて本人の知るところとなる可能性もあります。そのため、現在は黄蘭の離宮に勤める使用人の身元を再度確認し、情報統制を行うよう指示致しました」


カルヴィンが目を細める。ローランドの真意を見定めるような視線に僅か緊張しながらも、ローランドは極力淡々と言葉を続けた。


「父上も良くご存知の通り、イーディスは結婚に夢を見ております。既にお聞き及びかと存じますが、以前より彼女は王子が彼女の愛を乞いに来ると信じておりました。本人に話を聞きましたところ、その王子は実在の王子ではなく、あくまでも父上のような存在ということで仮に王子と表現していたと申しておりました。隣国の王子を結婚相手として考えていたこともあるようですが、どうやらてっきり父上のような相手なのだと信じていたのだとか」

「ほう」


ローランドの言葉には、虚実が入り乱れていた。

イーディスが王子と結婚すると信じていたのは過去の話だ。それも、実際にはイーディスを権力闘争に巻き込もうと決めた一派の仕業だと分かっている。当時のイーディスはライリーが自分の結婚相手だと信じて止まなかった。既に今のイーディスは、当時抱いていた夢を捨てている。彼女は自ら学び考えることで、当時の自分が置かれていた状況やライリーと結婚するのだと言い聞かせていた者たちの思惑を理解していた。

とはいえ、イーディスが王子と結婚するのだと信じていたことを皇帝カルヴィンは把握しているはずだ。だからこそ、単純な嘘を吐くわけにはいかなかった。

幸運にも、イーディスが隣国スリベグランディア王国の王太子ライリーと結婚すると信じ王国を訪問した時、同行していたのはローランドが身元を調べ信用が置けると判断した者ばかりだ。彼らは今もローランドの手足となって働いてくれている。

そのため、イーディスはライリーを皇帝カルヴィンのような男なのだと勘違いしていたという嘘を取り入れた。

どうやらカルヴィンはローランドの言葉を疑わなかったらしい。完全に信じてはいないだろうが、少なくとも疑われていないという事実が重要だった。


「しかしながら、隣国の王子と会って思っていた相手と違うと思ったようです。とはいえ幼い頃からの夢は忘れられず、やはり父上のような相手と巡り会いたいと思っている様子」


カルヴィンの反応を窺いながら紡がれるローランドの言葉は、徐々に核心に迫っていく。


「勿論、たとえ理想の相手ではなかったとしても、必要とあれば父上の御高配に従い嫁ぐものだと理解はしています。しかしながら、それまで心乱されることなく、あのままのイーディスで過ごして欲しいとも願うのです。傍から余計な話が耳に入れば、それ以外にも色々と邪推し進言する者が出ないとも限りません」

「なるほどな」

「勿論、余計なことを告げる相手をイーディスに近づける気はありません。とはいえ現状、私は単なる皇子に過ぎません。イーディスに直接会いたいと願う者の大半は私を無視しようと考える不届き者はおりませんが、一部に己の力を過信した者が居るのも事実」


皇帝が自分の話を好意的に受け止めているのか、ローランドは不安だった。仮に一言でも不快感を抱かせるような言葉を口にすれば、その時点でローランドはカルヴィンから切り捨てられる可能性が高い。しかし、怯んでいては何事も成し遂げられない。

視線に力を入れて、ローランドは敢えて本来の望みとは違うことを口にした。


「故に、父上にはイーディスの身と心を護るための策を御講じ頂けないかと、伺いに参上した次第です」


途端にカルヴィンはにやりと笑う。声を抑えてはいたが、明らかに彼はローランドの提言を楽しんでいた。


「自分でイーディスを護るとは言わぬのか、お前は」

「できればそう願いたいとは思っておりますが、一介の皇子である私よりも父上の方が間違いなくイーディスをお護り下さるでしょう」

「ふうむ」


カルヴィンは片手で顎をなぞる。笑みは消えたが、その双眸には未だ楽しむような色が残っていた。カルヴィンはローランドの真意を探るように、まじまじと息子の顔を凝視していた。ローランドは全てを曝け出すように、平然とした態度で父親の顔を見返す。

多くの貴族はこの時点でカルヴィンの睥睨に耐え切れず視線を逸らす。しかしそうしてしまえばカルヴィンは興味を失うと、ローランドは良く知っていた。

やがてカルヴィンは「良いだろう」と呟く。


「今はあまり時間もない。今日の夕餉はお前と摂るとしよう。時間を空けておけ」

「――御意」


ローランドは立ち上がると首を垂れた。今はもうこれ以上、カルヴィンと話し合うことはできない。

カルヴィンは労うような言葉を口にすることもなく、尊大に頷くと椅子から立ち上がると部屋を立ち去る。途端に、部屋の中から目に見えない圧力が消えた。ローランドはゆっくりと息を吐き出す。

父親から晩餐に招待されるとは、さすがのローランドも想像はしていなかった。だが、思った以上に良い成果を得られそうだと頬が緩む。


カルヴィンは家族と夕食を共にしたことはない。彼が晩餐に招待するのは能力的に気に入った者や目を掛けている者だけだ。権力欲に塗れた貴族たちがカルヴィンの晩餐に誘われたいと心の底から願っていると、ローランドは知っている。実際にこれまでカルヴィンの晩餐に呼ばれた者は、暗殺された第一皇子とキュンツェル宮廷伯の二人だけだった。

掌中の珠として可愛がられているイーディスでさえ、誘われるのは昼の茶会程度であり、晩餐には呼ばれない。今は一番の愛人と言われているレンダーノ侯爵夫人は茶会にすら呼ばれていない様子だ。

その晩餐会に、ローランドが呼ばれた。

この事実は晩餐会の準備をした使用人たちにはすぐ知られる。そして当然、貴族たちにも広く知れ渡ることになるはずだ。


父親がどのような意図をもってローランドを晩餐会に誘ったのかは分からないが、ローランドはこの機会を最大限に生かす努力をするだけだった。


カルヴィンの側仕えがローランドを迎えに来る。ローランドは部屋から出ると、護衛たちの待つ廊下へと出た。廊下にはちらほらと文官の姿が見える。全員の顔を一瞥したローランドは、思い立ったように何気なさを装って、自分を迎えに来た側仕えに告げた。


「今宵の陛下の晩餐会にお声を賜った。遅くなるであろうから、今宵はここに泊まりたいと思う。部屋と晩餐会の支度をするよう申し付けてくれ」


側仕えの目が一瞬見開かれる。しかしさすがに皇帝の側仕えというだけあって、すぐに驚愕は無表情の下に押し隠した。寧ろ、偶々その場に立ち会ってしまった文官たちに動揺が広がる。


「御意に」


敢えて音量を落とさずに告げたローランドは、側仕えの反応に鷹揚に頷くと、離宮に泊まり込むようになるまで暮らしていた自室へと足を向けた。



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