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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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48. 皇国の潮流 2


ユナティアン皇国の宮廷は豪華絢爛という言葉を見事に体現している。その一見豪奢で優雅な宮廷の中では、見た目と裏腹にあまねく陰謀が渦巻いていた。物を知らない田舎貴族であればまだしも、多少なりと中央の権力闘争に触れた者は即座にその場所が死と隣り合わせの場所だと気が付くに違いない。

そんなことを思いながらも、供を引き連れたローランドは無表情で宮廷の廊下を歩いていた。普段であれば必ず同行しているドルミル・バトラーには所用を言いつけているため、この場には居ない。本音を言えば誰にも会わずに自室へ向かい、とっとと本来の用件である封印具の調査に当たりたかった。だが、それをしてしまえば何故ローランドが宮廷に足を運んだのかと要らぬ憶測を呼ぶことになる。


「――イーディスの婚約、なあ……」


ローランドがイーディスの後見となり彼女の婚約者候補に口を出す立場を確立するのは、さすがに無理があると大半の貴族は思うに違いない。ローランドもようやく後継者争いの一人として頭角を現して来たとはいえ、まだ年も若く、妹の後ろ盾となるには力が弱すぎると考える者が大多数だ。

だが、ローランドには秘策があった。尤もその秘策はローランドの力ではなく、大いにバトラーの能力が役立っている。


「全く、方々も大人しくしていれば良いものを」


思わず苦く考えてしまうことを止められない。もし他の皇位継承候補者たちが隣国をそのままの形で尊重しようとしていたなら、そしてローランドやイーディスの命を狙う者がいなければ、ローランドもイーディスも文句はなく一介の貴族として臣下となり暮らしていただろう。だが、権力を望む者にとってローランドやイーディスのような考え方は全く理解できないものらしかった。


「あの時ライリー殿がイーディスを気に入ってくれていれば――いや、無理だな。どう贔屓目に見ても彼は婚約者殿が好きで堪らないといった様子だった」


知らずローランドの口からは溜息が零れ出る。あり得ない仮定をして嘆いていても仕方がない。

廊下を歩き続けるローランドは、傍から見れば堂々とした風情に見えただろう。頭を抱えているとは誰も思わないに違いない。

そしてそれを証明するかのように、声を掛けて来る一人の男がいた。


「殿下」


ローランドは声のした方へと顔を向ける。そこに立っていたのは、レンダーノ侯爵だった。彼の妻は皇帝――ローランドの父の愛人だ。妻を他人の愛人とすることに躊躇いを覚えない侯爵は、野心家に相応しく豪奢な衣装に身を包んでいる。人の良い笑みを浮かべてはいるが、その双眸は抜かりなくローランドの出方を伺っていた。


「レンダーノ侯爵」


低く名を呼べば、侯爵は一歩ローランドに近づく。護衛たちが警戒を解かない中で、侯爵は意味ありげな視線をローランドに向けた。


「まさかお忙しい殿下が、宮廷にいらっしゃるとは思いもよりませんでした」


恭しい態度を取ってはいるが、不遜なまでの物言いだ。しかしローランドは気分を害することもなく、片眉を上げて侯爵を見やった。寧ろローランドの周囲に立つ護衛たちが殺気立っている。ローランドが一言「許す」といえば今にもレンダーノ侯爵に斬って掛かりそうな勢いだったが、ローランドは一切気にせず「そうか」とただ一言頷いた。


「それならば覚えておくと良い。俺は第二皇子であり、皇位継承権を有しているとな」


一瞬、侯爵の顔色が変わる。これまでもローランドが皇位継承争いに名乗りを上げたと言われて来たが、それはあくまでもローランドの行動や態度、そして彼の周囲に集まった人々から得られた情報を元に立てられた噂だった。だが、ローランドは今まさに、自らが皇位継承争いの一角であると宣言したにも等しい。

しかしレンダーノ侯爵もユナティアン皇国の宮廷で繰り広げられている苛烈な権力闘争に参加している一人だ。すぐに取り繕うと、そういえばとでも言いたげに顎を撫でた。


「そういえば、そうでしたな。いえ、特に裏はございませんよ。ただ純粋なる興味です。殿下はこれまで、宮廷での暮らしにそれほどご興味を抱かれていないご様子でしたのでな」

「そう見えたか」


レンダーノ侯爵の台詞は薄氷の上を踏むが如くだった。相手がローランドだから今もなお彼は首が繋がったままだが、もしここに居たのが第一皇女であれば侯爵の首は既に血塗れになって宮廷の豪華な廊下に転がっていただろう。第三皇子であれば、今この場は無事でも明日の朝日は拝めないに違いない。第一皇子であれば、今宵にでも侯爵はその地位を失っていたはずだ。

しかし、ローランドは他のどの皇族とも違った。楽し気な笑い声を漏らすと、まじまじと侯爵の顔を見つめる。そして不思議そうに言った。


「確かに俺は宮廷の暮らしには興味はない。なにより今、この宮廷は皇帝陛下(ちちうえ)の物だからな。ここに誰が足を踏み入れ暮らすことが出来るのか、お決めになるのは他ならぬ皇帝陛下(ちちうえ)だ。御叡慮を無視して矮小な考えを言い募ったところで、羽虫の羽音ほどにもならぬと思うが?」


これまで、ローランドは愚かな皇子だと陰ながら馬鹿にされて来た。貴族全てではないが、間違いなくレンダーノ侯爵もその一陣に居た。だからこそ、余計に今ローランドが口にした台詞を信じられなかったのだろう。自分がローランドよりも優位に立っていると確信していた侯爵は、絶句して唇を震わせる。

ローランドの言葉は、明らかに侯爵の発言を“愚か極まりない、取るに足らない表現”と言外に愚弄していた。妻を皇帝の愛人に据えて宮廷での発言権を増していた侯爵にとっては、羽虫の羽音ほども気にされない意見だと指摘されたこと自体が侮辱だった。

徐々にローランドの言葉を理解した侯爵の顔が真っ赤に染まる。憤怒を辛うじて抑え込んだのは、侯爵としての矜持に他ならない。


「――さて、それは私の口から申し上げることではございません。尤も、皇帝陛下も私の言葉であればある程度御考慮頂けるものと愚考しておりますが。実際、先ほども黄蘭の離宮におわす皇女殿下に後ろ盾となり得る御婚約者を、と奏上奉りましたところ、非常に前向きな大御心にて御言葉を頂戴賜りましたところですよ」


黄蘭の離宮――それは、イーディスが暮らしている離宮の別称だ。一瞬ローランドの眉がピクリと動いたが、それは侯爵には気付かれない程度の変化だった。

なるほどと、ローランドは頭の中で貴族年鑑を広げる。レンダーノ侯爵は間違いなく第一皇子の派閥に与していた。昨日ドルミル・バトラーとの会話で出て来た、キュンツェル宮廷伯の動向を伺っていたものの、動きが見えなかったためイーディスを取り込もうと考えた貴族の一人がレンダーノ侯爵に違いない。

侯爵と懇意にしている貴族たちは多岐に渡るが、一人一人はそれほど力を持っていないが強欲な者ばかりだ。しかし実力は全くその欲望に釣り合っておらず、一つにまとめるのも苦労しそうな面子だった。

ローランドは敢えて余裕を見せて、鷹揚に頷いてみせた。


「そうか。貴殿は我が妹のことにまで心を砕いてくれているのだな。兄として、()()()()()()()感謝しよう」


レンダーノ侯爵の台詞は、ローランドの不安を煽るためのものだったはずだ。しかし、ローランドは寧ろレンダーノ侯爵の言葉に感謝を述べる。ただそれは同時に、イーディスの婚約者を決めるには兄であるローランドの意向も汲み取らねばならないという脅迫も含まれていた。

とはいえ、侯爵はローランド程度は片手で捻り潰せると考えているのは明らかだ。そうでなければ、正面切って喧嘩を売って来る理由はない。それを理解した上で、ローランドは純粋に妹を気遣う兄の台詞を口にした。


「ただ、兄としては妹には幸福な人生を歩んで欲しくてな。当然皇族であるからには逃れられぬ責務もあるが、イーディスの他にも皇族は多く居る。無理に政略を考える必要もない。皇帝陛下(ちちうえ)も掌中の珠と言われるほど可愛がっておられるのだから、俺の意見にはご賛同頂けるだろう。イーディスが本人の望まぬ形で表舞台に出ることになれば、それこそ俺も黙ってはおられん」


遠回しではあるものの、ローランドの本意は明らかだった。即ちイーディス皇女を権力闘争の旗印に掲げるのであれば、ローランドが敵となりお前を滅ぼすと、そう告げている。

鋭い眼光でレンダーノ侯爵を射貫けば、侯爵は一瞬怯んだ様子で頬を引き攣らせた。しかしすぐに立ち直ると、軽く咳ばらいをして誤魔化す。


「左様でございますか。兄妹愛の麗しきこと、このレンダーノ、感服致しました。その愛情を他の御姉弟には向けられることはあるのでしょうかな」


レンダーノ侯爵はローランドに気圧されていたはずだが、それが許せなかったのかもしれない。最早隠す気もないほどの挑発染みた言葉を口にする。しかし、ローランドは最後まで動じなかった。楽し気に声を立てて笑うと、目を細めた。途端にその表情に迫力が出る。


「無論、彼らも親族故にそれなりの情はある。しかしイーディスは唯一母が同じでな。愛情も一入というものだ」


そこで一瞬ローランドは口を噤んだ。しかし、廊下に人は殆ど居ないとはいえ、公衆の場で面と向かって軽んじるような発言をされたのは事実だ。ここで一度思い上がった顔を潰しておくべきかと、顔から笑みを消した。


「貴殿は愛する妻の子であればどのような髪色であろうと等しく侯爵家の子として可愛がるのだろうな。愛情に満ちた貴殿の言葉は、なかなか聞いていて面白いものであった」


ひんやりとした空気が、その場を支配したかのようだった。これまで多くの貴族たちに軽んじられて来たローランドが、初めて見せた皇族らしい威圧感が一層増す。そこで初めて、レンダーノ侯爵はローランドが皇帝と似ていると気が付いたらしい。


レンダーノ侯爵夫人が皇帝の愛人であることは誰もが知っている事実だ。侯爵自身、権力を握るために皇帝に美しい妻を差し出したのだ。侯爵夫妻の間に存在しているのは打算と欲望であり、愛情などない。夫妻の間には実子がいるが、ここ数年夫人は殆ど別宅に籠り、夫と共に居る時間は夜会の時だけだという。つまり、これから先に夫人が子供を産んだ場合、その子供は皇帝の子――即ち庶子となる。

しかし、皇帝はある程度成長して見どころがあると思った子しか皇族の名を与えない。

そして皇位継承争いは既に熾烈なものとなっている。年齢を考えても、レンダーノ侯爵夫人が皇帝の子を産み、その子が皇位継承権を得る時期はまだ遥かに先だ。即ち、夫人が皇帝の愛人となることを決めた時に立てたであろう策略は全く無意味なものとなったのだ。

それを全て理解した上で、ローランドはレンダーノ侯爵の不手際を揶揄した。つまり、たとえ侯爵夫人が皇帝の子を孕んだとしても、その子は決して皇族に迎え入れられることはない。そして、侯爵は実子も皇帝の子も平等に自分の子として可愛がるのだなと、そう念を押しただけだ。


しかし皇帝と妻の間に出来た子を皇帝として成り上がらせたいと考えていたレンダーノ侯爵にとっては、あまりにも痛烈な皮肉だった。

さすがのレンダーノ侯爵の顔色が悪くなる。侮辱されたことに対する怒りはあったが、同時にローランドの言葉や表情に恐怖を抱いたようでもあった。



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