表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

314/564

48. 皇国の潮流 1


ユナティアン皇国にある自領の館で、ヘンリエッタ・ブロムベルク公爵夫人は、珍しい人物からの手紙を執事から受け取った。差出人を確認し、目を瞬かせる。


「こんな時期にあの子が自分から連絡を取って来るなんて、珍しいこともあるものね」


彼女の言う“あの子”はスリベグランディア王国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードだ。以前であればそれなりの頻度で書簡のやり取りをしていたが、ここ最近は皇国も皇位継承権を巡った貴族の対立が激化し、不穏な気配を漂わせている。そのため、ヘンリエッタは勿論、ライリーも書簡のやり取りを控えるようになっていた。

ブロムベルク公爵家がどの陣営にも与さず静観の構えを取っていることは多くの貴族が知っている。だが、耳聡い者の中にはブロムベルク公爵が本当に支持しているのが第二皇子であるローランドであると気が付いている者もいた。そのため、隣国の王太子と密に連絡を取っていると言う証拠を掴まれてしまえば最後、隣国に密通していると言う濡れ衣を着せられかねない。

尤もヘンリエッタがスリベグランディア王国の王女であったことは広く知られているため、ヘンリエッタの夫である公爵は妻の出自を理由に糾弾されないよう万難を排して来た。たいていのことでは揺るぐ立場ではないが、念には念を入れるべきだった。


「だから偽名で送って来たのでしょうけれど」


差出人の名前は“ウィル・エイマーズ”となっている。エイマーズはライリーの母アデラインの実家だ。アデライン亡き後、エイマーズ侯爵家は王宮から距離を取っている。そのため、ライリーは偽名を使う時は良くエイマーズ侯爵家の名を使っていた。


ヘンリエッタはライリーの能力を認めている。甥の思慮深さを考えれば、極力関係がないと見せかけるべき時期に手紙を送るという危険を冒していること自体が妙だ。即ち、それを越えるほどの重大な問題が発生したということに違いない。


「あの子が頼って来たなら助けてあげたいけれど」


呟きながら封を破り、ヘンリエッタは書簡に目を通す。その表情は、読み進めていく内にどんどんと真剣なものになっていった。普段から何があろうと穏やかな顔つきの彼女の双眸が眇められる。そうすると、整った美貌が迫力を増した。


「これは――」


ライリーがヘンリエッタに宛てた手紙は、恐らく他人に読まれた時のことを考慮してか、全て暗号で書かれていた。使われている独特な符牒はスリベグランディア王国王家のものだ。


「確かに、これは急ぎね」


ヘンリエッタは呟く。手紙には、魔王復活の予兆が見られたと書かれてあった。だが生憎とスリベグランディア王国には魔王封印に関する詳細な情報はない。そのため、ユナティアン皇国の情報を得たいという依頼だ。

手紙をゆっくりと封筒に戻したヘンリエッタは、おもむろに手紙を蝋燭の火に翳した。封書の隅に火が付き、ゆっくりと燃え広がっていく。


「ヨーゼフとも相談しましょう」


スリベグランディア王国では魔王と呼ばれている存在は、ユナティアン皇国では英雄と尊ばれている。皇帝の祖であるとされている魔王の情報を最も豊富に持っているのは皇族だ。そして宮廷には、皇族しか入れない場所も多くある。どれほどブロムベルク公爵夫妻が権力を持っていたとしても、当然ながら入ることは叶わない。そもそも、皇族しか入れない部屋や場所がどの程度あるのかすらも一般の貴族は把握できていない。ヘンリエッタの夫が密かに掴んでいる情報は他の貴族と比べると多い方だが、当然網羅しているわけではなかった。

即ち、ライリーの頼みに応えるためには皇族の協力が不可欠だ。そしてヘンリエッタが持っている手札は、第二皇子のローランドとその妹のイーディスだけだ。だが、今彼らは皇位継承争いに巻き込まれている最中だ。接触するにしても、慎重に事を運ぶ必要があった。



*****



ローランド・ディル・ユナカイティスは、腹心の部下が持って来た書簡を手に眉根を寄せていた。


「珍しいこともあるものだな?」

「そうですね」


あっさりと頷いたドルミル・バトラーは、ローランドの反応を何気なく観察している。そのことに気が付きながらも、ローランドは封筒から紙を取り出した。

差出人はヘンリエッタ・ブロムベルク公爵夫人――ローランドとイーディスを影ながら支援してくれている有力者だ。その内容に目を通したローランドの眉がピクリと動く。その様子を、ドルミル・バトラーはつぶさに観察していた。


「――なるほど」

「何かお急ぎの御用件でも?」


小さな呟きを漏らしたローランドに、バトラーは尋ねる。ローランドは肩を竦めてみせた。


「急ぎの用件と言えば、急ぎだな。イーディスの件だ」

「イーディス様の?」

「ああ」


ローランドは頷く。何気なく手紙を畳んで元通り封筒に仕舞うと、彼は手紙に火をつけた。揺らめく炎を眺めながら、ローランドは淡々と言葉を続けた。


「兄上が亡くなられ、キュンツェルを取り込もうと幾つかの貴族が動き始めている。だが、そのキュンツェルが思ったように動かないというので、第一皇子派だった貴族のうち今担ぎ上げられている皇族を支持したくない者がイーディスを担ぎ上げようと考えているようだ」

「なるほど」


ドルミルは曖昧に頷いた。

第一皇子を支持していた大半の貴族は、血生臭い争いを好まない。そのため戦好きの第一皇女を支持することはあり得なかった。第三皇子を支持する可能性はあったが、元々第三皇子は陰湿な暴力を好む人間だ。表立った戦には顔を顰めるが、自分に反抗する人間には執拗な拷問を加え徐々に衰弱する様子を肴にするのを好む。

ユナティアン皇国の貴族たちは好戦的な者もいるが、そうではない者も多く居る。そのため、第一皇子亡き今どの陣営に与するのか、彼らの中でも意見が割れていた。


一部の者は第一皇女に、また一部の者は第三皇子に。しかし、ローランドにとって予想外だったのは大半が第二皇子であるローランドの陣営に鞍替えしたことだった。

ローランドはユナティアン皇国の皇族には珍しく、スリベグランディア王国との和平を第一に掲げている。その判断が皇帝である父にどのように受け取られているかは分からないが、少なくとも第一皇女や第三皇子に反発している貴族たちの心は掴んだようだった。

それでも、ローランドにも与したくないという者は少数ながら存在している。


「イーディス皇女殿下であれば御しやすいとお考えの方々ですか」

「身も蓋もないことを言えば、そうなるな」


あっさりとローランドはドルミルの言葉を認めた。

第一皇子の陣営に居た貴族の中には、有力者であるキュンツェルが支持しているからこそ旨い汁が吸えるはずだと確信していた者たちが居る。彼らにとって、虚けと陰口を叩かれていた以前のローランドなら兎も角、目端も効くと評価され始めた今のローランドは、自分たちの思い通りにならない面倒な存在だった。

それでも今になるまで次に誰を支持するか決めかねたのは、キュンツェルの動向を探っていたからに他ならない。後から派閥に所属したところで元からいた貴族たちに抑えつけられるだけだが、キュンツェル宮廷伯が居れば話は別だ。キュンツェルの傘下だったというだけで、彼らは宮廷で大きな顔が出来る。

だが、第一皇子が暗殺された後、彼らには大きな誤算が生まれた。なかなかキュンツェルが次の派閥を決めないのだ。


「イーディス皇女殿下を――ということは、婚約者でも斡旋しようというのですか」

「間違いなくそうだな」


ローランドは頷く。だが、ローランドの反応を見たドルミルは呆れ顔を隠さない。


「陛下がお赦しになるわけもありませんでしょうに」

「その通り。その点、奴らは読みが甘い」


イーディスは生まれてからこの方、最高権力者である皇帝の掌中の珠だ。その真意が何であれ、簡単に臣下の望む通りの婚約者を宛がわれるはずがない。特にキュンツェル宮廷伯の動向を気にしている程度の貴族が宛がおうとする婚約者が、皇帝の眼鏡に適うはずはなかった。


「まあ、奴らの中ではイーディスが気に入ればどんな男だろうが皇帝も認めるだろうと思っているのだろうがな」

「それこそ、見当違いな期待というものですね」


ドルミルの言葉にローランドは苦笑を隠せない。

皇帝にとってイーディスが掌中の珠であるのは広く知られているが、その真意を理解している者は殆どいない。ローランドが知る限り、正確に把握している者は皇帝本人とローランド、ドルミル、そしてイーディス本人――最後に恐らく、キュンツェル宮廷伯だけだ。ブロムベルク公爵夫妻も薄々勘付いている様子だが、正確に理解しているとまでは言えなかった。


「皇女殿下が我を通そうとすればその時点で、陛下の掌中の珠ではなくなりますから」

「その通りだ」


ローランドは彼には珍しく気鬱な溜息を漏らす。

皇帝がイーディスを可愛がっているのは、偏にその盲目な信頼故だ。ブロムベルク公爵夫人の教育を受けたイーディスは既にその事実を理解しているし、自ら考えることも出来るようになった。ヘンリエッタやローランドには時折皇帝の裁可について異論を唱えたりもしている。

しかし、強固な後ろ盾がないイーディスは皇帝の庇護に入るしかその身を護る術がない。そのため、今でも彼女は物を知らぬ愚かな皇女の振りをしている。イーディスに婚約者を宛がおうとしている貴族たちは、そんな表面上の素振りに騙されているだけだ。


「とはいえ、実際に婚約の話を持ち込まれたら面倒だ。事前に防ぎたいところだが――やはり宮廷に行くのが無難か」

「そうですね。その方が動きやすいのは間違いがないでしょう」


ドルミルはあっさりとローランドの言葉に頷いた。ローランドはうんざりと溜息を吐く。

今、ローランドが居るのは皇族が所有している離宮の一つだ。少々不便な場所にあるため、派手好きの第一皇女や新しい物好きの第三皇子は決して近寄ろうとしない。そのため、今はほぼローランドの私邸として使われていた。


「宮廷は肩が凝るんだがな」


思わずローランドはぼやくが、バトラーは全く意に介さない。様々な思惑が渦巻く宮廷は、肩の力を抜ける場所がない。腹の探り合いは当然ながら、毒物が紛れ込んだ食事がいつ出されるかも分からない。そのためローランドは必要最低限しか宮廷に顔を出さないようにしていた。

必要な情報は全てドルミルや手の者が運んで来てくれるし、大して問題はない。特に今は第一皇子暗殺で宮廷全体が緊張状態だ。何が起こるか分からない場所に、好んで足を運ぶはずもない。

だが、イーディスに婚約者を宛がおうとしている者たちに圧力をかけるのであれば、宮廷に赴くのが一番の対策であることは理解していた。

それでもローランドは悪足掻きした。ちらりと横目でバトラーを見ると「それとも」と尋ねた。


「俺がイーディスの後ろ盾になると顕示するよりも良い方策はあるか」

「いえ、ありませんね」


あっさりとローランドの縋るような視線を嘲弄と共に却下し、バトラーは肩を竦めた。


「さっさとイーディス皇女殿下の後見として自らを指名するよう陛下に奏上することが一番の早道でしょう」

「――やっぱりか」


深々とローランドは溜息を吐く。可愛らしい妹のために、手札の一つを切ることは躊躇わない。しかし、それと皇帝に対峙し彼の思惑の裏をかくよう交渉する重圧とは全く話が違う。

憂鬱そうな表情のローランドを一瞥したバトラーは、淡々と尋ねた。


「それでは、宮廷には何時ご出立なさいますか」

「――明日だ」


一瞬考えたローランドだったが、すぐに何かを決意したように答えた。バトラーは頷く。


「承知いたしました。それでは準備をして参ります」

「頼んだ」


バトラーはそのまま部屋を出て行く。扉が閉まりバトラーの気配が遠のいたところで、ローランドは深く息を吐いた。片手で口元を覆うようにして考え込む。

その表情からは、つい先ほどまで浮かべていた気鬱さが掻き消えていた。代わりに深刻な光が双眸に浮かんでいる。


ヘンリエッタ・ブロムベルクから届いた手紙には、確かにイーディス皇女へ婚約者を宛がおうとする動きがあることが書かれていた。しかし、本題はそこではない。


――初代皇帝の復活。


隣国では魔王と呼ばれ、遥か昔に封じられた存在が近々復活するらしい。そのため、スリベグランディア王国の王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードは復活した魔王を再度封印する方策を探っているそうだ。しかし王国には十分な情報がない。そのため、助けを求めて来た――というのが本題だった。

確かに、ユナティアン皇国には初代皇帝に関する書物が多くある。彼が反逆者――王国では英雄と呼ばれている三人に滅ぼされた時のことも、禁書ではあるが存在している。

ユナティアン帝国を興した時の書物は広く市井にも出回っているが、彼が滅ぼされた時の話は宮廷の奥深く、皇族しか立ち入ることのできない場所に厳重に保管されていた。英雄が滅びるなど、一般の貴族や庶民に教えるべきではないという判断だ。一方で、英雄が三人の反逆者に滅ぼされた時の悲劇は吟遊詩人たちが謳い継いでいる。その調べは酷く物悲しい恋を謳ったもので、今なお皇国の人々に愛されている。


「この国の貴族や皇族、庶民であれば寧ろ諸手を挙げて復活を喜ぶのだろうな」


ローランドは一人小さく呟いた。だが、ローランドは諸手を挙げて喜ぶ気にはなれなかった。

初代皇帝が英雄であろうと魔王であろうと、遥か過去の人物だ。時は流れ人は変わり、既に当時と状況は大きく異なっている。当然、人々の考え方も変わっているだろう。

その中で、嘗ての英雄が目覚めその力を如何なく発揮し、嘗ての栄華を取り戻そうとすればどうなるか。

思わずローランドの唇に失笑が浮かぶ。どう考えても、良い方向に転ぶとは思えなかった。


「古来より、驕る者はいずれ潰えると言われている。既に潰えたものを復活させたところで、かつての栄光を取り戻すことなど出来るはずもない」


ユナティアン皇国に住む者たちにとって、大陸全土を支配していたというユナティアン帝国は誇らしい過去の栄華だ。その時の栄光を取り戻したいと願う者も多いし、自覚的ではなくともそう考える者は必ずいる。

しかし、それが必ずしも未来にとって良いことかと問われると、答えは否だ。特に過去に妄執する者ほど現在を否定し、未来に闇を落とすこともある。


「封印具を探すところから始めるか」


ヘンリエッタ・ブロムベルクからの手紙には、魔王の封印に関しては他言無用とあった。それがたとえローランドの腹心の部下であるバトラーであっても同じことだ。そのため、ローランドはバトラーにはイーディスの婚約者についてのみ口にした。

恐らくヘンリエッタはそれも見越して、一つの手紙に二つの用件を書いたのだろう。そしてイーディスの婚約者に関する情報を得れば、ローランドがそれを阻止するため宮廷に向かうことも想像していたに違いない。実際にローランドはその通りの判断を下し、そしてバトラーは全く違和感を抱かずにローランドが宮廷へ向かう準備を整えた。もしヘンリエッタが魔王の封印に関してのみ書いていれば、バトラーは直ぐに違和感を覚えて真実を追求したに違いない。


「さすが、あのお方だ」


思わず、ローランドの口からヘンリエッタへの称賛が漏れていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ