47. 魔王復活の予兆 5
不穏な闇の力が王都の上空を通り過ぎた翌日、ベン・ドラコの報告を聞いたライリーは、難しい表情で考え込んでいた。その姿を、先日と同じ面々が慎重に伺っている。報告を上げたベン・ドラコや、地下迷宮の様子を確認するため同席していたペトラやベラスタだけでなく、クライドやオースティンも表情が険しい。ただリリアナだけは、無表情を取り繕いながらも全員の様子を窺っていた。
「もう一度確認させてくれるか」
口を開いたのはライリーだった。問うようにベン・ドラコが顔を上げる。ライリーは慎重に言葉を選びながら、先ほどベンが説明した内容を繰り返す。聡明なライリーは、滅多なことでは部下の上げた報告を自らの口で繰り返すことはしない。だが、今は寧ろ自分の理解が誤っていると言って欲しいとでも言いたげだった。
「一昨日の夜、王都の上空を流れて行ったあの気配そのものが地下迷宮に蔓延していて、それも封印に近づくほど濃くなったということだね。そしてあまりにも闇の力が濃すぎて封印の状態は確認できなかった――と」
「そうです」
ベン・ドラコが告げたのは事実だけで、そこから導き出される仮説は一切口にしていない。だが、ベンやペトラが内心で導き出した答えに、その場にいる全員が直ぐに辿り着いた。
「信じたくはないが――封印が解けたか、もしくは修復不可能な程度まで壊れたと考えるべきだな」
「――――そうですね」
苦々しく同意を示したのはクライドだ。信じたくないことではあったが、魔王の復活が間近に迫ったと考えて対策を練らなければならない。
「完全に封印が解けたと考えなくて良いのか?」
尋ねたのはオースティンだった。闇の力が大きくなっていて確認はできていないからこそ、既に魔王が復活したと考えてもおかしくはない。だが、ベン・ドラコやライリーにはある程度の確信がある様子だった。
オースティンの疑問に答えたのはベン・ドラコだ。
「いや、完全に封印が解けたわけではないでしょうね。もし完全に封印が解けたなら、闇の力が地下迷宮に留まったままとは考えられない。最悪の場合でも、封印が解けた後に失った力を溜めている程度で――それだと完全に封印が解けたとは考えにくいんです」
「それに、その場合でも闇の力が外に漏出することはなかったはずだ。完全に封印された存在が復活したのだとしたら、私たちがあの日の夜に例の気配を感知することもなかっただろうね」
ライリーもまた、ベンの説明を補足する。オースティンは納得した様子で頷いた。
魔王復活に関する情報はそれほど多くないし、魔王に関する叙述はおとぎ話や吟遊詩人の物語が大半で、わずかな歴史書に書かれたものもスリベグランディア王国では英雄視点のものが多く、詳細は殆ど分からない。それでも、魔王は復活した時に全ての力をその体に取り込むという認識は共通している。
クライドは少し考えて、口を開いた。
「近々封印が完全に解け、魔王が復活するという前提で早急に準備を進める必要がありますね。とはいえ、魔王の封印に関しては我が国にある資料だけでは足りないと思いますが――」
そこで言葉を切り、クライドは意味深にライリーを見つめた。ライリーは静かにクライドを見返す。クライドが何を言わんとしているのか、ライリーは正確に理解した。
今この場に居る面々には伏せる必要もないと、ライリーは小さく頷く。
「他言無用で頼む。だが、王位継承者にのみ伝えられる情報の中でも、魔王が復活した時にどのような状況になるのか記したものは確認できていない」
断言はせず、ライリーはただ事実のみを伝えた。先王であるライリーの祖父が、王位継承者にのみ伝えるべき内容を明確に示さなかったことは確かだ。先日は運よく祖父の手記を見つけたため、現国王も知らない情報を知ることはできた。だが、それで全てだと断言することはできない。そのため、若干曖昧な言い方になってしまったが、気にする者はいなかった。
「でしたら、やはり隣国に頼ることも考えなければならないでしょうね」
クライドの提案に、ライリーやオースティンは深刻な表情で頷く。スリベグランディア王国では魔王と呼ばれている存在が、隣国ユナティアン皇国では寧ろ国を興した英雄として扱われていることは、それほど知られていない。しかし、王太子と彼の側近候補であるクライドやオースティンは既に当然の事実として認識していた。リリアナも勿論知っている。大して英雄譚に興味のないベン・ドラコや出身が異国であるペトラは関心を持った様子も見せなかったが、ベラスタだけは不思議そうに首を傾げていた。
「皇国が何か知ってるのか?」
さすがにライリーに尋ねる訳にはいかないと思ったのか、ベラスタはオースティンに顔を向けて尋ねる。オースティンは一つ頷いた。
「あまり大声では言うなよ。この国では魔王と呼ばれている存在は、隣国では皇国の礎を作ったユナティアン帝国初代皇帝として崇められているんだ」
「ええ?」
そうなのか、とベラスタは驚きに目を瞠る。しかし完全には納得できなかったらしく、ベラスタは更に首を傾げた。
「ユナティアン帝国ってかなり続いてただろ? それで、英雄たちが魔王を討った時にスリベグランディア王国が出来て、それで帝国は皇国になった。初代皇帝が魔王なら、普通の人間にはあり得ないほど寿命長いんだけど」
「その通りだ。だが皇国では、初代皇帝は神だと言われている。天上の神が地上に降り立ち栄えあるユナティアン帝国を建国なされた――とね」
「へえ」
今一つピンと来なかったのか、ベラスタは目を瞬かせる。しかしクライドはベラスタの薄い反応には構わず、更に説明を付け加えた。
「今の皇帝は初代皇帝の血を引いていると主張している。どこまで本当かは分からないが、それが信じられているのは確かだし、だからこそ皇帝はあの国では圧倒的な権力を有しているんだ」
「そっか、いいかえれば神ってことだもんな」
「そうだ」
ベラスタがようやく理解したというように頷く。それを確認して、クライドは「だから」と本筋に話を戻した。
「魔王に関する情報は我が国よりも隣国の方が多く持っているはずだ。恐らく偉大さを示すために誇張したり隠されたりしている情報が大半だとは思うが、魔王という存在を隠し英雄を引き立てがちなこの国よりも手掛かりになるものは多いだろう」
そこでようやくクライドはライリーに顔を向け、謝罪の意味を込めて頭を下げる。聞きようによってはスリベグランディア王国を、ひいては王族を否定するような発言に受け取られかねない台詞だったが、ライリーは全く怒らなかった。寧ろ苦笑を浮かべて小さく首を振る。
「クライド、前から言っているけど気にしなくて良いよ。事実だからね」
「ありがとうございます」
クライドが礼を述べると、ライリーは一つ頷いて全員の顔を見回した。
魔王を封印する方法を探すためにユナティアン皇国から情報を得ると簡単に言っても、実行に移すとなると事はそれほど簡単ではない。何よりも、今の皇国はこれまでになく情勢が緊迫している。下手をすると皇国の後継者争いに巻き込まれかねない状況だ。
「問題はどのように情報を得るか、だね。正攻法で尋ねたところで隣国が素直に情報を渡すとは思えないし、こちらでは魔王でも隣国では神だ。寧ろ復活させて利用することを考える可能性もある」
淡々と状況を整理したライリーに、クライドもオースティンも難しい顔で考え込んだ。
隣国の貴族との繋がりが強い貴族は宰相だが、宰相はライリーではなくフランクリン・スリベグラード大公を支持していることが分かっている。借りを作りたくないというのは当然のことながら、ライリーを陥れるために隣国を手を繋ぐ切っ掛けを与えることになるのは避けなければならなかった。
だが、なかなか良い意見を思い付く者はいない。その様子を窺いながら、ライリーはぽつりと囁くように一人の名前を口にした。
「伯母上にまずは連絡を取る方が良いかな」
「ブロムベルク公爵夫人か」
真っ先に反応したのはオースティンだった。ライリーは頷く。クライドもまた、わずかに安堵を滲ませた。
ヘンリエッタ・ブロムベルク公爵夫人はライリーの伯母であり、今はユナティアン皇国のブロムベルク公爵に嫁いでいる。以前からライリーには事あるごとに手紙や贈り物を届けてくれていて、立太子の儀の時にも遠路遥々訪れてくれた。そして夫の公爵はユナティアン皇国でも確固たる地位を築いていて、皇帝にも尊重されていながら後継者争いには表立って参加していないという傑物だ。
「確かに、夫人ならば公爵と共に秘密裏にご協力いただけそうですね」
「ああ。もし仮に王族しか知らない情報があったとしても、伯母上ならばローランド皇子に連絡を付けてくださるだろう」
ライリーはクライドに頷いてみせた。ローランドからは、情勢次第で確実ではないものの、もし都合がつけば近々スリベグランディア王国を訪れたいという連絡も貰っていた。運が良ければ、その時にローランドが何かしらの情報を持って来てくれる可能性はある。
「確か、イーディス皇女の教育にも関わっていらっしゃったと伺っておりますし、信頼はおけそうです」
言葉にすると一層良い案に思えたらしく、クライドは僅かに頬を綻ばせる。あまり表情の変わらない彼には珍しいことだった。
「とりあえず伯母上に書簡は出すよ。他に何か案はないかな。事が事だけに、幾つか並行して対策を打っておきたいんだ。一つが駄目になった時に、すぐに別の案に移行できるように少なくとも準備だけは整えておきたい」
ライリーの言葉に皆顔を見合わせる。考え込みつつも思い付いた案を口にするが、なかなかこれと言ったものは出て来ない。
先ほどまでの余裕はどこへやら、眉間に皺を寄せて考え込んでいたクライドは、溜息混じりに呟いた。
「やはり、公爵夫人には早急にお願いするしかなさそうですね。並行する案といっても、実際にできることと言えば我が国で情報を集めること――くらいでしょうか」
「――そうだね」
クライドの提案に、ライリーは曖昧に頷いた。他に方法は思い付かないが、とはいえクライドの提案はこれまでと何も変わらない。結局何の進展もなく、ただブロムベルク公爵夫人に頼ることになりそうだった。
そこでようやく、ライリーはずっと沈黙を貫いていたリリアナに顔を向けた。
「サーシャは、何か思い付かないかな?」
「わたくし、ですか」
リリアナは目を瞬かせる。前回も今回も、会合の中で意見を求められては来なかった。リリアナには乙女ゲームの記憶があるため、ライリーたちと比べると多少は有利だ。それでも、知識を口にして情報元を求められた時に応えられないのでは困る。そのため、同席しているだけで意見を求められないことに苦痛は感じなかった。寧ろ声を掛けられないようにと願っていたほどだ。
しかし、全員の視線がリリアナに集中する。何か言わなければならないような雰囲気だ。リリアナは逡巡したが、やがてゆっくりと口を開いた。
「その――特に理由はないのですけれど」
「うん、構わないよ」
存分に言ってくれといわんばかりにライリーは微笑む。
乙女ゲームでは、ブロムベルク公爵夫人は出て来なかった。そのため彼女に頼ることで、乙女ゲームの筋書きとどのような違いが出て来るのかは分からない。
しかし、乙女ゲームではどの攻略対象者のルートを選択しても、魔王を封印するために嘗て三傑が使った道具を探し求める旅に出る必要があった。
「封印を念頭に置くのであれば、嘗ての英雄たちが封印に用いた道具を探し集めておく必要がございましょう」
「剣、鏡、宝玉か」
呟いたのはオースティンだ。リリアナは頷く。そしてライリーも、納得したように笑みを深めた。
「確かに、その三つの道具はどの話にも出て来る。封印のために必要不可欠な道具と考えてもおかしくはない。集めておく必要はあるだろうね。集めた後で不要だと分かるなら良いけれど、その逆だと目も当てられない」
魔王の封印が遅れてしまえば、その分被害は甚大になる。ライリーの言葉は尤もだと、誰もが頷いた。難しい表情のまま、クライドが呟く。
「問題は、その道具が今どこにあるか――ということですね。本来であれば国宝として保管されるほどの物ですが」
クライドの問いかけるような視線を受けて、ライリーは首を振った。
「残念ながら、残っていないよ。少なくとも、私は把握していないんだ」
「そうですか。でしたら、公爵夫人に連絡を取ると同時に三つの道具についても調査を進めるべきでしょうね」
それもまた難しいことだと、誰もが溜息を吐く。無言で皆の話を着ていたベラスタは、彼には珍しく深く考え込んだままだったが、おもむろに顔を上げた。
「あのさ、その道具を探すって話だけど、魔王を封印するために使われたんだとしたら、魔術か呪術でどうにかならないかな?」
「――どういうことだ?」
ベラスタの提案に、誰もが胡乱な表情になる。ただリリアナだけは、ベラスタの言葉を一つも漏らすまいと目を細めた。その様子を、ライリーは横目で捉える。しかし、今はベラスタの話の方が重要だ。ライリーは何気なくベラスタに顔を向けた。
「魔王の封印に使われたなら、まだその道具には魔王の気配が残ってると思うんだ。それで、恐らく魔王の気配――大体は魔力だけど、それって地下迷宮に溜まってるあのヤバそうな力だろ? 奥まではいけないけど、入り口付近の力を魔道具に閉じ込めて、それでその気配がある場所を探せば良いんじゃないかと思うんだけど」
「なるほど、確かにそれは理に適ってるな」
ライリーとクライド、そしてオースティンは納得したように頷く。しかし、そんなベラスタの傍で呆れ顔をしているペトラとベンを見たライリーは、心に浮かんだ疑念を正直に口にした。
「確かにそれができれば良いけど、そんなに簡単にできるものなのかな?」
「いや、現時点では無理ですね」
答えたのはベン・ドラコだった。呆れ顔を隠さないまま、横目でじろりとベラスタを睨んでいる。しかしベラスタは悪びれる様子もない。平然と兄の責めるような視線を受け止め、寧ろ口をへの字に曲げて見せた。
「なんだよ。片っ端から虱潰しに、この国を――もしかしたら皇国もかもしれないけど、調べるよりは遥かに良いんじゃね?」
「今のところはその技術は夢見物語だけどな」
あっさりとベンは言い捨てる。しかし、視線をライリーに向けた時、ベンの表情は何か重大なことを決意した色を滲ませていた。
「――殿下」
ライリーは静かにベンを見返す。ベンは僅かに身を乗り出し、そして低い声ではっきりと断言した。
「確かに、ベラスタが言った魔道具は現時点では不可能と言うしかありません。しかし、やってみる価値はあると思います」
「そうか」
無謀なことは止めろとは、ライリーは言わなかった。寧ろ満足気な笑みを浮かべる。
「それならば構わない。存分にやってくれ。必要なら王太子権限で、色々と融通できるようにしても良い」
「御意」
力強い支援を受けて、ベンははっきりと頷く。てっきり兄に拒否されたのだと思っていたベラスタは目を丸くして、兄の横顔を凝視する。ベンは感情の読めない目を弟に向けると、冷たく言い放った。
「今やっている仕事は遅れても構わないから、最優先でやってくれ。場所は長官室を使うと良い。決して他には漏らすな。それから、必ず僕かペトラが居る場所でやること」
「――うん、分かった!」
思わずベラスタは満面の笑みを浮かべた。その様子を、オースティンやクライドでさえ微笑ましそうに眺めている。
一方、他と同じように目を細めてその様を見ていたリリアナは、内心では全く違うことを考えていた。
(これも、時期が早まった気が致しますわ)
乙女ゲームでも、ベラスタは魔王を封印する道具を探すための魔道具を開発していた。しかしその完成は、ヒロインと攻略対象者たちが封印具を探す旅に出た後だった。魔道具の開発を思い立ったのも、封印具を探しに出る旅の直前だったはずだ。しかもベラスタが自ら考え付いたわけではなく、それまでに提示された情報や集めたアイテムから推測したヒロインが提案する必要があった。
(それでも、確かにその魔道具がなければ話は進みませんし――成功する確率を高めるお手伝いだけは、しても宜しいかもしれませんわね)
もしその魔道具が完成してしまえば、魔王の力を体内に取り込んだリリアナにも魔道具が反応する危険はある。しかし、乙女ゲームでは魔道具は悪役令嬢に反応していなかった。つまり、今のリリアナにも反応する可能性は低い。
何よりリリアナの体内にある闇の力は、彼女が持っている本来の風の魔力に包まれている状態だ。深奥の魔力を探知できるほどの性能がなければ、ベラスタが開発するだろう魔道具も現実のリリアナに反応する確率は低いはずだった。









