47. 魔王復活の予兆 4
クライドが見たという夢は、ライリーやベラスタが見た物とは僅かに違うようだった。ベラスタと異なり、クライドは言葉に詰まることなく淡々と夢の内容を説明する。
「私が見た夢では、直接私が闇の力と対峙していたわけではありません。ただ、二人の男と――そうですね、顔は覚えていませんがベン・ドラコ殿くらいの年齢でしょうか、彼らとその物騒な気配について話をしていました」
「どのような話か覚えているか?」
ライリーが尋ねればクライドははっきりと頷いた。
「三人で何かの道具を探し求めているようでした。夢では『鏡だけが足りない』と」
「鏡?」
きょとんとしたベラスタとペトラだったが、クライドの言葉にピンと来ていないのは二人だけだった。他の五人は皆、何かに気が付いた様子で顔を見合わせている。
ライリーが小さく息を吐いた。
「実は私も夢を見た。どちらかというとベラスタの見た夢に似ているが、私が持っていたのは剣だ」
「――やっぱり」
クライドが呟く。一つの確信が芽生え始めていた。
「剣、鏡、そして恐らく宝珠――魔王の封印に用いられた魔道具ですね。闇の力と表現されていましたが、恐らく魔王と考えて差し支えないでしょう」
「魔王の封印って? 魔王の封印にその三つの魔道具を使ったってことか?」
疑問をさしはさんだのはベラスタだった。視線は兄に向いている。ペトラもまた、隣に座るベン・ドラコの方を向いていた。
ベンは少し呆れた視線をベラスタに向けた。隣国の出身であるペトラはともかく、スリベグランディア王国で生まれ育ったベラスタが封印の魔道具を知らないことは、ベンにとっても憂慮すべき事態だ。
「その通りだが、お前はもっと一般常識を身に着けろとあれほど言ったのに」
「兄貴に言われたかねえやい」
「俺は常識は知った上で無視してるから良いんだ」
口をへの字に曲げた弟に、ベンは呆れ声を隠さない。すると、ベラスタは他にも人がいるにも関わらず普段の兄弟喧嘩と同じような口調で不貞腐れた。
「なんだそれ、ずりぃ」
「ずるくない。常識を知っていたら必要な時に適切な態度を取れるが、知らなかったらどこまでも非常識なままだろうが」
そこまで言い切ったベンは、しかしさすがにこれ以上兄弟で言い合いを続ける気はなかった。
顔をライリーの方に向けて、三人が見た夢について仮説を立てる。
「問題は、その夢が予知夢なのか過去視なのか――ということです。普通の夢かとも思いましたが、このような時に、三人が似たような夢を見たことが普通だとは到底考えられない」
ベンは一旦言葉を切って、更に付け加えた。
「最初は、昨夜突如発生した闇の力に反応して夢を見たのかとも思いましたが――闇の力に気が付いた私やペト――ミューリュライネンが夢を見ておらず、力を察知しなかったクラーク公爵が夢を見たということから考えても、別筋と考えた方が妥当でしょう」
ライリーは肩を竦めて嘆息した。
未来視ならば夢に出て来たのは自分であり、過去視であれば魔王が封印された当時の光景を夢見たことになる。
「未来視だったらまだ時間はあるから念入りに準備できる――と言いたいところだが」
夢の中で、ライリーやベラスタは今よりも成長していた。未来視であれば、闇の力と対峙する時までまだ余裕があるということだった。しかし過去視であれば話は簡単ではない。
ライリーもベラスタも、そしてクライドも、自分ではない誰かの人生を垣間見ただけだからだ。いつ現実に強大な闇の力、即ち復活した魔王と闘うことになるか分からない。
独白にも似たライリーの言葉に、誰も応えられなかった。
未来視、即ち予知も過去視も、一般的な能力ではない。いずれも書物にごくまれに登場する程度で、現実にある予知はカードや水晶を使った占い程度のものだ。良く当たると評判の占い師もいるが、彼らが口にすることは現実の情報からある程度推測できる程度のものであり、明晰な光景や音を認知するわけではなかった。
ライリーの発言に頷いたクライドがベン・ドラコに視線を向ける。
「どちらか分からない以上、最悪の状況を想定して事に当たる必要がありそうですね、ベン・ドラコ殿」
「そうですね、魔王の封印を見に行こうかと思っていましたが、もし仮にあの力が魔王のものであったとしたら――地下は危険でしょう」
最後はごく小さく付け加えられた。だがその場にいる者たちの耳には届いている。深刻な表情で頷くが、だからといって魔王の復活を知る手立ては地下迷宮に赴き封印の状態を確認するしかない。
「他に方法があれば良いんだけど」
ぽつりと呟いたのはペトラだった。ペトラも以前、ベン・ドラコやリリアナと共に地下迷宮に行っている。そのため、魔王が封印されている場所がどの程度危険なのか、誰に説明されるまでもなく分かっていた。
ライリーは眉根を寄せながらベンとペトラ、そしてベラスタに尋ねる。
「魔王の封印を確認しに行くのは人でなければならないのか?」
「――というと?」
ベン・ドラコが首を傾げる。すぐにはライリーが何を意図しているのか掴めなかった。ライリーは「以前書物で見かけたことがあるのだが」と前置きし、脳裏に浮かんだ一つの方法を口にする。
「例えば動物を使役させて、その視界を借りることはできないだろうか。動物でなくとも指示した通りに動けば何でも良い」
「なるほど、使役させた動物に魔王が封印された場所まで行かせ、その視界から状態を確認するということですね」
「その通りだ。最悪の場合はその動物を弔うことも考えなければならないだろうが、魔王の封印の場所まで行ける魔力の持ち主を失うわけにはいかない」
ライリーの指摘は尤もだった。ベンは頷く。
「仮に高等な魔術を使える魔物が生じていたとすれば、使役動物を通じてこちらに干渉してくる可能性も考えられます。しかしその場合は同調を切れば良い。使役動物の行く末は残酷なことになりますが、この場合は致し方ないでしょう」
ただ問題は、その方法だった。簡単に口にはしてみたものの、動物を使役するということは基本的にできないとされている。その術は畢竟、禁じられた隷属の術に繋がるからだ。そして動物を使役することも不可能ではないものの、犠牲とするものが大きすぎた。
少し考えたベン・ドラコが口を開くのと、ベラスタがとある言葉を発するのはほぼ同時だった。
「鷲だ」
「鷲、ですかね」
二人は思わず顔を見合わせる。二人の間に挟まれたペトラは笑いを堪えるような表情だ。不思議そうな顔になった面々だが、リリアナだけは直ぐに二人が何を言わんとしているのか理解した。
リリアナの理解を裏付けるように、説明のために口を開いたのはベラスタだった。
「魔導省の受付の鷲だよ。兄貴とペトラで作ったんだ。受付に居て、来客が来たら事前に登録された来客予定簿と照らし合わせて、面会者に連絡する。それから、例えば面会室に案内する予定になってたら、面会室まで連れて行くんだ」
ベラスタの説明だけでは足りないと思ったのか、ベンが付け加える。
「厳密には使役動物ではありません。当初はそれだけの機能だったんですが、更に改良して、必要な時は鷲の目を通じて来訪者の顔も確認できるようにしたんです」
受付の鷲が設置されてから魔導省を訪問していないオースティンやクライド、ライリーは驚きに目を瞠った。三人は魔道具にはそこまで詳しくないものの、ある程度の知識はある。特にオースティンは魔導騎士となった時から、愛剣は魔道具に準じたものだ。余計にベラスタたちの言う“鷲”が魔道具としてあり得ないほど高性能なものだと理解していた。
絶句していたライリーだが、すぐに気を取り直して苦笑染みた溜息を吐く。
「確かに、それなら今回の目的には合致しているようだね」
「ええ、一羽程度なら問題なく融通できるでしょう」
ベンはあっさりと告げた。それなりに高価なもののはずだが、気にした様子はない。ライリーもまた頷いた。どれほど高価なものであろうが、人命には代えられない。この世界で人命を優先するという価値観は稀だが、ライリーにとっては当然の判断だった。
「それなら、悪いけれどその鷲を使って封印を確認して欲しい。危険を感じたらすぐに手を引いてくれ」
「承知しました」
ライリーの依頼に、ベンは真剣な表情で頷いた。いつも飄々としている彼には珍しいが、もし魔王が復活していれば鷲を放ちその目を介して現場を見るだけでも危険が伴う。それを考えれば、緊張するのも当然だった。しかし一方でベラスタは普段と変わらない表情だ。寧ろどこかわくわくしているようにすら見える。
それに気が付いたライリーは、念のためといった口調でベラスタに念を押した。
「ベラスタ、くれぐれも無謀な真似はするなよ。ベン殿の言う事をちゃんと聞くんだ」
「分かってるよ」
当然のことだと言わんばかりのベラスタだが、周囲は懐疑的な表情を崩せない。この場に居る者たちは皆、ベラスタの性格をほぼ正確に理解していた。ある程度は冷静に物事を判断できる素質はあるものの、興味のある事象を前にすれば全ての危険を忘れて足を踏み入れてしまう。無邪気と言えば聞こえは良いが、一歩間違えれば命を落としかねない。
だからこそ、ライリーはベラスタに注意を促したのだ。ベラスタは不本意そうに唇を尖らせるが、彼を慰める者はいなかった。
*****
地下迷宮の様相は大きく変わっていた。狭い道は瘴気に満ち、道の先どころか自分の手足でさえ見えないほどの暗闇だ。
鷲を介して地下の様子を確認していたベンは、額から汗を滴らせていた。その様子を、隣に立つペトラとベラスタは心配そうに見ている。
一人で地下の様子を探れば、万が一、鷲を介して攻撃された時に身を護る術がない。だから鷲と同調するベンを一人にするわけにはいかないが、ベンの近くに居る人間も攻撃に巻き込まれる恐れがある。そのため、三人は魔導省の中でも堅牢な部屋に何重にも結界を築き、万全の状態で事に挑んだ。
「――これは、不味いな」
ベンは低く呟く。そして、口の中で小さく詠唱した。すると三人の前にあった壁のタペストリーに映像が浮かび上がる。それはベンがこれまで鷲に同調して眺めていた景色だった。思わずペトラとベラスタは絶句する。地下迷宮に広がる景色は、あまりにも禍々しいものだった。
「え、これどうやったの?」
「僕の同調を切って、代わりにそのタペストリーと同調させたんだ。映像は不鮮明になるし任意の場所を確認するのは難しくなるけど、でもこの方が僕たちに対する影響は少なくなるはずだ」
ベラスタは目を丸くする。ベンは何気なく言っているが、普通であれば不可能な事柄のはずだった。
「そんなことが出来るなら、受付の鷲も同じようにしたら良いのに」
「誰でも見れるようにしたら不味いだろう」
あっさりとベンは首を振った。ベラスタの指摘は効率を考えれば尤もだったが、人員整理されたとはいえ魔導省の内部には様々な思惑が蔓延っている。そのため、鷲を上手く使って機密情報に接触し、外部に持ち出す者がいないとも限らなかった。鷲自体を持ち出すことはなくとも、もし鷲の視界を映し出す魔道具を持ち出されたら魔導省内部の事情が全て外部に筒抜けになってしまう。
そのため、ベン・ドラコは敢えて開発した魔道具を公にはしなかった。
三人の前で、鷲はゆっくりと地下迷宮を進んでいく。どれほど優れた魔導士であろうが、ベン・ドラコやペトラ、そしてベラスタは魔物に対抗できる聖魔術は使えない。そのため、光魔術を用いて聖魔術に似た効果を発揮する魔道具を作り、鷲に埋め込んだ。魔物襲撃を制圧できるほどではないが、身を護る程度のことはできるものである。結果的に鷲は瘴気の中を進むことが出来ているが、その魔道具もどこまで保つか分からない。
「封印まで辿り着ければ良いけどね」
ぽつりとペトラが呟く。鷲に埋め込んだ魔道具はあくまでも聖魔術に似た効果を示すものであって、聖魔術そのものではない。そのため、瘴気や魔物に対する抵抗力は聖魔術と比べて遥かに劣る。
地下迷宮はベンやペトラが事前に想像していたよりも遥かに状況が悪く、鷲が途中で力尽き使い物にならなくなる可能性があった。
それでも鷲は淡々と進んでいく。
「――ギリギリだろうな」
周囲の様子ははっきりと見えないが、それでもある程度であれば鷲がどの辺りに居るのか、ベンは把握していた。残りの飛距離と眼前に示されている鷲の視界から、どの程度鷲に埋め込んだ魔道具が効果を発揮し続けるか予想する。
「封印に近づくほど瘴気は増してるから、最終地点付近がどの程度瘴気に呑まれているのかが問題だろうね」
ペトラも頷いてベンに同意を示す。
固唾を飲んで見守る三人の視線の先で淡々と飛び続けていた鷲は、やがて地下迷宮の最奥に辿り着いた。最奥の空間の端に、封印は存在している。
だが、最奥の空間に鷲が辿り着いた瞬間、三人はぞくりと身を震わせた。
これまでになく濃い瘴気は最早漆黒の闇だ。全く視界が効かない。それでも辛うじて雰囲気が掴めるのは、鷲に埋め込んだ魔道具の最後の力だった。そして鷲もまた、いわゆる視力ではなく読み取れる限りの魔力の存在を三人に伝えてくれる。
通常であれば同調しようが鷲の周囲にある魔力を感じ取ることはないはずだが、地下迷宮の最奥にある力はその常識を凌駕していた。
咄嗟にペトラは口元を抑える。ベンやベラスタも顔色を悪くしていた。
「これは――不味いよ」
ペトラが小さく呟く。三人は寸分の狂いなく、地下迷宮の最奥にあるその存在が何をしようとしているのか理解した。ぞっとするほどの闇の力は、鷲を介して外界に出て来ようとしているのだ。このまま観察を続ければ、間違いなく闇の力は三人の居る場所へと侵入を果たす。
今、鷲と同調しているのは単なるタペストリーだ。人ではない無機物を介して他の場所へ抜け出して来ることは非常に難しい。常識的に考えれば不可能だ。だが、闇の力は間違いなく不可能を可能にする存在だという確信が三人には芽生えていた。
「切るぞ」
気分が悪くなってから、わずか十数秒――ベンは即座に決断を下した。一秒遅れただけで、闇の力がこちらに干渉する力は強くなる。逡巡は命取りだった。
タペストリーの近くに魔道具を数個放ると同時に結界を張り、闇の力をタペストリーごと封じる。そしてタペストリーと鷲の同調を切った後、タペストリーの近くに滑り込ませた魔道具を発動させた。
以前、大規模な魔物襲撃が起こった時にペトラが発動させようとした浄化用の魔道具だ。大がかりな魔物襲撃を制圧できるほど効果は高く、周囲に齎す被害も甚大だ。だが、それほどの効果がある魔道具でなければタペストリーから滲み出た闇の力を浄化するには足りなかった。
魔道具が発動した瞬間、ベンたちは瞑った目を手で覆い、各自の体の周囲に結界を張る。それでも大きな魔力の動きに体が煽られ、ベラスタはよろけた。咄嗟にベンがベラスタの体を支え、自らの結界の内側に入れる。
そして暫く――ようやく魔道具が全ての力を出し切った後、部屋の中には静寂が戻る。瘴気やそれに類するものであれば消滅するが、そうでなければそれほど大層な影響は受けないはずだ。それにも関わらず、闇の力を媒介したタペストリーは真っ黒な灰となって床の上に散っていた。
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