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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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8. 都鄙の難 1


リリアナは、クラーク公爵家の中では最初にフォティア領の屋敷を出た。兄のクライドはしばらく滞在し、父の公爵はリリアナから一日遅れて王都に戻るらしい。馬車に乗りしばらく、領地の端に来たところでようやくリリアナは人心地がついた。クライドはまだしも、父母や祖父母の気配を感じる場所は気詰まりで仕方がなかった。


(他に収穫もございませんでしたし)


リリアナがあの屋敷で手に入れられた情報は、初日に見たものがほとんどだ。公爵や祖父母が滞在している間は常に人の目があったため、転移の術と幻視を活用してもリリアナの不穏な動きに気が付かれる可能性が高い。結局、リリアナは残りの滞在期間を大人しく部屋に閉じこもって過ごした。そのような状態で、何かしらを見つけられるほど公爵も間は抜けていない。

兄のクライドは何度かもの言いたげな視線をリリアナに向けていたが、結局二人きりで会えることもなく、結果として会話もないまま別れることになった。ただ一つ言えるのは、ゲームのクライドとは異なり、実際の彼は妹であるリリアナを嫌ってはいなかった――ということだろう。


(気にかかることもございましたけど、屋敷では訊くこともできませんでしたわね)


ちらりとリリアナは魔導士ペトラ・ミューリュライネンを横目で見やる。無意識に彼女は服の下にあるペンダントに触れた。そこには、屋敷に滞在した初日にペトラがくれたペンダントがあった。スギライトの石をあしらったもので、リリアナは具体的な効能は知らないものの、恐らく魔道具のはずだ。その魔道具(ペンダント)が、いつの間にか傷ついていたのだ。割れていないし表面を触れば滑らかなものの、よく見れば、石の中央に白い亀裂が一筋入っている。気が付いたのは、魔導省長官バーグソンに解呪して貰うよう、父親がリリアナに告げた日の夜、湯あみの準備をしている時だった。


(もしかしたら、あの金属音の時に傷が入ったのかもしれないわ)


想像でしかないが、可能性は高い気がする。

リリアナは窓の外を見つめるペトラに念話で声を掛けた。


『――ペトラ。宜しければ、今夜の宿であなたのお部屋に伺っても宜しいかしら』


ペトラはリリアナを一瞥したが、すぐに窓の外に視線を向ける。その一瞬に彼女は首肯していた。どうやら部屋へ行っても良いらしい。魔術に関してはそれなりに自信があるが、呪術や魔道具に関しては基本的な内容を簡単に聞いただけだ。専門家に訊くのが一番良い。


その日の宿は、往路で泊った宿とは違う宿舎だった。前回の宿は街の中心部にあったが、今回は街の外れ、森に近い場所に建っている。景観は良いが多少不便だし、あまり人気がないため夜間に外出するのは控えるべきだとマリアンヌが強固に主張した。周囲にはいくつかの宿があるが、リリアナたちの宿泊施設が一番格も高い。逆を言えば、外に出ればそれだけ無頼漢に絡まれる確率が高くなるということでもあった。

護衛たちは夜中に外出して酒を飲んでも平気だろうが、主であるリリアナとマリアンヌが宿に居るのに出かけるわけにもいかない。結局、街で食事を買い出し宿で夕飯を摂ることになった。


*****


夕食を終えたリリアナは、休むと見せかけ転移の術でペトラの部屋に移動した。


「来たね」


案の定ペトラはリリアナが来るタイミングを予想していたようで動じない。


「はいよ」


ペトラから差し出されたのは瓶に入った林檎ジュースだ。リリアナは素直にお礼を言ってジュースを受け取ると、ソファーに腰かけた。ペトラは楽し気に酒を楽しんでいる。よく見れば、往路で土産にしたいと言っていた肉の干したものやその他いくつかの食料品が入った袋が増えている。


『屋敷では気詰まりでしたでしょう。それにペンダントも、ありがとうございました』

「確かに気詰まりだったし、いやな気配がしてたけどね。でもまあ、実害はなかったし」


あんたも大丈夫だったろ、とペトラは小首を傾げる。リリアナは素直に頷いた。


『お陰様で無事に過ごすことができました。ただ、一つ気にかかることがございまして』

「ん?」


リリアナはジュースの瓶をテーブルの上に置き、首からペンダントを外してペトラに差し出した。


『頂いたペンダントに傷が入ってしまったのです。このペンダント、恐らくは魔道具でございましょう?』

「傷ゥ?」


僅かに緩んでいたペトラの顔に真剣な表情が浮かぶ。彼女は手を伸ばしてリリアナからペンダントを受け取ると、目の前に垂らしてしげしげと眺めた。


「――本当だ。傷ががっつり入ってるね」

『何かしら、悪しきことがあったということでしょうか?』

「悪しき事――ともいえるかもね」


分からないけど、と曖昧に言葉を濁し、ペトラは立ち上がった。部屋の端に置いた鞄からペンと紙を取り出す。綺麗な円に不思議な文様と文字を描き、ペトラはリリアナから受け取ったペンダントをその中心に置いた。リリアナが注視する前で、ペトラは魔法陣とペンダントに魔力を集中させる。


「【我が名の元に命じる、汝が防ぎし真なる理の姿を現せ】」


リリアナが普段、心の中で唱えている詠唱とは異なる形式だが、スリベグランディア王国で用いられている一般的なものだ。正直、リリアナとしては詠唱が長すぎると思っている。同時に、初めて目の当たりにする一般的な魔術の詠唱と呪術の実行に、リリアナは目を奪われていた。


ペトラの詠唱が終わると同時に、ペンダントから黒い靄が分離する。凝視するリリアナの前で、黒い靄は不思議な文字を形作り消滅した。ペトラは息を吐く。額に薄っすらと汗がにじんでいるのが、薄暗い明かりの中でも分かった。

リリアナは無言でペトラの様子を窺う。ペトラはペンダントを手に取り魔法陣を火の魔術で消滅させると、「このペンダントは貰って帰るね」と言った。どうやら持ち帰って安全に廃棄するらしい。


『あの――何か分かりましたでしょうか?』

「ああ、うん。一応ね。細かいところまでは分からなかったけど」


ペトラは頷く。多少の緊張を滲ませるリリアナに、ペトラはあっさりと答えを教えた。


「精神干渉の魔術が掛けられた――のを、ペンダントが防いだらしい」


それはリリアナにとって予想外の答えだった。精神に干渉する魔術は禁術のはずだ。言葉を失うリリアナに、ペトラは不機嫌そうな表情のまま続ける。


「結構、高度な術だよ。掛けられた方は勿論、掛けられた後だと誰も気が付かない。具体的にどんな効果があるかまでは分からなかったけど――どのみち碌でもない目的だったとしか思えないね」

『精神干渉――ができるほどの方でしたら、それなりに名の知れた方、なのではございませんでしょうか』


リリアナが尋ねると、ペトラは変わらず眉間に皺を寄せたまま頷いた。


「その可能性は高いね。あの披露宴、あたしは参加してなかったけど、魔導士は来ていた?』

『ええ。魔導省のニコラス・バーグソン長官がいらしておりました。わたくしもご挨拶は申し上げましたが』

「あのクソハゲか」


どうやらペトラにとってバーグソン長官は天敵らしい。言葉だけでなく、口調まで苦々しかった。目を瞬かせるリリアナに視線を向け、ペトラは口を開く。


「あのジジイは精神干渉の術を使うこともできなくもない。けど、そこまで実力はないから、できる範囲も限られる」

『――魔導省長官というからには、優秀な方なのでは?』

「半分以上、親の七光り(親族のコネ)だよ」


ペトラは吐き捨てる。しかし、すぐに気を取り直したように口調を改めた。


「でも、もし魔導士がそのハゲだけだっていうなら話は簡単だ。精神干渉の術は程度が低いものから高度なものまであるけど、恐らく奴が使える術は低レベルの術だけ――つまり解術だね」


導き出された回答に、リリアナはピンと来る。


『わたくしの声が出るように働きかけた、ということでございましょうか?』

「その可能性が一番高いと思うよ。断定はできないけど」

魔道具(ペンダント)が傷つく時、音は鳴るのでしょうか?』

「そうだねぇ、多分この術なら金属音がしたと思うよ――年寄りには聞こえないだろうけど」


なるほど、となるとあの時に聞いた金属音は魔道具(ペンダント)が術を弾いた時の音だったのだろう――とリリアナは納得した。

ペトラは魔術や呪術に関することとなると非常に慎重だ。確信のないことは決して断定しないし、私見を述べる時は事実とは異なるものとして話してくれる。それだけに、リリアナの中でペトラの言葉は信用性が高いものになっていた。


『ですが、往路の時に貴方から伺ったお話では、解術には危険が伴うというお話でございました。早々、容易く解術できるものでございましょうか?』

「無理だね。下手したら、どっちかが死ぬか、あのハゲが喋れなくなってた可能性もある。個人的には、あのバカの声が聞こえなくなるだけで清々するけど」

『まぁ――』


それならば、やはりバーグソンの術は魔道具(ペンダント)に弾かれて良かったとしか思えない。リリアナはほっと胸を撫でおろした。


『できれば、わたくしの声が戻ったということはあまり他人に知られたくございませんの。ですから、このペンダントを頂いて良かったと思えますわ』

「へえ?」


ペトラは目を瞬かせる。

そういえば、声を取り戻したいと告げたことはあっても、知られたくないと言ったことはなかった――そう思い至ったリリアナは、簡単に王太子の婚約者候補から逃れるために、声が出ないということにして十歳を迎えたいと説明する。すると、ペトラは面白そうに喉の奥で笑った。


「なるほどねェ。普通は、あんたくらいの歳だと王子様と結婚したいって目を輝かせるもんだと思うけど」

『輝かせている方もいらっしゃいますけれど、わたくしなど、とてもとても――荷が重く感じられますわ』


リリアナの脳裏に思い浮かんだのは、彼女をやたらと敵視しているマルヴィナ・タナー侯爵令嬢だ。彼女のような人であれば――資質を抜きにすれば、王太子妃として前向きに取り組むだろう。ペトラは何を思ったか笑いを堪えながらリリアナを見る。


「平民からすれば、権力が欲しくて欲しくて形振り構わない連中よりか、権力が嫌だけど他に人が居ないからって致し方なくその座について、あたしらの話を分かってくれる権力者の方が良いけどねぇ」

『それは、わたくしでなくとも出来ることですわ』


ペトラの言葉には取り合わず、リリアナはジュースを飲む。ペンダントの謎が解けてすっきりとしたリリアナは、最後の一つだけ懸念点をペトラに確認した。


『その――恐らくバーグソン長官が行使したと思しき術を跳ね返したことは、彼に知れてしまうのでしょうか?』

「結果的には分かるだろうね。だって、あんたの声は出ないままだし――でも術が失敗した事を認めなくても、それが魔道具のせいだと関連付けることは、あいつにはできないと思うよ」

『それなら良うございました』


ペトラの言い回しが多少気にかかったが、父親である公爵の耳に届く可能性が低いと分かったリリアナは今度こそ体から緊張を抜く。もう一口ジュースを飲んだところで、ようやくその甘さが口内に広がる。どれほど気もそぞろだったのかと内心で呆れながら、リリアナはペトラと取り留めのない話を始めることにした。


そして夜は更け翌朝――――、


――――リリアナたちは平穏に出立できる、はず、だった。



6-5

7-1

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