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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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46. 蔓延する噂 1


王宮の客間はどれほど格が低い場所であろうと、男爵家の令嬢であるエミリアにとっては非常に豪華に見える。カルヴァート辺境伯の館も立派だが、幼い頃から懇意にしていただけあってそれほど不安は覚えない。しかし王宮にはエミリアの知らない高位貴族や文官が大勢いて、侍女も辺境伯とは違い自分と同じ家格出身の令嬢だったりする。


「私が狙われてるとか言われても、冗談としか思えないよ……」


エミリアは深く溜息を吐いた。騎士団の訓練場で矢を射られ、身の安全を確保するため王宮に部屋を用意したと言われてから数日、頭を抱えた回数は数えきれない。エミリアの世話をしてくれる侍女は男爵家の次女らしく、表面上は丁寧に接してくれているものの、慣れないエミリアには居心地が悪かった。


「本来なら、私も侍女の立場(あっちがわ)なんだよなあ」


ぽつりと呟く。そしてもう一つエミリアにとっての頭痛の種は、カルヴァート辺境伯邸に居た時よりもオースティンと頻繁に会うようになったことだった。

オースティンは低位貴族であるエミリアに変な噂が立たないよう人目を避けて来てくれる。だが、そのことに気が付いているのか、それとも単にエミリアが王宮の客間に滞在していることを面白く思わない侍女が居るのか、最近エミリアを見る使用人たちの目が冷たい。何かを噂されているような気もするし、思い過ごしのような気もする。

基本的に噂をされている本人の耳に噂が届くことはない。もし耳にすることがあれば、それはその噂がかなり広まってしまった時と相場が決まっている。


「――帰りたい」


ぽつりとエミリアは呟いた。

どう考えても自分が暗殺されるとは思えなかった。エミリアの命を狙ったところで、利益を得る者はいないはずだ。ネイビー男爵領は長閑で農作物も良く育つ、とても暮らしやすい土地だが、王都や他の主要都市と繋がる道を考えればそれほど便利ではなく、つまり無理に土地を奪ってもあまり良いことはない。

他に考えられる可能性はカルヴァート辺境伯関連だが、エミリアはあくまでも個人的にビヴァリーに気に入られているだけであり、エミリアが死んでもビヴァリーたちは哀しみこそすれ被害はない。後継者が居なくなれば大変だろうが、やはりそれを考えてもエミリアを狙う旨味はないはずだった。


「勘違いだと思うけど、でも殿下もオースティン様も私を狙ったって言ってらしたし」


彼らが言うことならば頭から疑ってかかるのも問題だ。もしかしたら、エミリアの知らない何かがあるのかもしれない。そしてエミリアは、一つだけ心当たりがないこともなかった。


「もしかして――とは思うけど、まさか私の魔力を誰かが知ったってことは――ないよね?」


難しい表情でエミリアは呟く。エミリアの魔力は光属性に適性がある。しかも魔力量が多く、それに気が付いたカルヴァート辺境伯ビヴァリーはエミリアの魔力の質が他に漏れないよう細心の注意を払ってくれていた。お陰で、エミリアが光に適性があると知る者はエミリアと父親、そしてビヴァリーの三人だけだった。今はエミリアに稽古をつけてくれているダンヒル・カルヴァートとオースティンもエミリアの適性を知っているが、二人とも軽々しく他言するような人物ではない。


「あーもう、こういうの考えるの苦手なんだよ」


ビヴァリーに施された教育は基本的に淑女教育であり、政や戦術に関することは殆ど習っていない。わずかに知識を与えられたため他人の会話は把握できるが、時間を掛けなければその内容までは理解できない程度だった。そのため、どうしても苦手意識がついて回る。

大きく溜息を吐いたエミリアは、客間の窓から外を覗いた。広い庭園が見えるが、眼前に広がっている庭は以前王宮に訪れた時の中庭とは違う。


「何個、庭があるんだろう」


思わずつぶやいてしまう。王宮はかなり広いと知っているが、実感はない。

遠い目をしてしまったエミリアだったが、ふとその耳に扉を叩く音が聞こえて来た。慌てて立ち上がり、返事をする。聞こえて来たのは既に馴染んでしまったオースティンの声だった。


「エミリア嬢、入っても良いか?」

「はい、どうぞ」


エミリアは小走りに扉の方へと走る。しかし彼女が扉を開く前に、オースティンが姿を見せた。

思わずエミリアは目を瞬かせる。他人の目に付かないよう気を配っているオースティンがエミリアの部屋を訪れるのは朝方か夜が多く、まだ日が高いこの時分にやって来るのは珍しかった。


「どうされたんですか?」

「いや――ちょっと、訊きたいことがあってな」


オースティンは少し言いづらそうに言葉を探す。きょとんと首を傾げるエミリアに、悩んだ様子のオースティンは存外あっさりと単刀直入に質問を投げかけた。


「ライリー……殿下には会ったか?」

「いいえ、お会いしてないです。公開訓練の最終日に、リリアナ様に呼ばれた時が最後ですね」


王宮の客間に入ってからエミリアが一番多く会っているのはオースティンだ。次点でダンヒル、そしてクライドだ。ライリーやリリアナには全く会っていない。


「だよな。どれくらい部屋から出た?」


最初にエミリアが客間に入ることが決まった時、警備の観点からあまり出歩かないようにと言われている。そのため、エミリアは必要な時以外、部屋から殆ど出ていなかった。


「一日に一回――くらいでしょうか。お庭を散歩しました」

「そうか」


一体何があったのかと首を傾げるが、オースティンは理由を口にしようとはしなかった。少し言葉を濁して苦笑すると、エミリアを安心させるように声を掛ける。


「気にするな。少し窮屈だろうが、もうしばらく部屋に引きこもっといてくれ」

「分かりました」


オースティンの口振りに、エミリアは思わず笑みを零した。

普通であれば、一介の男爵家の令嬢が王宮の部屋に泊まるなど有難いことだと言われるはずだ。実際に侍女の中には、エミリアを羨ましそうに見る者もいた。

しかし、エミリアにとって王宮は窮屈で仕方がない。部屋を出たり廊下を歩くだけで、必ず周囲には人が居る。一挙手一投足を注視され、気が休む暇がない。どれほど豪華な生活を約束され権力を与えられたとしても、王宮で暮らすなど出来るだけ避けたいことだった。

そしてオースティンもまた、同じようなことを考えているらしく、エミリアの心に寄り添う言葉を随所でくれる。そのことがエミリアの沈みかけた心を明るくした。



*****



エミリアが滞在している客間を出たオースティンは、難しい表情で廊下を歩いていた。向かう先はライリーの執務室だ。

その話をオースティンが耳にしたのは、全くの偶然だった。オースティンの亡き父は以前より王宮の使用人と懇意にしていた。オースティンは王立騎士団に入ってから、その内の何人かと仲良くなることに成功していた。彼らの身分は下働きであり、本来であれば公爵家の次男であり王立騎士団の新鋭と呼ばれるオースティンと関わることはない。しかし、彼らはオースティンたちが普通にしていれば耳に入らない情報を教えてくれる。

その内の一人が、昨夜偶然会った時にオースティンを呼び止めた。


『あの――客間にご滞在中のご令嬢って、このまま本殿に入られるんですかい?』


言い辛そうに尋ねた下男の言葉を、オースティンは最初すぐには理解できなかった。思わず目を瞬かせ『どういうことだ?』と尋ね返す。その下男は慌てたように両手を振った。


『いえ、違うなら良いんです、変なこと言いました!』

『いや待て、お前がそう言うからには何か話を聞いたんだろう? 何を聞いたんだ』


怒らないから教えてくれと頼んだオースティンに、下男は恐る恐る、王宮の使用人たちの間に流れている噂を教えてくれた。使用人たちの間で流れる噂は、その内貴族たちの耳にも入ることになる。そして、その噂はオースティンにとって青天の霹靂であり、危機感を煽るものでしかなかった。


足早に廊下を歩いたオースティンは、ライリーの執務室に入る。中にはライリーとクライドが居た。二人とも対峙するようにソファーに腰掛け、額を突き合わせて何事か相談している。


「ライリー、ちょっと気になることを聞いたんだが」

「どうした、オースティン」


資料から顔を上げたライリーが首を傾げた。オースティンはソファーに近づくと、真剣な表情で口を開く。


「お前、エミリア嬢と恋仲ってことになってるぞ」


予想だにしないことを聞いた時、人は言葉を失うらしい。常に泰然自若とした態度を崩さないライリーにしては珍しく、唖然としたまま固まっていた。一方のクライドは、眉根を寄せて目を細める。オースティンは真っ直ぐライリーを見つめ、そしてライリーもまた真剣な色合いのオースティンの瞳を凝視する。

幼馴染の中では一番頻繁に冗談を言うオースティンだが、時と場合は弁えている。だから今のオースティンの言葉が本当であることは分かっていたが、それでも感情が理解を拒否した。ライリーにとっては初めての状況だ。


「――――誤解だ」


そして混乱したライリーが絞り出した言葉は、あまりにも情けないものだった。思わずオースティンは頭を抱えて唸る。クライドはどこか心配そうな視線をライリーに向けた。


「大丈夫ですか、殿下」

「あ、ああ――すまない。ちょっと驚いて頭が働いていない」


のろのろと手を動かして、ライリーは顔を覆う。最初に受けた衝撃からは立ち直り始めているようだが、それでもまだ完全に回復はしていないらしい。そんなライリーを見やったクライドは片眉を上げた。


「なるほど、何事も卒なくこなされる殿下の弱点は恋愛関係だったのですね」

「頼むから冷静に分析しないでくれるか、クライド」


ライリーは喉の奥で唸る。今はオースティンやクライドの軽口に付き合う気分にはなれなかった。そしてようやく自分を取り戻したのか、少ししてライリーはようやく顔を上げた。しかしあまり顔色は良くない。


「サーシャが王宮に居なくて良かったというべきかな」

「――――殿下」


ほとほと呆れ果てた、というようにクライドが首を振る。


「さすがにその台詞は、情けないかと」

「言ってくれるな」


再び両手に顔を埋めたライリーが本当の意味で立ち直り、噂の出所を探るようクライドとオースティンに命じたのは、それから更に暫く経ってからのことだった。



19-6:下男は同一人物

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