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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
305/564

45. 強制分岐ルート 5


王立騎士団の兵舎に、捕らえられた刺客二人は連行されていく。その時、一斉に数羽の烏が騎士に襲い掛かった。


「うわっ!?」


ぎょっとしたように叫んだ騎士が慌てて剣を抜き振り回せば、すぐに烏は消え去る。ぐらりと視界が歪んだ気がして目を瞬かせた騎士は異変がないか周囲に目を走らせるが、特に変わったことはない。ちらりと捕らえた刺客を見やるが、二人に変化はない。

気のせいかと違和感に蓋をして、騎士は刺客二人に繋いだ綱を引っ張った。


「行くぞ」


刺客二人は無言のまま足を動かす。その内の一人――背の低い方が、混乱した目をしていたことに最後まで騎士は気が付かなかった。



*****



リリアナはライリーと別れた後、王宮に出て屋敷に戻った。リリアナが狙われたわけではないものの、一歩間違えれば怪我を負うか命を落としていた可能性もあったため、マリアンヌは神経を尖らせている。元々外に出る性質ではないが、部屋の中に居た方がマリアンヌの心は落ち着くはずだと考えたリリアナは、しばらく部屋に籠ることにした。


「お茶を持って参ります」

「ありがとう」


着替えを手伝ってくれたマリアンヌにお礼を言い、リリアナはソファーに腰掛け本を手に取る。先日商人から購入した書物の一冊だ。少しして戻って来たマリアンヌが淹れてくれたお茶を飲み、下がるように申しつける。マリアンヌは一礼すると部屋を出て行った。


「――シディ、居るのでしょう?」

「やっぱり気付かれるか。完璧に気配消してたつもりなんだけどよ」


渋い顔でオブシディアンが姿を現わす。その様子は普段と全く変わりなく、リリアナは微笑を浮かべた。


「首尾は如何です?」

「問題なく、入れ替われたぜ。後でまた確認しに行くが、恐らくあの二人とも自害するだろうな」

「そう」


リリアナは頷く。オブシディアン曰く、リリアナの命を狙って屋敷に潜入した二人は典型的な“一族の人間”らしい。つまり、敵に捕らえられ脱出が不可能と判断すれば自白を避けるため自害を迷いなく選ぶ。もしくは死ねと命じられたら素直に自らの喉に短剣を突き刺す、そんな存在だった。

そのような人間を育てている大禍の一族に対し、リリアナは複雑な気分を隠し切れない。リリアナの中にある知識が一族のことを非人道的だと批判しているし、同時に自身の実父の所業が脳裏に過る。あまり気分の良いものではないが、かといって義侠心に駆られたとて何ができるわけでもない。

溜息を堪えて小さく首を振ったリリアナに、オブシディアンは物言いたげな目を向けた。


「で、あの嬢ちゃん、王宮に暫く滞在するんだってな」

「ええ、そうよ」


オブシディアン台詞は質問の形を取っていたが、その実ただの確認だった。リリアナはあっさりと肯定する。オブシディアンは眉根を寄せて更に言葉を重ねた。


「あんたの提案だって?」

「耳が早いですこと」

「折角王宮に入れたんだから、そりゃあある程度は偵察するだろ。あんまり深入りすると王太子あたりにバレそうだから適当にずらかって来たけどよ」


感心したようなリリアナの反応に、オブシディアンは鼻白む。言葉を探すように視線を宙へ彷徨わせ、そしてどこか苛立たし気な表情をリリアナに向けた。


「あんた、一体何考えてんだ?」

「どういう意図の質問かしら?」


リリアナは質問に質問で返す。冷たく見えるリリアナの表情に、オブシディアンは言葉を失った。真っ直ぐに貫くリリアナの緑色の瞳を見返す。無意識のうちに、オブシディアンの体は緊張し、戦闘態勢が整えられる。それほどにリリアナの視線は鋭く、オブシディアンの身を脅かすほどの強さを持っていた。

しかし、一触即発の空気に染まるよりも早く、リリアナが穏やかに微笑を浮かべる。弛緩した空気の中、知らずオブシディアンは緊張を解いていた。気分は腹を空かせた野生の獅子に対峙した時と同じだ。気を抜けば殺される――そんな空気が、充満していた。だが今はその気配が嘘のように霧散している。リリアナは穏やかな態度のまま「大したことは考えてませんのよ」と優しく告げた。だがオブシディアンは納得できない。


「大したことは考えてない? でも普通に考えたら、男爵の娘(あのガキ)を王宮にわざわざ泊まらせる必要なんて、あんたにはねぇだろう」

「そうですわねえ」


オブシディアンの指摘は的を射ているが、リリアナは曖昧な返事しか口にしない。こういう時のリリアナは決して口を割らないと、付き合いもそれなりに長くなって来たオブシディアンは知っていた。わざとらしく溜息を吐いて、乱暴に頭を掻く。

それを見たリリアナは、くすくすと楽し気に笑った。オブシディアンは憮然として責めるような視線をリリアナに向ける。


「人の気も知らねぇで」

「何か仰いまして?」

「――――何でもねえよ」


当然リリアナの耳にも聞こえていたはずだが、リリアナは素知らぬ振りだ。オブシディアンは再度大きく息を吐いた。

本音を言えば、オブシディアンはリリアナを問い詰めたい。自分よりも年下の少女が何を考えているのか、オブシディアンには全く想像もつかなかった。出会った時から突拍子もないことを仕出かすリリアナは、本心を誰にも話さない。オブシディアンに対して気安い態度はとっているものの、その関係性はあくまでも雇用主と被雇用者だ。リリアナは決してその線を越えようとはしない。


当然、オブシディアンも線引きは大事だと考えているし、必要以上に媚を売るような人間は仕事以外では関わりたくないとも思っている。実際に元タナー侯爵家令嬢のマルヴィナがオブシディアンに向ける視線には女の色がはっきりと出ていたが、オブシディアンは最後には冷たく突き放した。もう二度と、オブシディアンがマルヴィナの前に姿を現わすことはないだろう。


だが、リリアナに対しては調子を狂わされる。リリアナは何事も自分一人で背負い込もうとする性質だった。何かを考えても決して他人には相談せず、一人で決めてしまう。そして自分で決めたことであればどれほど無理難題でも自力で解決できてしまうから、余計に他人に頼ろうとはしない。

これまではそんなリリアナを見ても、オブシディアンはただ面白いと思うだけだった。

だが、今オブシディアンの前に居るリリアナは何処か危うい。とはいえ、オブシディアンはリリアナの内側に踏み込める勇気もなく、そして二人の間にそれが許されるだけの関係性は存在していなかった。


「――取り敢えず、だ。何か考えてんなら、あの王太子には相談しとけ。一人で突っ走るんじゃねえぞ」


リリアナが許容してくれるギリギリの線を見極めながら、オブシディアンはどうにかそれだけを告げる。

誰も信用していないリリアナが比較的胸襟を開いているのは、婚約者である王太子だとオブシディアンは思っていた。完全に信頼しているわけでも、心を許しているわけでもない。だが、王太子くらいしかリリアナと対等の立場に居る者が存在していないのも事実だった。

オブシディアンの言葉を理解はしているのだろうが、本当に納得したのかは甚だ怪しい表情で、リリアナは小首を傾げる。そしてオブシディアンが更に言葉を重ねるより早く、リリアナは「勿論」と穏やかに答えた。


「無理は致しませんわ」


これが妥協の限界かと、オブシディアンは零れ落ちそうになる溜息を堪える。無理に言ったところで、リリアナが聞く耳を持たないのは分かっている。今はこれで良いが、今後何かあった時に対策を取らねばならないだろうと、オブシディアンは心の中で決意した。



*****



リリアナと別れた後、ライリーはオースティンとクライドを執務室に呼びつけた。エミリア・ネイビーの王宮滞在に関しては既にカルヴァート辺境伯へと書簡を出し、辺境伯嫡男である王立騎士団二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートにも話を通している。


「エミリア嬢の王宮滞在は全て用意が整いました。本人は遠慮していましたが、念のためということでご理解いただいています」


報告をまとめたのは、クライドだった。ライリーは頷いて了承を示す。

オースティンは良く見なければ分からない程度ではあるものの、顔色が悪い。クライドとライリーはそれに気が付いていたが、敢えて指摘はしなかった。

寧ろライリーには、それ以上に気に掛かることがあった。クライドもまた顎に指先を当てて考え込んでいる。

沈黙を破ったのは、眉間に皺を寄せたクライドだった。


「先日の馬車襲撃は私とオースティンを狙ったものだと思っていましたが、もしかしたらエミリア嬢を狙ったものである可能性もあったわけですね」

「そうだね。今日の状況を見ればそう考えてもおかしくはないだろう」


ライリーもクライドの言葉を肯定するが、その表情は浮かない。クライドは問うような視線をライリーに向けた。


「殿下、何か気に掛かることでも?」

「――ああ」


考えが纏まっていないのか、ライリーは一瞬言葉に詰まる。しかしこの場には信頼のおけるオースティンとクライドの二人しかいない。それならば口にしても良いだろうかと思い直したらしいライリーは、嘆息して髪をかき上げた。


「今日のことを考えれば、エミリア嬢が狙われていることは間違いないはずなんだ。でも、何故ネイビー男爵家のご令嬢が命を狙われる?」

「それは――」


クライドは一瞬言葉を選ぶ。しかし、ライリーの疑問はクライドも抱いていた違和感だった。


「辻褄を合わせるのでしたら、エミリア嬢がカルヴァート辺境伯と懇意にしている一点でしょうか」

「でも、エミリア嬢一人が傷ついたところで、カルヴァート辺境伯に影響はないよね」

「そうですね。あくまでも辺境伯の心証が悪くなる程度でしょう」


可憐で儚い貴婦人然としたカルヴァート辺境伯ビヴァリーが、その実、大の男相手にも全く臆さず鉄槌を下せる女傑であることは、一部の貴族には知られている。特にフィーニス砦の攻防でビヴァリーの勘気に触れたライリーやクライド、オースティンは、エミリアを害した者に向けられるビヴァリーの憤怒を思って身を震わせた。

だが、エミリアを害したところでカルヴァート辺境伯領には大して影響はない。それならばまだカルヴァート騎士団の団長を務める長兄アンガスや、王立騎士団二番隊隊長のダンヒルを暗殺した方が利になる。

つまり、エミリアを殺したところで得られる利益が全く想像できないのだ。


「それなら、まだリリアナ嬢が狙われたって方が信憑性があるな。もしくは、あの――マリアンヌだったか。リリアナ嬢の侍女は確かケニス辺境伯の娘だろ? 彼女に暗殺者を仕向けた方が、三大公爵家のクラーク公爵家とケニス辺境伯に溝を作れる」


青白い顔ながらも、冷静に状況を分析したオースティンが呟く。既にライリーやクライドが考えていたことでもあり、誰も反対意見は口にしなかった。


「それに」


次に言葉を発したのはクライドだ。何事か考え込んでいるライリーを気にしながらも、クライドはもう一つ気に掛かっていたことを述べた。


「エミリア嬢が矢で射られたのも、殿下と妹に近づいた時でした。近衛騎士に囲まれていましたし、もしかしたらエミリア嬢以外の人間に当たった可能性もある。それならば、エミリア嬢が殿下と妹から離れて、周囲の人が減った段階で矢を射る方が成功率は高くなるはずです」

「ああ、俺もそう思う」


オースティンは真剣な表情で同意する。どうやら事態の疑問点を互いに口にする間に体調が戻って来たらしく、蒼褪めていた顔も普段通りの色合いに戻っていた。

だが、ライリーは未だに反応しない。難しい表情で考えている。


「おい、どうした? 何か気になることでもあるのか」


無言を貫くライリーに、オースティンが尋ねる。ライリーは弾かれたように顔を上げ、そこで初めてオースティンとクライドが自分を見つめていることに気が付いたような表情をした。しかしすぐに平静を取り戻す。


「いや――色々と、ね。でもまだ整理がつかない」

「そうか。お前も、エミリア嬢が狙われたのか疑わしいと思ってるか?」

「分からない。刺客がエミリア嬢を狙ったと自白したことは間違いがないんだ。尤も、その直後に自死してしまったけどね」


ライリーは肩を竦めた。だが、その脳内は目まぐるしく回転している。

オースティンやクライドの話を、聞いていない訳ではなかった。寧ろ、ライリーの耳は二人の意見を余すことなく捉えていた。二人の視点はライリーの抱いた疑問と全く同じだった。

ただ二人と違うことは、ライリーだけは今回の事件が何かしらの狂言だと直感していることだった。だが、それはあくまでも直感であり、確たる証拠はない。刺客がエミリアを狙ったと自白した以上、報告書にはそれが事実として記載される。


――しかし、自白した後、それほど時間も経っていない間に刺客二人は自死した。


一つずつ、ライリーは事実を箇条書きにして脳裏に思い浮かべ、疑問を整理していく。

通常であれば、刺客や間諜は自白を避けるために自ら命を絶つ、もしくは第三者によって口封じのために自死に見せかけ殺害される。つまり自白した後に自死するという行動は不自然だった。


――エミリア嬢を近くに呼び付けたのはサーシャだ。


馬車を襲撃されたエミリアが心に傷を負っていないか心配したリリアナの行動だった。だが、リリアナはフィーニス砦でエミリアが騎士に混じり戦っている姿を見ている。普通の令嬢であれば二つの出来事を切り離してエミリアの心を心配するかもしれないが、リリアナは別だ。戦を終えても平然としていたエミリアが、馬車が襲撃された程度で恐怖に震えると考えるのは矛盾する。

彼女の聡明さを、八年間傍に居たライリーは良く知っていた。


――王宮に滞在させるよう最初に提言したのも、サーシャだった。


その時の様子を、ライリーははっきりと覚えている。心配しているという態度を全面に押し出していたし、騎士団長ヘガティや副団長スペンサーは疑問にも思っていなかったようだが、ライリーだけは違和感を覚えていた。

リリアナはライリーと同じく、幼少時から感情を表に出さなかった。つまり、分かりやすく表層に現われた彼女の感情は、今この場ではそうすべきと判断した上で示された芝居(パフォーマンス)に過ぎない。

昔からリリアナの感情は酷く分かり辛く、そして本人も時折持て余し混乱するようなものだった。ライリーも読み取れることは増えて来たが、それでも分からないことの方が多い。その彼女が、あれほど分かりやすく感情を発露するとは考えられない。

だからこそ、リリアナがエミリアを王宮に滞在させるように告げた時、ライリーはまたリリアナが何か企んでいるに違いないと直感した。


だが、リリアナも口が堅い。悪く言えば非常に頑固だ。その様は小動物が外敵を警戒して震えているようで可愛らしくもあるのだが、下手に追及すればリリアナは完全にライリーの目が届かない場所へと思惑ごと隠れてしまう。だから、ライリーはずっとリリアナが許してくれる線を見極め、そのぎりぎりまで近付いて様子を見ては十分な距離を取る、という事を繰り返して来た。

リリアナの事を理解したいとも思うし、信頼して欲しいとも思う。だが急いては事を仕損じると自らに言い聞かせ、決してリリアナに無理強いをしようとは思わない。とはいえ、その姿勢(スタンス)を保っていてもなかなか一定の距離より先に近づけない。


「――歯痒いな」


思わずライリーの口から本音が零れ落ちる。その言葉を拾ったオースティンが目を瞠り、クライドは驚いたように目を瞬かせた。しかし、ライリーはその真意を口にしない。


「とりあえず」


気を取り直して、ライリーは目先のことを考えることにした。一つ一つの問題を解決するうちに、また何かしらの糸口が見つかるかもしれない――そう、自分を鼓舞する。


「エミリア嬢の身辺には警戒しよう。それからオースティン、クライド、お前たちも警戒は高めてくれ。あとサーシャの警備も――恐らく、今の二人が居れば大丈夫だろうが、念のため強化して貰いたい。恐らく大公派の仕業だとは思うが、先入観はなくしてくれ。できるだけ早急に、依頼主を見つけたい」

「承知しました」


歯切れよく告げられたライリーの言葉に、クライドとオースティンは首を垂れた。



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