45. 強制分岐ルート 4
食事を終えたライリーとリリアナは、二人連れ立って王立騎士団の兵舎に向かった。数日にわたって開催される公開訓練があるとは知っていたが、ライリーは初日の挨拶にだけ参加し、そしてリリアナはまだ一度も立ち寄っていない。
最終日の最後に騎士団長が宣言する閉会宣言の時に同席するのはライリーだけの予定だったが、その話を聞いたリリアナが折角ならば同席したいと申し出たのだ。勿論ライリーに否やはなく、結果的に二人揃って騎士団へと顔を出すことになった。
(ゲームでは、悪役令嬢はウィルと一緒に参加はしておりませんでしたのよね)
ヒロイン視点でゲームは進むから、公開訓練の期間中にライリーとリリアナがどのように過ごしていたのか、詳細は分からない。しかし少なくとも公開訓練の間中、リリアナはライリーの隣には居なかった。ただ最後にたまたま訪れたような顔で姿を現しただけだ。
何気なくリリアナはライリーの横顔を盗み見る。ライリーは普段と全く変わらない様子だったが、リリアナの視線に気が付くとにこりと微笑んだ。
「どうしたの?」
「何もございませんわ」
リリアナは首を振る。そして少し考えて、言いづらそうに付け加えた。
「ただ――オースティン様とお兄様、それからエミリア様が刺客に襲われたと、耳に致しましたの」
声を潜めてライリーにだけ聞こえる音量で告げる。あまり大声では話せない内容にライリーは一瞬眉根を寄せた。常に賢明な態度を崩さないリリアナが、周囲に人が居る状態で口にするとは思わなかったのだろう。違和感を覚えたものの、リリアナがわざわざ話題に上らせるということは何かあるに違いない――そう考えたのか、ライリーは咎めることはせずにただ頷いた。
「――そうだね」
「お兄様とオースティン様も心配ですが、それよりもエミリア様が」
懸念を表明するように、リリアナは更に深刻な声を取り繕う。正直なところ、リリアナは本気でエミリアのことを心配している訳ではなかった。確かに衝撃は受けただろうが、元々辺境伯領で鍛えられて来た娘だ。多少の荒事には慣れているはずである。更に、騎士団にはカルヴァート辺境伯の次男ダンヒルも居る。エミリアが精神的に傷ついていれば、カルヴァート辺境伯の屋敷に帰るよう言われているはずだ。だが、エミリアが帰宅したという報せは受けていない。つまり、エミリアにとって刺客の襲撃はそこまで恐ろしい出来事ではなかったと考えて良かった。
しかし、その推察を口にする必要はない。リリアナは一瞬言葉に詰まり、恐る恐る言った。
「非常に恐ろしい思いをしたのではないかと、心配ですの」
それは心優しく荒事に慣れていない令嬢が口にしてもおかしくない、そんな台詞だった。ライリーは目を瞬かせたが、少し考えて頷く。
「確かに、そうだね。異常があったと報告は受けてはいないけれど、でも動揺していてもおかしくはない」
「今日もまだ訓練場にいらっしゃるのかしら?」
「多分、そうだと思うよ」
リリアナはそっと胸を撫で下ろした。勿論その本音はライリーには隠さなければならない。
乙女ゲームでは、公開訓練は非常に重要な転換点だった。共通ルートの分かれ目だ。公開訓練を連日見学しているエミリアが一人でオースティンを応援していれば近衛騎士ルートへ、そしてライリーの近くに来ることを選択すれば王太子ルートへと進む。
現実ではエミリアがどちらを選択するのか分からない。ただこれまでのエミリアの様子や性格を考えれば、ライリーの近くに来る可能性は低いとしか思えなかった。
(それでは計画が台無しになってしまいますから)
訓練場の一般向け見学席から少し離れた場所に、ライリーとリリアナ用の観戦席が用意されている。その周囲には近衛騎士が立っていて、どう贔屓目に考えてもエミリアがライリーに近づいて来ることはなさそうだった。
溜息を堪えて、リリアナは興味津々の様子を取り繕いながら訓練場を見回す。そして彼女は目当ての人物を見つけた。
「――マリアンヌ」
リリアナは侍女に声を掛けた。少し離れた場所に控えていたマリアンヌは直ぐに反応する。近づいて来たマリアンヌに、リリアナは申し訳なさそうな表情で、頼みごとを一つした。
「あそこにエミリア様がいらっしゃるの。ネイビー男爵家のご令嬢よ。少しお話をしたいの、連れて来ていただけるかしら」
「承知いたしました、エミリア様ですね」
「ええ、そうよ」
椅子に腰かけたリリアナに、マリアンヌは頷く。そして問うような視線をライリーに向ければ、ライリーは苦笑を滲ませて頷いた。問題ないという王太子の返事を確認し、マリアンヌはその場を下がる。リリアナの見つめる先で、マリアンヌはエミリアを難なく見つけて声を掛けた。
遠目に見えるエミリアは弾かれたように顔を上げ、首を振っている。しかし何事かマリアンヌに囁かれ、エミリアは少し困った表情で悩んだ挙句、恐る恐る頷いた。
どうやらライリーも、眼前で行われている訓練ではなくマリアンヌとエミリアの様子を見ていたらしい。そっと顔をリリアナの耳元に寄せ、小さな声で囁いた。
「刺客に襲われた時のことを聞くの?」
「いいえ、もしその事がエミリア様の負担になってはいけませんもの。ただ体調をお伺いするだけですわ。それから、何か困ったことがあれば頼るようにと」
「そうか。確かにそれは彼女にとっても頼もしいことだろうね」
敢えてリリアナは“誰に”頼るように言うつもりか口にしなかったが、ライリーはリリアナが助けの手を差し伸べるつもりだと思ったらしい。わずかに眉根を寄せて腕を組み、リリアナの耳元から顔を離した。
「私が手助けをすると、色々と勘繰る者が出て来るだろうから――その点ではサーシャが適任だと思う。でも、サーシャは私の婚約者だからね。あまり一人を特別扱いすると、悪しざまに噂される可能性もあるから気をつけて」
「承知いたしました」
リリアナは笑みを浮かべる。だが、今後リリアナがエミリアを手助けすることはない――それを、リリアナは良く知っていた。もしリリアナの計画通りに物事が進めば、エミリアを助けるのは攻略対象者たちだし、エミリアもまた攻略対象者たちを助ける。それこそ乙女ゲームの筋書き通りだ。
少しして、緊張した面持ちのエミリアがマリアンヌに連れられて近づいて来る。近衛騎士たちが鋭い視線でエミリアの様子を確認し、武器になりそうなものを表向きは持っていないと判断した。そしてライリーとリリアナからは少し離れた場所で、エミリアは臣下の礼を取る。
ライリーは穏やかにエミリアに告げた。
「楽にして構わない」
「有難く存じます。王太子殿下におかれましては、ご健勝のご様子、何よりに存じます」
堅いが以前よりは慣れた口調で、エミリアが簡単な挨拶の口上を述べる。ライリーは鷹揚に頷いただけで、それ以上言葉を発する様子はない。どうやらエミリアを呼ぶように言ったリリアナにこの場を任せるつもりらしい。
リリアナはこれから起こる出来事を一切知らない人間になり切って、口を開いた。
「エミリア様、少し貴方のご様子が気になっただけですの。ご体調やご気分は如何かしら?」
「はい、お陰様で――その、恙なく」
王太子に対して程ではないが、男爵家の令嬢でしかないエミリアにとって三大公爵家の令嬢であり王太子の婚約者でもあるリリアナは雲上人だ。先ほどよりも緊張は解けているが、それでもたどたどしい。
「それなら良かったわ。色々と大変なこともあるでしょうけれど――」
リリアナがそう告げた時、ライリーとエミリアが同時に反応する。
「危ない!」
叫んだのは誰だったのか――咄嗟に動いたのは、エミリアだった。思い切り伏せて地面を転がり、その場から離れる。その時には、エミリアが立っていた場所に数本の矢が突き刺さっていた。
近衛騎士たちが殺気立つ。咄嗟に矢が飛んで来た方向を特定し、鋭い視線を投げかけた。
「賊は向こうだ!」
「お二人ともこちらへ!」
訓練場で訓練をしていた騎士たちも異変に気が付く。ライリーとリリアナは近衛騎士に護られるようにして屋内へ避難した。エミリアもそれに続く。
公開訓練をしていた騎士たちも瞬時に状況を把握すると、訓練を中止し緊急体制を取った。何事か分からず騒めくだけだった見物客たちも、数人の騎士たちに誘導されて兵舎の一室に集められる。兵舎の中でも一番立派な部屋に通されたライリーとリリアナは、ソファーに腰掛けた。
「サーシャ、大丈夫?」
「ええ、怪我もしておりませんわ。ウィルは如何ですか?」
「私も大丈夫だよ」
ライリーは落ち着かせるようにリリアナの肩を抱く。リリアナはほっとした様子で体から力を抜いた。
だが、実際にリリアナは全く不安を抱いていなかった。今回の暗殺事件は、事前に把握していた。だから自分が狙われたわけではないということも、エミリアが死ぬことはなかったということも、十分知っている。
ただ今回の事件はゲームとは違う。
ゲームで狙われたのはライリーであり、それにいち早く気が付いたエミリアがライリーを庇って軽い怪我をするというものだった。現実とは違って遅れて訓練場にやって来たリリアナは、倒れたエミリアを咄嗟に支えた婚約者を見てしまう。実際にはライリーは結界を張っているため矢が当たる可能性は無かったのだが、エミリアはそれを知らない。そして二人が抱き合っているように見えたリリアナは嫉妬を覚え、そこから道を踏み外してしまう。
一方、今回狙われたのはエミリアだ。そこに、リリアナの作為があった。
少しして、王立騎士団長トーマス・ヘガティが副団長マイルズ・スペンサーを連れてライリーとリリアナの元にやって来た。
「失礼致します、殿下」
「ああ、何か分かったかな?」
ライリーに問われ、ヘガティは一つ頷くと挨拶もそこそこに状況を報告する。それに気分を害すでもなく、ライリーは真剣な表情でその内容に聞き入っていた。
「賊は捕らえました。二人組で現在捕えています。矢尻には致死量の毒が塗られておりました。殿下を狙ったものと考えましたが、賊の一人が――薄紅色の女を狙った、と」
「エミリア嬢を?」
予想外の言葉に、ライリーは愕然と目を瞠った。普通に考えれば、一介の男爵家の令嬢を刺客が狙うとは考えにくい。先日オースティンたちが刺客に襲われた時も、エミリアは巻き込まれた可能性が高いという結論に至った。しかし刺客の言い分が本当であれば、エミリアの命も危険に晒されているということになる。
騎士団長とライリーのやり取りを傍で聞いていたリリアナは、心配しているように見えるよう目を伏せた。
だが、今のところは全てリリアナの計画通りに進んでいる。その事に内心ではほっとしていた。
(シディが上手くやったようですわね。後は、入れ替わるだけですわ)
無事入れ替わっていたら宜しいのですけれど、と思うものの、オブシディアンのことだから恙なく仕事を終えているだろうと、それほど心配はしていない。
ゲームと同じ事件を起こすために、リリアナはオブシディアンにエミリアが刺客に狙われていると偽装したいと提案した。今回エミリアに矢を射かけたのはオブシディアンだ。敢えて彼は矢を外し、わざと捕まるように逃走する。そして騎士団に捕らえられた後でエミリアを狙ったとだけ自白し、その後隙をついてリリアナを襲った刺客と入れ替わる。
リリアナを襲った大禍の一族は、一族に関することは一切他言できない。そして捕縛され逃走できないと見れば自害するよう教育されている。そのため、騎士団が得られる情報は“賊はエミリアの命を狙った”こと、ただ一つだった。
だが、その一つがリリアナにとっては重要だ。
王立騎士団の兵舎も魔術や呪術に対抗できるよう様々な仕掛けが施されているが、王宮ほどではない。普通であれば捕えられた後に別人と入れ替わるなど出来る訳はないのだが、オブシディアンとリリアナの知識と技術を使えば、不可能ではなかった。
「ウィル」
リリアナはライリーに声を掛ける。
「何故、エミリア様のお命が狙われているのかは存じませんが――ですが、みすみす危険に晒すわけには参りませんわ」
「――サーシャ?」
一体何を言うつもりなのかと、ライリーは首を傾げる。しかしおおよそは予想しているのか、その双眸は僅かに細められていた。
「カルヴァート辺境伯様のお屋敷も十分に警護はなされておりますけれど、それでも万全とは申せないと思いますの。魔術と呪術への対策が万全な兵舎にも刺客は潜入したのですから」
ライリーは答えない。じっとリリアナを見つめている。リリアナはあくまでも心配や不安を全面に押し出し、一つの提案を口にした。
「ですから、ある程度身の安全が確認できるまで、エミリア様には王宮の一室をお貸ししては如何でしょう。勿論、普通の客間で宜しいと思いますわ」
室内に沈黙が落ちる。ライリーは目を伏せて何事か考える。リリアナは自分が手に汗を握っていることに気が付いていた。
エミリアが王宮に住む――それは、リリアナが計画を遂行する上で重要な要素だ。乙女ゲームでもエミリアは怪我の治療のために暫く王宮に滞在するが、怪我が治ればすぐにカルヴァート辺境伯邸へと戻る。しかし、それではリリアナの計画に支障が出かねない。
永遠にも思える沈黙の後、ライリーは普段と変わらぬ王太子の微笑みを浮かべたまま一つ頷いた。
「そうだね、賊の思惑が分からない以上、それは良い選択肢かもしれない」
明言はしていないが、それは同意だった。案の定ライリーは近衛騎士の一人に、エミリアを滞在させるため王宮の一室を開けるように指示する。
王宮は広い。王族が暮らしている棟と、ライリーが用意するよう指示した客間のある棟は遠く離れている。もしエミリアがライリーに会いたいと思っても、気軽に会えるような場所ではない。
しかし、エミリアは王宮に入った。
(駒が一つ、進みましたわ)
リリアナは内心で会心の笑みを浮かべる。
「サーシャ」
指示を終えたライリーは、リリアナを呼んだ。
「貴方も、何かあれば私に相談して欲しい」
「ええ、そうさせて頂きますわ」
ライリーの言葉に、リリアナは素直に頷く。しかしその笑みはどこか他人事のようで、ライリーは溜息を堪えた。
(リリアナによる)強制分岐ルート









