45. 強制分岐ルート 3
どのような言葉をライリーに返せば良いのか分からず、リリアナは口を噤む。しかしライリーはリリアナの答えを期待しているわけではないようだった。再び料理を口に運ぶ。それを見たリリアナもまた、多少ぎこちないながらも再び食事を始めた。
ライリーはリリアナのことを少しだけしか知らないと言うが、今目の前に用意されている食事を見る限り、リリアナが思っていた以上にリリアナのことを把握しているようだった。その事実を意識した途端、リリアナの心が騒めく。思わずリリアナは眉根を寄せたが、彼女は首を小さく首を振ってその考えを手放した。
ふと、代わりにもう一つの記憶が蘇る。
カルヴァート辺境伯領フィーニスの砦に侵入した時、リリアナだけを帰らせようとしたライリーにリリアナは同行を申し出た。ライリーは最初こそ渋ったものの、最終的には微笑を浮かべて“頼りにしている”とリリアナに応えてくれた。その台詞が今は亡きエアルドレッド公爵家前当主の言葉と同じだと気が付いた瞬間、リリアナは今と同じように心が騒めいた。
(今一つ、これがどのような感情なのか分からないのですけれど)
リリアナは極力表情を変えないよう気を付けながら、そんなことを思う。頭の中に入っている知識を探してみても、適切な情報は何も見つからない。魔術で感情を封じられたことが原因なのかは分からないが、リリアナの中にあるはずの複数の魂からは、感情に類する情報を一切見つけられない。
一番記憶がはっきり残っている乙女ゲームに関わる時代の情報でさえ、思い出せることは恐らくその時知識として身に着けた情報だけで、感情に関わって来そうな――例えば自分自身や家族、友人に関することは全く分からない。
そのせいか、リリアナは自分の心の動きを理解するのが苦手だった。時間をかけて考えてようやく一つの仮説を導き出すことはできるが、本当にその仮説が自分の感情を適切に表現しているのかどうかは分からない。
幼子であれば、深く考えることもなく心の動きを受け入れて、感情のままに行動するのだろう。そうして他者との関わり合いの中で、一つ一つの情動に名前を付け、自分自身の中で折り合いをつけていく。しかしリリアナにはその経験はなく、王太子の婚約者候補として受け続けた教育により自分を律する方法を先に身に着けてしまった。
(なんだか、くすぐったいわ)
ぼんやりとリリアナはそんなことを思う。少なくとも、ライリーの言葉は嫌なものではなかった。寧ろ、それほどまでに気に掛けられていたことが嬉しいのかもしれない。
「サーシャ?」
リリアナがぼんやりとしてしまっていたせいか、ライリーが気遣わし気な声を掛けて来た。慌ててリリアナは顔を上げる。傍から見ればライリーの表情に変化はないが、リリアナにはライリーが心配しているらしいということが分かってしまった。
「大丈夫? 疲れているのかな」
「問題ございませんわ」
何事もなかったかのように、リリアナはにこりと笑みを見せる。ライリーはあまり信じた様子ではなかったが、それ以上追及しようとはしない。その距離感に居心地の良さを覚えながら、リリアナは意識を目の前の皿に向けた。
「このスープも美味しゅうございますわね」
「口に合ったなら良かった」
ライリーは嬉しそうに微笑む。その言い方を不思議に思ったリリアナは首を傾げた。
「もしかして、ウィルも今日の献立に関わっていらっしゃいますの?」
「そうだよ。といっても私がしたことと言えば料理人に頼むことくらいだけど。本来は牛肉を使うところを雉肉に変えて欲しいとか、その程度だよ」
目を丸くしたリリアナに、ライリーは肩を竦めた。どうやらライリーは料理の種類だけでなく、リリアナの好きそうな食材に変更するように頼んだらしい。雉肉は確かにリリアナが好きな肉だった。そこまで食に拘りがある方ではないが、肉を選んで良いと言われたら迷わず雉肉を選ぶ。香りは強いものの、脂身が少なく淡泊であるところが良かった。
二人の食べる速度に合わせて料理が給仕される。
「最近は魔術の研究をしているの?」
「ええ――と言っても、最近商人から買った書物を読んでいる程度ですけれど」
他愛もない会話を続けながら、リリアナは豪勢な食事に舌鼓を打つ。
「どんな内容?」
「複合魔術に関してですわ。現在は四大属性と闇、光の六つに分けられておりますけれど、それはあくまでも人間が便宜上分類しただけであって、本来であれば属性に関係なく使えるのではないかという趣旨です」
「へえ、それは興味深いね」
二人の共通の話題と言えば政策や隣国に関することと魔術のことだ。色気も何もないが、忌憚のない意見を言い合えるこの時間が、ライリーもリリアナも気に入っていた。何より二人の知的水準は同等だ。言葉を尽くさずとも分かり合える関係性は心地の良いものだった。
「結論は出ているのかな」
「明確な答えは出ておりませんけれど、近しい属性――火と風、水と土は比較的、複合魔術として同時に発動しやすいという報告はあるようですの」
「――ああ、確かに」
ライリーは少し考えて頷く。恐らく彼の脳裏には、知っている魔導士や魔導剣士の複合魔術が浮かんでいるのだろう。オースティンも複合魔術を使う時は適性のある風と火を同時に使うことが多い。
「光と闇は何か結論が出ていた? そもそも適性者が少ないから検討もし辛いと思うんだけど」
「ええ、光と闇に関しては不明とされておりました――けれど」
「けれど?」
続きがあるとは思っていなかったのだろう、ライリーが目を瞬かせる。リリアナは何気なく、その情報を会話の中に忍び込ませることに成功した。
何気なく、自分たちの声が侍女や護衛たちに届かないように術を張る。リリアナの術の発動に気が付いたライリーは目を瞬かせた。表情は変わらないが、視線に真剣な色が混じる。
「光と闇は表裏一体だったという話がありますの。ご存知でした?」
光と闇は特殊属性とされている。人間でその二つの魔術を使える者はごくわずかだ。特に闇の魔術を持つ者は魔族かその類縁とされ、迫害されて来た。そのため、現在闇の魔術を使えるものはほぼ存在しないと言われている。
ライリーは目を瞬かせた。
「いや――それは知らなかった。それなら、光の魔術を使える者は闇の魔術を使えるということ?」
「使えませんわ。それでも、闇と光は元は同じなのですって」
リリアナは首を振る。
複合魔術に関する書物は、確かに最近ようやく手に入れた。非常に興味深い内容だったが、リリアナには若干物足りなかった。それよりもリリアナの関心を引いたのは、同時に購入した古い歴史書である。
スリベグランディア王国では禁書となって久しい、ユナティアン皇国のものだ。スリベグランディア王国は嘗てのユナティアン帝国から独立したため、ユナティアン皇国の皇帝を魔王として扱っている。一方でユナティアン皇国にとって、スリベグランディア王国が魔王と呼ぶ者は皇帝の始祖だ。当然彼らにとっては英雄であり、歴史書にはその史観が反映されている。
今復活しかけている魔王を封印するために必要な情報があるのではないかと考えて強引な手段を使い購入したのだが、読了した時のリリアナはその苦労をしてでも手に入れた価値があったと確信した。
ユナティアン皇国の視点で書かれているため解釈に時間が掛かった。リリアナの頭の中には乙女ゲームの知識があるが、その知識もリリアナとして生まれ育った知識も、全てスリベグランディア王国の情報が元になっている。
そしてその書物に書いてあったことをスリベグランディア王国風に纏めれば、魔王が統べる魔族の有する闇の魔術は光の魔術から生まれたものらしい。
「ふうん。つまり、光があるところに闇が生まれる、ということか。それでも人間の中で闇魔術を使える者がごく限られているというのは、それほど闇魔術が人間と親和性が悪いということなのかな」
リリアナの端的な説明を聞いたライリーは自分なりの推論を組み立てる。書物を読み込んだリリアナの推測とほぼ同じ結論に至ったライリーを半ば呆れを滲ませ見やると、ライリーは片眉を上げた。
「なに?」
「いえ、何もございませんわ。親和性が悪いと言えるのでしょう。闇の魔術は四大属性よりは遥かに、そして光の魔術よりも消費する魔力量が多くなりますから」
「人間の魔力量では扱えないということだね」
「そういうことになりますわね」
だが――とライリーは呟く。その声にどこか陰を感じられて、リリアナは顔を上げた。
「それならば、闇の魔力を纏う魔族や魔物が現れるということは、光の魔力が増えすぎたということになるのかな」
思いも寄らぬライリーの言葉に、リリアナは瞠目する。丸い目をしたリリアナに目を向けたライリーは少々苦笑してみせた。
「どうにも私たちは闇の魔術や魔物というと異物と考えがちだが、光と闇が表裏一体ということは、闇も身近に存在して然るべきだろう」
「え――ええ、そうですわね」
まさかそのような言葉が出て来るとは思っていなかったリリアナは、反応が遅れる。
ライリーのその言葉はある意味で核心を突いていた。しかし乙女ゲームのライリーたちは、その結論に至らなかったはずだ。ライリーの思考がリリアナの理解とは掛け離れた所にあると気が付き、リリアナは僅かに動揺する。
確かにこれまでのリリアナの行動であらゆる条件が乙女ゲームとは異なっている。しかし、攻略対象者たちの性格や思考が大きく変わっているとは想定していなかった。ゲーム開始以前に攻略対象者たちに起こった辛い記憶は、リリアナが知る限りほぼ潰したと思う。そしてそれによって攻略対象者たちが心に傷を負うこともなくなり、ヒロインであるエミリアが出て来た時に彼女へと心を傾ける可能性は低くなった――そう、リリアナは思っていた。
だが実際にエミリアが登場してからは、ライリーもオースティンもクライドも、皆がエミリアに関心を持ち好意的に接している。特にライリーとオースティンは、リリアナから見てもエミリアと友好的な雰囲気を醸し出していた。
だからこそ、リリアナは乙女ゲームと現実でそこまで人物に大きな差異はないと思っていたのだ。たとえ違いがあったとしても、それはヒロインに対する感情や興味関心だと、そう信じていた。
それにも関わらず、ライリーの発言はあくまでも魔王や魔族に関するものだ。現時点でエミリアは一切関係ないにも関わらず、乙女ゲームのライリーとは全く違う感想を口にしている。
(ゲームでは、魔王も魔族も魔物も全て滅ぼさなければならないと――そう、信じ込んでいらしたのに)
ゲームではそれが常識だった。間違いなくプレイヤーも、一巡目ではそれが当然だと信じてゲームをしていた。
「それなら、例えば――魔王が復活したとしたら、ただ力尽くで封印しようとするのも間違っているのかもしれないね」
考えながらそう呟いたライリーを、リリアナは愕然と見やる。
ここから先の計画に、一抹の不安を感じた。だが計画を破棄する時間はない。身の内に宿る闇の魔力は、時間が経つにつれてますます増えている。増える速度も以前より多い。
(いえ――どうにかしてみせますわ)
リリアナは心の中で己を鼓舞する。そして、何気なさを装ってライリーに告げた。
「そうですわね。でも――もしかしたら、魔王の封印については」
おもむろに手を伸ばして茶を飲み喉を潤す。その一挙手一投足をライリーに眺められながら、リリアナは平静を装った。
「王族の方の方が、よくご存知かもしれませんわね。だって、王族は勇者の子孫でございましょう?」
「――――サーシャ?」
その時ライリーが一瞬驚いたように目を瞠ったと、緊張していたリリアナは気が付かなった。
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