45. 強制分岐ルート 2
クラーク公爵家の娘リリアナは、綺麗に着飾り王宮へと向かっていた。誕生日を迎えるということでライリーから誘われたのだが、ちょうど良い時機だと内心で微笑んだ。
「確か今日は王立騎士団公開訓練の最終日でしたね」
リリアナに声を掛けたのは、馬車から外を眺めていた侍女のマリアンヌだった。
普段リリアナが王宮に上がる時は護衛のオルガかジルドだけを伴う。公爵家の令嬢としては非常に簡素なものだが、今日は事が事だけに、侍女のマリアンヌも同伴していた。単なる茶会や政策に関する議論であればともかく、誕生日のためにライリーが少々頑張ってくれているらしい。とはいえ参加者はライリーとリリアナの二人だけという簡素なものだ。
マリアンヌの声を受けて同じく外を見たリリアナは一つ頷く。彼らの視線の先には、普段であれば王宮にも王立騎士団の兵舎にも寄り付かない下位貴族や一部の高位貴族たちの姿がある。下位貴族の中には馬車ではなく乗合馬車を降りて途中から徒歩で向かう者も多く、普段の王宮近辺とは様相ががらりと変わっていた。
「マリアンヌ、貴方の従兄も騎士団に勤めていたのではなくて?」
ふと思い出した事情を、リリアナはマリアンヌに尋ねた。マリアンヌは頷く。
「はい、滅多に会いませんが――ブレンドン・ケアリーという名で、七番隊の隊長です」
「ケアリー……ということは、爵位はないのかしら」
頭の中に刻み込んだ貴族年鑑を思い返しても、ケアリーという家名はない。もしやと思えば、マリアンヌは案の定首を振った。
「先日、騎士爵を頂きましたが、それまでは平民でした。その――母の甥に当たります」
「そうだったのね」
マリアンヌはケニス辺境伯の末娘だ。元々ケニス辺境伯領では出自よりその能力を重視する風潮が強い。ただブレンドン・ケアリーは実力主義と名高い七番隊の隊長だ。それほどの実力があればケニス騎士団でも十二分に活躍できるはずだが、何故王立騎士団に居るのかと、リリアナは内心で首を傾げた。
判断が付かないのは、ブレンドン・ケアリーという名前は乙女ゲームには出て来ていなかったからだ。これまではそれほど他人に興味が持てなかった。リリアナが気に掛けていたのは、自分の未来に関係ありそうな人物ばかりだった。だが、今後を考えれば心を入れ替えてどのような些末事でも調べ上げておかなければならない。
リリアナはレースの手袋に包まれた指先を組み合わせると、マリアンヌに不審を持たれないように、何気なく質問を重ねた。
「ケニス騎士団でも十分にご活躍なさるでしょうに、王立騎士団に入団なさったのね」
「そこらへんの事情は私も良く知らないのですが、父に相談したところ、王立騎士団の方が向いていると言われたとか――」
返って来たのは、自信のなさそうな弱弱しい声だった。リリアナは気にしていないとでも言いたげに短く「そう」と答える。
(辺境伯と相談――ねえ。何の適性の話かしらね)
リリアナは心の中で皮肉に呟く。マリアンヌの言葉をそのまま受け取れば、ブレンドン・ケアリーはケニス騎士団よりも王立騎士団の方が騎士として活躍できる、ということになる。しかし、ブレンドン・ケアリーは実力主義の七番隊――しかもその隊長だ。魔導騎士でもなく他の隊ではない。その本質は剣術を極め苛烈に戦うことであり、国境を護るケニス騎士団と非常に似ている。だからこそ、ケニス辺境伯が何を考えてブレンドン・ケアリーを王立騎士団に所属させたのか――額面通りに受け取ることはできなかった。
(寧ろ、七番隊隊長となるほどの腕でしたら、辺境伯領に留め置きたいでしょうに)
となれば、一番可能性の高い理由は一つだ。
(恐らく、ある種の間諜と言ったところでしょう)
本格的な間諜ではない。有事の時に王立騎士団に伝手があるのとないのとでは大きな違いがある。ケニス辺境伯は、ブレンドン・ケアリーを王都に留め置くことで、王宮や王立騎士団の動向を逐次確認しているのではないかと思えた。
何よりも、たった数回ケニス辺境伯に会ったリリアナの直感が、ケニス辺境伯がただ何も考えずに甥を王立騎士団に置いているはずがないと告げている。しかもスコーン侯爵のように、嫡男ではない。名前だけを見てブレンドン・ケアリーがケニス辺境伯の甥だと気が付く者はそうそう居ないはずだ。
リリアナがブレンドン・ケアリーの存在を知っているのも、ここ数日の間に呪術の鼠を大量に使って情報を収集したからだった。
馬車の中に沈黙が落ちる。リリアナはマリアンヌに気が付かれないよう、その横顔を盗み見た。
マリアンヌはリリアナの問いを一切疑問に思っていない。リリアナが幼い頃から側に仕えてくれている彼女は、腹の探り合いや言葉の裏を読むことは、あまり得意ではないのだろう。
もしかしたらケニス辺境伯は、マリアンヌのそんな性格を良く理解した上で、辺境伯家の令嬢であるマリアンヌにリリアナの元で働くことを許したのかもしれない。マリアンヌは善良だ。だからこそ、素直に相手のことを真っ直ぐに受け取る。その印象を聞けば、ケニス辺境伯はマリアンヌが話す人の為人を何となくは察せられるのだろう。
(懐柔のためと考えるのは、穿ちすぎかしら)
自嘲の笑みを、リリアナは堪えた。
亡父が残した手記を読んでから、余計に周囲が怪しく見える。
ケニス辺境伯は愚かではないし、独自の情報網も持っている。何らかの理由でクラーク公爵家の先代当主――リリアナの父に疑念を抱いていた可能性もある。もしその仮定が真実なら、調査の手を間違いなく入れていたはずだ。だが、亡父エイブラムもまた間諜や刺客など決して許さない性質だ。それならば、何も知らない人間を標的の子供の世話役として付ければ良い。子供が傍仕えに懐けばしめたもので、子供が成長した後、何気ない会話を装って情報を得れば良いのだ。
(マリアンヌがそこまでのことを出来るとは、あまり思いませんけれど)
それでも、多少の情報があるのとないのとでは全くその後のやりやすさが違う。わずかな切っ掛けが、続く大がかりな調査の良い端緒となることも往々にしてある。
これまでもマリアンヌに親しみは覚えても打ち解けようとはして来なかった。マリアンヌがどう思っていようと、リリアナとマリアンヌの関係は、主従であってそれ以上でもそれ以下でもない。それでもやはり、気は抜けなかった。
*****
ライリーの私室に繋がった応接室に通されたリリアナを出迎えたのは、多少着飾ったライリーだった。多少とは言っても公式の晩餐会や式典で着る正装ほど格式が高くはないというだけで、普段の衣装よりも遥かに立派だ。
「サーシャ、待ってたよ」
「この度はわたくしのためにお時間を割いて頂き、誠に有難く存じます」
にこりと笑みを浮かべたライリーにエスコートされ、リリアナは椅子に腰かける。二人の間にあるテーブルには既に食器が並べられていて、目でも楽しめるようにという配慮か、季節の花々が飾られていた。
二人が着席してほどなく、料理が運ばれて来る。晩餐会の時ほど豪勢ではないものの、昼に食べるにしては少々量が多く凝った品ばかりだった。しかも、そのどれもがリリアナが好んでいるものばかりだ。食にそれほど興味のないリリアナではあったが、味や食感によって多少の好き嫌いはある。はっきりと言ったことはなかったが、どうやらライリーは八年間の付き合いの中で、着実にリリアナの好物を把握していたらしい。
「サーシャが好きそうな料理をお願いしたんだけど、どうかな」
「ええ、美味しゅうございますわ。有難うございます」
前菜に手を付けながら尋ねるライリーに、リリアナもまた一口飲み込んで笑みを浮かべる。
「まさかウィルにここまで、わたくしの好みを把握されているとは思いませんでしたわ」
「一応、これでもずっと貴方と一緒にいるからね。少しだけでも貴方の事を理解できているのだとしたら嬉しいよ」
「本日のお食事で信憑性は高まりましたわね」
嬉しそうにしながらも苦笑を浮かべたライリーに、リリアナは首を振った。恐らくリリアナの細かい食の好みを知っているのは、マリアンヌ以来二人目だろう。だが、マリアンヌよりもライリーの方が共に過ごした時間は短い。それを考えると、ライリーの観察眼は見事という他なかった。
(これまでも良く他を見ていらっしゃるとは思っておりましたけれど、下手を打てばわたくしの計画も露呈しそうですわね)
リリアナは内心で警戒を高める。しかしそんな思いはおくびにも出さず、スープを掬いながら何気なさを装い言葉を続けた。
「本当にウィルは色々なことを良く見てらっしゃいますのね」
「そうでもないよ」
頷くかと思われたライリーは、神妙な顔で首を振る。そして真っ直ぐにリリアナを見つめ、ライリーは淡々と続けた。
「周囲を注意深く観察することが大公派を牽制する一番確実な方法なんじゃないかと思ってね。臆病にも保身のためだ。他を観察すると疲れるし、見落としていることも多いだろう。彼らも愚かではないから、いつこちらの足を掬おうか虎視眈々と狙っている」
いっそ冷たいまでの台詞だ。だが、リリアナはどこかで納得してもいた。
ある意味、ライリーとリリアナの生育環境は似ている。親には顧みられず、放置して育てられた。そして周囲には悪意が充満している。そんな中で、ライリーは王太子として、リリアナは王太子妃候補として必死に自らを律し生き抜いて来た。
二人の違いは、そんな環境の中でも信頼できる相手が居たかどうか――そして、他人を信用できるかどうかだけだった。
親にも顧みられず悪意に晒されても、ライリーにはオースティンやクライドが居た。しかし、リリアナには誰も居なかった。そしてライリーは人を信頼することを覚え、リリアナは他人を疑う。ライリーは人との関わりを好み、リリアナは一人を好む。
周囲を観察することは二人にとって生き抜く術ではあったものの、観察した結果をどのように生かすかは全く違った。ライリーは周囲との関係性を深めようと努め、リリアナは周囲の弱点や強みを見極める。
それでも、根底のところでは他の誰にも理解できない何かを互いだけは理解し合えるような気がしてならない。
そんな思索に没頭しかけたリリアナは、少し明るくなったライリーの声音に顔を上げた。ライリーは優しい笑みを浮かべてリリアナを見つめている。
「それでも、サーシャだけは別なんだ。貴方は自分のことをあまり話そうとしないけど、それでも私の傍に居て、話を聞いてくれる。オースティンやクライドも私の傍に居て支えてくれているけれど、私と対等の立場でものを言ってくれるのは貴方だけだ」
リリアナは目を瞬かせる。その言葉は、妙にリリアナの耳に心地よく響いた。
ライリーにとってクライドやオースティンは幼馴染であり側近も兼ねている貴重な存在だ。だが、それでもそこには主従関係が存在している。どれほどライリーが望もうと、オースティンやクライドは根底のところでその関係性を崩せない。
だが、リリアナだけは別だった。
「サーシャにその気はなくても、貴方が傍に居てくれるだけで私の心は救われる。だから私もサーシャの支えになれたら良いと思うけれど、でも私が貴方について知っていることはほんの少ししかない。だから、せめて」
食事だけでも貴方の心を潤せたら良いと、そう思ったのだ――そう続けたライリーの顔を、リリアナは直視することができなかった。









