44. 計略の端緒 4
オブシディアンの台詞を聞いたリリアナは、不思議そうに小首を傾げた。
「足止め?」
「そう。実はあんたが刺客に狙われてるって聞いたからさ、ちょっくら一っ走りして情報集めて来たわけよ」
のんびりと部屋を横切ってリリアナに近づいたオブシディアンは、重さを感じさせない動作でソファーの肘置きに腰かけた。その目はリリアナの茨に捕らわれた二人を眺めている。
リリアナはオブシディアンの言葉に気分を害した様子もなく、小さく笑みを浮かべた。
「あら、事前にご存知でしたのね」
「まあな。どのみちあんたの所の護衛がどうにか片付けるだろうと思ったし、万が一あの二人の目を掻い潜ったとしてもどうにかなるだろうとは思ってたけどよ」
言い訳のように言いながら、オブシディアンは腕を組む。リリアナは小首を傾げて横目でオブシディアンの様子を窺った。オブシディアンはリリアナの視線に気が付いているだろうに、特に気にする様子もなく面白そうな目を捕らわれた刺客二人に向けている。リリアナは先ほど本人たちから直接聞いたとはおくびにも出さず、何気なく尋ねた。
「でしたら、この方々が誰に指示されたのかもご存知?」
「一応な」
誤魔化すのではないかとリリアナは思ったが、そんな予想を裏切ってオブシディアンはあっさりと頷く。それどころか楽し気に口角を上げて意味深にリリアナを見やった。
「どこのどいつだと思う?」
「さあ。全く見当もつきませんわ」
顔色一つ変えずにリリアナは言ってのけた。オブシディアンに気が付かれたかと真っ直ぐに彼の目を見るが、疑っている様子はない。オブシディアンが何事か考えているのを見て取り、リリアナは一つ、オブシディアンが話しやすいように誘導することにした。
「ただ、何らかの組織に属しているようにも思えますわね。普通、刺客というものは単独で行動するものではないのかしら」
「へえ」
オブシディアンは片眉を上げて感心したような声を上げる。彼ははぐらかすつもりはないようだった。
「当たらずとも遠からずって感じだな。お嬢、大禍の一族って知ってるか?」
「話には聞いたことがございますわね」
リリアナはおっとりと頷く。相手がオブシディアンでなければ初めて聞いた振りをするところだが、オブシディアンが既にリリアナが普通の少女ではないと知っている。だからこそ、下手に知ったふりをすれば逆に疑われる可能性があった。そしてオブシディアンはリリアナの読み通り、リリアナの言葉に違和感を覚えることもなく「それだよ」と言った。
「大禍の一族ってのは、まぁ知る人ぞ知る暗殺集団ってわけだ。こいつらはその、大禍の一族」
「まあ、そのような方がわざわざわたくしの命を狙っていらしたのですね」
「感心するところじゃねえぞ」
オブシディアンの呆れ声にもリリアナは動じない。にこにこと笑みを浮かべながら、小首を傾げた。
「一介の、まだ年若い貴族の娘に、わざわざ名高い暗殺集団の方が足を運ばれるなんて、とても大仰だとは思いませんこと?」
「――――全く同意できねぇが、まぁ大方は同感だ」
オブシディアンは複雑な表情で頷いた。リリアナを“一介の令嬢”と喩えられると違和感しかないが、一般的な認識はそのリリアナの言う通り、襲われたら抵抗することも出来ずに命を落とす“深窓の令嬢”そのものだろう。だが、今回に限っては組織の中でもそれなりに腕の立つ者が送り込まれる理由があった。
「ただ今回は、お嬢だけじゃなくて俺も標的だったらしいからな。向こうも多少、本気を出したんだろうさ」
本気を出したと言っても実際にはオブシディアンに辿り着くどころか、リリアナにしてやられたわけだ。仕掛けて来た人間の下調べが不十分だったと言う他ない。
そしてリリアナは、オブシディアンの言葉に可愛らしい目を丸くした。
「貴方も命を狙われていますの?」
明言したことはないが、リリアナはオブシディアンが最強の刺客だということを知っている。大禍の一族は裏社会では非常に巨大な組織で、刺客としてオブシディアンが活動して来た以上は全く無関係で居られるわけがない。つまり、一族は多かれ少なかれオブシディアンの実力を知っているはずだった。
更にオブシディアンの発言を信じるのであれば、敵はリリアナの所にオブシディアンも居ると認識していたことになる。それにも関わらず、送り込まれて来た刺客二人はお粗末なものだった。尤もオルガとジルドの目を潜り抜けて侵入できるほどなのだから、それなりに能力は高いはずだが、オブシディアンとも戦った経験があるリリアナから言わせたらあまりにも実力差がありすぎる。オブシディアンを殺したければ少なくともリリアナと同等以上の実力を持っていなければならないはずだが、不意を突かれたとはいえ二人とも凶器を取り出すことすら出来なかった。
「その――それにしては、あまりにもお粗末と申しますか」
「俺の評価が高いようで何よりだ」
ほんの少しだけ気を遣って告げたリリアナに、オブシディアンは皮肉な笑みを向けてみせる。しかしすぐに真顔になると、右手を振って男たちにこちらの声が聞こえないよう術を掛けた。リリアナは男二人に術を掛けて理性を抑制しているが、普通に耳も聞こえるし目も見えるため、オブシディアンとリリアナが話している会話は記憶に残ってしまう。
オブシディアンはリリアナが刺客二人に術を施していることには気が付いていないはずだが、いずれにしてもこちらの会話が聞こえないようにすることは必要だった。
「ちなみに、こいつらに暗殺を依頼したのは大公派だ。使った名前は偽名だし代理人を立てていたようだが、十中八九スコーン侯爵で間違いない」
「存外早く見つかりましたのね?」
「こいつらの本拠地に潜り込んで、ちょっとな」
オブシディアンは皮肉に口角を吊り上げる。本拠地がどこなのかオブシディアンは口にしなかったが、先ほどリリアナの前で刺客が自白した情報を統合すれば、恐らくゼンフ神殿に忍び込んだのだろうとリリアナは一人内心で納得した。
「王太子殿下ではなく、わたくしを狙いましたのね?」
「そう。王太子は今回標的に上がらなかったらしいぜ。もしかしたら王太子の周りから味方を排除しようとしてんじゃねえか? お嬢の他に、お嬢の兄貴と近衛騎士も標的になってたぜ」
「お兄様とオースティン様も?」
リリアナは目を丸くする。オブシディアンの齎した情報は思いがけないものだったが、良く考えれば筋は通っていた。普通に考えれば、王宮で暮らしている王太子よりも私邸で過ごしている公爵家の令嬢の方が命は奪いやすいはずだ。近衛騎士であるオースティンは警戒すべき対象だろうが、まだ少年とも言える年齢であることを考えれば、王宮外に居るところを狙えば容易いと思ったのかもしれない。
驚いた様子のリリアナを物珍し気に眺めながら、オブシディアンは何気なく付け加えた。
「そっちには手は出してねぇ。一応、どうするつもりなのかは確認して来たけどな。お嬢の兄貴と近衛騎士は最近、カルヴァート辺境伯邸に立ち寄ってから王宮に馬車で行くんだって? そこを狙うとか言ってたぜ」
今、王都のカルヴァート辺境伯邸にはエミリア・ネイビーが魔導剣術を学ぶために滞在している。そのため、オースティンが度々辺境伯邸を訪れてはエミリアに指導しているという話は、リリアナもライリーから聞いていた。そしてクライドが、辺境伯邸に馬車で立ち寄り、オースティンを拾って王宮に向かっていることも把握している。
オブシディアンが言うには、どうやら刺客は辺境伯邸から王宮に向かう道すがらの馬車を狙う予定のようだった。
「――馬車を狙うという決まりでもありますの?」
思わずそんな呟きが漏れる。初めてリリアナが刺客に襲われた時も、視察の途中でライリーと共に誘拐されかけた時も、そしてジルドとライリーの三人で王立騎士団の兵舎に向かう途中暗殺集団に襲撃された時も、全てリリアナたちは馬車の中に居た。偶然にしてはあまりにも馬車での移動中に襲われる割合が高い。
すると、オブシディアンは肩を竦めた。
「決まりはねえよ。俺も自分でやる時は、馬車は狙わねえしな。ただ一族にも幾つか派閥があって、まぁ――下っ端になると一つの方法論として学ぶわけだ」
「方法論、でございますか」
理解し難い様子でリリアナが反復すると、オブシディアンは「そう」と一つ頷く。
「馬車は確かに立て篭れるから防御には打ってつけなんだが、逆に言えば視界が遮られるうえに行動も制限されるって短所があるんだ。そこを突くって習う――初心者は」
にやりと言うオブシディアンは、言外に“馬車に乗っている標的を襲う奴は素人に毛の生えた奴だ”と告げていた。難なくオブシディアンの真意を読み解いたリリアナは、小さく嘆息した。
確かに言われてみれば、最初の襲撃はともかく、ライリーと共に誘拐されかけた時の下手人は素人だったように思う。そして恐らく、素人に毛の生えた程度の刺客であれば、オースティンもクライドも迎撃できるだろう。もしかしたら逆に相手を捕えているかもしれない。
そこでふと、リリアナは一つ思い出した。
「お兄様たちが襲われる日は今日ですの?」
「予定通りに進めるならな。初心者は基本的に予定通りに何でもやろうとするから、予定変更になることはまずねぇと思うぜ」
「そうでしたの」
それならば――とリリアナは目を細める。
ちょうど今日から、数日間に渡る王立騎士団の公開訓練が始まる。王立騎士団二番隊隊長はカルヴァート辺境伯嫡男のダンヒルだ。魔導剣術を学んでいるエミリアはほぼ間違いなく呼ばれているはずだった。そして何より、王立騎士団の公開訓練は乙女ゲームでも重要な出来事の一つだった。
「もしかしたら、襲撃される馬車にエミリア嬢も乗っているかもしれませんわねぇ」
「エミリア――ってネイビー男爵の娘か」
リリアナの独り言にオブシディアンが反応する。リリアナは横目でオブシディアンの反応を観察しながら頷いた。
「そうですわ」
「へえ」
オブシディアンはリリアナの言葉に反応したものの、それほど興味は持てなかったらしい。頷いた声には温度がなかった。
リリアナは無言で考える。
(ちょうど良いかもしれませんわね)
亡父エイブラムの謀略を把握し、魔王復活の可能性が高いと知った今、リリアナは魔王封印のために自分たちの未来をある程度乙女ゲームに沿わせるつもりだった。だが現実と乙女ゲームの間にはだいぶ乖離が生じている。一番の問題は、今の状況では魔王封印に必要な道具を集める切っ掛けとなる事件を発生させられないことだった。
だが、オブシディアンが齎してくれた情報はリリアナにとって僥倖になるかもしれない。乙女ゲームの展開とは異なるしリリアナの想定通りに進むかも確実ではないが、試してみる価値はあるはずだった。
「ねえ、シディ」
考えを簡単にまとめたリリアナは、オブシディアンに声を掛けた。だがその視線は自分の前に居る二人に向けられている。リリアナに名を呼ばれて顔を向けたオブシディアンは、次に告げられたリリアナの提案に珍しくも言葉を失った。
「一族に狙われているのはわたくしではなく、エミリア様だという噂を流すことはできないかしら?」
反応を見せないオブシディアンに、リリアナは目を向ける。問うような瞳は凪のようで、真剣そのものだ。しばらく無言だったオブシディアンは眉間に皺を寄せてリリアナを凝視する。
「本気か?」
「ええ、この上なく」
楽し気に微笑みを浮かべ、リリアナは更に言葉を続けた。
「ついでにカルヴァート辺境伯領では一層命の危険があると思わせて頂けると助かるわ。必要ならそこの二人を使ってエミリア様を襲わせましょう。勿論、怪我をさせては駄目よ。騎士団にその二人を捕えさせて、エミリア様を狙っていたと証言をさせれば宜しいわ」
「一族の人間は、寝返らねぇぞ」
「そう。そこはどうにか致しますわ」
貴方は例外ですものね、という雑談も、計画の詳細も、リリアナは口にしなかった。しかしあっさりとオブシディアンの懸念は一蹴しておく。勿論、リリアナには刺客を思い通りに使う自信があった。当然そのために使う術は禁術であり、他に知れたらリリアナの身が捕らわれることになる。だが他に気付かれる可能性は非常に低いという自信が、リリアナにはあった。
暫く探るような視線をリリアナに向けていたオブシディアンは、腹を括ったように頷いた。
「分かった。取り敢えず噂を流す。そこの二人を使うかどうかは、その結果を見てからにしてくれ」
「ええ、報告をお待ちしておりますわ」
話はそれで終わりだと、リリアナは頷いた。オブシディアンは茨に捕らわれた刺客二人に視線を戻す。
「それで、そこの二人はどうしておくつもりだ」
「必要になるかどうか分かるまで、地下牢に入れておきましょう」
「それなら、口封じの奴らが来ないように適当に情報操作しとく」
「まあ、助かりますわ」
口封じのために一族の何者かが侵入して来たら面倒だ。簡単に捕らえた二人を害させるつもりはなかったが、実際に侵入者が来るのと来ないのとではリリアナに掛かる負担も大きく変わる。
「それじゃあ、ちょっと行って来る。――あんまり無茶なことすんなよ」
オブシディアンは一言忠告のような言葉を付け加えると、窓から姿を消した。その後ろ姿を見送ったリリアナは、右手を振って刺客二人の意識を奪う。これで二人はリリアナが術を解くまで目覚めない。だが、ただ寝ているだけでは衰弱してしまう。生命維持できるように術を施し、リリアナは刺客二人を地下牢へと転移で送った。
屋敷と部屋の周囲に張っていた結界を張り直し、わざと作った緩みも消し去る。そこまでして、ようやくリリアナはソファーに座り一息ついた。
エミリアが刺客に狙われ、そして領地にも王都の辺境伯邸も危険――そうなった時に、エミリアは一体どこに身を寄せるのか。クラーク公爵邸か、それともエアルドレッド公爵邸か――だがクライドもオースティンも命を狙われている。
それならば、より警護がしやすく刺客の侵入が難しい場所に引き取るべきだろう。
クライドやライリーはあまり良い顔もしないかもしれないし、エミリアも最初は拒否するに違いない。だが、どのような信条も感情も、命の危険と政治的な事情には代えられない。それが高位貴族というものだ。
そしてリリアナは、自分の望む状況を作り上げるために必要な噂も評判も、全てを思い通りに作り出す自信があった。
「悪役を、見事に演じ切ってみせましょう」
一見普段と変わらない笑みを浮かべたリリアナの瞳は、不敵に輝いていた。
4-1
14-2
29-2









