44. 計略の端緒 1
その日、オースティン・エアルドレッドは王都のカルヴァート辺境伯邸を訪れていた。近衛騎士としての勤務がない時の日課のようになっているが、大して苦でもない。訪問の目的は当然、カルヴァート辺境伯邸に滞在しているネイビー男爵家の令嬢エミリアに魔導騎士としての戦い方を教えることだ。エミリアは元々才能があり更に努力家でもあるようで、オースティンやカルヴァート辺境伯家嫡男ダンヒルの指導を着実に吸収して能力を開花させていた。
「凄いな、身体強化の術もだいぶ使えるようになっている」
薄っすらと額に汗をにじませたオースティンが褒めれば、荒くなった息を整えながらも頬を上気させたエミリアが花が綻ぶような笑みを見せた。
「ありがとうございます! ずっと、身体強化の術を使いながら、同時に魔力を剣に乗せるのが上手く行かなかったんですが……」
「確かに慣れるまでは難しいだろうが。でもだいぶ魔力の動かし方も滑らかになってるし、分散させる割合もちょうど良い感じになってるぞ。後は相手の攻撃と自分の動きに合わせて、魔力を重点的に纏わせる部分を素早く判断できるようになると実戦でも使えるようになるさ」
「それは嬉しいです」
心底嬉しい、というようにエミリアは頬を緩める。その様子をオースティンは優しく眺めた。
エミリアが努力家だということは、当初から薄々勘付いていた。元々エミリアはそれほど器用な性質ではない。コツを掴むのに時間がかかるらしい。だが、そのせいか彼女の努力は目を瞠るものがあった。
身体強化の魔術も、そう簡単に身に着けられるものではない。エミリアはそれを分かっていたらしく、毎日剣の訓練をしていない時でも身体強化を掛けるようになった。戦闘時に身体強化の術を掛けるのも大変だが、日常生活で常に身体強化の術を掛けるとなるとかなりの修練が必要になる。日常生活では単に敵を倒すだけの戦場とは違い、細かな魔力操作が必要となるからだ。
上手く魔力制御ができない内に身体強化の術を掛けて日常生活を送ると、コップを割ったり階段の段を踏み破ったり扉の取っ手を壊したり、動くだけで周囲の物を壊してしまう。
しかし、身体強化の術を掛けたまま日常生活を送れる水準まで魔力制御を会得すれば、戦場での戦闘力が格段に上がるのも事実だった。確かに戦場では普段の生活を送る時よりも魔力制御を必要としないが、繊細な魔力制御ができるのであれば魔力を無駄使いしなくて済む。更に、ただ剣に魔力を乗せるのではなく、魔導剣術と同時に通常の魔術を駆使して敵を翻弄することもできる。即ち、戦略がかなり幅広くなるのだ。
しかし、エミリアは更なる高みを目標に置いているようだった。
「でも、複合魔術が使えなくて」
しょんぼりと肩を落とすエミリアに、思わずオースティンは半眼になる。
複合魔術は複数の属性の魔術を組み合わせたものであり、並大抵の練習では身に付かない。基本的に適合する魔術は一つだけであり、自分に適合した魔術以外を使うことはできないとされている。それでも、鍛錬を重ねれば適合属性以外の魔術も使えるようになる。とはいえ、実践できる者はかなり限られている。更に複合魔術を剣術に組み合わせるとなると、ただ努力するだけでは足りない。天賦の才が必要だ。オースティンは幸いにも複合魔術を魔導剣術に生かすだけの才能があったが、それでもどうにか実戦で使う合格点を叩き出せたのは最近だ。
エミリアがどれだけ努力の人だと言っても、簡単に複合魔術を習得されてはなけなしの自尊心が傷つく。尤も本当にエミリアが複合魔術を駆使できるようになれば嬉しくなるだろうが――それでも、魔力を大量に消費する複合魔術の特訓を許可する権利をオースティンは持たない。少なくともエミリアにその許可を出せるのは王立騎士団二番隊隊長ダンヒル・カルヴァートだ。
「――焦る気持ちは分からなくもないが。だが、お前の適合魔術は光だろう。光属性の魔術を極めれば、四大属性の複合魔術の使い手よりも強くなれる可能性はあるぞ」
「そうですよね」
でもどうしても憧れが、と恥ずかし気にエミリアは目を伏せる。
エミリアの適合魔術が光と聞いたのは、オースティンがこうしてエミリアに訓練を付けるようになってから暫く経った時のことだった。光の適合を持つ者はそれほど多くない。そのため、ただでさえ秘匿されやすい魔術の適合属性の中でも、光の属性を持つ者は徹底してその適合を隠すことがあった。
特にエミリアは男爵家の娘とはいえ、カルヴァート辺境伯とも懇意にしている。妙な連中に目を付けられてしまえば、本人が望まずとも厄介な政治闘争に巻き込まれる恐れもあった。
カルヴァート辺境伯ビヴァリーはエミリアを気に入っているから、できれば面倒事には関わらせずに幸福な人生を歩ませたいと思っているのだろう。そのため、エミリアの適合属性については本人と父親、そしてビヴァリーしか知らないようだった。しかしそれでは魔術剣士としての訓練に不都合が生じるということで、相手になっているダンヒルとオースティンだけには明かされている。
「今は、着実に身体強化の術と攻撃魔術を上手く使いこなせるように頑張ります!」
「そうだな、それが良いと思うよ」
両手を握りしめて力強く断言するエミリアに、オースティンは苦笑と共に優しく頷く。
元々オースティンも努力に努力を重ねて来た。だからこそ、エミリアのひたむきさは好ましく映る。
その時、カルヴァート辺境伯邸の執事が声を掛けて来た。
「オースティン様、お嬢様。お迎えにございます」
「分かった」
オースティンは頷くと、エミリアと共に模擬剣を片付ける。汗を拭って服を着替えると、二人そろって玄関へと向かった。
普段はエミリアを屋敷に残しオースティンだけが仕事のため王宮へ向かうが、今日はエミリアも騎士の宿舎に用がある。そのため、折角だからと二人揃って王宮に向かうことにしたのだ。
玄関には馴染みのある馬車が停まっていた。施された紋章はクラーク公爵家のものだ。オースティンとエミリアが出て来たことに気が付いた御者が扉を開けてくれる。乗り込めば、中にはクライドが待っていた。
「度々悪いな」
「気にするな、どうせ私も王宮に用がある」
謝罪を口にしたオースティンに、クライドは首を振った。エミリアは緊張した様子でオースティンにエスコートされて馬車に乗り込むと、クライドに頭を下げた。
「あの、本日は私も同乗させていただきありがとうございました」
「気にするな」
ついでだ、とクライドはこともなげに言ってのける。そしてそれだけではあまりに冷淡な対応だと思ったのか、少し考えて口を開いた。
「――騎士団の公開訓練を見学するんだろう。一人馬車で向かってもどのみち空のまま帰すことになるのだから、効率が悪い」
王立騎士団では定期的に訓練を公開している。主に一般の貴族たちに騎士たちの訓練を見せることで親近感を抱かせ、騎士団希望者を増やす目的があった。今回の訓練はその中でも特別で、数日間に渡って開催される予定になっている。そしてエミリアは二番隊隊長ダンヒルと所縁のある者として、特別に特別公開の訓練も見学することになっていた。特別公開の訓練は見学者に制限が設けられている上に、開催される時間帯が遅い。そのため、連日見学を希望する者はしばらく王立騎士団宿舎に用意された部屋に寝泊まりすることが許されていた。
特別公開の訓練を見学する女性は珍しいが、全くいないわけではない。特に武家の娘や妻を招待することも稀にある。エミリアも、その枠での見学が許された。
そのため、宿舎に見学期間中宿泊するエミリアが単独で馬車に乗り王宮に向かっても、どのみち一旦馬車は屋敷に戻さなければならない。
だから送ることに支障はないとクライドは励ましたつもりだったが、傍からは聞けば酷く事務的に響いた。
「あ、はい、そうですね」
クライドの言葉にエミリアは頷くが俯いてしまう。その様子を眺めていたオースティンは、クライドに視線をやって口元を抑えた。どう贔屓目に見ても笑いを堪えている。すぐに気が付いたクライドは眉根を寄せてオースティンを睨んだ。
「なんだ」
「――いや、別に」
何でもないと言いたげに首を振るオースティンをクライドは再度睨むが、それ以上何も言わなかった。付き合いも長くなればオースティンが碌でもないことを考えていることは分かる。ほぼ間違いなく、仕事では饒舌に語るクライドが女性相手となると口下手になるのが面白いのだろう。
しかし茶会や王宮で出会う着飾った貴族の令嬢たちへ社交辞令として告げる誉め言葉は、今ここでは相応しくない。クライドが零れそうになる溜息を押し殺したところで、オースティンが楽し気な目をエミリアに向けた。
「それはそうと、エミリア嬢は騎士団の訓練は見たことあるのか? カルヴァート騎士団ならかなり厳しい訓練をしてそうだけど」
「いえ、残念ながら」
エミリアは首を振る。その返答は予想外で、クライドとオースティンは目を瞠った。
カルヴァート辺境伯ビヴァリーが直々に戦い方を教えていると聞いていたから、てっきりカルヴァート騎士団の訓練は見たことがあるものだと思っていた。それどころか、訓練に参加した可能性もあると思っていたのだが、エミリアの様子を見る限りどうやら違うらしい。
オースティンとクライドの驚愕に何を思ったか、エミリアは小首を傾げて答えた。
「確かに私はビヴァリー様に魔導剣術を教えて頂いていたんですけど、その――辺境伯領の騎士に相応しい戦い方ではないと仰って」
「辺境伯領の騎士の戦い方?」
「はい」
訝し気に眉根を寄せて口を挟んだのはクライドだった。クライドはある程度剣も嗜むし戦術も理解するが、文官気質のためか実戦知識はあまりない。
頷くエミリアの後を引き取ってクライドの疑問に答えたのはオースティンだった。
「辺境伯領とそれ以外の騎士団の戦いって求められるものが違うんだよ。例えば王立騎士団は勝つことが求められている。でも辺境伯領の騎士たちは“負けない”ことが求められてるんだ」
クライドも実戦は足りないがその能力は高い。オースティンの短い説明でおおよそを理解し「なるほど」と呟いて頷いた。
「確かに辺境伯領は外敵の侵入を防ぐ必要があるな。苛烈な攻撃よりも、どれだけ相手からの攻撃に耐え抜けるかが作戦の要となるわけか」
「そういうことだ。籠城戦をやらせたらカルヴァート騎士団とケニス騎士団に勝てる騎士団は、この王国内にはないぜ。まあカルヴァート騎士団とケニス騎士団もだいぶ雰囲気が違うけどな」
そしてエミリアの戦い方は辺境伯領の騎士団のものとは違う、ということだ。だが、オースティンやエミリアの話を聞く限り、苛烈な攻撃を仕掛ける性質にも思えず、クライドは眉間の皺を深めた。
「だが、エミリア嬢は攻撃を仕掛ける性質ではないんだろう?」
「えっと――ビヴァリー様に教えて頂いていた戦い方は、どちらかというと後方支援的なもので」
「後方支援!?」
仰天した声を出したのはオースティンだ。彼は驚いたようにエミリアを見た。エミリアは困ったように微笑んでいる。オースティンは信じられないとでも言いたげに、目を見開いてエミリアに問うた。
「何の冗談だよ、カルヴァート辺境伯ってバリバリの攻撃型じゃねえか」
「おいオースティン、言葉が崩れてるぞ」
「今更だろ。今は俺の口調よりも戦闘の型の話だ」
クライドの淡々とした指摘は歯牙にもかけず、オースティンは勢い込んでいる。オースティンは真顔のまま、エミリアに向かって身を乗り出した。オースティンの顔が近づいたせいで、エミリアの顔は赤らむ。クライドは二人の様子を無言で見ていた。









