43. 策謀の発覚 4
その日、リリアナは他の場所を調べることはせずに屋敷に戻った。フィリップがフォティア領の屋敷に戻るまで、まだ時間はある。調査を進めたくとも、三つの書物の内容を確認するだけでだいぶ時間が掛かったし、精神的にも疲労が溜まっていた。
何よりも、時間をかけて得た情報を纏めたい。
少し体調が悪いとマリアンヌに断ったリリアナは、自室でゆっくりと茶を飲みながら窓の外を眺め、一つ一つ考えを整理していた。
「乙女ゲームの内容も、今一度整理した方が宜しいでしょうね」
普通、記憶というものは薄れるものだ。だが乙女ゲームの知識は、普段は直ぐに出て来なくとも、リリアナが考えれば本棚から目当ての書物を取り出すときのように直ぐに出て来る。これは恐らく、リリアナの体に複数の魂を入れ込んだという禁術の影響なのだろう。例えるならば――と考えて、リリアナは一つの記憶を取り出す。
コンピューターやスマートフォンに、辞書のアプリケーションをインストールしているようなものだ。その上、容量を軽くするために感情というデータを圧縮して保存しているから、無駄な雑音がない。データの最適化と不要な情報の整理、というところだろう。
だからこそ、便宜上“前世の記憶”と呼んでいる記憶を思い出してから七年も経つというのに、薄れることはない。元々リリアナは物覚えが良い方で、物心ついた時から経験したことは殆どを思い出すことが出来るが、それを差し引いても前世の記憶は鮮明だった。
「乙女ゲームでは隠しキャラクターが一人居て、他の攻略対象者全てのエンディングをクリアしてからでなければ攻略ルートが出現しない仕様になっていましたわね」
気持ちを切り替えて、リリアナは記憶を掘り起こす。隠しキャラクターはいわゆる二巡目キャラクターと呼ばれる存在で、王太子や近衛騎士、次期宰相、隣国の皇子、魔導士を攻略しなければルートが出現しなかった。そのルートも独特で、二巡目に皇子ルートを選択して暫く攻略を進めることで、ようやく個別ルートが出現するという凝り様だ。
深く考えたことはなかったが、そのキャラクターの正体を知っていれば、何故そのキャラクターが隠しキャラクターであり二巡目にならなければ出て来なかったのか、理解が容易かった。
「隠しキャラクターは、魔王でしたから――封印から解放された上で、更にリリアナの体から他の器へ移らなければ攻略対象になり得ない、ということでしたのね」
乙女ゲームでは、リリアナはあくまでも悪役であって魔王ではなかった。闇魔術に手を染めたとだけ思われていたが、魔王が憑依したとは考えられていなかった。
そのため、悪役令嬢の処罰と魔王の封印は全く別物として扱われていた。
「恐らく、ゲームの通りにしたところで魔王は封印されないのでしょう――いえ、正確には不十分だったというべきかしら」
あくまでも想像に過ぎないが、ゲームでは魔王は悪役令嬢に不完全な状態で憑依したに違いない。一巡目でヒロインや攻略対象者たちが封印したと思っていたのは魔王の一部だったか、もしくは封印したと思わされただけだった。そして悪役令嬢の処罰が行われたことで、彼女に憑依していた魔王は器としていた悪役令嬢の体から抜け出し、二巡目の攻略対象者に乗り移ったのだろう。
だから、ゲームでは悪役令嬢が一通り処罰された後――即ち二巡目でなければ、最後の攻略対象者が出て来なかったのではないか。
それを考えれば、悪役令嬢が処刑される時に、誰も救えなかったと後悔していた理由も理解できる。はっきりと自覚していなかったのかもしれないが、薄々とゲームの悪役令嬢も自分が魔王の器とされていたことを知っていたのだろう。
「――あら? これはゲームの内容だったかしら」
一瞬疑問を覚える。違和感があるが、リリアナは頭を振ってその疑問を振り切った。今は自分の頭の中にある知識や記憶を疑う必要はない。あくまでも参考情報であり、決してその情報だけを用いて今後の方策を立てるわけではないからだ。
「まあ宜しいでしょう。取り敢えず考えるべきは、魔王の封印と大公派、隣国、この三つをどのように対処するべきかということですわ」
中々頭の痛い問題だった。一つであればともかく、三つを同時に相手にするとなるとリリアナ一人の手には余る。
「この中で一番手段が明確だけれど、対処できる人間が限られているものは――魔王の封印ですわね」
考えれば考えるほど苛立ちが増す状況から抜け出そうと、リリアナは極力平静を装い深呼吸した。自分を落ち着かせて、それぞれの対処法を検討する。
魔王が復活したのであれば封印すれば良い。残念ながら、ヒロインであるエミリアは隣国の皇子ルートではなく、王太子と近衛騎士ルートに進み始めているようだ。つまり、魔王が復活したところで、世界を憎悪し破壊しようという魔王の心を癒すことはできないということだ。ゲームでは、世界を壊さんとする魔王の心をエミリアが癒すことでハッピーエンドを迎える。一方、バッドエンドの場合はスリベグランディア王国もユナティアン皇国も国土が荒廃し、暗黒時代を迎えることになってしまう。
「今の状況を考えれば、間違いなく世界が荒廃してしまいますわ……」
頭が痛い、というようにリリアナは溜息を吐く。つまり、現実では魔王は封印する以外に方法がないということだ。
魔王を消滅させられたら良いのだろうが、生憎とその方法をリリアナは知らない。リリアナが知っているのは、魔王を封印する方法だけだ。勿論ゲームの知識だけではない。これまで読んで来た様々な書物には、魔王を封じることはできるが消滅させることはできないと書かれていた。
それらの知識を統合すると、ゲームでは魔王の封印は中途半端になされていた、ということが分かる。
「魔王を封じるためには、魔王に纏わる全てを一度に封印しなければなりませんのよね」
ゲームでヒロインと攻略対象者たちは、魔王の一部しか封印できなかった。そのため封印が不十分となり、二巡目で魔王が復活したのだ。全く封印出来ていなかった可能性も若干残ってはいるが、天才の名を欲しいままにしたベラスタが居たのだから少なくとも何かしらは封印出来たと考えるべきだろう。
魔王は人間と比べるとあまりにも巨大だ。人間と比べると魔力も遥かに多く、寿命も長い。だから魔王の全てを封印したつもりでも、記憶や魔力を一部封印から取りこぼしてしまう可能性は高い。つまり、彼が完全に一つの器に憑依しない限り、封印の対象として特定し難いのだ。だが、全ての魔力と記憶が一つの肉体に入ってしまえば、魔王が完全に復活してしまう。魔王が完全に復活してしまえば、封印の難易度も遥かに高くなり、封印する側が倒されてしまう可能性も否定しきれなかった。
そのことはゲームでも言われてはいたが、生憎と魔王の全てを封印できたかどうか確かめる術はない。だからこそ、ゲームの一巡目では誰も魔王が再封印されなかったと気が付けなかった。
「仮に全てが順調に進んで全ての魔力と記憶を封印できたとしても、封印の過程で器となった肉体は滅びてしまう――いずれにせよ封印に際して一人は死にますわ」
既に父を殺しているからか、あっさりと拒否感もなく辿り着いた結論にリリアナは苦笑した。
ヒロインがクライドと共にハッピーエンドを迎えた時、乙女ゲームでは、クライドが妹に“お前も父と一緒だったのだな”と告げていた。確かに、必要とあらば人が死んでも致し方なしとするところは父に似ているのかもしれない。
父は恐らくサイコパスだった。一方のリリアナは、禁術が施されたからとはいえ、感情の動きが鈍いせいか他人に対してそれほど心を動かされることはない。親子というだけではなく、二人には共通するところが多くあるのだろう。一つ間違えれば、リリアナもまた父と同じように大量の人間を犠牲にして罪悪感の一つも覚えないに違いない。
「――今はそれを考えても意味がございませんわ。封印の方法は分かっておりますし、魔王を封印できるのは三傑の子孫――つまり攻略対象者たちだけですもの。魔王の封印は彼らにして頂く他、ございませんでしょうね」
そして封印によりバラバラになっている魔王の全てを一ヵ所に集めることができるのは、魔王の魔力を無意識かつ自動的に取り込んでいるリリアナくらいのものだろう。それに、こちらが魔王を封印するつもりであるということは、魔王や彼の配下の者たちには知られてはならない。だが、魔王も彼の配下となる魔族たちも、魔力量が高く人間の想像を超えた能力を持つ。普通の人間は対抗できない。
一方で、大公派や皇国には王太子派やリリアナ自身が対抗できる。
「大公派と皇国に対抗するためには、ウィルには旗印となって頂く必要がございますわね。そして同時に魔王封印の道具も攻略対象者とヒロインと一緒に集めて頂きましょう」
魔王を封印するための道具を集める旅で、攻略対象者たちとヒロインは絆を深める。既にライリーやオースティンはエミリアに対して好印象を抱いているようだ。だから、その旅を経て彼らの関係は間違いなく強固で揺るぎないものになっていくに違いない。
そう考えた瞬間、つきりと胸が痛む気がした。だがリリアナはあっさりと生まれかけた感傷を無視する。一つの手が決まれば次の手も比較的簡単にまとまり始めるが、リリアナは渇いた笑いを漏らす。
努力によって変えられる運命と、どれほど足掻いても変えられぬ宿命。その境は酷く曖昧で、只人には判別すらできない。しかし、あれほど避けようと思っていた悪を演じる未来は大きく変えられないようだ。
「どれほど足掻いたところで、わたくしが悪役令嬢として破滅することに変わりはないようですわ」
六歳の時に記憶を取り戻してからずっと、ゲームの通りにならないよう手を尽くして来た。だが、今ここでリリアナは乙女ゲーム通りの未来を進むため計画を立て始めている。
既に乙女ゲームとは違う事実も多数明らかになっているが、少なくとも魔王の封印に関する筋書きはほぼゲーム通りになるだろう。それ以外の方法をリリアナは知らないし、王国に残されている魔王封印に関する書物も大方はゲームの内容と酷似していた。
ただ、ゲームと現実の違いがどのように影響してくるかは分からない。
「勿論、簡単に破滅するつもりなど毛頭ございませんけれど」
例えば、ゲームでは存在しないベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネン。彼らがリリアナの計略に勘付き妨害して来る可能性や、ベラスタの立場に取って代わる可能性も否定はできない。
だからこそ、ありとあらゆる可能性を考えて、リリアナは慎重に行動しなければならなかった。完全にゲームの筋書き通りに事を進めることはできない。一歩間違えれば、魔王を封じることもできないまま、リリアナが命を落とすことになる。それはゲーム通りの未来だが、ゲームのように初期化も保存もできない現実では避けなければならない展開だ。
全てに作為を持たさなければ、ただ運命に翻弄されるだけの人生になってしまう。
だが、リリアナには多少なりとも勝算があった。
「わたくしの記憶とただ一つ、違うことは」
リリアナの目が不敵に光った。
乙女ゲームと現実で違うのは、リリアナが全てを把握していること。
ゲームのリリアナは父の企みも、魔王がリリアナの体を器とし復活していることも知らなかった。自分の膨大な魔力が恐らく魔王由来のものであることも、理解していなかった。だから、ただ運命に翻弄される他なかった。だが現実は違う。リリアナは全てを理解した上で、自ら未来を選択した。
「わたくしは、間違えないということですわ」
誰が何を企もうと、その謀略はリリアナの前に潰えるだろう。
乙女ゲームの記憶も、この世界には存在しないはずの知識も、膨大な魔力も――全てがリリアナのために存在している。その全てを使えば、運命すら変えていくことができるだろう。そうすれば、変えられない宿命すらもいつしかこの手の内に落ちてくるかもしれない。
「運命など、自ら掴み取るものですもの」
それを出来る自信が、今のリリアナには芽生えていた。
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