挿話10 エイブラム・クラークの手記
~エイブラム・クラーク前公爵の手記より抜粋~
XXX年、春――――。
チェノウェス侯爵家が一族郎党処刑された。此度の政変はこれにより終了した。フランクリン・スリベグラード大公を正当な血筋として後押しをしたいと考えた一部のアルカシア派が先導したようだが、陛下は大公の母でもある愛妾マルガレーテには情が湧いているらしく、幽閉に処すと仰っている。
これが英雄と名高い賢王とは、全く呆れ返る。エアルドレッド公爵家のベルナルド・チャドではなく私を宰相として取り立てんとする所は評価に値するが、それ以外のところはとんだ愚王である。
とはいえ今回の政変でも得るものはあった。この国には、建国以来英雄というものが存在しない。しかし、太平の世であればともかくも、暗雲立ち込める時世には英雄に相応しい者が上に立ち民を導くべきである。
民は皆一様に陛下を英雄と讃えるが、私からみれば彼は英雄などではない。ただの人である。英雄と呼ばれるに相応しい者は私だけであるが、三大公爵家とはいえど一介の貴族に過ぎぬ私を英雄と認める慧眼の持ち主は未だに現われていない。
しかしながら、この暗雲立ち込める王国において真の英雄の誕生は待ち望まれるべきところであり、即ちそれは私エイブラム・クラークこそが英雄として広く知らしめられるべきである。
それでは、英雄とは何か。
英雄とは、武勇や才知に優れ、凡人には到底成し得ない偉業を成し遂げる者のことであり、その偉業はただ政変を鎮圧したとか、隣国の脅威を退けたとか、そのような些末事では足りない。例えばスリベグランディア王国を建国した三傑のように、強大な敵を滅ぼし民を救ってこそ、英雄として歴史に名を遺すことができるのだ。
しかしながら、現在では三傑が為したようなことは行えない。何故ならば、三傑の手によりこの地を支配していた悪しき魔王は封じられているからである。
それならば、私が英雄として正しい評価を得るためには、何を成すべきか。
答えは一つ――復活した魔王を、この私が倒せば良い。さすれば人は私を英雄として認め、私はこの国を偉大なる王として治めることになるであろう。
XXX
XXX年、夏――――。
私の計画完遂に必要な人材を見つけた。ベリンダという名の娘であり、北の異民族の血を引くという。一般には美しい部類に入るのだそうだが、私は取り立てて興味はない。ただ彼女と魔力量の多い私の間に出来る子供が器となるに相応しいと考えられるため、婚姻を結ぶに他ならない。
ベリンダという娘は夢見がちな女だった。そのため、吟遊詩人が謳うような言葉を選び甘く囁けば、簡単に私に恋に落ちた。あまりにも単純すぎて、ベリンダという女には頭がないのではないかと思うほどだった。
だが、下手に難解であるよりは良い。私の手を煩わせず、ただ計画の遂行に協力してくれるのであれば問題ない。
XXX年、夏――――。
とうとう長年の研究が実を結びそうである。しかしながらこれまでに掛けた年月が長く、検証に時間をかけることはできない。一世一代の計画故に失敗は許されないが、この私が立てた計画に失敗や中止はあり得ない。
とはいえ、未だ結論の出ない研究も存在している。それも含めて結果を早急に出すよう、私は彼に命じた。
XXX年、秋――――。
一人目の息子は多少魔力量が多く生まれ付いたものの、器としては容積が小さいことが判明した。そのため、二人目の子供に賭ける必要がある。
ベリンダが引いているという北の異民族の血と、魔力量が多い私の体質を引き継ぐだけでは足りないのであれば、別の方策を考えるべきである。そう指示した結果、ベリンダの両親を贄として東方呪術を用いれば可能であるかもしれないとの答えであった。
上手くベリンダを誤魔化さねばならないが、たった二人程度の命で器が出来るのであれば安いものである。私は彼に、その術を執り行うよう指示を出した。
取り立てて役に立たぬ者たちなのであるからして、私の崇高なる志にその身を捧ぐことができることは彼らの生涯に一片の栄光を与えることになるであろう。
XXX年、冬――――。
私が英雄となるべき道筋に必要な道具が全て揃った。実験が成功するかは五分五分だったが、北の異民族の血を引いている妻の産んだ娘は膨大な魔力の受け手として十分な器を持っていることが確認された。
感情が抑圧されていることも確認できている。言葉を話せるようになるまでは感情の抑圧により快、不快を感じることができず、命を落とすことも考えられるとの指摘を受け、乳母には決して殺さぬよう指示を出した。しかしながら、左足が鬱血するほど布がきつく絡まっていたことに気が付かなかった。片足が不自由では今後の私の計画に差し支えることは明らかである。そのため、命令不服従としてその乳母は馘首し、新たな乳母を雇ったところ、献身的に娘を育てているようである。
なお、馘首した乳母は研究に役立てるよう言い置いている。碌に仕事もできぬ者には精々その命と体を役立てて貰いたいものである。
XXX年、春――――。
陛下より、王子殿下と娘の婚約について打診があった。娘が王家に嫁ごうが嫁ぐまいが、今後の計画にはさして影響はない。しかしながら計画の完遂には娘の負の感情だけを育て、精神を不安定にすることが必須である。
そのため、今回の婚約打診を受け入れることにした。ただしあくまでも候補である。
近く陛下が亡くなれば愚かなるホレイシオが玉座に座ることになるだろうが、彼の治世は長くはない。娘には婚約者になるよう圧力をかけ、そして直前にその婚約を撤回せざるを得ない状況に追い込むことで、娘の精神は壊れるだろう。
しかしながら、念には念を入れる必要がある。私の計画が成功の裡に完了するまで、絶望を一つずつ味わえるよう、細心の注意を払い随所に種を撒いていく。
とはいえ、娘の精神をただ徒に壊すだけでは私の未来は花開かない。全ての事象が上手くかみ合わさることで、誰も予期し得ぬ相乗効果を齎し、誰も想像し得ない奇跡を成し遂げることになるのである。
XXX年、晩春――――。
娘が六歳になる時に、声を奪うよう指示した。一時のものではあるものの、王太子の婚約者にならねばならないと信じる娘にとって、話せないという瑕疵は致命的なものであろう。
その上で、封じられた感情のうち、恐怖や憎悪、悲哀といった負の感情のみ封印を解くように手筈を整えた。術者には魔導省長官ニコラス・バーグソンを採用した。大して能はないが、金と名声に目がない。軽く誘えば簡単に隷属させることも出来た。あのような男は扱いやすいが、その分口も軽い。その点、隷属の術を掛けておけば不用意なことも言えないため安心である。
娘は元々魔力量が多いため、一定量以上の恐怖を感じれば簡単に魔力暴走を起こすに違いない。魔力暴走を起こすほどの魔力量があるとなれば、王太子の婚約者としても認められるようになるであろう。しかしながら、声が出ないという点では他の候補者に劣る。不安定な立場に置かれた人間はたいていの場合、精神の均衡を失う。その隙を狙い、最後の仕上げを行えば計画は八割方完了したも同じである。
その日が今から楽しみで仕方がない。
XXX年、夏――――。
驚くべきことが起こった。娘が、声が出ないままで構わぬとニコラス・バーグソンの申し出を断った。王太子の婚約者にならねばらないと信じている娘にしては愚かな判断である。誰かが娘に言って聞かせた可能性を疑うが、娘の近くに不審な人物はいない。感情を抑圧している娘は使用人や侍女にも取り立てて懐いているわけではない様子だという報告も受けている。それに、娘の周囲につけている使用人は全て私が自ら選出した者ばかりであり、妙なことを言い聞かせる者はいないはずだ。
侍女のマリアンヌはケニス辺境伯の娘だが、それほど頭が回る性質ではないため、娘に何か言って聞かせたとは思えない。
しかしながら、ニコラス・バーグソンはどうにか負の感情のみ抑圧から解放させる術を行使した。魂の水準で設定された術を解術するには、一部とはいえ多大な魔力が必要とされ、そして同時に命を落とす危険性もある。そのためニコラス・バーグソンに命じたが、どうやらこちらで用意した魔道具が良い仕事をしたらしく、体に影響はなかったようである。とはいえ、ニコラス・バーグソンの寿命が縮んだ可能性は否めないが、それまでは精々無駄な命を役立てて欲しいものである。
なお、近々大規模な魔物襲撃を人為的に発生させる。これは初の試みである。これまでも小規模な魔物襲撃は発生させてきたが、一つの街を消滅させるほどの魔物襲撃を本当に引き起こすことが出来るのか、楽しみでならない。
発生時期は娘がフォティア領から王都近郊の屋敷に戻る時に遭遇するよう調整した。その時に娘は生き残ることが出来るのか、それとも死ぬのか。命の危機を目前にして人は一般的に恐怖を覚えるというが、恐怖によって魔力暴走を起こすのか。もし魔力暴走を起こすのであれば、どの程度の被害を周囲に与えるのか。
命を落とされては今後の計画に差し支えるが、ある程度壊れるだけであれば問題ない。今後の貴重な資料となるだろう。
XXX年、夏――――。
驚くべき速さで、魔物襲撃は消滅した。しかしながら街は壊滅状態であり、凡そこちらの想定通りである。
一方、娘の無事を確認した。多少薄汚れてはいたが、別段怪我もなく、また、魔力暴走した様子もない。精神的な均衡を崩した様子もなく、拍子抜けであった。
多少、計画に狂いが生じているようにも見受けられるが、変わらず器としては機能しているように見受けられる。計画に若干の修正は必要となるが、引き続き計画は遂行していく。
XXX年、春――――。
魔物襲撃の発生が人為的なものではないかと疑っている勢力があると、ニコラス・バーグソンから報告があった。どうやらドラコ家の嫡男と、異国の女がこそこそと調べ回っているようだ。
捨て置いても問題ないとは思うが、蠅であろうと煩わしいものは煩わしい。早急に対処するよう、ニコラス・バーグソンに申し付けた。
何者であろうと、私の計画を邪魔立てする者には容赦なく鉄槌を下さねばならない。
XXX年、夏――――。
メラーズ伯爵から使者が来た。どうやらフランクリン・スリベグラード大公を次期国王として擁立したいと見える。彼もまた権力欲の強い人間だ。現国王はニコラス・バーグソンに命じて行わせた呪術により病床に伏せているため好機と見たのだろう。
しかしメラーズ伯爵は一つ大きな読み間違いをしている。
次期国王に相応しいのは大公ではなく、英雄となるこの私だ。
とはいえ、メラーズ伯爵を筆頭とした大公派は御しやすい者が集っている。ある程度の旨味を与えれば上手い働きをしてくれるだろう。多少は融通してやる必要があるかもしれない。
XXX年、夏――――。
娘が王太子と共に視察へ出向く途中、馬車が襲われ誘拐されたとの報告を受け取った。
女にとって純潔を奪われることは想像を絶する恐怖だと聞く。純潔を奪われてしまえば王家に嫁ぐことは難しくなるため、娘の感情を乱すことになるだろう。たとえ純潔を奪われなかったとしても、誘拐によって精神的に動揺すればそれもまた私の計画に沿うこととなる。
恐らく誘拐を企てたのは大公派ないしは隣国だろうが、珍しく良い仕事をしてくれたと感謝したい。
XXX年、春――――。
裏社会の情報屋に、刺客を紹介するよう依頼を出した。
ここ最近、アルカシア派の動きが目立つ。どうやら王太子の支持に回ろうとしている者が徐々に増えて来ているらしい。また、今後私の計画を遂行するためには、現在王国にて武力と権力を持ち貴族たちに影響力のある者はある程度粛清しておく他ない。
私を英雄として支持するのであれば話は別だが、恐らくそうはしないであろう頑固一徹な者も複数存在している。
私に反抗することになるであろう芽は早めに摘んでおくに越したことはない。
XXX年、夏――――。
王太子の生誕祭が開かれる。この時のために長年かけて最大規模の魔物襲撃を準備して来た。発生は王都近郊だ。これによって人々は恐怖に陥れられ、そして魔物襲撃の制圧で命を落とした者たちの憎悪や悲哀によって瘴気は更に濃くなる。
王宮の地下には魔王が封じられている。
魔王が復活する際には瘴気が濃くなると言われているが、その逆もまた真なりである。
即ち、濃い瘴気が王都に充満すれば、それに反応して魔王の封印も弱まるはずだ。一度封印が弱まれば、たとえ封印を補強したとしても遅かれ早かれ完全に封印は解けて魔王が復活する。魔王の魔力を受け取る器が近くにあればなおさら復活までの期間は短縮される。
この時に、娘も器として完成させる予定である。
XXX年、夏――――。
王太子の生誕祭に際して発生させた魔物襲撃は、私の想定よりも早く制圧された。その上被害範囲もかなり狭く、命を落とした者も非常に少ない。
ニコラス・バーグソンに上手くやるよう言い置いていたにも関わらず、彼は幾度となく私の信頼を裏切った。彼に道具としての価値はもうない。しかしながら、無駄に命を奪うこともあるまい。上手い使いどころが見つかるまでは放置する他ない。いずれにせよ、魔物襲撃を制圧した者を早急に探し出し、始末する必要がある。私の計画を妨げる者は何人たりとも容赦はしない。
一方で、娘の器に関しては完成させることが出来た。
生誕祭の最中に王都の邸宅に滞在させ、娘の寝台には気付かれぬよう陣を施した。紫色の靄は娘に悪夢を見せ、体内を流れる魔力の恒常性を乱す。生まれた隙間に、他から魔力が流入する。その魔力が私の求める魔力であるかどうかは、改めて確認せねばなるまい。
また、もう一つ良い報告があった。刺客が見つかったという。今度その候補者と面会する時間を設けることとなった。精々、働いて貰うこととしよう。
XXX年、冬――――。
娘の器が完成した。魔力の恒常性が失われることによって生じた隙間には、予定通り魔王の封印から徐々に流出し始めている魔力が流れ込んでいるようだ。
生まれた時は風に適性が高い魔力だけだった娘だが、今や闇の力も持ち始めている。未だに魔力の流入は止まらないどころか、その量が徐々に増えている。完全に魔王の封印が解ければ、器を持たぬ魔王は娘の体に憑依するはずだ。
魔王の記憶と魔力を受け入れるだけの器が娘にあるのか、それとも耐え切れずに体と精神が崩壊するかは賭けである。しかしながら、体さえ保てばそれで良い。
XXX年、秋――――。
魔王の復活の速度が緩んでいる。瘴気が足りないようだが、これまでと同様のことをしてもあまり変化はみられない。
そのため、魔王ではなく魔王の配下となる高位の魔物を召喚することとした。以前試したところ、寸でのところで召喚しきれなかったとの報告を受けたが、その原因は贄が人ではなかったからだと推察された。そのため、今回は贄として私の父を使うよう指示をした。魔力量は多いため、それほど難しくはないはずである。
XXX年、秋――――。
父を贄とした召喚術は成功したが、召喚に応え現れた魔物はそれほど力が出ないようであったため捨て置いた。全くもって期待外れである。今後も魔物の召喚は必要に応じて試すが、やはり主目的は魔王の復活である。復活までどの程度の年月を要するか分からないが、その点に関する解決策は既に用意してある。
XXX年、夏――――。
隣国の将軍エルマー・ハーゲンが亡くなったという。全く、随分と面倒な時期に命を落としたものだ。私が復活した魔王を封印し英雄となり地盤を固めるまでは隣国を抑える必要があったが、エルマー・ハーゲンが亡くなった今、別の方策を探さねばなるまい。
XXX年、夏――――。
最近、しゃしゃり出て来るようになったエアルドレッド公爵を始末することとした。元からいけ好かない男ではあったが、前妻亡き後は領地に引きこもっていたため放置していた。だが、その間に分不相応な考えを持つに至ったようだ。刺客に命じ、自らの命でその分不相応な態度を償って貰うこととした。
だが、あの男はそこそこ抜け目がない。何かしらの証拠を残している可能性は高い。そのため、証拠となり得るものがあれば必ず持ち帰るようにとも刺客に命じた。
XXX年、春――――。
そろそろ計画の大詰めを迎える準備をせねばならない。私は英雄として立つには十分な若さがない。たとえ魔王を封じて英雄となり国王となっても、寿命を考えれば在位期間は短い。
しかし、優れた我が頭脳が土に埋められるなど国の、否、人類の損失である。とはいえ、不老不死の禁術は現段階では成し得ないことが分かっている。そのため、私は別の手段を取ることにした。
幸いにも、私には息子がいる。見た目は相応に麗しく、魔力量も私程度には多い。そして頭脳も私ほどではないが明晰である。
元々は父親が魔王となった娘を、民と国のために泣く泣く殺害するという筋書きを考えていたが、それが父ではなく兄であっても変わりはないだろう。寧ろ“妹に殺められた父の敵討ち”という側面も含めた方が、民の心は掴みやすいかもしれない。
そして幸運にも、私の魂魄は――魂魄というもの自体、東方呪術の概念であるため馴染みはないが――血縁である息子の体に馴染み易いという報告を受けた。
いずれ私は自分の肉体を捨て、息子の若い肉体を得る。そして復活した魔王に乗っ取られ暴走する娘を――否、妹を魔力により制し、この私が再び封印する。
民は魔王を封じた英雄として、そして国のため娘を葬った偉大な傑物として、私を讃え跪きその偉業に恐れをなすに違いない。
8-1
8-6
9-7
9-8
14-2
S-9
15-1
15-12
15-13
21-1
21-7~10
21-15









