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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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42. 死神の休息 4


緊張をはらんだジーニーの表情を見ながら、オブシディアンはにやりと笑って呟いた。


「なるほどな」


狐魅(こみ)は元々、ユナティアン皇国よりも更に東にある国が有していた組織だという。だが、その国はユナティアン皇国に滅ぼされた。その時に狐魅は大禍の一族と戦い滅ぼされた。狐魅は女ばかりの集団だ。捕らわれた後、殺されるまでにどのような扱いを受けたのかは想像に難くない。

ジーニーはほぼ間違いなくその生き残りだ。それにも関わらず、本家は分家の長にジーニーを指名した。


本気でジーニーの能力を買っているのか、それとも上手く使ってから殺そうとしているのか。


本家の思惑は分からないが、少なくともジーニーは今を好機と見て本家への仇討ちを考えているのだろう。だが、一人で本家と対立するには、分家内部の敵対勢力の存在が煩わしい。そこで、目障りな連中を纏めてオブシディアンに相手して貰おうと考えているに違いなかった。


「つまりあんたは、俺にその神官長とやらを殺して欲しいわけだ。自分の身の安全のために」


ジーニーがぴくりと反応する。やはり自分の考えは間違っていなかったと、オブシディアンは確信した。オブシディアンは皮肉気な目をジーニーに向ける。


「その間にあんたは本家を黙らせようとでも言うのか?」


そこでようやく、ジーニーはオブシディアンが彼女の思惑全てを悟っていると理解したようだった。深く溜息を吐いて、低い声で呟く。


「――――殺した方は忘れていても、殺された方は忘れないもんさ」


その様子は、オブシディアンを相手に交渉しようとしていた時とは全く雰囲気が違った。だが、オブシディアンは肩を竦めるだけだった。

ジーニーの言葉に反論する気はないが、だからといって同調は出来ない。そもそも価値観が違うのだから、ジーニーの気持ちを理解することはできない。そしてジーニーも、決してオブシディアンに共感して欲しいとは思っていないだろう。

それでもジーニーはゼンフの神官長をオブシディアンに処理して欲しいようだ。身動ぎせずにオブシディアンの反応を窺っている。


「へえ、そりゃあ気の毒なことだな」


全く興味のない声音でオブシディアンは軽く答えた。ジーニーは予想していたのか、動揺はしなかった。変わらぬ表情で真っ直ぐにオブシディアンを見つめている。そして彼女がオブシディアンに求めていたのは、同情めいた言葉ではなかった。


「それで、協力はしてくれるのかい?」


もし相手がオブシディアンでなければ、ジーニーは実力行使で協力を迫っていただろう。だがオブシディアンには通用しない。実力に訴えようとすれば反撃に遭うのは目に見えていた。

オブシディアンは呆れたような目を向ける。


「他を当たるんだな」


ジーニーが何故、オブシディアンに協力を仰いだのか。恐らく彼女は分家内部に協力を求められないのだろう。

大禍の一族は大半が、物心ついた時から一族で育って来た叩き上げばかりだ。前の分家長も一族で育った叩き上げだ。だが、ジーニーは途中で一族に加わった新参者だ。一族に加わった年数がどれだけ長かろうと、出自が一族でなければずっと新参者と言われる。その新参者が分家長に就くことに、一族の者たちが反発しないわけがない。

だからこそ、ジーニーはオブシディアンに協力を申し出た。最強の刺客として名を馳せ一族の者たちに恐れられているオブシディアンであれば、新参者であろうと問題なく神官長たちを返り討ちにできると確信していたに違いない。

だが、オブシディアンにしてみれば自分とは全く関係のない話だ。ジーニーが仇討をしたいのであれば一人でするなり一族以外に助っ人を求めるなりすれば良い。仇討よりも先に神官長たちを暗殺すれば、多少の時間はかかるが手堅く進められるはずだ。

力が足りずに殺されるかもしれないが、そうなればその時だ。裏社会に生きる自分たちのような存在にとって死は常に身近にある。死ぬ覚悟は、ジーニーも持っているはずだった。

案の定、ジーニーは嘆息してぽつりと呟く。


「――死ぬことが怖いんじゃないよ。だけど、仇討を済ませるまでは死ぬわけにはいかないんでね」

「それはあんたの事情で、俺の知った事じゃねえな」


冷たくオブシディアンは言い放った。

ジーニーの事情は分かっても、助けてやる義理はない。冷たく聞こえるかもしれないが、裏社会に生きるオブシディアンにとって義理人情のような感覚は縁のないものだった。

オブシディアンの反応は予想していたのだろうが、それでもどこかに希望はあったに違いない。ジーニーの双眸は一瞬揺れる。慟哭に似た激情を押し殺し、彼女は平静を装うと皮肉に問うた。


「そうかい。あたしの見込み違いだったよ。てっきり、あんたも仇討したいってあたしの気持ちが分かるもんだと思ってたけど」

「仇討――ねえ」


オブシディアンはにやりと笑った。


「仇討なんて生温い真似、俺はしたことがねえな」


ひんやりとした言葉に、ジーニーはぞっと立ち尽くす。一切の感情が削ぎ落されたオブシディアンの声には、まさしく数多の命を奪って来た死神の声に似た空恐ろしさがあった。瞬きをした次の瞬間には、オブシディアンの姿は消えている。


「――くそっ!」


最早、交渉の手段を失ったことを知ったジーニーは、低く毒づくと苦々しく顔を顰めた。



*****



リリアナは、久しぶりの来訪者に目を瞬かせた。いつも通り窓からリリアナの部屋に入って来たオブシディアンは、慣れた様子でソファーに腰掛ける。


「あの女は伯爵領を出て、そのまま両親の元に向かったぜ」


あっさりと告げられた言葉に、リリアナは一瞬考える。しかしすぐにマルヴィナ・タナーのことだと気が付いた。


「そうでしたの。貴方もこれで彼女の監視から離れられますわね」


タナー侯爵を中心とした“北の移民”問題はほぼ片が付いた。しかし人身売買自体はショーン・タナーが関わり始めるより前から行われている。しかも当時商品となる“北の移民”を探していたのはユナティアン皇国の商人たちだ。まだ警戒は解けないが、ショーンが表舞台から降りた今、マルヴィナの周辺に目を配る必要はなくなっていた。


「清々するぜ」


オブシディアンの言葉にリリアナは苦笑する。


「そこまで嫌でしたの?」

「普通に考えたら王太子妃になんざなれねぇって分かるだろうに、あの女、最後まで自分は王太子妃になって俺を愛人にするんだって信じて疑ってなかったぜ」

「まあ」


さすがにリリアナは目を瞠る。やはりマルヴィナはライリーのことが好きだったのではなく、王太子妃という地位が欲しかったらしい。それも国のためを思って王太子妃という権力を握りたいと願ったのではなく、ただ自分の欲望を満たすためにその座を欲した。

リリアナもライリー自身を愛しているのかと問われると悩んでしまうためマルヴィナのことはいえないが、マルヴィナのように自身の欲望を満たすために王太子妃の座が欲しいと思ったことはなかった。尤もライリーの事は嫌いではない。傍に居ても嫌ではないし、話をすると楽しいとも思う。

リリアナがそんなことを思う一方で、オブシディアンはマルヴィナの態度を思い出したのかはっきりと顔を顰めていた。


「普通の平民ならともかく、あの生まれと立場で自分の状況を正確に理解できねぇとか、あの女も碌な死に方しねぇぞ」


一瞬リリアナは目を瞠り、わずかに苦笑する。


「心配してらっしゃるの?」

「んなわけねえだろ」


オブシディアンは吐き捨てるように呟いた。いつも飄々としているオブシディアンには珍しく、不機嫌さを隠しもしない。


「あんたの婚約者を引きずり降ろしたい連中の格好の的だろ、担ぎ上げるにしたらよ」

「――そうね」


ようやくそこでリリアナはオブシディアンが何を懸念していたのか理解した。

マルヴィナは兄が処刑され平民になった今でも、その理由や自分が今の立場で成すべきことを理解しないまま、王太子妃になるべきだと信じ込んでいる。寧ろ、自分の未来に王太子妃という座が用意されていると確信さえ抱いているようだ。

確かに大公派にとっては上手く使えればライリーを引きずり降ろす駒にできるだろう。だが、マルヴィナは差し出されるものを受け取りはするものの、決して相手の考えを忖度して動くようなことはしない。もし彼女が他人の都合に気を配って自分の立ち位置や行動を決めることが出来ていたなら、兄のショーンもマルヴィナを隣国に嫁がせようとはしなかっただろう。それどころか、ショーンはマルヴィナを暗殺しようとした疑惑まである。


「もし本当に彼女を祀り上げるのでしたら、彼らに対する評価を下げねばなりませんわね」


リリアナの発言に、一瞬にしてオブシディアンの不機嫌が消える。わずかに目を瞠り、すぐににやりと笑った。


「確かに、あれの相手をするとかなり精神力も削られるしな。こっちが思う通りに動かすのもなかなか骨が折れるぜ」


オブシディアンは刺客だ。基本は標的に気が付かれないよう命を奪うことを生業としているが、標的に近づくために普通の平民や商人を装って暫くその場に暮らすこともある。そのため、他人の性格や好みを把握し取り入ることは得意だった。そして上手く精神的な距離を取り、自分に負担が掛からないようにすることもお手の物だ。だが、そのオブシディアンでもマルヴィナを相手にするのは大変だったらしい。


「そんなに大変でしたのね」

「普通に街中で口説く分にゃ問題ねえよ。ただ、今回はある程度こっちに都合よく、しばらくの間動いて貰う必要があったからな」


刺客として活動していた時も、仕事の内容によっては長期間一ヵ所に留まって住人たちと関係性を築く場合もあった。勿論、その一時だけ恋人を作ったり結婚したりしたこともある。だが、その時とはまた違うのだとオブシディアンは言った。


「腹を据えて恋人やら何やらと暮らすのとはわけが違うんだよ。そう言う場合は四六時中一緒だからな、そういうもんだってずっと仮面をつけてりゃ良いんだけど」


だがマルヴィナとの関係性はそれとも違う。言うなれば時々しか会えない恋人のような甘い態度を示しながらも、決してマルヴィナの物にはなっていないと感じさせる、その匙加減が難しかった。

マルヴィナは欲しいものを手に入れてしまえばそれで満足する。だからこそ、まだ手に入り切っていないと思わせてオブシディアンに注意を向けるように仕向けていたようだ。


「まぁそれも、もう会うことはねぇだろうから問題ねえけどな」


オブシディアンは欠伸を漏らしながら呟いた。リリアナは頷いて同意を示す。オブシディアンの言う通り、何かしらの思惑が働いてマルヴィナを表舞台に担ぎ出そうという存在が居ない限り、オブシディアンがマルヴィナと関わることはないだろう。


「そうですわね。ただ引き続き、隣国の情報は欲しいですわ。タナー侯爵が処刑されて王国内の人身売買組織がほぼ壊滅状態になったとはいえ、元々は皇国が積極的に“北の移民”を自国に連れ去って行ったのは事実ですもの。今後も手段だけを変えて“北の移民”を連れ去ろうとする可能性は高いでしょう」

「ああ、それなんだけどな」


リリアナの指摘に頷いたオブシディアンは何か思い付いたように声を上げた。リリアナは首を傾げてオブシディアンを見やる。


「暫く俺、留守にするわ」

「留守に? 暫く働きづめでしたでしょうから、休暇を取っては如何かしらと思っていたのだけど」

「まあ、休みも取るけどよ」


オブシディアンは一瞬言い澱む。しかしすぐに彼は何かを決意したように顔を上げた。


「ちょっと面倒事が起こりそうだから、そっちの監視も兼ねてな。だから――まあ、優先順位が高けりゃ協力はするが、しばらくはあんたの仕事も今までみたいには引き受けられねえかもしれない」

「分かりましたわ。また手が空いたら教えてくださいな」

「おう」


リリアナは不思議そうな顔をするが、面倒事とは一体何かとは尋ねなかった。素直に頷く。問い詰められなかったことにオブシディアンはほっと安堵の表情を浮かべながらも、どこか詰まらなさそうな顔になった。しかしリリアナはオブシディアンが一瞬見せた表情の変化に気が付かない。

気を取り直した様子のオブシディアンは、「それと」ともう一つ言葉を付け加えた。


「珍しい話だが、あんたのところの執事」

「フィリップのことですの?」

「そう」


オブシディアンは頷く。彼の口からフィリップの話が出るとは思わず、リリアナは目を瞬かせた。


「珍しい話だけどよ、どうやらあんたの兄貴と一緒に暫く領地を回るらしいぜ」

「あら。でしたらフォティアの屋敷は留守になるということですの?」

「使用人はいるだろうが、あのいけ好かねぇ執事はいねえな」


リリアナは目を瞬かせる。

フィリップがフォティアの屋敷を離れたことは、リリアナの知る限り全くない。リリアナの父が存命していた時も彼はフォティア領の管理を任されていたため、領地から出たことはなかったはずだった。


「何があったのかしら」

「さあな。詳しくは知らねぇが、黒死病が起こる可能性のある場所を見て回りたいって、あんたの兄貴が言い始めてよ。執事がそれに付いて行った」


どうやらオブシディアンはマルヴィナがケプケ伯爵の屋敷から出たところを確認した後、フォティア領に一度向かったらしい。そしてそこでクライドとフィリップが話をしていたところを目撃したのだろう。

リリアナは僅かに眉を寄せて考え込む。

フィリップは何故、これまで離れたことのないフォティア領の屋敷を離れたのか。


リリアナとクライドの父が死んだ後も、フィリップはフォティア領から離れようとはしなかった。それにも関わらず、黒死病が起こる可能性がある街を巡るというクライドに付いて行く理由はないはずだ。

フィリップは決して愚かではない。長年リリアナの父の右腕として領地を治めて来たのだから、能力は高い。その彼がなんの考えもなしにクライドに同行するとは思えなかった。必ず何かしらの考えがあるはずだ。

クライドを心配してのことなのか、それともそれ以外に理由があるのか――父が亡くなってから必死に公爵としての仕事を覚えようとして来たクライドに対する態度を思い返せば、クライドを心配して同行を申し出たとは、到底思えなかった。



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