7. 披露宴と思惑 3
『お心遣いありがとうございます、公爵』
リリアナは目を細める。
礼を言ったのはライリーだった。二人の様子は見えないが、和やかな雰囲気であることはわかる。プライベートですらほとんど会話をしたことのない父親が、王太子に対して見せる姿勢が物珍しい。家族の前では多少、化けの皮を剥がしているのかもしれない。そう思うと、あの父親が人間臭く見えるから不思議だった。
『本日はご足労頂き、私共にとっては何よりの光栄にございます。愚息も喜んでいることでしょう』
『とんでもない。こちらこそ、気の置けない方々の中に寄せていただき感謝しているところです。ご子息にもお世話になっておりますし、リリアナ嬢も勿論親しくさせていただいていますからね。気がかりはありますが』
『左様』
重々しく公爵が頷く。一瞬の沈黙を破ったのはライリーだった。多少、声が固い。
『リリアナ嬢の声は――戻りませんか』
『医者に診せていますが、改善の見込みはないようですな』
残念なことに、と公爵は告げる。冷静すぎて本心かどうかを見極めることは難しい。人によっては必死で己を律しているのだと受け取るだろうし、また違う人は冷徹な人だと判断することだろう。
ライリーは少し躊躇っていたのか、数瞬の沈黙が落ちる。
『――公爵。リリアナ嬢の声は、本当に病なのですか』
『と、言いますと?』
僅かに緊張した声質のライリーに対し、リリアナの父はどこまでも冷静で淡々としている。全く取り乱す様子も見られない。
(さすがに年の功ですわねぇ――)
リリアナは苦笑が漏れる。ライリーも年齢の割には大人びているし理知的だ。だが、圧倒的に場数が少ない。
(こればかりは経験が物を言いますものね。今後に期待ですわ)
婚約者候補筆頭かつ年下のリリアナから冷静にその手腕を評価されていることも知らないライリーは、気遣いと心配を声音に滲ませる。
『無論、治らない病があるということも承知しています。ですが、その前に一度呪術の可能性も疑ってみるべきではないかと思うのです』
『――陛下のように、ですか』
実際には声しか聞こえていないにも関わらず、リリアナは父が意味深な笑みを一瞬浮かべ掻き消した様子が目に見えた。ライリーは不審に思ってもいないのか、『はい』と公爵の言葉に頷く。
一方のリリアナは、ライリーが放った台詞に驚きを隠せなかった。
(陛下の玉体が思わしく有らせられないと伺ってはおりましたけれど――呪術が原因でしたの?)
リリアナにとっては初耳だった。ライリーは淡々と『そうです』と公爵の言葉を肯定する。
『幸いにも、ここにはバーグソン殿がいる。魔術省長官である彼ならば、リリアナ嬢の声を取り戻すことができるかもしれません』
『左様ですな』
公爵はライリーの提案に理解を示すが、その声に熱はない。
『ですが、残念なことに、アレの声は呪術の類で失われたわけではないようでしてな。現状で打つ手はないのですよ』
『――呪術では、ない?』
『ええ。真っ先に彼には診て貰ったのですが』
愕然としたライリーの声に、公爵は平静に答えた。しばらく沈黙が落ちる。リリアナの眉間にはいつの間にか皺が寄っていた。
魔導省長官のバーグソンがリリアナの元に来た時、公爵は「医師でも治らないとなると、それは呪いだ」と言った。更には、「呪いならば魔導士が解くことができる」とも告げた。ライリーに見放されたくないのであれば、解呪して貰えとでも言わんばかりだった。
だが今の会話を聞く限り、公爵はリリアナの声を戻すことはできないとライリーには思わせたい様子だ。思惑が見えず、リリアナは目を細める。
『――それは、とても残念です』
ライリーが心底辛そうに告げる。
『お心遣い、痛み入ります』
公爵の言葉は相変わらず淡々としていて感情が見えない。しかしライリーは不審に思わなかったようで、声音を切り替え話題を変えた。続く話は領地経営のことや政の話だ。取り立てて目新しいことはない。リリアナはソファーの背もたれに体を預け、二人の話を聞き続ける。
公爵がライリーと別れたのは、会談が始まっておよそ一時間が経過した頃だった。少し悩んだが、リリアナは公爵の動きを監視することにする。
公爵は客間に向かうライリーを使用人に任せ、彼の私室の隣にある執務室に向かう。どうやらそこには執事のフィリップが居るらしい。
『旦那様、お疲れ様にございます』
『ああ。何かあるか』
『――あの一族が動き出したとの一報が』
フィリップが声を低める。しかし、リリアナの魔術の前では大して意味がない。
一瞬沈黙した公爵は、『大禍の一族か』と呟いた。
『十六年前の政変以来だな、その名が表舞台に出て来るのは』
『いかさまにございます。隣国もきな臭さが増しております故、功を焦る者もいるのでしょう』
フィリップが同意を示す。公爵は鼻を鳴らすだけで、それ以上何かを言おうとはしなかった。
――――十六年前の政変。リリアナも知るそれは、スリベグランディア王国建国以来の危機と言われ今なお語り継がれている出来事だった。当時の国王――ライリーの祖父を陥れようとする一派による反乱だった。国王は自ら騎士団の陣頭指揮を執り、御自らの腕で剣を振るい、敵を一網打尽にした。勇猛果敢な戦い振りと容赦のない制裁に、人々は彼を鬼神と崇め恐れるようになったと言われる。
(確か、お父様が宰相に任じられる切っ掛けとなった大仕事でもあったのよね)
史実では語られない裏の事情も、リリアナは聞き及んでいた。リリアナの生前のことではあるが、今なお人々の記憶に新しい内乱だ。当時の有力者や王族に縁のある者たちが次々と暗殺され、その下手人は見つからない。どうやら様々な思惑を抱えた者たちが暗殺一族に仕事を依頼したのではないかと、実しやかな噂が一部の上位貴族の間に流れていた。市井に広まれば混乱が広まるばかりだから、その一族の名は大々的に語られることはない。そしてその存在感の薄さから、実在しない幻の一族ではないかと疑問視する人もいた。
だが、そのような状況では平和な時代など望むべくもない。王国は混沌とした時代を迎えるかとも思われたが、先王はあっという間に反乱を抑えつけ粛清を終えた。その後に国力の回復に勤しんだ今は亡き王は賢王とも名高い。
リリアナの耳元ではなお公爵と執事の会話は続く。
『一族の動向を探れ。何かあれば最優先で逐一連絡を入れろ』
『承知いたしました』
――リリアナの父は、彼の暗殺一族を警戒しているらしい。
それほどに危険な存在なのかと思いながらも、一方でリリアナは違和感を覚えていた。
(――何故、今その名が出て来るのかしら)
しかし答えは見つからない。リリアナは黙したまま、公爵とフィリップの会話を聞き続けていた。
*****
その日、ライリーはクラーク公爵家に一泊するため晩餐を一家と共に過ごすことになった。他の招待客たちの中で、屋敷に泊まっているものはそれほど多くない。そして彼らの食事会場は、リリアナたち公爵家とライリーの集った私的な食堂とは別の場所に誂えてあった。お陰で、食事会は打ち解けた雰囲気に満ちていた。とはいっても、それは表面的なものではあった。
(――お母様、顔が引き攣っていましてよ)
リリアナは始終無言でのんびりと料理に舌鼓を打ちながら、家族の様子を観察する。ライリーの表情は確認するまでもなく、対外的なものでしかない。父親も然りだが、母親と兄だけは感情が表情に浮かぶ。特に母親は、どうにかしてリリアナに目を向けないようにと緊張している様子だった。兄のクライドは気遣わし気な視線を時々リリアナに向ける。気を使ってくれているのは有難いが、リリアナとしては溜息を吐きたい気分だった。
(お兄様は次期公爵として、もう少し腹芸を身に着けて頂きたいですわ。ゲームのクライドはもっと腹黒く強かだったように思いますけれど、ゲーム開始までの七年で何が起きたのでしょう)
重要な要素があったはずなのだが、思い出せない。
リリアナは眉根を寄せる。
ゲーム開始時のクライドは公爵家嫡男として責任感を持ち勉学に励んでいた。その後、近隣諸国との関係性がきな臭くなってきた中で爵位を継いだはずである。若き公爵として苦労はしただろうが、家督を継ぐ前からクライドは腹黒かった。
(乙女ゲームでしたのに、設定自体はあまり乙女ゲームらしくありませんでしたわね)
あらぬ方向に思考が逸れる。学園が舞台でもなく、豪華絢爛な王宮や宮殿を題材ともしていない。一応は王宮や宮殿、舞踏会もシナリオに含まれてはいるが、その実は作り込まれたシナリオの背景にコアなファンが付いていた。ただし同時に、その作り込まれた舞台がゲームに反映されておらず、設定資料集とインタビュー記事から行間を読み込む必要があった点が非難の的だった。あいにくと、リリアナはそこまでコアなファンではなかったので、インタビュー記事を読んだことはない。設定資料集と攻略本だけで満足していた。
「リリアナ嬢」
食事もあらかた終えた時、ライリーがリリアナに声を掛けた。顔を上げると、真正面から目が合う。
「宜しければ、この後庭を案内していただけますか」
咄嗟にリリアナは父親の顔を窺う。公爵は相変わらず感情の読めない顔で、重々しく頷いた。
「案内して差し上げなさい。屋敷の敷地内は安全だが、念のため護衛もつけるように」
「有難うございます、公爵。護衛は私が連れて来た者で対処できますので、お気を使われませんよう」
ライリーの言葉に公爵はぴくりと眉を動かす。公爵家の護衛では安心できないと言われているようなものだが、気分を害した様子はなかった。
「――承知いたしました」
父親まで同意したのであれば、拒否することはできない。
できるだけ攻略対象とは近づきたくないのだが――と思いつつも、微笑みのままリリアナは頷いた。