42. 死神の休息 3
あたしも特殊だけどあんたもだいぶ特殊だよね、とジーニーは声を立てて笑う。オブシディアンは答えなかった。だがその優秀な頭脳は“ジーニー”という名前から女の正体をあっさりと暴き出す。
「ゼンフの魔道具屋か」
「なんだ、知ってたの」
ジーニーは驚いたように言うが、口調だけだ。表情や態度は全く変わらない。オブシディアンが自身の正体に気が付くと予想していたようだった。オブシディアンの答えを待たずに、世間話をするような気安さで言葉を重ねる。
「これでも一族の分家長になっちまったんだよ。はた迷惑ったらありゃしない」
なるほどとオブシディアンは納得した。先ほどテンレックが話をしていたのはこのことだったのだ、と理解する。
本来、スリベグランディア王国に居る“大禍の一族”の分家長はゼンフの神殿に勤めている神官長が指名される。だが、恐らく本家は前の長が本家と距離を置き独自路線を進み始めたことを重く見たのだろう。そのため現在の神官長を指名せず、全く別の――即ち、本家が首輪をつけやすい者を指名した。
とはいえその選出が正しかったのかは、分からない。寧ろジーニーのどこか捻くれた性格を見抜いたオブシディアンは、本家が読み間違えたのではないかと疑った。
だが、そんな気配は微塵も見せずに余裕の表情でジーニーに全く別の疑問を投げかける。
「へえ。てことは、俺を殺しにでも来たのか?」
「あれ、もう知ってる? ああそっか、情報屋と仲良いもんねあんた。テンレック、だっけ?」
さすがに驚いたのか、今度こそジーニーは目を瞠った。しかしすぐに納得した様子で頷いた。
ジーニーはオブシディアンがテンレックの店から出て来た時から尾行していた。つまりある程度オブシディアンの行動範囲を把握していると言えるだろう。それは即ち、オブシディアンがリリアナの指示の下動いていることも承知している可能性を示唆していた。
それに、テンレックは店の中で新たな分家長の噂を聞いた。その噂を敢えて店内で喋らせたのも、ジーニーの仕業だったのかもしれない。そう考えなければ不自然だと思えるほど、時機が良すぎた。
そんなオブシディアンのことは気にも留めず、あっさりとジーニーは暴露する。
「まさか、そんな面倒なことしないさ。本家は殺したがってるみたいだけどね。元々長になりたいとか思ったことないし、面倒この上ないよ。本家とこっちで板挟み状態さね」
心底うんざりだと言うように、ジーニーは首を振って肩を竦めてみせた。その様子に嘘は見えないが、息を吸うように嘘を吐く人間がいることをオブシディアンは知っていた。
だからこそジーニーの言葉を額面通り受け取るようなことはしない。オブシディアンを殺しに来たのでなければ、何のためにわざわざ王都まで出て来たのか理解できなかった。
「じゃあ何でわざわざ俺に会いに来た? ただ顔を拝みたいってだけじゃねぇだろ」
「そうさねぇ」
ジーニーはオブシディアンを試すようににんまりと笑う。
「一族最強だとか死神だとか死の虫だとか呼ばれてる“ハグレ”がどんな奴かってのを知っとくのも、長の務めってやつじゃないかと思ってね」
「そんな殊勝な奴にはみえねぇな」
あっさりとオブシディアンはジーニーの言葉を遮った。ジーニーと会ったのは今日が初めてだが、ごく短い時間でもジーニーの為人は掴めている。そこから判断するに、分家の長としての責務を真面目に果たそうとする人間には思えなかった。
オブシディアンの指摘が愉快だったのか、ジーニーは軽やかな声を立てて笑う。笑みを浮かべるとその表情は一層蠱惑的になったが、オブシディアンは冷たくその様子を観察していた。
「そうさね、確かにそれはほんの建前だよ。一応、あんたの殺害指示は本家から出てるから、あたしの忠誠心を試すためでもあるのさ。あたしがあんたを殺そうとしなけりゃ、今度はあたしが本家から消される――黙って殺られるつもりはないけどね」
小さく付け加えられた最後の言葉は本心なのだろう。ひんやりとした殺気が僅かに滲む。しかしその殺気はオブシディアンに向けられたものではなかった。
そしてジーニーは本気でオブシディアンを襲う気はないらしい。未だに動く気配すらなかった。だが、オブシディアンも警戒は弱めない。狐魅はその性質上、相手に気付かれぬ内に暗殺する術に長けている。今のように標的と相対する状態では狐魅の特技は活かせない。とはいっても、油断は大敵だった。
「あんたを裏切り者として粛清しろっていう話も、どこまで本家に忠実かって試す意味しかないのさ。でも、あんたを殺そうとしたらあんたに殺されるだろうし、かといって手を出さなけりゃ本家に殺される。どっちにしろあたしの未来は決まってるってわけ」
「それで?」
オブシディアンは首を傾げてみせる。
ジーニーの言葉は的を射ていた。オブシディアンは簡単に殺されるつもりはないが、だからといってオブシディアンを放置しておけば本家は命令に不服従であるという理由でジーニーを殺害するに違いない。仮に命までは取らなかったとしても、ジーニーは厳重に拘束され本家の監視下に置かれる。つまり、ユナティアン皇国に連れて行かれ、再教育が終わるまでは二度と日の目を見ることはない。
「だから、ちょっと協力できないかと思ってね」
「協力? 俺と?」
「そう」
予想外の言葉にオブシディアンは目を瞠る。平然と頷いたジーニーを見て、オブシディアンは耐え切れないように吹き出した。喉の奥で笑いを堪えながら「面白いこと言うな」と言う。
「俺が頷くとでも思ってんのか」
低く問うオブシディアンの目は、鋭いなどというものではなかった。視線だけで人を殺せるのであれば、今この瞬間にもジーニーは死んでいただろう。だが、ジーニーも経験豊富な刺客だ。平然とオブシディアンの放つ殺気を受け止めてみせた。
「さあ、そればかりは分からないよ」
蓮っ葉な口調で断言したジーニーは悪びれた様子もない。
だが、その中でも口調がほんのわずかに変わった。真剣味を帯びた声音で、ジーニーは声を低める。
「分家の長に指名されたのはあたしだけど、実は他に長になりたがってる奴がいてね。そいつがやたらとあたしを敵視してくるんだよ。あんたが裏切り者一覧に上がってるのはそいつも知ってるはずだから、もしかしたらそいつがあんたを殺しに来るかもしれないよ」
「へえ」
オブシディアンは片眉を器用に上げる。それがどうした、とでも言わんばかりの表情だ。
ジーニーが言っている“長になりたがっている奴”は間違いなく今の神官長だろう。先ほどテンレックにその噂を聞かせたのがジーニーならば、あまりにも白々しい台詞だった。
一体何を考えているのかと、更にオブシディアンはジーニーの腹を探ろうと目を細める。そんなオブシディアンに気が付かないはずはないだろうに、ジーニーは楽し気な様子を崩さずに肩を竦めて言葉を続けた。
「もう、そいつもやたらとやる気があって面倒でさ。暑苦しい熱血漢っていうの? それも見るからに熱血って感じなら良いんだけど、斜に構えてるから余計に鬱陶しいんだよ」
愚痴めいたジーニーの言葉を聞いてもオブシディアンは表情一つ変えない。正直なところ、熱血であろうが捻くれたところがあろうがどうでも良かった。寧ろ段々と話を聞いているのが面倒になってくる。適当に攻撃してお帰り願おうかとオブシディアンが考えていると、ジーニーは意味ありげに口角を上げてみせた。
「そのせいか知らないけどね、仕事も大量に引き受けてるみたいでさ。なんだっけ? 有名な公爵家が二つあったろ。あの、三大公爵家って言われる内の二つさ。王太子の側近なんだって?」
その言葉に、段々と飽きを見せていたオブシディアンは反応した。三大公爵家で王太子の側近と言えば、リリアナの兄クライド・ベニート・クラークと近衛騎士を務めているオースティン・エアルドレッドの二人に違いない。リリアナの関係者とも言える人物の名に、ぴくりと片眉が動く。しかしその反応はほんの僅かで、ジーニーが気が付いた様子はなかった。とはいえ、わざわざ言葉にするぐらいだ。オブシディアンがリリアナに付いていることは既に知っているのだろう。
ジーニーは更に言葉を続ける。
「たくさん引き受けた仕事の中に、その二つを潰すっていう依頼も入ってたみたいでね。本当なら王太子の命が欲しいんだろうけど、でも狙うなら王家より公爵家の方が簡単だって思ったんじゃないかねぇ」
オブシディアンは小さく笑みを零した。堪え切れない失笑だった。
確かに普通に考えれば王家よりも公爵家の方が隙があると思うだろう。だが、エアルドレッド公爵家はともかく、クラーク公爵家の――特にリリアナの住んでいる屋敷に限って言えば例外だった。何よりもリリアナ本人が常に防御結界を気付かれないよう発動させている。彼女の近くに寄る者は、魔力がゼロでない限り気付かれる――厳密には体温も感知しているため魔力がゼロでも体温があれば勘付かれるのだが、オブシディアンはそこまでは知らない。
とはいえ、欲に塗れた神官長の狙いがリリアナとは限らない。手っ取り早く側近二人を殺害しようとしている可能性もある。しかし、その二人に関してはオブシディアンの管轄外だ。リリアナに頼まれたら動くが、自分からは動こうと思わない。
だからこそ、オブシディアンは全く動じなかった。そのことが予想外だったのか、ジーニーは胡乱な目をオブシディアンに向けている。オブシディアンはジーニーの目を真っ直ぐに見返して皮肉な口調で尋ねた。
「つまり、その公爵家の人間が狙われてるってことかい」
「そうだねえ、少なくとも側近の二人と婚約者のお嬢ちゃんが標的だとは聞いたよ」
「へえ、そりゃあ面白い」
今度こそ堪え切れずにオブシディアンは笑った。
はっきりと名前は口にしていないが、クライドとオースティン、そしてリリアナが狙われているということだ。その三人ならばぜひともリリアナを最初に襲って欲しいと、オブシディアンは思った。そうすれば神官長たちも、自分たちが相手にしようとしている相手が一筋縄ではいかないと悟るだろう。何よりもリリアナは最強と謳われているオブシディアンと互角に戦えるほどの腕を持つ。たとえ神官長たちに襲われようと、不安や恐怖に震えるどころか、良い魔術の訓練相手が出来たと喜びそうでもあった。
「それで? そいつらが標的になってるから、なんだって?」
オブシディアンの質問にジーニーは答えられない。
ジーニーはオブシディアンの反応に戸惑いを隠せなかった。彼女の予想では、ここでオブシディアンが動揺するはずだった。事前に入手していた情報では、オブシディアンはクラーク公爵家の令嬢であるリリアナ・アレクサンドラ・クラークに傾倒し、彼女の専属になった――ということだった。その情報が正しければ、リリアナはオブシディアンの弱点になるはずだ。だからこそ、リリアナが命を狙われていると告げて動揺を誘い、一気に交渉を畳みかける予定だったのだが、オブシディアンは動揺するどころか、良くできた喜劇を観劇しているような態度だ。
ここに来てようやく、ジーニーは自身の失敗を悟る。
これまでジーニーは、相手の弱味を突いて半ば力づくで従わせるような交渉しかして来なかった。そのためオブシディアンにも同じような話も持ち掛け方をしたのだが、オブシディアンはこれまでジーニーが接して来たどのタイプの人間とも違う。
オブシディアンにとって、彼が仕えている主人――だとジーニーは思っていた――であるリリアナは弱点になり得ない。実際にリリアナが危険に晒されている場面を見れば違うのかもしれないが、賭けにしては危険性が高い。正真正銘、文字通りの危険性――つまりジーニーの命が危うい。
かといって、ジーニーがこれまで殺して来た標的たちのように色仕掛けが通じる相手でもないことは明らかだった。
暫く二人は睨み合い、膠着状態が続く。そして先に諦めたのは、ジーニーの方だった。
「――分かった。言い方を変える。あたしに取って代わりたいと考えてるのはゼンフの神官長。本家からの依頼はあんたの暗殺だけど、あたしはあんたと敵対する気はない。それから、あいつはさっきも言った通り、王太子の側近と婚約者の命を狙ってる。だから、」
ジーニーは一瞬言葉を切った。眼光鋭くオブシディアンを見つめる。
「あたしに協力しないかい?」
オブシディアンは無言だった。無表情の裏で、その脳は目まぐるしく回転している。
ジーニーの出自、そして彼女がオブシディアンに協力を持ち掛けて来た理由――その全てが、一つの可能性を示唆していた。
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