41. 摘まれた不義の芽 2
ライリーから書簡を受け取ったオースティンとクライドは、すぐに文面に目を通した。その表情が呆れたような、苦笑したような、複雑なものになったのは致し方のないことだろう。
先に口を開いたのはクライドだった。
「あまりにも露骨というか――何故そんなにケプケ伯爵は焦っているのでしょうね。それともタナー侯爵が商売にかけては敏腕なのでしょうか」
「両方だろうね。どう考えても彼らにとっては実入りの良い商売でしかないはずだから」
淡々としながらも冷たさの感じられるライリーの台詞に気が付いていながらも、誰も突っ込むことはしない。それどころかオースティンは煽るような言葉を口にした。
「随分と金にがめついんだな。タナー侯爵領も現当主になってからだいぶ領地経営も軌道に乗ったと聞いたが、それじゃあ足りないってことか」
「そうだろう。でなければ妹をわざわざケプケ伯爵の元に嫁がせる意味はない。殿下の婚約者候補としてそれなりの教育は受けていたのだから、国内でも相応の相手は見繕えたはずだ」
クライドの指摘に、オースティンはどこか複雑そうな表情になりながらも曖昧に頷いた。
「まぁ――確かに、社交界デビュー前ならまだ誤魔化せるか」
クライドはショーン・タナーの妹マルヴィナに会ったことは殆どないが、ライリーと行動を共にすることが多かったオースティンは頻繁に顔を合わせていた。あくまでも候補でしかない段階でも王太子妃になるのだと信じて疑わなかった少女の態度は酷く高慢だった。それにも関わらず、三大公爵家の一員でもあったオースティンにも媚を売る。貴族子息としては珍しく市井にも出入りがあったオースティンにとっては明らかだったが、人によって態度を変えるマルヴィナに対して良い心証はない。
どれほど元の家格が高くともマルヴィナの性格が知れたら良い縁談は逃すのではないかと思えたが、公に人前に出る前であれば、優秀な若き新当主と縁を結びたいと考える貴族とも縁談を調えられるはずだった。
だが、今の問題はマルヴィナ嬢の婚姻ではない。彼女がケプケ伯爵と婚約した理由は間違いなく人身売買における提携という商売上のものだ。
「この手紙だけではタナー侯爵は無罪放免になるだろうからね。だから他に証拠を探っていたんだよ」
ライリーは話を本筋に戻した。その言葉にオースティンもクライドも頷く。
前侯爵の時であればタナー侯爵家に罪を問うても大して問題はなかった。前当主は欲のない人でそもそも犯罪に手を染めるようなことはしなかったが、たとえ罪に問われたとしても、彼を庇いだてようという類の有力貴族はいなかった。尤もそれなりに貴族たちとの交流はあったはずだから、行くあてのない前当主を保護してくれる人物もいただろうが、今の当主ショーンは違う。
彼は商売を盛り立て、領地経営に困っている貧乏貴族や更に領地を発展させたい高位貴族たちとの繋がりを着実に作って行った。そのショーンを証拠不十分な状態で罪に問えば、その貴族たちの反発を買うことは想像に難くない。
大半の貴族たちの心が離れてしまえば王政を維持することも難しくなる。そのため、有力者――特に顧問会議を納得させられるだけの材料が必要だった。
「大公派とも繋がりが出来ているという話もありましたね」
クライドが渋い表情で言葉を付け加える。ライリーは頷いてクライドの言葉を肯定した。
「タナー侯爵は明確に大公派というわけではないようだけどね。風見鶏のように、自分の利益になる方につく。そして大公派と他を比べた時に、大公派の貴族たちの方が金払いが良いというわけだ」
「見る目がありませんからね。確実に損をするだろう取引にも大金を払いますから」
ライリーが言葉を僅かに濁したにも関わらず、クライドはきっぱりと言い切る。身も蓋もない言い方にオースティンは呆れ顔だったが、外面の良いクライドの素に近い部分であることも知っていたため、咎めることはしなかった。
クライドは更に言葉を続ける。
「つまり隣国に我が国の人間を売り出すことで間接的に隣国への利益供与を謀り、我が国を危険に晒したという咎で芋蔓式に大公派を排除できるということですね」
ライリーは頷いた。オースティンは僅かに苦い表情だ。問うような視線を向けたクライドに、オースティンは「いや、な……」と言葉を一瞬濁した。しかし真っ直ぐ見つめられて観念したように頭を掻き、渋々と口を開いた。
「風見鶏っていうからには、上手く餌をちらつかせればこっち側に付くんじゃないかと思っただけだ」
既にそれなりの年月は経っているが、それでも先代国王の時代に起こった政変の影響は完全には無くなっていない。人員が潤沢にないということもあり、無益に人を罰するよりは取り込めるだけの人材を引き込んでおいた方が良い、というオースティンの考え方は当然のものでもあった。
だがクライドは自説を撤回しようとはしない。
「今回のこと程度で罰せられる程度の貴族は、どのみちこちらの陣営についてもまた直ぐに裏切る。ただ養うための金だけが掛かって見返りは少ない」
それに、とクライドは今度はライリーの方を見て言葉を続けた。
「人身売買にどの程度関わっているかも重要な要素になります。本気で“北の移民”を嫌悪し排斥しようとしているのであれば、今後殿下の治世には不要な人材です」
ライリーは卓越した身体能力の持ち主である“北の移民”が従軍することを条件に、彼らにも王国の民たちと同じ権利を与えて庇護する施策を考えている。そのため、人身売買に関わり心底“北の移民”たちを嫌悪している貴族たちはライリーの考える施策に反発することが考えられた。
オースティンは溜息を吐いて小さく頷く。
「まあ、それもあるか」
「嫌悪していても、実際に手を下さないのであれば見逃すつもりではいるけどね」
側近となる二人の会話を無言で聞いていたライリーが苦笑混じりに言葉を挟んだ。
どうしても身に馴染んだ嫌悪感というものは払拭することができない。ただその嫌悪感を口にしたり形にしたりしなければ、実害はない。思うことすら許さないと厳しい態度を見せることは百害あって一利なしだ。たとえ“北の移民”たちに何の感慨も抱いていない者でも、厳格な対応には反発する可能性がある。
「だけど今回のことはある意味で良い試験になるとも思っている。疑惑のある貴族を片っ端から調べて、その時の対応を見てみたい」
ライリーの言葉に、オースティンとクライドは直ぐに理解したという表情を浮かべる。リリアナもまた、ライリーの思惑を寸分違わず理解した。
今回タナー侯爵が隣国のケプケ伯爵と通じて人身売買を行っていたことを明るみに出し、それに関係していた貴族たちも捕縛する。そして彼らの中で今後も使えそうな者が居れば一定の条件下で放免する。完全に警戒を解くわけではなく監視は付けることになるだろうが、心中で何を思っていようとライリーたちに味方し尽力してくれるのであれば問題はない。
「それで」
王太子の思惑を理解したオースティンは、楽し気な表情でライリーに目を向けた。
「その手紙以外に何かあるんだろ。何を使う気だ?」
「まずは一つ、人身売買に対する契約書――というより同意書だね。タナー侯爵領から隣国に至るまで、宿泊所の融通や積み荷の確認をしないことについて幾つかの領主に了承させている」
ライリーは卓上に置かれた書類の束から一枚の紙を抜き出す。間違いなくその紙にはショーン・タナーの直筆の署名と紋章の入った印鑑が押されていた。
「それから二つ目。積み荷を運ぶ仕事をしていた男たちが捕えられたと、国境を見回っていた衛兵から連絡が入っている。彼らの頭は行方不明だそうだけど、証言としては十分だった」
その言葉を聞いたリリアナは僅かに目を細めた。詳細について報告は受けていないが、リリアナはその男たちが何故衛兵に捕らわれたのか、薄々勘付いていた。オブシディアンが“北の移民を運んでいた連中の頭はこっちで対処した”とだけ告げて来たのだ。“北の移民”は決して裏社会にどっぷりと浸かっているわけではないが、正当な権利なく過ごす者たちは往々にして裏稼業に関わってしまうことがある。特に身体能力が高い者たちは傭兵という割の良い仕事に就きがちで、そうなると必然的に裏の人間とも繋がりが出来てしまう。
オブシディアンが詳しいことは話そうとしなかったため追及はしていないが、十中八九、オブシディアンが対処した生き残りが衛兵に捕らわれたに違いなかった。
そして最後に、ライリーは四通の書簡を示す。そこに記された名前と印に、オースティンとリリアナは目を瞠った。クライドはその書簡の存在を知っていた様子で、大して驚きは見せていないが、安堵の息を吐いていた。ライリーは穏やかに微笑んで書簡の内容をオースティンとリリアナの二人に見せた。
「忙しかっただろうに、快くご協力頂けたよ。やっぱり、単なる民ではなく領主に認められた領民が拐かされたという方が罪には問いやすいからね」
ライリーが用意した書簡――それは、三大公爵家の二つ、エアルドレッド公爵とクラーク公爵、そしてカルヴァート辺境伯とケニス辺境伯の直筆の直訴状だった。文面は違うものの、それぞれの当主が“領民が不届き者によって不当に捕らえられ隣国に奴隷として売り飛ばされている”こと、そして“不届き者のしていることは立派な反逆行為であり、我が国の権威を失墜させる行為”に他ならず、関係者には厳しい処罰を下すべしと主張している。
勿論、クラーク公爵となったクライドはライリーに頼まれたその場で文面を認めた。前当主である父であれば協力しなかった可能性もあるが、クライドが協力を拒否する理由はない。特に、彼は当主の座についてから秘密裏に自領に居る“北の移民”について調査を進めていた。そしてクラーク公爵領でも他の領と同様に“北の移民”たちが消息を絶っているという情報を得たのだ。そのため、書簡の中には具体的な数字を用いて、彼らの失踪によって労働力が失われ、領地の収益減にもつながることにも言及できた。
だが、クラーク公爵の主張だけでは顧問会議を動かすには弱い。そのため他の有力貴族にも協力を要請する必要があったが、快く引き受けてくれた。その結果が、四通の書簡だ。
「いつタナー侯爵を招聘する予定だ?」
「数日後には」
オースティンの問いに、ライリーはにっこりと答える。リリアナはふと気に掛かったことを尋ねた。
「マルヴィナ嬢はどうなさいますの?」
「そうだね」
僅かにライリーが眉根を寄せる。
マルヴィナ・タナーはまだケプケ伯爵の元に居る。近々帰国の予定だという情報は入って来ているものの、当主が処罰を受けてしまえば当然その余波は彼女にも及ぶ。ケプケ伯爵とタナー侯爵は人身売買という事業で結びついた関係であり、ショーン・タナーが捕まればケプケ伯爵にとってマルヴィナを娶る利点はない。最悪の場合婚約は白紙撤回されるだろうが、マルヴィナの性格を考えれば彼女を引き受けても良いとする親族がいるかどうかは謎だった。
ただ、不幸中の幸いは隠居した前侯爵がこぢんまりとした荘園で過ごしている点だ。ショーン・タナーが侯爵位を失ったとしても、前侯爵夫妻は平民の監督官として過ごすことができる。侯爵時代の贅沢を諦めることさえできれば、マルヴィナ一人程度は養うことができるだろう。
「彼女は人身売買には関わっていないことは間違いない。とはいえ類が及ばないようにはできないから、前侯爵夫妻のところに身を寄せるのが妥協点だろうね」
爵位のない令嬢は結婚でしか貴族籍を維持できない。しかし平民としてただ放り出されるよりは、前侯爵夫妻――つまりマルヴィナの両親の元に身を寄せることができるだけ、マルヴィナにとっては幸運だろう。
とはいえ、マルヴィナの性格を考えれば耐えられるとは限らなかった。
「つまり生きてはいけるだろうが、何か仕出かしたら平民として法で裁かれるってことだな。そのことを理解しておいて欲しいものだが」
オースティンが難しい表情で呟く。誰も明言はしなかったが、マルヴィナの為人を知る以上軽々しく同意はできなかった。
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