41. 摘まれた不義の芽 1
リリアナたちが王都に帰還した数日後、王宮にあるライリーの執務室の空気には緊張感が含まれていた。ソファーに腰掛けているのはライリーとリリアナ、そしてオースティン、クライドの四人だった。四人が囲んでいるテーブルの上には報告書の束と書簡が置いてある。
「良い報告と悪い報告があってね」
口火を切ったのはライリーだった。オースティンとクライドは重々しく頷くが、リリアナは平然と座っている。しかしその心境は複雑だった。
今後の展開を把握するためには同席していた方が何かと都合が良い。だが、一方で王太子とその側近となる二人と同じ扱いをされているという現実には違和感があった。王太子の婚約者ではあるものの、乙女ゲームではリリアナは悪役だったし、そして現実のクライドはリリアナを完全には信用していない気配がある。
ゼンフの町とネイビー男爵領を視察して以降は珍しく声を掛けて来ることもあったが、それでもどこかリリアナの様子を窺っている節があった。
「悪い報告というのは、我々が留守にしていた間の顧問会議ですか」
質問を口にしたのはクライドだった。疑問の形を取ってはいるが、確信があるらしくほぼ断定口調だ。そしてライリーははっきりと頷いた。
「その通り。カルヴァート辺境伯領とケニス辺境伯領で同時に狼煙が上がった。本来であれば隣国からの攻撃を想定して近隣の領主への応援要請や王立騎士団の派遣も視野に入れた検討をすべきところだが、顧問会議で検討した結果、その両方が見送られたようだね」
「騎士団の方でも不満が噴出してたよ。一体誰が主導したんだ?」
顔を顰めてオースティンが口を挟む。
王立騎士団の騎士たちが普段から厳しい訓練に励んでいるのは有事の時に備えてのことだ。今回の事件は日ごろの鍛錬の成果を発揮するまたとない機会だったにも関わらず、団長を通じて下された命令は“待機”の文字だった。当然表立って反抗する者はいないが、反発心は高まっていく。
そして近衛騎士としてライリーに随行し、カルヴァート辺境伯領での戦闘に加わったオースティンには話を聞きたいという騎士たちがひっきりなしに声を掛けて来るという事態に陥った。それも今日になってようやく落ち着いて来たという状況だ。
騎士団の様子も報告として聞いていたライリーは、オースティンに顔を向けると苦笑を滲ませた。
「言うまでもないことだとは思うけど、他言無用で頼むよ。表立って主導したわけではないが、大公派の貴族が賛成にまわり、中立派の貴族も取り込まれたようだね」
「王太子派は? って、そうか。ケニス辺境伯もカルヴァート辺境伯も居なかったってことか」
「そう。それから折り悪くプレイステッド卿も別件で忙しく参加できなかったらしい」
つまり王太子派の有力貴族がこぞって欠席したため、その時の顧問会議は大公派の独壇場だったということだ。クライドは眉間に皺を寄せて口を開いた。
「あまりにも時機が良すぎますね。カルヴァート辺境伯領もケニス辺境伯領も、陥落してしまえば我が国にとっては大きな不利益になる。それにも関わらず顧問会議で支援を見送るという判断が下されたことも妙ですが、カルヴァート辺境伯領もケニス辺境伯領も結局は奪還することができました。不幸中の幸いと言えば聞こえは良いですが、何かしらの思惑が存在していたと考えても当然ではないでしょうか」
「あまり疑うことはしたくないけれど、その可能性は考えておいた方が良いだろうね。ケニス騎士団は敵勢を撃退したということだから首謀者の正体までは掴めなかったらしいけど、カルヴァート辺境伯領のフィーニスの砦を制圧した一団を率いていたのはカルツ将軍だったから」
ライリーの言葉に首を傾げたのはオースティンだった。
カルツ将軍が捕虜となったという話はオースティンも聞いている。だが、カルツ将軍と言えばカルヴァート騎士団のユージン・プレストン将軍を敵視していることで有名だ。高名な騎士と一騎打ちをしたがる戦闘狂だという噂は知っているが、今ここでカルツ将軍の名前が出て来る理由は分からなかった。
不思議そうな表情のオースティンに説明を加えたのはクライドだった。
「カルツ将軍は長くどの派閥にも属していなかったが、最近になって第三皇子派になったという情報がある」
「第三皇子派って、確か反侵略派だったよな」
ユナティアン皇国の後継争いは熾烈を極めている。最有力は第一皇子だが、第一王女と第三皇子も常に後継争いで名前が出て来る有力者だ。そして第二皇子であるローランドも徐々に力をつけて来ており、更に事態は混沌を招くと言われていた。
クライドは微妙な表情で頷いてみせる。
「武力には頼らないという意味では反侵略派だが、その代わり我が国の内部から切り崩しを狙っているという噂もある」
「やべぇやつじゃねえか」
思わず下町口調になったオースティンを咎める者はこの場には居ない。溜息を吐いたオースティンはクライドとライリーの顔を順番に眺める。
「第一皇女が一番好戦的だとは聞いてたが、その話だと第三皇子も警戒しなきゃいけないってことだな?」
「そういうことだね」
ライリーもまたオースティンの言葉を肯定する。そして少々眼差しに憂いを含ませて、嘆息と共に告げた。
「第三皇子と繋がっていると考えたら辻褄も合わなくはないんだよ。途中までなら大公派と第三皇子は協力体制を築ける。敵の敵は味方ということだね」
「狡猾だな」
オースティンはうんざりとした様子で顔を覆う。
次期国王候補であるライリーを追い落としたいという意味で、大公派と隣国の第三皇子は目的が共通している。第三皇子が内部から王国を切り崩した後どのように影響力を強めるつもりなのかは分からないが、大公派と上手く手を組めば大公や彼の支持者たちに悟らせぬよう王国を支配できるだろう。仮に大公派が第三皇子の影響を退けようというのであれば、王国内をまとめた後に第三皇子とその手勢を追い落とせば良いだけだ。
しかし、クライドは大公派が有利に事を進められるとは到底思っていない様子だった。
「恐らく大公派は第三皇子側に上手く使われて終わるでしょうが」
冷たく言い放ち鼻先で笑う。しかし、その場にいた誰もがその見解を否定はできなかった。大公派は一枚岩ではない。権力欲や金銭欲に捕らわれた貴族たちが王太子という共通の敵を前にして手を組んだだけの集団だ。第三皇子は狡猾だというから、目先のことにしか興味のない大公や支持者たちが第三皇子の影響を排除することなどできるはずはない。
美味い汁を吸わされて、気が付けば王国は皇国の手に落ちていた、ということになりかねなかった。
「とりあえず、大公派が隣国と通じている可能性は頭に入れておいた方が良いってことだな。この件はヘガティ団長に伝えた方が良いか?」
「そうだね、できれば情報として共有はしておきたい」
オースティンが確認すればライリーは頷く。
ライリーが直接王立騎士団長ヘガティに告げれば、それは確定した情報となってしまう。だがまだ証拠も不十分だ。できればまだ大公派は泳がせて、確たる証拠が手に入るまで素知らぬ振りを貫き通しておきたい。
そのため、オースティンが世間話ついでに噂をヘガティの耳に入れるという手段は非常に有益だった。
「了解。俺から言っておく」
「助かるよ」
オースティンの申し出にライリーは笑みを浮かべる。卓上の報告書を手に取りざっと目を通したクライドは、報告書をもとに戻すと「それでは」と言った。
「魔導省に関しては大公派の影響を極力排除出来たと考えて良いかと思いますが、残るは王立騎士団と顧問会議ですね。王立騎士団については八番隊隊長ブルーノ・スコーンを中心に大公派の疑惑があり調査を進めていますが、未だに目ぼしい情報は得られていません」
「さすがに隊長まで登り詰めただけのことはあるね。ほぼ間違いなく大公派の謀略に一枚噛んでいるとは思うんだけど」
ライリーは難しい表情だ。ブルーノ・スコーンは強かで決して弱味を握らせない。
王家の間諜である“影”だけでなくクラーク公爵家の手の者を使っても、ブルーノ・スコーンが大公派や隣国と通じている証拠は見つけられなかった。
あまりにも証拠がないため、疑惑は杞憂ではないのかと考えたこともあった。しかし、隠密、間諜など含めた謀反に関連する犯罪を取り締まる隊の隊長を務めている割には、あまりにも身綺麗なのだ。通常であれば、八番隊の騎士は一定の犯罪行為に手を染めている。それでも罪に問われないのは、彼らがスリベグランディア王国の国防に大きな役割を果たしているとされているからだった。つまり、八番隊の騎士たちは、王国を護るという大義名分があれば、ある程度は犯罪をもみ消す必要もないということになる。
「引き続き八番隊隊長に関しては、彼の父親も併せて調査対象に含めます」
「ああ、頼んだよ」
ライリーはクライドの言葉に頷いた。
一つの問題に対する今後の方策が決まれば、次は“良い知らせ”の方だ。ライリーは卓上に置かれた書類の中から、一番下の書簡と報告書を取り出した。
「手紙?」
オースティンが尋ねる。ライリーは意味深な目をリリアナに向けた。リリアナは勿論、ライリーが手にした書簡に見覚えがあった。だが今ここで出て来るとは思わず、わずかに目を瞠る。
その反応に満足したのか、ライリーは笑みを深めると封筒から紙を取り出した。
「隣国のケプケ伯爵が、我が国のタナー侯爵ショーン殿に宛てた書簡だ。内容は、端的に言うと人身売買の利権を他の貴族に譲渡するなという強迫だね」
ライリーが示した手紙――それは、オブシディアンがマルヴィナ・タナーを焚きつけ、ケプケ伯爵の不安を煽ることで書かれることとなった書簡。リリアナに持ち帰った、人身売買の実情を示す証拠だった。
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