40. 飼い犬の選択肢 2
ソーン・グリードが父親の意図を知るため政治的な情報を得ようと心に決めた翌日、彼は緊張した面持ちで王宮へ足を運んでいた。その懐には召喚状が一通入っている。昨夜、自室に戻ったソーンが受け取ったその召喚状には、王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードの直筆で王宮に来るようにと書かれてあった。何故呼ばれたのかソーンには分からない。
これまでの彼であれば、自分の成果が認められたに違いないと信じただろう。だが、今のソーンの脳裏には父親に命じられたベン・ドラコの殺害という任務がこびりついて離れない。意気揚々と王宮に向かうどころか、寧ろ死地に赴く戦士の心地にすらなっていた。
所定の手続きを済ませ、ソーンは王宮に入る。侍従に案内されるがまま長い廊下を歩き、胃が痛むのを感じながらも彼は奥まった場所にある応接間に辿り着いた。
そこで暫く待つように言われ、ソーンは居心地悪そうにソファーへと腰かける。一見したところ簡素な部屋は、調度品の色や風合いが揃えてあり、酷く落ち着く空間に誂えてあった。だがそのどれもこれもがソーンの実家であるグリード伯爵家の屋敷と比べて遥かに高級で、緊張に拍車がかかる。グリード伯爵家の家宝であれば辛うじて同等の価値があると言えるかもしれない。
そして暫く待った後、扉を叩く音がした。慌てて立ち上がると、侍従の後ろから護衛を伴ったライリーが入って来る。
ソーンは緊張した面持ちでライリーを迎えた。ライリーはソーンを見ると緊張をほぐすように笑みを浮かべる。
「突然呼び立てて申し訳ない。貴殿と話したいと思うことがあってね」
ソーンの対面に腰かけたライリーはソーンにも座るよう促すと、茶を持って来た侍従が出て行ったのを見計らってそう切り出した。ソーンは背筋を伸ばして神妙な面持ちで「はい」と答える。喉がからからに渇いていたせいか、唾液を飲み込む音がやけに大きく聞こえた気がした。
ライリーは時間を無駄にするようなことはしなかった。
「今日、この場での発言については他言無用だ。そして私は貴殿が正直に、そして包み隠さず話してくれることを望んでいる」
「承知いたしました」
真剣な声で告げられた言葉を聞いたソーンの緊張は更に強くなる。どのようなことを尋ねられるのか、全く想像もつかない。そしてそんなソーンをさりげなく注視していたライリーは、穏やかな口調で尋ねた。
「魔導省に勤める魔導士は、魔導省の仕事以外にも個別で仕事を請け負うことがあると聞いたんだ。その実態を知りたいと思ってね」
本来であれば魔導省に足を運ぶべきだったんだろうけどなかなか手が空かなくて、とライリーは苦笑混じりに告げる。その様子と質問の内容に、ソーンは安堵の息を吐いた。
どうやら自分が弾劾される可能性はないらしい。
「そう――ですね。人によりますが、魔導省以外の仕事も請け負うことがあります。そもそも魔導士も数はそれほどおりませんので」
「なるほど。例えば臨時の――つまり一時的な仕事だけではなく、例えば誰かに恒常的に雇われるというようなこともあるのかな?」
「はい」
ライリーは興味深そうに目を輝かせている。そのことにどこか擽ったい気持ちになりながら、ソーンは徐々に体から緊張が抜けていくのを感じていた。
「恒常的にとは言っても、本業は魔導省ですから、そちらに影響があってはいけません。ですので余暇を全て仕事に費やす気概がなければ手を出すことはありませんが、同時に技能を磨く好機にもなります」
「魔導省で働いているだけでは触れることのない分野に触れることができるということかな」
「それもありますし、あとは実務に根差した魔術を使うことができるという利点があります。魔導省の仕事はどちらかというと魔術の形態を整理したり魔道具を開発したりと、言うなれば上流の仕事ですから。日常生活や実務においてどのような魔術が生かせるかという観点での仕事は、それほど多くないのです」
話している相手は王太子だが、ソーンの気分は魔導省に入省したての若手に講義をしている時と同じだ。自分の知っていることを他人に教えることは、ソーンにとって楽しい仕事の一つだった。特に相手が優秀で頭の良い者であれば尚良い。
ライリーは感心したようにソーンの話を聞いていたが、何気なく尋ねた。
「貴殿も魔導省以外の仕事をしているのかな?」
「そうですね、本業に差しさわりのない範囲ではありますが」
「臨時の仕事? それとも恒常的なものも?」
その質問はあまりにも自然だった。ソーンは違和感を覚えることなく、あっさりと答える。
「両方です。今は臨時の仕事は引き受けていませんので、恒常的なものが一件ほど」
ふとソーンはいつの間にか立ち消えになっていた仕事を思い出した。既に亡くなったニコラス・バーグソン前長官が持って来た仕事だ。代理人らしき人物に魔導石を融通するよう言われ、横領にならないよう苦心して書類を作り上げた仕事だった。いつの間にかその仕事もぱったりと要請が止んでいる。理由は分からないが、考えるようなことでもないかとソーンはあっさりと思考を放棄した。
そんなソーンの内心を知らないライリーは「へえ」と相槌を打つ。
「恒常的な仕事とは一体?」
「タナー侯爵家の、いわゆるお抱え魔導士というものです。職務範囲は限定されていません。違法でなければ依頼された仕事をこなす必要がありますので、仕事が立て込んでしまえば忙しくなりますが、一方で何もないという時期もあります」
ライリーの目がきらりと光る。しかしソーンはライリーの変化に気が付かなかった。ライリーは相変わらず興味深いと言いたげな様子で身を乗り出した。
「それは面白い仕事だね。領主の専属魔導士というものは以前耳にしたことがあるけれど、実際に会ったことはない。確か契約に手間がかかると聞いた記憶がある」
「その通りです」
ソーンは驚いたように目を瞠る。ライリーが専属魔導士について多少とはいえ知っているとは思ってもいなかった。それほど専属魔導士は数が少ない。金がかかるため裕福な領主でなければ雇えないこと、そして契約に際して制約が多いことが理由だった。
ライリーは小首を傾げて質問を続ける。
「ちなみに、専属魔導士としては具体的にどのようなことをしているのかな」
「タナー侯爵領では商業的な流通活性化のために、街道の整備を行っていますが、人力では時間が掛かります。そのため、整備の邪魔になる石を破壊できる小型の魔道具を作製することが一番多いですね」
さすがに驚いたのか、ライリーは目を瞠った。
「石を爆破? それは危険ではないかな」
「人には反応しないように術式を組みましたので、問題はないかと思います」
当然、ソーンも人に被害が及ばないようにと考えてはいる。その結果が、人が一定の範囲内に居る場合は魔道具が爆発しないように術式を組むことだった。それに現時点ではそれほど大きな爆発は起こせない。石を破壊するといっても、魔道具で出来ることは人が石を壊しやすいように罅を入れる程度のことだった。
「貴殿の優秀さを遺憾なく発揮しているようだね」
にっこりとライリーは告げる。自分の能力を認められた気がして、ソーンは僅かに口角を緩める。しかし相手は王太子といえど年下だ。精一杯表情を引き締めて何でもない風を装った。
「他には?」
「そうですね。荷を運んでいる途中で野盗に襲われては大変ですから、荷が周囲に感知されにくいよう気配を薄くする魔道具の開発も多くあります」
「防御の魔道具ではなく? 面白い発想だね」
「はい。護衛を雇っていますから、魔道具に防御の性能を付ければ彼らの仕事を奪ってしまう――ということだそうで。全く作製しなかったわけではありませんが、量としてはそれほど多くありません」
ソーンがタナー侯爵に依頼された仕事は魔道具の作製ばかりだった。他にも野盗に襲われ反撃した時、捕らえた場所から悪党が逃れられないよう拘束する魔道具も幾つか作った記憶がある。
ライリーに請われるままソーンは説明を続けた。何度か気持ちが入りすぎて熱く語ってしまったが、ライリーはソーンにとってとても良い聞き手だった。
大方の内容を話し終えたところで、ライリーは「ありがとう」と礼を告げる。
「忙しいのにわざわざ足を運んでもらって感謝する」
ライリーの言葉に、ソーンは心臓が高鳴るのを感じた。王太子に感謝されるとは思わなかった。よく考えれば、これまでソーンの周囲には素直に感謝するような人間はそれほど居なかった。魔導省で指導をしていた若手たちは別だが、それ以外の者たちは皆ソーンが何かをするのを当然のように扱っていた。家族に至っては、ソーンが何かする度に眉を顰めて文句を言っていた。
だからこそ余計にソーンは慌てた。
「いえ、とんでもありません。寧ろ私の話を聞いてくださり有難うございました」
「そう言ってくれると助かる」
穏やかなライリーは、まさしく王の器だ――そう、ソーンは思った。
大公派がいるという程度のことは知っているが、噂を聞く限り、この国のためにはフランクリン・スリベグラード大公よりもライリーが国王になる方が良いに違いない。
同時に、ソーンは一つの可能性に辿り着いた。
魔導省の長官にベン・ドラコを指名したのはライリーだ。そして、父親であるグリード伯爵はベン・ドラコを殺害するように言いつけた。
――確実なことは知らないが、もしかしたらグリード伯爵は大公派ではないか。
もしそうならば――と、ソーンは一気に背筋を冷たいものが落ちた。政治に興味がないソーンでさえ、大公が国王になればスリベグランディア王国が危うくなるということは分かる。彼は国庫を使い込むほど贅を凝らした暮らしを楽しみ、民草のことなど一切気に掛けないに違いない。
そう思い立てば、ソーンは居ても立っても居られなくなった。
「殿下!」
ソファーから立ち上がろうとしたライリーを、不敬とは思いつつ呼び止める。ライリーは小首を傾げてソーンを見下ろした。
「なにかな?」
「その――実は、一つお耳に入れたいことがあります」
父の明確な命令を破るのは、ソーンの人生ではこれが初めてだ。そのせいか、緊張で鼓動が速くなる。続きを促すライリーを前に、ソーンは生唾を飲み込んだ。
「実は――父の、ことなのですが」
「グリード伯爵の?」
予想外だったのか、ライリーが目を瞠る。ソーンはしっかりと頷いた。
「はい。父が――ベン・ドラコ長官の殺害を企図しています」
その告発は、静かな部屋に低く響いた。
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