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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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40. 飼い犬の選択肢 1


王都にある魔導省。その食堂で、ソーン・グリードは視界の端に一人の少年の姿を捕えていた。魔導省では最年少の彼は満面の笑みで昼食にありついている。その正面では長官となったベン・ドラコが相変わらずの仏頂面でつまらなそうに食事を摂っていた。


これまでは部屋で食事をしていたベン・ドラコが他の魔導士たちに混じって食事を摂っていることに、当初は皆驚いていた。しかし人は慣れる生き物だ。回数が重なるにつれて、誰も何も言わなくなった。元々魔導士はよく言えば独立心旺盛、悪く言えば他者に興味を持たない。自分に関わる事柄であれば多少関心を持ち噂もするものの、自分に何の関係もないと判断すれば途端に好奇心を失う。出世欲や権利欲の強い魔導士たちであれば自分と関わり合いのない人間に注目することもあるが、大半はそうではなかった。

以前ソーン・グリードがニコラス・バーグソン長官の後を継ぐのではないかと噂されていた時も、魔導士たちは長官の人事が自分の進退に多少なりとも影響すると理解していてこそだ。


だが、ソーン・グリードは一般的な魔導士とは多少違う。生まれが伯爵家ということもあるのかもしれないが、周囲のことに多少目を向けるだけの余裕はあった。目下の者に対して比較的親身になることもできる。そのため、何かしらの相談事がソーンの元に持ち込まれるのも常だった。

そんなソーンは、どちらかといえば年若く入省したばかりの魔導士を気に掛けることも多い。口を開けば“自分の派閥を作る”と言い張るが、その実自分の派閥で徒党を組んで何かを企むというようなことはしたことがなかった。ソーンが魔導省でした魔導士の仕事以外は全て、ニコラス・バーグソンに言いつけられた雑用ばかりだった。だがバーグソン亡き今はそれもない。人手は減ったにも関わらず、些末な業務が減ったソーンは、その分に割いていた意識を最年少で入省した少年ベラスタ・ドラコに向けていた。


「んでさぁ、やっぱりあの扉のところにある鳥なんだけど、補助魔道具をもう一つ付け加えた方が良いんじゃねえかって思うんだよね」


美味しそうに食事を摂りながらも喜々としてベラスタは自分の思っていることを兄であるベン・ドラコに話している。ベン・ドラコは言葉少なに答えるが、その姿がソーンには意外だった。


「弟には良い兄――ということなのか?」


正直なところ、ソーンは家族との関わりが浅い。父親はソーンのことを軽んじているし、必然的に兄たちもソーンのことは存在しない弟か、八つ当たりできる相手という程度にしか考えていない様子だった。そのため家族と暖かな会話や他愛のない話をした記憶は一切ない。

ずっとベン・ドラコのことを、他者を蹴落として卑怯な手を使ってでも長官という座を得ようとしている、魔導士の風上にも置けないものだと思い込んでいたが、彼の弟であるベラスタが入省してからは弟を気に掛けている場面ばかりを良く見る。そしてベラスタもそんな兄には良く懐いているようだった。


食事を終えたベン・ドラコは急いでいるようで、ベラスタにゆっくり食べるよう言い置いて足早に食堂を立ち去る。その後ろ姿を見送ったベラスタはきょろきょろと周囲を見回すと、ソーンを見つけて破顔した。

食事の入った皿を抱えて、いそいそと少し離れた場所に陣取っていたソーンのテーブルに移動して来る。


「ここで食っても良いですか?」

「――構わない」


魔導省に入省した後、ベラスタはソーンにも変わらない態度で接して来る。ベン・ドラコとの確執を肌で感じないわけではないようだが、ベラスタは呆気らかんと「兄貴と俺は別人だから」と言って憚らない。どうやら兄と仲の悪い相手だからといって、自分まで距離を取ろうとは思わない様子だった。

そのことにソーンは驚きながらもどこか気まずく、そして心の底では安堵に似た感情を抱いている自分に気が付いていた。


「よく食べるな、お前」


思わずソーンは呆れ顔でベラスタの手元を見やる。山盛りの皿を二度お代わりしていたことに、ソーンは気が付いていた。もしベラスタの食事量が普通であればベン・ドラコが途中で退席するのを苦々しく見守っていただろうが、ベラスタが常人の倍以上食べているところを見てしまえば、それにずっと付き合うのも酷だろうと悟ってしまう。

あれほど苦々しく思っていたベン・ドラコの意外な面を見て気が緩んでいるのかもしれないが、ソーンは以前ほどベン・ドラコを悪しざまに罵ることはできなくなっていた。尤もいけ好かない奴だと思っていることに変わりはないが、少なくとも反射的に顔を顰め嫌味を言ってしまうほどではない。


「そうかな? 成長期だからこんなもんじゃね?」


きょとんと首を傾げたベラスタは、食事を始めた時と変わらない速度で口に運んでいる。その様を眺めながら、ソーンはほんの僅かに眉根を寄せて考え込んでいた。


ここ最近、ずっとソーンは一つのことで頭を悩ませている。ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは、父グリード伯爵の命令だった。


『お前がベン・ドラコを亡き者にすれば、それで事は順調に進むのだ』


罷免でもなく降格でもない。罠に嵌めて魔導士としての資格を剥奪するということでもない。ソーンの父は――グリード伯爵は、ベン・ドラコを殺せと告げたのだ。


確かにソーン・グリードは、ニコラス・バーグソン元長官の指示を受けてベン・ドラコの屋敷から証拠が見つかったと偽った。実際にはその証拠は使い物にならず、バーグソンのソーンに対する評価は下がってしまったわけだが、あの時に協力を決意したのは“ベン・ドラコが証拠隠滅を図ったに違いない”という確信を持っていたからだった。

あの時、バーグソンはベン・ドラコを魔導省から追放するつもりだと言っていた。決してベン・ドラコの殺害を企図したものではなかったのだ。そして、ソーンもまたベン・ドラコが魔導省から居なくなれば良いと思ってはいたものの、死んでしまえば良いとまでは思っていなかった。


「ベラスタ。お前は――ベン・ドラコのことは慕っているのか」

「慕って!? 冗談言わないでくれよ!」


難しい顔で悩んだ挙句、ソーンは何気なさを装って尋ねた。だが緊張は隠せなかった。そして言葉を選んだつもりではあるものの、少々突拍子もない言い回しになってしまった。

案の定ベラスタは驚きに目を瞠って悲鳴を上げたが、すぐに頬を紅潮させて不貞腐れた顔でそっぽを向く。それだけで、ベラスタが兄を慕い尊敬しているのだと分かってしまう。


「まぁ――そりゃ、悪いとは言わないけどさ。頭良いし、俺の思いもつかないこと知ってるし、色々教えてくれるし。でもさ、結構理不尽なことも言うんだぜ。この前なんて、ちょっと魔道具の実験に失敗したらおやつ抜きだなんて言うんだ!」

「――ちなみに、何の実験をしたんだ?」


立て板に水の如く喋り始めたベラスタに苦笑を滲ませたソーンだが、魔道具の実験に失敗、と言われた瞬間眉根を寄せて口を挟んでしまう。するとベラスタは明らかに“しまった”という顔をしたが、静かに凝視するソーンの視線に耐え切れず、恐る恐る口を開いた。


「えっとぉ……その、風魔術と火魔術組み合わせたら冬場も部屋をあっためられんじゃないかって思ってさぁ……」


ベラスタは明後日の方向を向いて明言を避けたが、ソーン・グリードもそれなりに優秀な魔導士だ。あっさりと、失敗したという実験の結末を理解した。


「爆発したか」

「うん」


恥ずかし気に、ベラスタは頷く。ソーン・グリードは深々と溜息を吐いた。

ベラスタが魔導省の入省試験を受けに来たと知った時は、ベン・ドラコが弟のことも良いように使うに違いないと腹を立てた。だがベラスタが魔導省に入省して暫く経った今、寧ろベン・ドラコの仕事が増えているような気がしてならない。確かにベラスタは優秀に見えるが、若いが故の失敗や不手際は時々心臓に悪いものも含まれていた。そこでようやく、ソーンは当初自分が思い至った可能性を疑い始めたのだった。

今聞いた失敗も、初めてではない。この前は氷の巨大な像を作ろうとして失敗し、危うく下敷きになって死ぬところだった。魔術に関しては天才的な面を見せるくせに、魔道具となると悉く失敗する。

痛み始めた頭を抑え、ソーンは低く言ってのけた。


「当然だ、馬鹿者。むしろおやつ抜きで良く済んだものだ」

「え、おやつ抜きって結構な罰じゃね?」

「そんなわけあるか。私がお前の師なら、しばらく魔道具の研究はお預けだ」


ええ、とベラスタは悲鳴を上げる。


「魔道具の研究お預けって、そこまで? 部屋も燃えちゃったから、元に戻すの大変だったんだぜ」

「自業自得だ、愚か者」

「ひっでぇ」


ベラスタは口を尖らせる。しかしその間にも着実に皿の上の食事はベラスタの胃の中に消えていく。

その様子を何とはなしに眺めながら、ソーンは再び父親の言葉を思い出していた。


間違いなく、ソーンは自分の兄が死んだと聞いても何の感慨も湧かないだろう。ただその知らせを受け取り「そうか」と一つ頷き、脳内にある自分と関係のある人物の相関図から一人分の名前を消し去る。ソーンが死んでも、グリード伯爵家の人間は誰も悲しまない。もしかしたら父は惜しんでくれるかもしれないが、それも今だけ――ソーンが自分の手駒として邪魔なベン・ドラコを殺してくれる手筈になっている今だけだ。そして、彼は直ぐに気持ちを切り替え、別の人間にベン・ドラコの殺害依頼をするに違いない。

だが、ベラスタは違う。憎まれ口を叩いてはいるが、間違いなく彼は兄を慕っている。そしてソーンにとっては予想外も良いところだったが、ベン・ドラコもベラスタに対しては“兄”として接していた。ソーンの兄よりも余程兄らしい態度だった。


間違いなく、ベン・ドラコが死んだらベラスタは悲しむだろう。そしてベン・ドラコを殺したのがソーン・グリードだと知ったら、二度と今までのように二心なく接することはなくなるに違いない。ただ心の底からソーンを恨み憎む。そうなることを思うと、ベン・ドラコを殺す計画を立てることすら出来ない。


――父に命じられるがまま、ベン・ドラコを弑するか、否か。


魔導省に入省したのは自分のためだったが、父は反対しなかった。馬鹿にされているのは分かっていたが、父はそこまでソーンに興味も関心もなかったのを良いことに、我が儘を通した。だが、それ以外でソーンは父親の意志に逆らったことはなかった。言葉にされない父の気持ちを忖度して、父の望む子供であろうと振る舞って来た。具体的に命じられた時は、反論するなど思いもしなかった。父の命令は絶対だった。だからこそ、魔導士になったのは唯一の反抗とも言えた。


だが、今ソーンは父の命令に従うべきか悩んでいる。そして悩み続けていると、徐々に疑問も抱くようになった。

何故、父親はベン・ドラコを殺したいのか。

恐らく政治的な何かしらが関係しているのだろう。


「どうしたんだよ。何か最近元気ないよな」


食事を終えたベラスタが食後のお茶を飲みながら上目遣いでソーンに尋ねる。思索に耽っていたソーンは、はっと顔を上げた。そして苦笑混じりに首を振る。


「何でもない」

「そうか?」


それなら良いんだけど、ちゃんと寝ねぇと大きくならないぞ、とベラスタは偉そうに言う。ソーンは更に苦笑を深めた。


「私はこれ以上成長しない」

「わかんねえよ。ポールは今も背が伸びてるって言ってた」


ベラスタの言う“ポール”が誰のことかソーンには分からなかったが、ソーンは短く「そうか」とだけ頷く。ベラスタも詳しくは説明する気がないらしい。

ソーンはコップに残っていた茶を飲み干すと、仕事に戻るため立ち上がる。


「それじゃあな。ちゃんと仕事はしろ。それから、危険が予想される実験をするときは必ずお前の兄か誰かを同席させろ」

「はぁい」


小言を告げればベラスタは素直に頷く。ソーンは一つ頷くと、今度こそその場を立ち去った。


これまでソーンは魔導士らしく政治的な事柄からは距離を置いていたが、父の本音を知るためには政治の情報も入手しなければならない。

ベン・ドラコを殺さずに済む理由を探していることに、ソーンは最後まで思い至っていなかった。



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