39. 狂乱の魔導剣士 5
砦を占拠していた敵兵たちを全て捕らえた後、一行はフィーニスの砦に残る者と立ち去る者に分かれた。砦の内部はそれほど荒らされておらず、多少手を入れたら元通り使えると言う。
ライリーとリリアナたちは一旦辺境伯領の中心地である都に向かうことになっていた。リリアナの隣に立っていたライリーが誰かを探す素振りをして、小さく笑みを零した。
「どうやらエミリア嬢とオースティンは仲良くなったみたいだね」
視線を向ければ、確かにオースティンと語らうエミリアが居る。二人は楽し気で打ち解けた様子だ。リリアナはどこか冷めた目で、その光景を眺めていた。
(好感度が上がりましたわね)
乙女ゲーム通りに進むのであれば、この後オースティンから報告を受けたライリーの好感度も上がるはずだ。王太子と近衛騎士ルートに着々と近づきつつある現状に、溜息しか出ない。
干渉することなく他人を思い通りに動かせるなど、元より考えてはいなかった。そのためエミリアが隠しキャラクターを攻略する選択肢を選ばない可能性も考慮に入れ、今後の予定を検討していた。だが未だに最善の策は見つかっていない。
(やはり、ある程度はゲーム通りに進めるしかないのでしょうか)
リリアナは内心で呟いた。やはり心がもやもやとする。自分には理解できない感情を意識すると表情も態度も制御できなくなってしまう。リリアナは心の内に芽生えている妙な感覚を無視して、これからの事を考えることにした。
記憶にある乙女ゲームの通りに筋書きを進められるのであれば、その先に発生するだろう事件も予測しやすい。既にゲームからはかけ離れた状況になってはいるものの、これ以上掛け離れてしまえば制御することも難しくなるだろう。
(問題はどうやって隠しキャラクターの出現を防ぐか、ですわね)
そして念を入れるのであれば、仮に隠しキャラクターが出て来てしまった時に、どのようにして世界の破滅を止めるか予め考えておくべきだ。隠しキャラクターが出て来てしまった場合、乙女ゲーム通りに物語が進んでしまえばリリアナは死んでしまう可能性が高い。元々乙女ゲーム通りに死ぬ運命を避けたいと思っていたのだから、最悪の場合を考えて常に先んじるべきだった。
黙っているリリアナに何を思ったか、ライリーは少し気遣わし気な視線を向けた。
「大丈夫?」
「ええ」
何が心配されているのか分からなかったが、特に問題はないためリリアナは言葉少なに頷く。ライリーは苦笑を漏らしたが、それ以上何かを言おうとはしなかった。
そうしている内に、話が終わったらしいオースティンがエミリアから離れてライリーたちの方に歩いて来る。近くに来たオースティンはリリアナとライリーの様子を見て安心したように頬を緩めた。
「無事帰れるようになって一安心だな」
今この場には二人しかいない。護衛もいるが、距離がある。そのためオースティンの口調は軽かった。
「うん、死傷者も少なくて良かったよ」
攻囲戦を仕掛ける前に砦に侵入したことはおくびにも出さず、ライリーはしれっと答える。オースティンは疑った様子もなく、良かったと言いたげに頷いた。
「そりゃ良かった。こっち側も怪我人はそんなに多くなかったしな。砦を取られてどうなることかと思ったが、良かったよ。捕虜になってた奴らも無事だったみたいだし」
「そうか。それは何よりだ」
捕虜になった見習い騎士たちは皆瀕死の重傷だったが、リリアナが治癒魔術で治している。それがなければ今頃彼らの遺体を運び出すこととなっていただろう。しかし、ライリーとリリアナが砦に潜入していたことは公にはできない。そのため、ライリーとリリアナは素知らぬ顔でオースティンに相槌を打つ。オースティンは一瞬何かを問いたそうにライリーを見たが、苦笑と共に口を噤んだ。
リリアナは黙ってオースティンとライリーの会話を聞いていたが、その視線はオースティンの後ろ、少し離れた場所に居るエミリアの様子を窺っていた。
カルヴァート騎士団長アンガスと何事か話し終わったらしいビヴァリーが、今度はエミリアと言葉を交わしている。少ししてエミリアとビヴァリーは何度かリリアナたちの方に視線を向けては話を続けていたが、やがてビヴァリーがエミリアを伴ってリリアナたちに近づいて来た。
「殿下、この度は御助力有難うございました。護衛の皆様のお力添えを頂いたお陰で、無事フィーニスも取り返すことができました」
「いや、構わない。ここは我が国にとって重要な拠点だ」
多少王太子然とした言葉遣いに改めたライリーはそう答えて、わずかに眉根を寄せる。
「寧ろ王都から応援が来なかった事の方が問題だ。この件に関しては帰還次第調査に当たる」
「心強いお言葉ですわ、殿下」
ビヴァリーは戦の臭いが残る場には相応しくないほど爽やかに笑みを浮かべた。そしてそのままの笑顔で、更に言葉を続ける。
「そこでご相談なのですが」
ライリーは目を瞬かせる。オースティンは思い当たる節があるのか少し楽し気な表情になり、そしてエミリアは緊張を隠せない。一方リリアナは、この後ビヴァリーに告げられる台詞を予想していた。乙女ゲームの展開通りならば、この後エミリアはオースティンとライリーと共に王都へ向かう。
王都に行く理由は様々だった。次期公爵の好感度を上げるのであれば“王都から応援が来なかった理由を探るため”、そして王太子と近衛騎士の好感度を上げるのであれば“魔導剣士としての実力を磨くため”だ。
そしてエミリアは、クライドとはそれほど多くの話をしていないはずだった。ライリー、オースティン、クライドの中では一番オースティンと関係性が出来上がりつつあるように見える。
「なんだろうか」
どうやらライリーには思い当たる節がないようで、彼はビヴァリーに尋ねた。ビヴァリーは横に立つエミリアを一瞥すると、前に出てくるよう軽くエミリアの背中を押す。
「エミリアのことです。この娘は魔導剣士の才能があるのですが、生憎私とはだいぶ感覚が違うようでして。教えてはいるのですが、あまり相性が宜しくないのです」
「――なるほど」
ライリーは少し考えたが、すぐに理解したらしく納得した様子で頷いた。
「確かに、王都の方が魔導剣士は多いだろうね」
「ええ。ですので、差し支えなければエミリアも王都へご一緒しても構いませんでしょうか。馬にも乗れますし、一行の隅にでも置いて頂けるだけで構いません」
どうやらエミリアは単身王都に向かうつもりのようだ。男爵とはいえ貴族であれば自領から護衛と侍女を付けるものだが、それもないらしい。さすがにライリーとリリアナは驚き目を瞠ったが、エミリアもビヴァリーも当然のように表情を変えない。
「護衛や侍女は付けないのかな?」
ライリーが問えば、ビヴァリーははっきりと頷いた。決してリリアナたちの見間違いではない。そしてビヴァリーは淡々と答えた。
「必要な場合のみ、侍女として男爵領から一人、気立ての良い娘を付けています。ただ男爵家程度ですと王都に屋敷はありませんし、長く滞在することもありませんから、侍女は不要です。護衛については、男爵領で一番腕が立つ者がエミリアですから――」
「護衛は不要ということだね」
「そうです。それに王都へ行く時は必ず、男爵か辺境伯領の者が同行することにしておりますの」
嘆息混じりのライリーの言葉を、ビヴァリーはにこやかに肯定する。
「今回は滞在が長くなりますので、王都にあるカルヴァート辺境伯家の屋敷に泊まらせるつもりです。ただどれだけ腕が立つと申しましても、女の一人旅は危険ですから」
「確かに、それはその通りだ」
ライリーだけでなくオースティンやリリアナも納得した。
街道が整備されているとはいえ、女の一人旅は危険が多い。目が覚めて居る時に無頼漢に襲われるのであれば撃退できるかもしれないが、寝ている時や食事に薬を混ぜられてしまえば反抗すらできなくなる。
そして、今回エミリアは魔導剣士としての訓練を受けるため王都に向かおうとしている。ビヴァリーや嫡男のアンガスはフィーニスの砦を奪還した後始末で忙しく領地から離れられないし、ネイビー男爵も領地の世話があるためあまり領地を離れられない。“立太子の儀”に参加する時は前々から準備をしていたため長く領地を離れられたが、突発的に遠出をすることはできなかった。
そこでビヴァリーが目を付けたのが、ライリーたちだ。王太子一行なのだから、間違いなく安全は確立されている。
にこやかに話していたビヴァリーは、そこで更に駄目押しの一言を付け加えた。
「本職の護衛騎士の方々には及ばぬとは思いますが、エミリアのことは護衛の一人とお考えくださいませ」
それが決定打だった。ライリーは「分かった」と承諾の意志を示す。
「それなら同行して頂こう。エミリア嬢、宜しく頼む」
「こ、光栄でございます!」
真っ赤になったエミリアは緊張のあまり直立不動の姿勢で元気良く返事をした。その様を見たオースティンが声を殺して笑う。それに気が付いたエミリアは真っ赤になり、そしてライリーはそんな二人に笑みを深めた。
冷静にそんな三人を見ていたリリアナは、わずかな胸の痛みを覚える。しかしその理由は分からない。ただ、三人の様子を眺めていると妙な疎外感が生まれつつあった。
(――オースティン様だけでなく、ウィルの好感度も上がりますのね)
乙女ゲームの筋書きで分かっていたはずなのに、エミリアはただ「光栄です」と言っただけだ。それだけなのに、好印象を与えるのは何故なのか。それは持って生まれた性格や纏う雰囲気、人柄の違いだろう。リリアナがどれほど頑張っても、エミリアのように出会って直ぐ他人に好かれることはない。ただ一挙手一投足で可愛らしい、好ましいと思われたことなど、これまで生きて来て一度もないはずだ。
(やはりヒロインは違いますのね)
皮肉な言葉を心中で呟いても、理性では分かっている。恋愛感情も関係なく、エミリアが他人に好かれやすい性質なのは、ヒロインだからではなく彼女の性質故だ。だが、それを認めてしまうとリリアナの中で何かが崩れてしまう気がした。
*****
エミリアを見送った後、ビヴァリーは小さく息を吐いた。その様子を遠くから眺めていたプレストン将軍が近づいて来る。
「閣下」
話し掛けられたビヴァリーは、将軍の右手を見た。拳がほんの僅かに赤くなっている。
「殴って来たの?」
「まさか。簡単に鍛錬しただけですぞ」
将軍は悪びれずに告げる。今頃青痣だらけになっているだろう長男を思い、ビヴァリーは思わず笑った。しかし、その表情をじっと見つめたプレストン将軍は何気なさを装ってビヴァリーの隣に並んだ。
「寂しそうですな」
「あら、一体誰に向かって口を利いているの、ユージン」
冷たく返したビヴァリーを横目で一瞥し、将軍は口角を上げる。
「エミリア嬢は貴方の愛弟子でしょう」
「二人目よ」
「一人目も、成長著しいようで何よりでしたな」
将軍は軽く返す。一瞬言葉に詰まったビヴァリーは、すぐに溜息を吐いて「そうね」と頷いた。
ビヴァリーにとって、一人目の愛弟子はオルガだった。出会った時のオルガはまだ剣術も魔術も中途半端だったが、その才能はビヴァリーの目には明らかだった。オルガは才能の塊で、ビヴァリーが一つ教えれば勝手に十覚えるような、そんな子供だった。
二人目の愛弟子がエミリアだ。エミリアはひたむきで努力家で、とても素直だ。だが少し不器用なところがあり、教える側であるビヴァリーも、師事しているエミリアも、二人ともが苦労していた。魔導剣士がもっといればと思ったが、ないものねだりをしても仕方がない。それでもどうにかエミリアの才能を伸ばせないか――そう考えていた矢先の、オースティンの提案だった。
「王都に行けば次男も居るわ。ダンヒルに習えば、あの子の才能は開花するでしょう」
勿論ダンヒルは王立騎士団二番隊隊長だから多忙だ。エミリアに割く時間はあまりないだろう。だが、ダンヒルに教えを乞えばオースティンはエミリアの兄弟子のようなものだ。複数の魔導剣士と接することで、エミリアの成長にも繋がるはずだった。
飛び立つひな鳥を送り出す親鳥の心持ちに思いを馳せていたビヴァリーだったが、今はそれよりもしなければならないことが多くある。
気持ちを切り替えるように「将軍」と声を上げた。仕事仕様になったビヴァリーに視線を向け、将軍は「は」と短く声を返した。
「考えることはたくさんあってよ。まずは隣国との交渉」
「御意」
裂傷の死将軍の応答は低く野太い。しかしいつもの事なのでビヴァリーも気にせず、簡潔に議題を口にしていく。そうすれば、優秀な右腕は適切に采配をしてくれる。
「王都とケニス辺境伯領の状況も確認しておきたいわね。それと、捕虜になっていた子たちが妙なことを言っていたわ」
「妙なこと?」
「ええ」
訝し気に眉根を寄せた将軍に、ビヴァリーはにこりと微笑みを浮かべた。
「死ぬほどの傷を受けたのに、大きな怪我が一切見当たらなかった。これは一体、どういうことかしらね?」
将軍は目を細める。ユージン・プレストン将軍は騎士だ。魔術には詳しくない。その限られた知識の中で思い付く可能性は二つだ。
一つは、死ぬほどの怪我をしたと思っているその怪我が幻術であった可能性。それならば、幻術が解ければ傷がなくなっていたという主張にも説明がつく。
だが、カルヴァート騎士団では見習い騎士と言えども立派な騎士だ。その彼らが、幻術に掛けられたとはいえ、致死的な傷かどうか判断できなくなることがあるのだろうか。
そしてもう一つの可能性――それは、何者かが治癒魔術を使ったという仮説だった。だが、捕らえた敵方の魔導士二人に治癒魔術はないらしい。それならば、既にその魔導士は逃げたか、何食わぬ顔でそこら辺をうろついているのか。
ビヴァリーには思い当たることがあるのだろうかと思ったが、その時既にビヴァリーは将軍に背中を向けて歩き出していた。