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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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38. 国境陥落 10


朝日が昇り、世界が明るくなった時――フィーニスの砦は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

端緒は、騎士の一人が指揮官であるカルツ将軍と名ばかりの指揮官である領主に朝食を運んだ時だった。


「閣下? 将軍!? どこに居られるのですか!」


砦は随分と広いが、それでも限りはある。指揮官である二人が隠れる場所などない。声を掛けても応えはなく、騎士は乱暴に食事を卓上に置くと慌てふためいて塔の階段を転がり落ちるように下りて行った。

騎士や兵士たちの混乱を引き起こしてはならないと、信頼のおける数人で二人の姿を探す。だがカルツ将軍たちが見つかるより前に、敵襲を知らせる銅鑼が響いた。


「敵か!」

「眼前に迫っています!」

「見張りはどうした!?」


一気に砦は騒然とする。物見の塔には常に二人の兵士が詰めている。少しでも敵兵が近づいて来れば知らせがあるはずだった。慌てて覗き穴から様子を窺うと、カルヴァート騎士団を筆頭とした一軍が既に眼前に迫っている。カルツ将軍を見つけるどころではない。のんびりしていたら直ぐに敵兵は砦を崩し中に侵入して来るだろう。

どうやら物見の塔に詰めていた不寝番は転寝をしていたらしい。後で相応の処罰を下さねばならないと思いながらも、今はそれどころではなかった。


「弓兵!」


カルツ将軍の下についている騎士の一人が怒号をあげた。兵士たちが慌てて弓を担いで城壁の上に列を成す。真下に迫っている敵兵には石を落とし、少し離れた場所に居る敵には投石か弓で対抗する。将軍が居ないせいか、騎士や兵士たちに覇気がない。どことなく戸惑っている様子だ。それでもそれなりに訓練された騎士たちの動きは確実だった。

しかし敵もさるもので、盾で弓を防ぎながらじりじりと接近して来ていた。


「石ももっと使え!」


大ぶりの石であれば盾でも防げない。そう思って叫ぶが、部下の一人が悲鳴のような声を上げた。


「石は空中で破壊されます!」

「なんだと!?」


目を剥いて眼下を睨む。部下の言う通り、確かに投石機から放たれた石は空中で粉砕されたり消滅したりしていた。


「魔導士か――!」


どうやら敵陣には優秀な魔導士がいるらしいと、彼は苦々しく唸った。だが、対抗手段がないわけではない。相手が魔導士を使っているのであれば、こちらも魔導士を使うだけである。騎士という職業柄あまり魔導士の手を借りたくはなかったが、今は己の矜持よりも勝利を優先すべきだった。


「おい、あいつらを呼んで来い」


今砦に居る魔導士は二人。領主が連れて来た男で、主な仕事は転移陣を稼働させることだった。

男の唇を笑みが彩る。

カルツ将軍や領主の姿が見えないことに焦ったが、転移陣があれば幾らでも戦力を補充できる。間違いなく勝ち戦なのだ。


「どこまで無駄な足掻きを見せてくれるか、楽しみだな」


弓兵や投石兵たちの果敢な攻撃で多少敵の攻撃が緩くなる。その事実に余裕を取り戻した彼は、自分のすぐ身近で動く人影に気が付かなかった。



*****



どこか浮ついた様子の敵兵を眺めながら、馬上のカルヴァート辺境伯ビヴァリーは隣に陣取っているユージン・プレストンに声を掛けた。


「どうやらジルドが上手くやったようね」

「傭兵にしておくのが惜しい腕ですな」


裂傷の死将軍と呼ばれたユージンは淡々と答える。その眼光は鋭く、敵の様子を窺っていた。


「カルツ将軍が出て来ておりませんな」


砦から撤退する際、カルツ将軍を見たという報告が上がって来ていた。もう一人指揮官らしき男もいたようだが、ほぼ間違いなくカルツ将軍が実質的な指揮官だろうと二人は見当を付けている。


「そこもジルドが何かしたのではないかしら」

「そう考えるのが妥当でしょうな」


ビヴァリーの言葉にユージンはあっさりと頷く。


「カルツを倒すとは、思っていたよりも随分と腕が良いようだ」

カルツ将軍(かれ)とは腐れ縁でしたわね?」


ユージンの独白を聞いたビヴァリーは美しく整えられた眉を上げて物言いたげな視線を投げかける。すると珍しく、ユージンは渋面になった。


「嬉しくもない腐れ縁ですがね」


ユージンとカルツ将軍は幾度となく戦場で手合わせをしたことがある。本来カルツ将軍は皇帝の覚えめでたく中央――即ち皇都トゥテラリィに拠点があるはずだが、一度ユージンと戦ってからは己の敵は隣国にありと見定めたようだ。何かと理由を付けては遥々皇都から辺境へと足を運び、人生の宿敵と対戦すべくカルヴァート辺境伯領近くの国境に張り付いていた。

尤も、ユージンが怪我を機に第一線から退き、そしてエルマー・ハーゲン将軍が皇国で名を馳せるようになってからは、ハーゲンも宿敵と見定めトゥテラリィへと戻る頻度も増えた。

しかし今回わざわざ出て来たということは、ユージンを引き出すつもりがあったか、もしくは他に彼の気を引くものがあった可能性が高い。しかしユージンはカルツ将軍と戦う気はなかった。


「つまり、彼の片思いということなのね」

「――その言い様、私に何か恨みでもあるのですかな」


ユージンは憮然と言い返す。ビヴァリーは少女のように声を立てて楽し気に笑った。


「ないけれど、まるで片思いだと思ったのよ。恋焦がれて何度も門の前まで足を運ぶけれど、決して愛しいご令嬢は会ってくれないのでしょう」

「私が女だと?」

「貴方が女に見えたら、目か頭の病だと思うわね」


裂傷の死将軍と呼ばれたユージンは非常に屈強だ。頬に目立つ傷もあり、どれほど贔屓目に見ても女には見えない。ビヴァリーの冗談だと理解しながらも、ユージンは苦い表情を隠せなかった。


「それで? カルツ将軍が貴方を指名して出てきたら、どうするの?」


カルツ将軍はジルドが気絶させて牢に放り込んでいるが、ビヴァリーもユージンも知らない。遠目から姿が見えないということは何かあったのだろうと予想はしつつも、存在を忘れた頃に姿を現わすのではないかという予感がしていた。

ユージンは一切表情を変えずに答える。


「奴を捕らえれば皇国の戦力は削れます。辺境伯ご自身がお相手なされば宜しかろう」

「あら、良いの?」


意味深に微笑んでビヴァリーは視線をユージンに向ける。ユージンはビヴァリーに横顔を見せたまま微動だにしない。


「私は引退した身ですのでな」

「そう。それなら私は、ようやく実戦で試し撃ちできるというわけね。楽しみだわ」


にこやかに呟くビヴァリーは、再び視線を眼前の砦に向ける。

物見の塔に居た不寝番二人が気絶していたと言っても、城壁の上にも兵士はいる。その彼らがカルヴァート騎士団を筆頭とした軍勢が近づくまで視認できなかった理由は、ビヴァリーの秘策にあった。

最前列に並ばせた盾兵の盾に、こちらの姿が認識し辛くなる魔道具の布を貼ったのだ。

敵にこちらの姿を見え辛くする魔道具ではあるが、近付きすぎると効果がなくなる。ある程度距離がなければ効果は発揮できない。当初は、もっと砦から離れた距離で発見されると想定していた。だが存外近距離でも敵の認識を阻害してくれていたようで、お陰でこちらに有利に戦闘を開始できた。


「採算が取れないかと思ったけれど、あの魔道具も想定以上に良い働きをしてくれたわね。アドルフにも報告しなくては」


一般に使われている魔道具の中に、そのようなものは存在していない。製作に時間が掛かる上に術式を正確に書ける術者がほとんどおらず、材料も希少だ。大規模な軍勢全てを隠せるほどの量を用意するには長期にわたる計画と膨大な資金が必要だった。

勿論、その開発にはビヴァリーも関わっている。だが実際に手を動かし試行錯誤したのはアドルフ・エアルドレッドだった。今は亡き前エアルドレッド公爵の弟――つまりオースティン・エアルドレッドにとっては叔父だ。魔導省に勤めてこそないものの、彼は優れた魔導士だ。国王に掛けられた呪いを解いたことからもその優秀さは証明されているが、彼の本分は魔道具の作製だった。


ユージンも戦況を観察しながらどこか感心したように言う。


「魔導剣士がいるとだいぶ戦も楽ですな。尤も、魔導剣士を育てるのも大変ですが」

「そうねぇ、適性も最初は分からないものね」


ビヴァリーはあっさりと頷く。魔導剣士になるためには剣術と魔術に優れていなければならないが、何よりその二つを組み合わせることに関しては熟練より天性の才能が必要だという。その上、実際にその芽が出るかどうかは長年の鍛錬を積まなければ分からない。魔導剣士になりたいという憧れだけで辿り着けるものではなかった。

実際、カルヴァート騎士団に魔導騎士は一人しかいない。しかも完全に魔導剣を使いこなせているわけではなく、実戦では手っ取り早く剣術に頼りがちだ。

だが、今ビヴァリーたちの眼前で繰り広げられている戦いの中には優れた魔導剣士が二人もいる。一人はオースティン・エアルドレッド、そしてもう一人が傭兵オルガだ。二人は縦横無尽に戦場を動き回り、主に盾では防げない石を空中で破壊している。


「オルガとやらは貴方の愛弟子でしたな」


ユージンに言われ、ビヴァリーは美しい笑みを浮かべる。


「ええ。でもあの頃よりも、強くなっているわ」


さすがね、とビヴァリーは嬉しそうに微笑んだ。



*****



リリアナは戦には直接関わらず、ビヴァリーやユージン・プレストン将軍の背後にある天幕に控えていた。敵の投石や弓の迎撃は魔術で出来ると思っていたが、その仕事は魔導剣士であるオースティンとオルガに割り当てられた。

昨夜砦にジルドとライリーと共に侵入したことは、ビヴァリーたちには告げていない。だから敵軍の大将二人を捕らえて牢に放り込んだことや、見習い騎士たちが無事だったことはまだ知られていなかった。

そして何よりも、リリアナにとっての想定外はライリーの存在だった。


「こう言ってはなんだけど、後方に控えていると申し訳ない気分になってくるね」


てっきりビヴァリーやユージン・プレストンの方に行くと思っていたライリーは、リリアナと一緒に天幕で寛いでいる。ビヴァリーが“殿下に出て頂く必要はございません”と言った上に、ライリーもあっさりとその提言を受け入れたのだ。尤も帯剣しているし警戒も怠っていない。それでも一見したところは非常に自然体で、戦場ではなく執務室に居るのではないかと錯覚しそうになるほどだ。


「ビヴァリー様とご一緒なさらなくて宜しゅうございますの?」

「うん」


ライリーはあっさりとリリアナの質問を肯定する。王太子であるライリーを危険に晒すわけにはいかないという判断なのだろうと当初リリアナは思ったが、それにしては護衛が少ない。ライリーの許可を得て、大半の護衛たちが戦に加わったせいだ。

天幕の外に立っている護衛たちの様子を探るようにリリアナが視線を向けたことに気が付き、ライリーは小さく肩を竦めて苦笑と共に「実は」と切り出した。


「どうやらカルヴァート辺境伯は私の実力を正確に把握していたみたいだね。だから護衛が少なくても問題ないと思ったようだよ」


ビヴァリーはライリーの護衛を全員駆り出そうと考えたらしい。だがそれに待ったをかけたのがユージン・プレストン将軍だったそうだ。将軍曰く、いつ何時不測の事態が起こるか分からないため、幾許かの護衛は残しておくべきだ――ということだ。


「お話する機会がございましたの?」

「いや、ないよ。でも辺境伯は昔からフィンチ侯爵夫人とも親しいんだ。伯母――ブロムベルク公爵夫人と三人、娘時代から良く茶会やら何やらで交流していたらしい。今はそれほど会う機会もないはずだけど、恐らく手紙のやり取りは頻繁にしているのではないかな」

「まあ、そうでしたの」


フィンチ侯爵夫人はライリーの家庭教師だ。幼い頃から側で仕えている。今でこそ王宮で教鞭をとる頻度も減っているが、それでもライリーの良き教師として時折助言を行うこともあるらしい。


「ああ、もう少しで砦に入れそうだね」


敵の攻撃は激しいが、それでも自分たちの砦を取り戻すのだと闘志を燃やしているカルヴァート騎士団の方が勢いがある。弓や投石による攻撃をものともせず砦に迫っていく軍勢は、遠目では一つの塊にしか見えない。それでも所々で風や水の魔術が動いているのは見えるから、オースティンとオルガの位置は分かる。


(ゲーム通りですと、エミリア様は先頭近辺で戦っていらっしゃるはずですけれど)


一介の令嬢にそのようなことが出来るのかと未だに疑問は残るが、狼煙を見てアンガス・カルヴァートと共に駆け付けるほどだ。ある程度腕に覚えはあるのだろう。


そしてその時、砦の近辺が一斉に騒がしくなる。

固く閉ざされていた城門が、開かれ始めていた。



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