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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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38. 国境陥落 9


塔最上部にある部屋は、他の場所よりも多少過ごしやすそうな誂えだった。それほど物は置かれていないが、石造りの床には絨毯が敷かれ、壁には大きめのタペストリーが飾られている。隅には寝台が置かれ、そして寝台と反対側の壁には書物や地図等が並べられた棚があった。

中央に置かれた少し広めのテーブルを挟んで酒を酌み交わしていた二人の男は、ぎょっとしたように扉の方に顔を向ける。


「何事だ!」


どうやら不寝番の仕業だと思ったらしく、額に青筋を浮かべて一人が怒鳴った。しかしもう一人は部屋に乱入して来たジルドやライリーの顔を見た瞬間、自軍の人間ではないと悟ったらしい。酒に赤らんだ顔を一瞬にして蒼白にし、手に持っていたカップを床へ取り落とした。

高級そうな絨毯に葡萄酒が零れ染みになる。しかし誰一人として気に止めない――否、ライリーだけはしまったという表情を浮かべた。

即ち、この砦を取り戻した時に、絨毯の染みを見たカルヴァート辺境伯ビヴァリーが激怒するだろうと思ったのである。しかしすぐに、言わなければ自分たちが乱入したせいだとは分からないだろうと思い直し、再び敵将らしき二人の男へと顔を向けた。


「き、貴様ら何者だ!?」


蒼白になった年下の男が怒鳴る。もう一人、年嵩の男はようやく状況が飲み込めたのか、痛烈な舌打ちを漏らすと近くに立て掛けてあった剣を手にした。年嵩の男はどうやら騎士らしい。屈強な体には所々に傷がある。


「貴様ら、スリベグランディア王国の輩か。夜に忍び込むなど間諜のような真似をしおって、さすが愚民共の国だな」


それに答えたのはライリーだった。敵を前にしたとは思えないほどの穏やかさで相手を見返す。


「持ち込んだものが人か物かというだけで、していることはあなた方と変わらない」


転移陣と明言せずに“物”と言ったのは、敵に警戒心を与えないためだった。転移陣があることをライリーたちが予測していると分かれば、何らかの対策を取られてしまう可能性がある。そしてライリーの目論見通り、敵の注意はただライリーたちだけに向けられていた。


「なんだと?」


気色ばんだのは若い男だった。こちらも剣に覚えはあるようだが、年嵩の男と比べると実戦経験がないように見える。恐らく年嵩の男は騎士であり、若い方は相応の地位を持って騎士団を指揮している者だろう。

ほぼ同時に、ライリーとジルドは対峙している二人の男をそう評し力量を見極めた。何気なく二人は足を動かす。不自然に思われない程度に、ライリーは年若い男に、そしてジルドは騎士らしき年嵩の男に攻撃を仕掛けられるような位置へと移った。そしてリリアナは、二人の男がジルドとライリーに意識を向けている隙に、部屋の中へと視線を走らせる。

殺風景とまでは言わないが、要塞という機能を重視してか、辺境伯の部屋というよりも騎士団長が寝泊まりする部屋と表現した方が納得できるような簡素な造りだ。それでも数少ない調度品は良い品だということが分かる。

恐らく男二人が飲み交わしていた葡萄酒は、この部屋に置いてあったもののようだ。つまり元はカルヴァート辺境伯の持ち物なのだろう。


「まあいい、間諜の真似事をするからには所詮下っ端だろう。牢に放り込んだ奴らと同じ道を辿らせる前に、一つ暇つぶしの相手をして貰おうか」

「カルツ将軍!?」


年嵩の男は物騒な笑みを浮かべて、ゆっくりと見せつけるように剣を抜く。それを見て驚いた表情を浮かべた若い男は名を叫んだ。しかしカルツ将軍と呼ばれた男はちらりとも目をやらずに、獰猛な笑みを口に浮かべてみせた。


「卿、怖気づきますな。女子供とはいえ戦場に来たからには、命を落としても構わぬとの覚悟があるのでしょう」


その言葉に、年若い男は納得の表情を見せた。

リリアナたちは三人いるが、明らかに成人しているのはジルドだけだ。残りは少年と少女であり、そして剣を持っているのは少年だけである。

どうやら自分の腕に自信があるらしい年嵩の男は、余裕を見せていた。確かに普通に考えれば、百戦錬磨の騎士が負けるわけもない。だが、カルツ将軍も卿と呼ばれた若い男も、重要なことを失念していた。

普通の少年少女は、敵陣のど真ん中である砦に足を踏み入れることはしない。

戦の斥候であれば身軽な子供に様子を見させる場合もあるが、間諜や刺客といった重要な場面に駆り出されることはない。

実際にライリーもリリアナも、軍議で指名されたわけではなかった。自らの判断でこの場に居る。しかし、たとえ普通の子供が同じ決意をしたところで、不寝番に見つからずに中心部までやって来られるはずがないのだ。


「この世界は貴様らが思うほど甘いものではない」


低く唸るように告げた次の瞬間、将軍は大きく一歩を踏み出す。

室内だからこそ大きく振りかぶることはできず、寧ろ武器を持たないジルドの方が身軽だった。石垣すら破壊する力強さで繰り出された一撃を、ジルドは難なく避ける。それどころか、彼は大きな一歩で将軍の胸元――剣の間合いの内側に入った。そして思い切り鳩尾に拳を叩きこむ。しかし将軍もただではジルドの拳を受けない。大きく一歩飛び退いてジルドの拳を避けるが、わずかに服をかすったらしく布が破れた。


「ちぃ――っ!!」


将軍は痛烈な舌打ちを漏らして憎々し気にジルドを睨む。たった一度の攻防でジルドの力量を理解したらしい。先ほどの余裕は何処へやら、表情を険しくしたかと思えばしっかりと剣を握り直してジルドに対峙する。

しかしジルドは楽し気に口角を上げ、皮肉な目で将軍の様子を眺めた。


一方で、ライリーはジルドが動いたと同時に一瞬にして距離を詰め、年若い男の胴を剣で右上から左下へと薙ぎ払っていた。若い男は咄嗟に抜いた剣でライリーの剣を受け止めたが、ライリーは気にせずに剣身を絡めるようにして更に一歩踏み込む。そして返す剣を瞬時に逆手に持ち替え、切っ先で男の首元を狙う。焦った様子で避けようと後退した男はバランスを崩した。

それを見過ごすライリーではない。更に足を踏み込んで激しい剣戟を繰り出し、対する若い男は防戦一方になった。


狭い室内で二組の攻防が繰り広げられる中、リリアナは自分の身を護る魔術を展開しながらも周囲に目を走らせ転移陣を探す。

一見しただけでは、転移陣は見当たらない。だがたったの一夜で砦を落された状況を聞く限りでは、敵は転移陣がなければ不可能な動きをしていた。そして砦内部の構造や部屋の広さを考えると、やはり今リリアナたちが居る場所が一番転移陣の保管場所として可能性が高い。

焦燥に駆られそうになるが、深呼吸して自身を落ち着かせる。そしてふと、リリアナは一つの可能性に思い至った。


「――もしかして、」


木を隠すならば森の中、とも言う。転移陣というから専用の用紙に書かれたもの、と思っていたが、術式が稼働すれば専用の用紙に書かれていなくとも発動する。

普段は無詠唱で陣を使わずに魔術を行使するからすっかり忘れていた。

そして、リリアナは戦闘に巻き込まれないよう部屋の隅を通って壁に掛けられたタペストリーに近づいて行く。

部屋に入った瞬間から、違和感があった。他は全て簡素な家具でまとめられているのに、タペストリーだけ壁一面を覆うほど大きく豪奢だ。織物にしても精密な図柄が施されていて、夏用の絨毯と言われたら納得できるほどのものだった。それでも“そういうもの”として見過ごしていたが、その大きさを考えても疑惑は膨れ上がる一方だった。

タペストリーに近づいたリリアナは、そっと手を掛けてタペストリーの裏側を確認する。全容は把握できないが、一部しか見えなくともリリアナには十分だった。その唇を笑みが彩る。


「【解除(フライゼッツォン)】」


無詠唱でも問題ないが、簡単に詠唱した。途端に壁に接していた面に彩られた大きな転移陣は、一瞬の光を放って力を失った。

これで二度とこの転移陣は使えない。


ちらりと背後を伺えば、ジルドとライリーを相手に苦戦している敵将たちはリリアナの動きに注意を払う余裕はないらしい。幸運にも、リリアナが転移陣を見つけた上で更に無効化したとは気が付いていない様子だった。

だが、リリアナの呟きをきちんと拾ったジルドとライリーの行動は更に苛烈を極める。先ほどまでは遠慮していたのだと言わんばかりに猛攻を仕掛け、どうにか同等の戦いをしていた室内は一気に一方的なものとなった。


「――っぐ、」


最初に膝を折ったのはライリーと切り結んでいた若い男だった。

実戦慣れしていないというジルドとライリーの見立て通りで、既に両肩で息をしている。言葉を発する余裕もない男に止めを刺す前に、ライリーは相手の武器を手の届かない場所へ弾き飛ばす。そして床に縫い留め相手の喉元に切っ先を突き付ける。


「お名前を伺っても構わないかな、卿」


しかし年若い男は口を引き結んだまま答えない。それどころか、顔中に汗を掻きながらも喘ぐように言い返した。


「き、貴様ら、こんなことをしてただで済むと思うなよ――!」


思わずライリーは呆れ顔になる。そして気の毒そうに告げた。


「今貴方の命運を握っているのは私なんだけど、それは分かっているかな?」


ごくりと生唾を飲み込んだ男の咽喉が上下する。その様子を冷たく見下ろしながらも、ライリーは淡々と一つの名前を口にする。それは皇国領主の名前だが、カルヴァート辺境伯領に隣接していない領地を統べる者の名だった。厳密には、カルヴァート辺境伯領に隣接している領の更に西側だ。

しかし、ライリーがその名を口にすると思っていなかったのか、若い男は愕然と目を瞠る。明らかに図星をさされた時の反応だった。

その様子をつぶさに観察していたライリーは、やはり当人だったかと納得する。そして彼は若い男の答えを待つことなく、剣の柄で鳩尾を抉った。低い呻き声を漏らした男はそのまま失神する。何故隣接した土地の領主ではなく、更にその西にある領地の主がわざわざ辺境伯領に進軍したのか、理由を問う気はなかった。尋問には時間が掛かる。後回しにしても問題はない。

ゆっくりと立ち上がったライリーは、おもむろにジルドの方に顔を向ける。少し遅れて、ジルドも将軍の背後に回り首を絞めて床へ落とした。


「生きてはいる?」

「殺しちゃいねぇぜ」


ジルドはあっさりと答える。それに頷くと、ライリーはタペストリーの傍に立っているリリアナに目を向けた。


「サーシャ、転移陣は無効化できた?」

「無効化いたしましたわ。再び使うことも出来ませんでしょう」

「そうか、ありがとう」


安堵に頬を緩ませたライリーは、短く礼を口にする。

カルヴァート辺境伯ビヴァリーは転移陣を無効化する魔道具をジルドに渡していたが、魔道具よりも魔術で無効化する方が確実だし手早く済む。その上、リリアナはスリベグランディア王国屈指の魔導士だ。万に一つも間違いはない。


「それじゃあ、これで私たちの仕事は終わりかな。あとは無事に砦から出ることだね」

「ええ」


ライリーの言葉にリリアナは頷く。一方で一晩砦に身を潜めたまま過ごす予定のジルドは、床に倒れ伏した二人の男を軽々と持ち上げた。


「牢に入れるのかな?」


その様子を見てライリーは問う。ジルドは詰まらなさそうな表情で頷いた。


「おう。見習いの奴らがいた場所にな」

「入れ替わりだね」


良いと思うよ、とライリーは言う。

ライリーとジルドが倒した二人は敵軍の将だ。指揮官は若い男だろうが、実戦経験の不足からカルツ将軍が補佐に入っているのだろう。カルツ将軍は、殺害されたと噂のエルマー・ハーゲン将軍ほどではないものの、名の知れた猛者だ。実際に騎士や兵士たちを動かしているのは将軍に違いない。

だからこそ、翌朝二人が居ないことに騎士たちが気が付くはずだ。だが間違いなく牢を探すことはしない。一軍の将が、自分たちが占拠している施設の地下牢に放り込まれていると発想する者は間違いなく居ないだろう。それにあの地下牢は扉を閉めると外に声は漏れない。そして二人を見つける余裕もなく、砦は猛攻に晒される。


「宜しく頼む、ジルド殿」

「まあ、さっくり済ませようや」


ジルドはにやりと笑った。傭兵稼業の彼にとっては、今回の戦も“仕事”だ。カルヴァート騎士団や近衛騎士たちと違って、領土を守らねばならないという必死さは存在しない。だが、その実力はかなりのものだ。


「そうだね。終わったらまた酒を融通するよ」

「お、そりゃあ楽しみだ」


“北の移民”の調査にジルドが協力を始めてから、時折ライリーは礼だと言って酒を贈っている。その酒は高級酒ではないものの、巷ではなかなか手に入らない逸品だった。高級酒は舌に合わねぇ、と言ってのけたジルドが美味いと感じる酒をわざわざ探して取り寄せたらしい。

リリアナとしてはそこまでしなくとも良いのではないかと思っていたが、ライリーは楽しんでいるようでもある。そのため、文句をつけることもできずに習慣化していた。


「嬢ちゃん、ちょっと頼んで良いか」

「地下牢までで宜しいですか」

「おう」


リリアナはジルドに歩み寄る。端的な言葉は全く意味を為していなかったが、リリアナは直ぐにその意図を汲み取った。

地下牢まで転移で送って欲しいということだ。

男二人を運ぶこと自体はジルドにとって負担ではないが、地下牢への道は酷く狭い場所がある。さすがにそこを人知れず運ぶのは難しい。

そのことが分かっているのか、ライリーは今度はリリアナを止めようとはしなかった。多少心配そうな表情だが、口は開かない。


「【転移(ゲトリーベ)】」


ジルドに触れて詠唱を口にした瞬間、抱えた二人ごと姿が消える。

二人だけ取り残された部屋で、ライリーの感心したような声が響いた。


「見事と言う他ないね」

「お褒め頂き恐縮ですわ」


転移の術は使える人間が少ない上に、使えたとしても詠唱から発動までの時間は長くなる傾向にある。しかしリリアナは詠唱が終わる直前に術が発動していた。元々無詠唱でも行えるのだから当然だが、ライリーはまだリリアナが無詠唱で魔術を使えるという確信に至っていない。簡単な魔術であれば無詠唱でも使えるのだろうとは認識していたが、さすがに転移の術まで無詠唱で行えるとは考えていなかった。

そして、リリアナはライリーがどこまで正確に彼女の力を認識しているか掴めていない。そのため、極力一般的な範疇に収まるよう、魔術を行使することに苦心していた。


「わたくしたちも戻りましょうか」

「うん。体はどう?」


できれば戦が終わるまでは魔力を温存しておいてほしい、と告げるライリーに、リリアナは優雅な笑みを浮かべてみせる。


「問題ございませんわ」


寧ろ治癒術の後に魔術を使わなかったせいで、魔力は殆ど元に戻っていた。

しかしそれを正直に告げることはない。

言葉少なに告げたリリアナはライリーの手を取る。そして再び転移の詠唱をした瞬間――二人は、ライリーの天幕に居た。



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