38. 国境陥落 7
転移陣を設置するなら、どこに設置するか――それを問われた時、ライリーとリリアナ、そしてジルドの意見はすぐに一致した。陣を砦に持ち込んだのが、食料品や衣料品を運び込んでいた農民や商人であるなら、彼らが入り込める場所に置かれている可能性が高い。次点で、その彼らから陣を受け取っただろう下働きや侍女、侍従の出入りできる場所だ。
だが、そこから移動させられている可能性も考えなければならない。
とはいえ、現状では心当たりのある場所を片っ端から探す他なかった。リリアナは魔力と体温を手掛かりに人の居場所を確認することはできるが、魔力を発しているわけではない転移陣を見つけることはできない。そのため、手間はかかるが自分たちの足で見て回るしか方法はなかった。
「不寝番にだけは気を付けねえとな」
ジルドの言葉に、ライリーとリリアナは言葉なく頷いた。
砦を占拠している敵兵たちの大半は寝静まっているが、当然不寝番は居る。彼らに見つかってしまえば転移陣を無効化するどころの話ではなくなってしまう。
「サーシャ、できるだけ魔力は温存しておいた方が良い。灯りは消して大丈夫だよ」
「承知しましたわ」
ライリーの指摘を聞いたリリアナは素直に頷き、足元を照らし出していた灯りを消す。視界が暗くなったが、少しその場に立って居ればある程度周囲が見えるようになった。
先ほど三人が居た物見の塔周辺が一番暗い。これから向かう先は使用人たちが使っている棟だから、火は落としてあるものの多少は明るく保たれている。
三人は気配を殺して砦の中を練り歩いた。
そして辿り着いたのは、通用門近くにある貯蔵庫だ。貯蔵庫にも種類があり、果物や穀物、野菜の保管庫や、葡萄酒を置いておく倉庫に区分けされている。地下には加工肉が保管されているようだった。そして上の方には干し魚の貯蔵庫もあるらしい。
「暗いね」
小さく呟いたライリーは腰に提げていた袋から魔道具を取り出す。それは先ほどリリアナが魔術を使ったため用なしとなった、灯り用の魔道具だった。
「ウィル、わたくしが――」
「サーシャはさっき治癒魔術を使ったんだから、魔力を温存しておくべきだよ」
リリアナは自分が灯りを作ると申し出ようとしたが、きっぱりとライリーに断られて口を噤む。魔力はまだ十分有り余っているし、周囲を照らし出す程度であれば大して疲労も感じない。しかし、リリアナの魔力がどの程度残っているのか量ることは誰にも出来ない。ライリーの判断は常識的に考えて当然だった。寧ろ、先ほど治癒魔術を使ったことで魔力がなくなったと思っていない時点で、ライリーはほぼ正確にリリアナの状態を把握しているともいえる。普通であれば、リリアナの魔力は底をついたと考えるはずだった。
「行くぜ」
ジルドが声を掛け、三人は貯蔵庫に足を踏み入れる。独特な臭いが鼻をつく。傭兵であるジルドはともかく、リリアナやライリーは貯蔵庫に入ることなどない。二人とも物珍し気に周囲を見回しながらも、真剣に転移陣を探していた。
「ないようですわね」
貯蔵庫と言っても、砦という性質上、一般的な城の保管庫より狭い。あっという間に確認は終わり、三人は別の貯蔵庫へと移る。それほど時間を掛けずに見て回ることはできたが、どこにも転移陣は見当たらなかった。
念のため人気を避けるように物陰に身を潜め、三人は顔を突き合わせて次の手立てを相談する。
「貯蔵庫にはないみたいだね。となると、他に考えられる場所は武器庫かな」
「そうかもしれねえな。転移陣使うなら、それなりの人数が転移するって考えた方が良いだろうし――一度に数人が移動しても問題ねえだけの広さがある場所って言えば、武器庫か中庭だろうぜ」
「そうだね」
ただ中庭は不寝番に見つかる可能性もある。それならば先に武器庫を探すべきだ。
リリアナも異論はなく二人の決定に口を挟むことはしなかった。
「それに」
ライリーがしれっと付け加える。
「武器庫に行けば、敵方の戦力もある程度削れるかもしれない」
「あ?」
ジルドが眉根を寄せて胡乱な目でライリーを見やる。しかし、すぐにライリーの意図するところに気が付いたらしく、楽し気に牙を見せて笑った。
「ああ、そうだな。使い物にならねえようにしてやれば、後々楽になるだろうぜ」
「できれば持ち帰りたいところだけど、さすがに厳しいかな」
普通に砦から抜け出るのであれば武器を持ち帰ることは無理だが、転移の術で脱出するのであれば多少は武器を持ち出すこともできるだろう。
しかし問題は、三人しかいない状況で持てる武器には限りがあるという点だった。そして物が増えれば転移の術に使う魔力も増える。
「その時に考えれば宜しいでしょう」
リリアナは静かに言葉を挟んだ。
どれほどの武器が武器庫に保管されているかは分からないが、ある程度までなら武器庫の中身ごと転移する自信はある。しかしその能力を他人に知られることによって後々自らの身が危険に晒される可能性を考えると、気軽に使う気にはなれなかった。とはいえ、もし武器を持ち出す方がカルヴァート騎士団に有利になるのであれば、能力を使うことに否やはない。判断は実際に武器庫を自分の目で見るまで保留したかった。
「そうだね」
ライリーは素直に頷く。リリアナの考えに気が付いた様子はない。
「とりあえず武器庫に行こう」
「おう」
ジルドとリリアナは頷いた。ジルドを先頭に、リリアナ、ライリーと続く。
武器庫は貯蔵庫のある区画とは反対側にある。途中、不寝番に見つからないよう、物陰を選んで道を進む。周囲は暗かったが、敵に見つからないようにするためには灯りを付けない方が良い。そのため、リリアナは何度か、足場の悪い場所でジルドやライリーの手を借りることになった。
多少焦りを覚えながらも、三人はどうにか武器庫に辿り着く。武器庫は食糧庫よりも広く、そして押し込まれている量も多かった。元々カルヴァート騎士団が保管していた武器に加えて、隣国から幾ばくか持ち込んで来たようだ。
「食料はともかく、この武器の量はやべえな」
ジルドが低く唸る。ライリーも神妙な表情だ。リリアナは戦闘に関しては門外漢だが、それでも籠城だけでなく砦を拠点として別の場所へと進軍できるだけの量があることは分かった。ただ管理する者が居ないのか、武器は全て乱雑に積み上げられている。手近にあった剣を一本手に取ったライリーはどこか呆れた表情で言った。
「でも、持ち込んで来た武器は大して手入れもしていないみたいだね。この剣、それなりに鍛えた騎士であれば二、三回程度剣を交えれば折れそうだ」
「手入れもしてねえ上に安物ってことか」
「そうだね」
ライリーはジルドの言葉に頷いて、剣を元の場所に戻す。
「武器の量は多いけど、質は悪い。それにどうやってこの武器を使いこなすのか――砦に居る人数だけだと、武器が余ることになると思うんだけど」
どういうつもりだろう、と不思議そうに首を傾げながらも、ライリーは虱潰しに武器庫の中に転移陣がないか探している。ジルドとリリアナも手分けして転移陣を探すが、残念なことに見当たらない。
「武器庫にもなさそうだな」
暫くして、ジルドが舌打ちを漏らしてぼやいた。乱暴に髪の毛を掻き回している。砦に侵入している時間も思った以上に長い。滞在時間が長くなればなるほど敵に見つかる確率は上がる。
しゃがみこんで武器を積んだ棚の下まで確認していたライリーも立ち上がって頷いた。
「そうだね。ここまで私たちの予想は悉く外れた――となると、他に可能性のある場所を探すか帰るか選ばないといけない」
「どうするよ。転移陣が有効な限り、敵の戦力がどの程度かも読めねぇぞ」
「うん、それが問題だよ」
ライリーは難しい表情で腕を組む。最善の方法は今ここで転移陣を無効化し、そして翌日の攻囲戦で敵が応援を呼べないよう対処することだった。だが転移陣を見つけられなければ、敵は幾らでも兵士や武器、食料を砦の中に引き入れられる。その場合、攻囲戦の時に敵に気付かれないよう砦内部に侵入を果たし、一部は内部から砦の門を開け、そして別動隊が転移陣の発見に努めなければならない。何も手掛かりがない状況で転移陣の場所を探すよりも敵の動きを把握できるだけ有利だが、時間との戦いになる上に敵に見つかり殺される可能性は格段に高くなる。
「どうするよ」
ジルドはライリーに顔を向けて尋ねた。しかしライリーは直ぐには答えない。
「貴方はどう思う? 実戦経験は貴方が一番豊富だ」
静かな目をジルドに向けて問うた。帝王学の一環として戦術も学んではいるが、あくまでもそれは机上の理論としてしか理解できていない。そのため、現場を良く知るジルドに尋ねることは理に適っていた。
だがジルドは首を振る。苦虫を嚙み潰したような表情で、口をへの字に曲げた。
元々は彼一人で砦に侵入して捕虜の無事を確保し転移陣を無効化する予定だった。当初はジルドも自分一人で対応できるつもりだったが、想定外に時間が掛かっている。ライリーやリリアナが居てくれて良かったとジルドが思っていることは、その表情からも明らかだった。
「さあな。俺は元々、拳で殴り合う方が向いてんだ。頭使うようなことは基本的に他の得意な奴らに任せてたしよ。一人だったら諦めて離脱するんだが――」
捕虜の確保はともかく、転移陣の無効化はジルドの苦手な分野ではある。一人だったら早々に探索を諦めていただろう、と告げたジルドに、ライリーは疑わし気な目を向けた。
「本当に?」
「いや――まあ、あれだ」
自分で言っておきながら、信憑性が低いと思ったのかもしれない。ジルドは気まずげに鼻の脇を掻くと、ぼそりと言った。
「あんまりお綺麗じゃねえけどよ。一人だったら、適当に引っ捕まえた奴を絞り上げて場所吐かせるかな」
「うん、その方が貴方らしいね」
王太子やその婚約者を前に言う台詞ではなかったが、ライリーは動揺も怒りも見せずに淡々と頷いた。そして彼は小首を傾げてリリアナに目を向ける。そして優しく微笑んで尋ねた。
「ということで、私はこれからジルド殿と一緒に行こうと思う。だけどここから先は戦闘になる可能性が高い。だからサーシャ、貴方は先に砦から抜けて天幕に戻ってくれないだろうか」
それはリリアナを危険から遠ざけるための提言だった。
リリアナは表情を変えない。ライリーと視線が交差する。普通の令嬢であれば、ここは素直に従うところだ――尤も、一般的な令嬢であればそもそも敵軍に占拠された砦の奪還作戦になど手を貸そうとはしないだろう。
そしてリリアナは、間違いなく普通の令嬢ではなかった。
暗い武器庫の中で、リリアナは嫣然と微笑んだ。ライリーを見つめる。ジルドからも視線を感じたが、リリアナの答えはただ一つだった。
「ここまで参りましたもの、わたくしも同行いたしますわ」
「サーシャ」
ライリーが咎めるような声を出す。しかしリリアナは引かなかった。
リリアナの目的は、オースティンの親友である騎士見習いの少年を死なせないことだ。オースティンは親友を助けられなかったことを悔やみ、そしてライリーはそんな幼馴染を見て己の力不足に幻滅する。この出来事が切っ掛けとなり、オースティンは剣術を磨くことに躍起となり、ライリーは個人の感情ではなく国を守る王としての立場を重視するようになる。その結果、二人は闇魔術に手を染めたリリアナに非情な処罰を下すのだ。
先ほど捕らわれた騎士見習いたちを治癒したから、オースティンの親友が死ぬ確率は減った。だが、まだゼロではない。それに、ライリーが居れば世界の崩壊を防ぐことができるはずだ。
万が一の可能性を極力排除するためにも、最後までジルドとライリーと共に行動するつもりだった。
それに――もう一つ、理由はあった。リリアナの脳裏に、嘗て初めて自分を認めてくれた人の姿と声が蘇る。
『リリアナ嬢。君には殿下の味方として傍に居て欲しい。それだけの能力と実力があると思っているんだ。頼めるかな?』
その人はチェスを指しながらリリアナの努力を讃え、その見識を褒め、そしてライリーを護って欲しいと言った。ジルドが剣としてライリーを護るのであれば、リリアナは魔術でライリーを護る盾となる。当然、身を挺すような真似はしない。リリアナは前世の記憶を思い出してから、生き残ることを第一の目標として来た。だから命を懸けてまでライリーを護ろうという悲壮な決意はない。ただ三人共が生きてこの砦を出る、それだけを考えている。
「わたくしの魔術は、必ずやお役に立つはずですもの」
リリアナは端的に告げた。しばらく沈黙が落ちる。
「――分かった」
無言でリリアナを見つめていたライリーは、やがて溜息混じりに頷いた。次にリリアナに視線を向けた時、その表情には微笑が宿っている。
「ありがとう。頼りにしているよ」
それは奇しくも、あの日チェス盤の向こうで“王太子の傍に居て欲しい”と口にした今は亡きエアルドレッド公爵と全く同じ台詞だった。
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