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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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38. 国境陥落 6


リリアナとライリー、そしてジルドが敵に占拠された砦に侵入しているのと時を同じくして、カルヴァート辺境伯ビヴァリーの天幕には一人の訪問者が姿を現わしていた。


「失礼します」


天幕の周囲に護衛はいるが、予めビヴァリーが言い置いていた為か、訪問者が直接声を掛けて来た。聞き覚えのあるその声を耳にしたビヴァリーは楽し気な笑みを浮かべる。


「入って頂戴」


入室を許可すると、すぐにその人は姿を現した。再会した瞬間は全く反応を見せなかったが、今天幕の中にはビヴァリーと訪問者以外に誰も居ない。ビヴァリーは笑みを深めて簡易な椅子から立ち上がると、いそいそと訪問者に近づいてその体を抱きしめた。


「久しぶりね。元気そうで何よりだわ、オルガ」

「ご無沙汰しております、夫人」

「まあ、他人行儀だわ。以前のように喋って頂戴な」


懐かしい呼び方を耳にしたビヴァリーはとうとう声を立てて笑う。軽やかな笑い声は少女めいていた。

ビヴァリーはオルガに椅子へ腰かけるよう促した。そして自分は対面に座り、手ずから茶を淹れる。戦場であるため茶器は簡素なものだが、オルガは礼を言って茶を受け取った。そして辺境伯が自ら淹れた茶を何の臆面もなく飲む。普通であれば恐縮するところだが、オルガにその様子は見られない。そしてビヴァリーも不機嫌になる様子はなく、ただ歓喜だけがその顔に浮かんでいた。


「まさか貴方がリリアナ嬢の護衛を勤めているなんてね。はじめ聞いた時は驚いたわ」

「貴殿が魔導剣の使い方を教えてくれたからこそ、傭兵として身を立てられた。本当に感謝している」

「まあ、相変わらず律義だこと」


楽し気にビヴァリーは笑みを零す。周囲の様子を度外視すれば、ビヴァリーは辺境伯邸や王宮のサロンで優雅にティータイムを楽しんでいるようにすら見えた。夜とはいえ敵がすぐ近くに居るというのに、緊張感の欠片もない。

ビヴァリーは手に持ったカップから一口茶を飲み喉を潤した。


「最初はね、ダンヒルから貴方のことを聞いたのよ。武闘大会で対戦したんですって?」

「対戦相手にダンヒル・カルヴァート殿がいると聞き、そう言えば貴殿の御嫡男だと思い出したんだ」

「相変わらず興味ないのね。それが貴方らしいと言えばその通りだけれど」

「傭兵には不要な知識だからな」


ビヴァリーが目を眇めて問えば、オルガは内心の読めない表情でしれっと答える。しばらく責めるようにオルガを見つめていたビヴァリーは、やがて肩を震わせた。


「やっぱり、そういう所も成長したのね。初めて会った時には思ってることが全部顔に出ていたのに」

「――あの時はまだ私も子供だった」

「そうだったわねえ。月日が流れるのは早いものだわ」


感慨深げにビヴァリーは呟く。一瞬その横顔に寂寥と郷愁が過るが、オルガは見なかった振りをした。


ビヴァリーとオルガが初めて出会ったのは、ユナティアン皇国だった。その時のビヴァリーは辺境伯夫人ではなく、そして貴族という出自も隠して各地を放浪していた。普通の貴族の令嬢や子息であれば、一人で放浪することなどできはしない。すぐに人攫いに遭うか、食料を得ることもできず餓死するか、魔獣や野獣に襲われ命を落とすに違いない。

だが、ビヴァリーはそのどれにも当たらなかった。彼女は全ての災厄を退けるだけの実力を持っていた。そしてその旅の途中で出会ったのが、まだ幼いオルガだった。


「ダンヒルが言っていたわよ。勝ちを譲られたって。とても悔しかったみたい」


その言葉に、オルガは口角を上げる。無表情でいることが多いオルガには珍しい表情だった。しかしビヴァリーは当然のことのようにその変化を見つめている。それどころか目を輝かせて、わずかに身を乗り出した。


「やっぱり。わざとなのね?」

「私がお嬢様の護衛をしていると、貴殿なら知っている可能性も考えた。だが、やはり確実に居場所を知らせたかったからな。傭兵として手紙を出したところで、辺境伯領に私のことを知る者がいるとも思えなかった」


オルガの説明は理に適っていた。

家名を持たないオルガが手紙をビヴァリーに出したところで、辺境伯であるビヴァリーの元に無事届く可能性は低い。爵位が低く当主本人が直接手紙を確認するのであればまだしも、カルヴァート辺境伯となったビヴァリーが直接目を通す手紙は限られている。

それを考えると、オルガが手紙を出したとしても、ビヴァリーの目に止まる前に捨てられると思った方が確実だ。

そのため、オルガは武闘大会を使うことにした。そしてオルガが踏んだ通り、オルガに勝ちを譲られたダンヒルはビヴァリーにオルガの存在を伝えた。


「本当はもっと早くに貴殿から連絡が来ると思っていたのだが」

「そうね、本当はもっと早くに貴方に手紙を出そうかとも思っていたのよ。でも、様子を見ていたの」

「様子を?」

「そう」


不思議そうに首を傾げたオルガに、ビヴァリーは神妙な表情で頷いた。しばらく沈黙が落ちる。オルガはビヴァリーの説明を待っていたが、ビヴァリーは何の様子を見ていたのか、直接的な言葉を口にしようとはしなかった。声量を抑えて代わりに告げたのは、王国内の動向についてだった。


「ここ数年、ずっとこの王国内で不穏な動きがあるのは知っているかしら?」

「――知っている」


オルガは頷いた。傭兵は貴族社会のことなど興味はない。だが、だからといって貴族たちの情報から目を背けることはできなかった。貴族たちの動向は国の在り方に関わる。戦があるのであれば稼ぎ時だし、傭兵として雇われるのであれば勝つ可能性の高い貴族に高値で自分を売りつけたい。もし危険が高いのであれば、その土地からは早々に離れる。それが傭兵の生きる術だった。

ビヴァリーはオルガの反応を予想していたらしく、一つ頷くと静かに話を続けた。


「そう。それなら話は早いわ。大まかに言えば、陛下が病に伏されてから、貴族は大公派と殿下派、どちらにも与さず傍観する派閥に分かれていたの」


国王が病に――実際は呪術によるものだったが――倒れた後、次期国王をどうするか貴族たちの間で争いがあった。大半は現時点では判断が付かないとして傍観の姿勢を取ったが、いつ崩御するか分からない以上、次期国王を誰にするかは決めておかねばならない。もし国王が崩御しても次期国王が決まっていなければ国は荒れ、隣国の侵略を許すことになり兼ねない。


だが、これと言って相応しい王位継承者が居ないと思われていたのも事実だった。

血筋の点からは王太子殿下が有力だったが、当時のライリーはまだ幼く、年齢を考えればフランクリン・スリベグラード大公に軍配が上がる。ただし大公は能力的に国王には向かない。顧問会議が上手く大公を御せるのであれば良いけれど、気位が高いため傀儡の王にするにも面倒だ。それならばまだ王太子殿下の方が良いだろうと――つまり、たとえ愚者に育とうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ただ、幸運にも王太子殿下は立派にお育ちになられたわ。恐らくフィンチ侯爵夫人の教育もあったのでしょうけれど、次期国王としての資質をお持ちのようね」


オルガは口を挟まない。情報としてだけでなく、リリアナに護衛として随行する間にライリーの為人も垣間見ている。大公と会ったことはないが、少なくともライリーが次期国王であることに不安は覚えない。

ビヴァリーは無言のオルガに気分を害すこともなく、言葉を続けた。


「風向きが変わったのは、それこそ武闘大会があった頃よね。それまではアルカシア派は誰を次期国王として支持するか、姿勢を明らかにはしていなかった。当然よね、エアルドレッド公爵がその意思をはっきりとはさせていらっしゃらなかったから」


アルカシア派はエアルドレッド公爵家を筆頭とした巨大派閥だ。彼らは旧国王派と称されることもある。厳密に両者は違うが、ほぼ同等と見做せるほど、それぞれの派閥に与する貴族は共通していた。

一番の違いは、アルカシア派は皆エアルドレッド公爵家の意向に従うという点だった。それは即ち、エアルドレッド公爵家が王家に忠誠を誓えば王家に首を垂れる一方、一度エアルドレッド公爵家が反旗を翻せば即座に謀反を企てるということでもある。

そして旧国王派は、現在スリベグランディア王国を統べているスリベグラード一族ではなく、エアルドレッド公爵家に王位継承の正当性があると主張する派閥だった。


「それが、武闘大会の前後で王太子殿下を支持すると表明なさった。だからアルカシア派の貴族は皆それに従ったの」


ただ、それでも問題はあった。ビヴァリーは難しい顔で言葉を続ける。


「私はアルカシア派ではないけれど、エアルドレッド公爵家と同じ気持ちよ。次期国王に相応しいのは王太子殿下だと思っている」


だが、そうではない者もいる。表立って大公派であると示している者はまだ良い。問題は、ライリーを支持しているよう取り繕いながら、実際は逆心のある者たちの存在だった。


「それだけじゃない。隣国との繋がりを強めて権力を持とうと企んでいる者も居るようなの。具体的に証拠を掴んだわけでもないし、全員を炙り出せたわけでもないのだけれど」

「つまり、どこに裏切り者がいるか分からない状況で軽々しく連絡を取るわけにはいかなかった――ということか」


ずっと黙って話を聞いていたオルガがようやく口を開く。端的に纏められた言葉に、ビヴァリーは笑みを浮かべて頷いた。


「その通りよ。誰が誰と繋がっているのかも分からない今、こちらの手の内を曝け出すのも野暮というものでしょう。だから今回は、不幸中の幸いともいえるわね。誰に疑われることもなく貴方と接触できた」

「買いかぶりすぎだ」

「あらいやだ、本心よ?」


ビヴァリーは肩を竦める。そして真剣な表情で、真っ直ぐにオルガを見つめた。


「正直な話、あの砦を取り戻すのに今のカルヴァート騎士団の手勢では手一杯なの。不可能ではないけれど、かなりの人数が犠牲になるところだったわ」


オルガは黙って一つ頷く。ライリーたちを交えた軍議に、オルガも護衛として立ち会っていた。そこで交わされた会話を聞く限り、カルヴァート騎士団の不利は明らかだった。頼るべきは近隣諸侯や王都からの増援だったが、何者かが謀ったのか、碌な応援も見込めない。

以前ケニス辺境伯領を攻撃された時は、砦も占拠されなかった。そのため帝国は一領主の暴走としてことを収めたが、今回は砦が占拠されている。隣国が何を言おうと、取り返さなければ国力が削られてしまう。


だが、辺境伯領の危機はライリーたちの耳に届いた。そして幸運なことに、ライリーたちは直ぐに駆け付けられる場所に居て、更には十分な戦力も伴っていた。


「普通であれば、護衛たち数十名加わったところで戦況に大きな影響はないもの。でも、単なる護衛として片づけるには異様なほどの戦力だわ」

「まあ、私もジルドも居ますからね」

「そうね。それに殿下やオースティン殿も十二分の戦力だわ」


恐らくは二人とも、カルヴァート騎士団の騎士と戦っても上位に食い込むだろう。

ビヴァリーは断言した。

戦場では兵士の数が多い方が有利だというのは常識だ。だがそれ以上に、戦力を束ねられる階級の者がある程度居れば戦術にも幅が出る。指揮官が一人であれば軍勢は大きな一つのまとまりにしかならないが、指揮官が二人であれば挟み撃ちが出来る。侵入が得意なものが居れば内部から切り崩せるし、少数精鋭が居れば陽動も可能だ。


「いずれにせよ、私たちに出来ることは目の前のことを解決していくしかない。全力を尽くす他ないだろう」


オルガの言葉にビヴァリーは頷く。


「きっと貴方も強くなったのでしょう。貴方の成長をこの目で見ることが出来るなんて、あの時は思ってもいなかったわ」


嬉しそうな声に、オルガは答えなかった。しかしその頬は緩んでいる。オルガには珍しいその表情を前に、ビヴァリーは笑みを深め尋ねた。


「それで、オルガ。お茶のお代わりはいかが?」



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