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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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38. 国境陥落 5


地下牢の最奥に、リリアナたちは辿り着く。そこは一際暗くなっていて、一定の間隔で水が滴っていた。足元を大きめの鼠が走り去って行く。

魔術の火で照らし出したその光景に、ジルドは顔を顰め、ライリーは眉根を寄せた。リリアナもまた僅かに顔を強張らせる。


「――サーシャ」


落ち着かせるようにライリーがリリアナの名を呼び、リリアナの右手を握る。そこから伝わる温もりに、リリアナは肩の力を抜いた。


三人の眼前に広がる光景は凄惨だった。太陽の下で見ればその感想は一際強くなっただろう。魔術の灯りは探索には十分だが、地下牢の隅まで照らし出すほどのものではなかった。


「生きてるか?」

「どうだろうね。取り敢えず――見覚えのある顔であることは間違いないよ」


ジルドが苦々しく呟く。ライリーもまた固い口調で答える。

地下牢の最奥にある牢は一番広く、そこに放り込まれていたのはピクリとも動かない少年たちだった。地下牢の石壁に背中を預けている者も、地面に倒れ伏している者もいる。だが皆一様に血の匂いをさせていた。


「とりあえず開けよう」


一言呟いたライリーがポケットに手を入れて針金のようなものを取り出すと、小さな扉に掛けられた閂をあっという間に外す。その手際の良さに、さすがのリリアナやジルドも呆れを隠せない。


「――本当に王太子かよ」

「正真正銘、王太子だよ。これは単に私の趣味だ」


あっさりと答えたライリーはそれ以上の説明をせずに扉を開ける。その会話を聞いていたリリアナは、確かにと納得していた。ライリーは元々手先が器用な性質だ。それに努力家でもある。

幾度となく刺客に襲われたり、リリアナと共に転移陣で連れ去られた経験を元に、万が一の状況を想定して自力で対処できるよう様々な知識や技術を身に着けるよう努力して来た。その殆どは秘密裏に行われ、リリアナもごく一部しか知らない。しかし、恐らく錠前を開けるという王族にあるまじき振る舞いもその一環なのだろうと思い至った。


だが、今はライリーの予想外の特技ではなく、地下牢の中で動かない少年たちの方が心配だ。

さすがにここは自分が入ると主張したジルドが率先して牢の中に入り、状態を確認する。一見したところ死んでいるようにしか見えない。緊張がその場を支配する。


「一応、全員息はしちゃあいるが――」


少ししてジルドが言った。だがその口調は酷く重たい。

残された時間は殆どないということなのだろう。ライリーはその場で嗅ぎ取れる血の匂いから、そしてリリアナは前世の乙女ゲームの知識から、そのことを薄々予感していた。


「必要なら、彼らとサーシャだけでも先に脱出を――とは考えていたんだけど、ね」


ライリーは眉を寄せて苦し気に呟いた。

多少の怪我であればリリアナと共に安全な場所まで転移し、そこで治療を受けさせれば良いと考えていたのだろう。だが、リリアナは首を振った。


「それは難しそうですわね」


乙女ゲームでは、カルヴァート騎士団とライリーたちが砦に踏み込んだ時には、見習い騎士たちは命を落としていた。一晩早ければ彼らの命だけでも助かったのにという後悔は、ライリーやオースティンたちを苛んだ。特にオースティンは、昔馴染みの少年を失う。

彼が心に抱えた喪失は大きく、ヒロインのエミリアがその穴を埋める役割を担っていた。しかし、完全に心の穴を埋めるまでにライリーやオースティンは窮地に追い込まれ、良く言えば成長する。だが、悪く言えば心から優しさを切り捨てる。

オースティンはどこか頑なになり、そしてライリーもまた非情な判断を下すことに一切の躊躇がなくなるのだった。

それが悪役令嬢リリアナ・アレクサンドラ・クラークの破滅に繋がる要素になっていたことは、ほぼ間違いないだろう。


「転移はできませんけれど、でもこのまま放っておくわけにも参りませんわ」


リリアナの言葉を聞いたジルドとライリーの意識がリリアナに向けられる。リリアナは腰をかがめて地下牢の中に入った。

転移で見習い騎士たちを連れ出すにしても、あまりにも状態が悪い。転移の術はそれなりに心身に負担がかかる。ほぼ間違いなく、転移している最中に少年たちは事切れるだろう。

それに、まだリリアナたちには砦ですべきことが残っていた。


「サーシャ?」


何をする気かと、ライリーが問う。だがその表情は、リリアナがこれから何をする気なのか薄々察している様子だった。一方、ジルドはまだ状況が良く呑み込めていないらしく、不思議そうにリリアナを眺めている。

牢の中に入ったリリアナは動かない少年たちに視線を走らせた。

最初はその凄惨な様子に飲まれかけたものの、意識すれば慣れる。何より自分は実父を手に掛けたではないか――そう思えば、今更死にかけている人間を見て怖気づくなど笑止千万だった。


本来であれば――前世の医療現場であれば、識別救急(トリアージ)が行われるべき状況だ。患者は多く、そして治療できる施術者もリリアナ一人だ。一つでも多くの命を救うためには、治療の優先順位を決めなければならない。そしてその場合、優先されるのは治療して助かる見込みのある者。治療を行っても生存の可能性のない者は捨て置かれる。

その基準に照らせば、床に倒れ伏している一番小柄な少年は捨て置くべきだった。意識はなく、呼吸は不規則で大きい。更には肌にも斑点が出て来ている。そっと首筋に手を当てれば、体温はかなり低く脈拍も弱っていた。


(――死期が近いのですね)


恐らくあと数時間で、彼の命は潰えるだろう。普通に治療をしても助かる見込みはない。血が失われすぎている。

そうと分かっていても尚、リリアナはその少年に手を翳した。魔力を掌に込める。


視界の端でジルドが目を瞠るのが分かった。ようやくそこでジルドもリリアナが何をしようとしているのか理解したらしい。息を飲んで、ジルドはリリアナの手を――正確にはみるみるうちに塞がっていく傷痕を凝視していた。


「治癒術かよ」


絶句していたジルドは、リリアナが少年の体から手を離したところでようやく息を腹の底から吐き出す。どうやら呼吸を忘れていたらしい。

リリアナは答えなかった。少年が息をしていることを確認して、次に移る。そうして次々とリリアナは治癒術を施した。三人目の見習い騎士を治療したところで立ち上がる。

死の臭いが漂っていた地下牢だったが、いつしか見習い騎士たちの健やかな寝息が響き始めていた。


「サーシャ、体調は?」


途中でライリーが声を掛けなかったのは、リリアナの集中力を途切れさせたくなかったからだろう。その表情はわずかに白くなり、そして声はこれまでになく硬い。

どうやらライリーを心底心配させたらしいと、リリアナは内心で驚いていた。だが、ライリーの懸念は当然だった。


治癒術は聖魔術と同様、使える魔導士は非常に限られている。そして膨大な魔力を使うため、怪我や病の程度によるが、一度に一人か二人を治療するので手一杯だ。今回リリアナが治療した少年たちの傷は全て致命傷だった。普通の魔導士であれば治癒することすらできないものだ。それにも関わらず、リリアナはたった一人で六人分の治療を施した。

リリアナは顔を上げてライリーを見る。彼の手は地下牢の鉄柵を強く掴んでいた。指先が真っ白になっている。血が止まるほど柵を握りしめていたようだ。


リリアナはライリーを安心させるように微笑を浮かべた。


「問題ございませんわ」


多少のけだるさは感じられるが、それでも一般的な魔力量は残っている感覚がある。だからそう答えたのだが、ライリーは更に問いを重ねた。


「魔力は?」

「まだ若干の余裕がございます」


外で待っていたライリーは、それでも納得した様子を見せなかった。


「サーシャ、こっちに来て」


牢から出て来るように言われてリリアナは大人しく外へ出る。すると、ライリーはリリアナの肩を掴んでまじまじと顔を見つめた。間近で凝視されてリリアナは驚くが、すぐにライリーは安堵の息と共にリリアナを解放してくれる。

どうしたのかとリリアナが首を傾げると、ライリーは微苦笑を浮かべた。


「良かった、本当に大丈夫みたいだね。顔色が変わってない。途中で魔力不足になりそうだったら引き離そうと思ってたんだけど」


サーシャの魔力量は本当に多いんだね、とライリーが感心したように呟く。リリアナは苦笑してみせた。


「わたくしの魔力が増えていることもご存知でしょうに」

「うん、頭では理解していても、やっぱりね。どの程度の魔力量があるのかとか、私自身は見ても分からないし。心配にはなるよ」

「まあ」


返答に困り、リリアナは曖昧に答える。そして逡巡した結果、話題を変えることにした。


「ところで、あの見習い騎士の方々ですけれど――如何いたしましょう」

「そうだね。このまま転移で連れて出るのが一番良いと思うんだけど」


ライリーはどうやらリリアナをさっさと安全圏に移動させたいらしい。しかしリリアナは頷かなかった。


「転移させてしまえば、カルヴァート騎士団の者が忍び込んだと敵方に知れてしまいますわ」

「死にかけている捕虜のことなんて、気にしないと思うよ」


リリアナは一瞬言葉に詰まる。確かに見習い騎士たちの状態は酷いものだった。あの状態では、今砦を占拠している敵たちも捕虜が脱出を企てるなど思いもしないだろう。だが、万が一ということもある。

乙女ゲームには出て来ていなかった人物も重要な位置に居るため、記憶とはだいぶ物語も変わってしまう可能性が高いが、特に戦場と言う生死に直結している場面の筋は変えない方が良いのではないかと思えた。


「仰るとおりかもしれませんわね。しかし万が一ということもございますし、なにより転移陣に関してはわたくしに一日の長があるかと存じますわ」

「一応、私もある程度は知識はあるつもりなんだけど」


控え目ながらもはっきりと主張するリリアナに、ライリーは反論する。それでもリリアナの言い分に理があると分かっているのか、それほど強く反対はしなかった。


「その話なんだけどよ」



黙って二人の会話を聞いていたジルドが口を挟む。ライリーとリリアナが顔を向ければ、牢から出て来たジルドが親指で背後に倒れている騎士見習いたちを指し示した。


「こいつら、今は寝てるだけみてぇだからさ。明日、一働きさせて良いか」

「一働き?」


ライリーが首を傾げる。ジルドは「おうよ」と頷いた。


「俺だけここで夜を越すだろ。最初は一人でも良いかと思ったんだが、騒ぎを起こすなら複数居た方がやりやすいからな」

「そうだね。そういうことなら是非頼もう」


楽し気に笑みを深めたライリーはジルドに頷きを返すと、再度リリアナに向き合う。


「そういうことなら、サーシャ。転移陣の捜索までは同行しよう。その後は私と二人で砦を離脱する。ただ、くれぐれも無理はしないで欲しい。特に貴方は六人分の治癒術を施した後なのだから」

「承知いたしましたわ」


素直にリリアナは頷くが、ライリーの言葉を守る気はあまりない。ここは戦場なのだから、状況は刻一刻と変わる。必要になれば躊躇わずに魔術を使うつもりだった。


「本当であれば彼らが目覚めるまで待って、言付けを残していきたいところだけどね。でも暫く目は覚めないだろうし、危険は冒したくない」


ライリーはそういうとジルドを振り返る。ジルドは無言でしゃがみ込むと、地面に落ちていた閂を手に取った。ライリーは一つ頷く。

ジルドは無言のまま、閂を元通りに牢の扉へと付け直した。だが完全には閉めない。内側から手を出して揺らせば簡単に閂は外せる。一見したところ、閂が嵌っていると敵に思わせられたらそれで十分だった。


「行こうか。長居は愚策だ」


リリアナとジルドはライリーの言葉に頷く。

敵陣に長く留まれば留まるほど、敵に見つかる可能性は高くなる。それよりも先に、砦に仕掛けられただろう転移陣を見つけ出すべきだった。




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