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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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38. 国境陥落 2


フィーニスにリリアナたちが到着したのは、狼煙が上がった二日後のことだった。途中で何度か馬を乗り換える強行軍だ。一番の懸念はリリアナの体力だったが、リリアナは治癒の魔術を使える。ライリーの助力もあり、驚異的な速さで街道を進んだ。

カルヴァート辺境伯の中心部よりもフィーニスに近かったこともあり、途中で何度か使いを立てて情報交換したものの、ビヴァリーたちとほぼ同じ頃合いにフィーニスに到着した。


「エミリア嬢?」


馬を下りた一行は、出迎えに来た人々の中に思わぬ人物を見かけて目を瞠った。

エミリア・ネイビーとアンガス・カルヴァートとは、先日別れたばかりだ。ライリーやリリアナたちはゼンフの町に戻り、エミリアとアンガスはネイビー男爵領に留まった。フィーニスが敵に攻略されたという知らせを受けて駆け付けるのはアンガスだけで、エミリアは男爵領に留まるはずだった。

驚きを隠さないクライドたちの様子を眺めながら、リリアナは一人納得していた。


フィーニス陥落は、乙女ゲームの序盤で起こる事件(イベント)の一つだ。ヒロインであるエミリアがフィーニスに来る選択肢を選べば、王太子(ライリー)近衛騎士(オースティン)次期公爵(クライド)の好感度が上がる仕様になってる。まだルートは分岐しないが、その後のルート選択において重要な要素だ。

もしエミリアがフィーニスではなく王都に行けば魔導士(ベラスタ)の、ケニス辺境伯領に向かえば隣国皇子(ローランド)と隠しキャラクターの好感度が上がる。


(この場に居らっしゃるということは、今後はウィルかオースティン様、それかお兄様のルートに進むと考えて宜しいでしょう)


リリアナは内心で呟いた。

出迎えていた集団の中から、一人の女性が前に歩み出る。男装の麗人ビヴァリー・カルヴァートだ。


「殿下、わざわざご足労賜りまして誠に有難く存じます」


戦場に相応しく動き易そうな服装に身を包んだビヴァリーは、馬上から降りたライリーの前で綺麗な礼を見せた。ライリーは一つ首を振る。


「たまたま近くに居ましたからね。ケニス辺境伯領でも近隣領主からの攻撃があったようで、そちらの対応に手を取られているようです」

「――恐らく、フィーニスの砦に侵入した敵軍と共謀したのでしょう」


ビヴァリーの指摘にライリーは頷く。

フィーニスに来る途中、ライリーは王都とケニス辺境伯領の状況を入手していた。ケニス辺境伯領には以前ほど大がかりではないものの、領主軍が進軍を開始した。幸いにも異能力を扱う“北の移民”の姿はないようで、ケニス騎士団だけで十分対応できそうだという話だった。

そして王都に関しては、ユナティアン皇国との国交が正常であることを示すために王立騎士団は動かさないという決定が顧問会議によりなされたとの報告だった。


「王都に私がいないことも計画の内にあったのではないかと思います」


手早く状況を確認し合った後、ライリーは口惜しそうに付け加えた。

もしライリーが王宮に居れば、王太子権限でカルヴァート騎士団の助力をするよう各貴族に勅命を出せた。だが、ライリーは視察に出ている。そのため勅命を出すことはできず、顧問会議が代わりに決定を下す。本来であれば国王が勅命を出すべきだが、その本人は元から顧問会議の言いなりになるような人物だ。心を入れ替えて口を挟もうとしても、顧問会議の貴族たちに理屈で勝てるはずもない。


皆まで言わずともライリーの心境を察したビヴァリーは慰めるように肩を竦めた。


「過ぎたるは猶及ばざるが如しと申します。今はフィーニスを取り戻すことを考えた方が宜しいでしょう」

「確かにその通りですね。方策は既に立てられたのですか」


ライリーは顔を上げると、苦笑混じりに頷いて本題に戻った。ビヴァリーは一つ頷く。


「はい。殿下方がいらっしゃると伺いまして、計画も一部変更は致しましたが、大まかには決まっております。現在は砦を占拠している敵軍の状況を探らせているところですわ」

「一夜にして陥落したということですが、魔導士の関与は確認できていますか」


ビヴァリーは片眉を上げてライリーを見やる。その双眸には、ライリーを見直したとでも言いたげな光が浮かんでいた。楽し気にビヴァリーは笑み、不敵に頷く。


「勿論、抜かりございませんわ。あちら側に付いている魔導士はそれほど人数も多くないようですけれど、どうやら砦に出入りしていた農民に、敵方の間諜が潜んでいたようですの」

「間諜――ああ、なるほど、砦の中に転移陣が設置されたということですか」


一瞬考えたライリーだが、すぐに一つの結論に辿り着く。

ビヴァリーは、自分の端的な報告を聞いて正確に状況を理解したライリーを満足そうに見下ろし、紅をさしたその唇に綺麗な弧を描いた。


「ええ、そう考えなければ辻褄があいませんわ」


そして、もし砦の中に運び込まれただろう転移陣が未だに稼働可能な状況であれば、たとえ攻囲戦が成功したとしても、いつ敵勢が自分たちの足元に現われるか分からない。更には数人の見習い騎士たちが砦に捕らわれている状況も加味すれば、迅速な作戦遂行が何よりも重要だ。

そのため、ビヴァリーはカルヴァート騎士団の中でも精鋭ばかりを集めた一団を形成すると言った。


「少数精鋭ということですか」

「ええ、その通りですわ、殿下」


ライリーの言葉にビヴァリーは頷く。


「ですが、敵の油断を誘う必要もございます。そのため包囲網を作り、本隊は手も足も出ない膠着状態であると思わせようかと思っておりますの」

「なるほど」


納得したライリーは頷く。だが、それには問題がある。カルヴァート騎士団もそれほど人数が多いわけではない。不自然に騎士の数が減れば敵もこちらの作戦に気が付く可能性があった。


「そこで、殿下に折り入ってご相談があるのですけれど」


意味深な目をライリーに向けてビヴァリーが囁く。社交界の花と呼ばれた夫人は、その(かんばせ)の美しさは変わらないものの、瞳に光る意志の強さは歴戦の猛者に勝るとも劣らないものだった。



*****



ビヴァリーの打診を快諾したライリーは、連れて来た護衛たちも踏まえて今後の作戦を細かに打ち合わせた。勿論戦場では予想だにしない事も頻繁に発生する。そのためある程度の柔軟性は持たせ、しかしいざという時の指揮系統に混乱が生じないよう手筈を整えた。

あとは決行の時を待つだけだ。遠くにカルヴァート騎士団とネイビー男爵領や近場から駆り集めて来た民兵を眺めつつ、砦からはこちらが見えない場所に陣を張り、ライリーたちは穏やかな一時を過ごしていた。


「エミリア嬢、貴方もここにいらしていたとは思いませんでした」


人心地ついたライリーは、数日ぶりに顔を見たエミリア・ネイビーを前に口を開いた。リリアナも僅かに目を瞠って驚いた様子を作る。

多少はライリーやリリアナたちに慣れたらしいエミリアは、落ち着いた様子で静かに頷いた。


「フィーニスが落とされたと聞いて、アンガス様が急ぎ帰られるのにご一緒しました」

「しかし、危険ではありませんか」


気遣わし気に尋ねたのはオースティンだ。その懸念は当然のものだった。エミリアが馬に乗れることは、今この場に居る全員が知っている。しかしエミリアは普通の男爵令嬢だ。戦になど慣れているはずもない。

それを指摘すれば、エミリアは真剣な表情で首を振った。


「ビヴァリー様に、魔術と剣術を学ばせていただいたんです。実戦は初めてですが――でも、フィーニスを落とされたとなると、私の領にも決して無関係ではありません」


エミリアの言う通り、ネイビー男爵領からも民兵として農民たちが集まって来ている。ネイビー男爵領はフィーニスから多少距離があるためアンガスも同行を要請することはなかったらしいが、噂を聞きつけた有志たちが同行を申し出たと言う。

普通の農民たちであれば、どれほど時間が掛かるかも分からない戦に参加したいとは決して思わない。その期間は畑や家畜、家を放っておくことになるのだから当然だ。しかしネイビー男爵領の中には、例外的な農民たちが居るようだった。


「普段からアンガス様にもビヴァリー様にもよくして頂いていますから」


だから恩義を感じているのだろうと説明するエミリアは、ほんのりと頬を紅潮させている。その表情からはビヴァリーとアンガスに対する尊敬の念が窺えた。エミリアは心の底からカルヴァート辺境伯とその嫡男を慕っているらしい。

冷めた目でエミリアや攻略対象者たちの様子を観察しながら、リリアナはすっきりしない気持ちを味わっていた。

エミリアは確かに可愛らしいし健気だ。嫌味なところは何一つとしない。それにライリーたちにとっては、何故男爵家の令嬢が戦場に足を運んだのかも不思議でならないのだろう。多少魔術や剣術の心得があるとはいえ、あまりにも場違いだ。

とはいえ、リリアナもまた公爵家の令嬢だ。エミリア以上にこの場には相応しくない。

ライリーに同行を願われたからこの場に居るが、本当であればそ知らぬふりをして存在を気取られないまま、フィーニスを訪れるつもりだった。


(思うようにいきませんわね)


他の誰にも気付かれない状態でフィーニスを好き勝手に闊歩するのと、ビヴァリーが立てた作戦に従いライリーたちの目の付くところで活動するのでは、気楽さが全く違う。前者であればリリアナは常に傍観者で居られる。だが巻き込まれてしまえば当事者だ。傍観者だからといって保てた理性が、当事者になれば崩れるということも往々にしてあり得る。


(この気持ちの乱れも、この場に居るからこそのものでしょうか)


自分を落ち着かせるように、リリアナは小さく息を吐いた。感情的になることの無様さは母親を見ていたから良く知っている。実母のベリンダは、リリアナにとって反面教師以外の何物でもなかった。


「サーシャ?」


音もなく近づいて来たライリーがリリアナにだけ聞こえるように声を掛けて来て、リリアナは顔を上げた。幸いにも他の誰もリリアナのことに気が付いていない。見上げた先には、ライリーの気遣うような瞳があった。

何事もなかったかのようにリリアナは口角を上げる。


「いかがなさいました?」

「少し顔色が悪いように見えたから」


気になって、と続けるライリーは本心からリリアナの事を心配しているようだ。その事に、いつしかリリアナの心に巣食っていた重たい不快感は消えていた。


「お気遣いありがとうございます、けれどわたくしは大丈夫ですわ」

「――貴方の“大丈夫”をどこまで信じて良いのか、私には判断が難しいんだけど」


ライリーは苦笑する。それでもリリアナを問い詰めようとする様子はなくて、リリアナは内心で安堵した。問われたところでリリアナ自身、自分の気持ちを理解できていない。


自分が禁術の実験により作られた存在であり、その結果感情を抑制する術が掛けられていたと知ったあの日まで、リリアナは自らの感情に無頓着だった。感じ取れるほど気持ちに変化がなかったのだから、当然とも言える。しかし自覚した今、リリアナの情緒は徐々に育ちつつあるようだった。生まれてから過ごした十四年近い年月の内、自分の心を揺らす感情(そんざい)に向き合っている期間は一年に満たない。それにも関わらず平静を保てているのは、幼い頃から施されて来た王太子妃候補としての教育と、皮肉にも禁術によって植え付けられた他の魂の記憶のお陰だった。少なくとも、リリアナはそう思っていた。


「決行までまだ時間はある。難しいかもしれないけど、それまで少し休んでいたら良いよ」

「ありがとうございます」


気遣いを見せたライリーに、リリアナは大人しく礼を言う。

決行は夜明けだ。しかし、リリアナはその前に一働きするつもりだった。


前世の乙女ゲームでオースティンルートの、最初の重要な鍵――それが、捕らわれた見習い騎士だ。



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