37. ネイビー男爵領の娘 2
カルヴァート辺境伯領の修道院――そこは、歴史ある修道院だった。村はそれほど大きくなかったが、敬虔な者たちが集まり神に仕え生活していた。孤児や病人も手広く引き受け、そして時のカルヴァート辺境伯も手厚く支援していた。
修道院には大小様々な規模があるがその修道院はそれなりに大きく、必然的に修道士や孤児、病人の数も多かった。とはいえ、孤児や病人は出入りが激しく、時々知らない顔を見かけることもあったらしい。だがそれも神の思し召しと、修道士たちが気に掛けることはなかった。
修道院を訪れた者は神に導かれた者たちであり、立ち去る者はそれもまた神の意志なのだと考えられていたのだ。
だが、それも恐ろしい病が広まるまでのことだった。
「確か、最初は木樵だったと思います。体調が悪くなったといって運び込まれてきました。最初は腕の付け根に瘤があったようですが、その部分から体全体に黒い痣が広がり、運び込まれた三日後に亡くなりました」
沈鬱な表情で、ディーター修道士は当時を思い出すように訥々と言葉を綴る。
最初の患者が運び込まれた時、最初はその病が黒死病だとは気が付かなかった。だが、体が漆黒に染まるのを見た年嵩の修道士が、黒死病だと気が付いた。その後は全てがあっという間だった。
「黒死病だと分かってからは、同じような症状が出た者の近くにはたとえ家族だろうと近寄らないようにと、村人たちに指示しました。ただ情報だけは修道院に入って来ました。木樵の次は猟師でした。その当時、魔物が増えていましたので――魔物と遭遇する生業の者から罹ったのだと思います」
黒死病の原因は魔物が発する瘴気だと考えられている。実際に、黒死病を発症した者たちは皆、仕事のため森に足を踏み入れていた。そしてその次は彼らと触れ合う機会の多かった家族へと症状は広がる。
「やがて村にも魔物が姿を現わすようになりました。昼は多少マシになりましたが、夕暮れが近くなると瘴気が村に立ち込めるようになりました」
噂は村を訪れていた商人によってあっという間に近隣の村へと広まった。黒死病を恐れた村人たちは別の村へと逃げようとしたが、近隣の村は決して彼らを迎え入れようとはしなかった。寧ろ、病や禍を持ち込む存在だとして矢を遠くから射かけ殺し、野ざらしにした。
村に残り病に罹るか、それとも近隣へと逃れ殺されるか――どのみち、村人たちに明日はなかった。
「村人の三分の二程度が命を落としましたが、そこでようやく病は広がらなくなりました。働き盛りの男たちばかりが亡くなり痛手でしたが――」
それでも村人たちも修道士たちも諦めなかった。魔物たちの発する瘴気が薄くなっていたことも、彼らの希望に火をつけた。
「しかし、その希望はあっという間に潰えました。黒死病の影響で畑を耕すことも儘ならなくなり、家畜も減りましたので――家畜を数頭と植物の種を融通して貰えないかと、私はこの修道院を訪れたのです。本来でしたら近隣の村に助けを求めるべきなのですが、村の出身だと知れるだけで拒否されますから」
当時を思い出したのか、ディーターは疲れた顔で弱弱しい笑みを浮かべた。
彼にとっては思い出したくもない悲痛な記憶なのだろう。本来であれば手を差し伸べ合うはずの隣人たちからは拒絶され、それどころか命を狙われる。黒死病と戦い疲弊した心身に、その現実は酷く辛かったはずだ。
ディーターが身を寄せていた修道院も、黒死病の魔の手に掛かっていた。たくさん居た修道士もかなり減ったため、ディーターは一人で村を離れネイビー修道院に向かった。弱った子供に食糧を分け与えていたため、ディーターも空腹を何とか凌いでの旅だった。黒死病が出た村の者だと知られたら、他の村の者たちに殺される可能性もあった。だから、極力人目を避けた。十分な食糧を失った村人たちに、命を繋ぐ食糧を届けてやらなければならなかった。
街道を避けて時折魔物に出くわしたこともある。それはまさしく、命を懸けた旅だった。
「ですが――その間に、村は――」
ディーターは唇を噛みしめる。何かに耐えるようにきつく拳を握り、目を瞑った。少しその状態で耐え、ディーターは細く長い息を吐き出す。自分を落ち着かせるように深呼吸を数度繰り返すと、感情を押し殺した声で続けた。
「何者かに、火を放たれて全焼したようです。丸一夜燃え続け、残ったのは灰と炭だけでした」
そのことをディーターが知ったのは、ネイビー修道院で数頭の家畜と植物の種を貰い受け、まさに修道院を発とうとした時だった。呆然としたディーターが選んだ道は、村に戻って自分の目で村人たちの無事を確かめることだった。
「何も残っていませんでした。村人たちが住んでいた家も家畜小屋も――跡形もなく燃えていました。燻る黒土の上に、人だったらしいものが残っていました。修道院も、瓦礫の山になっていました。誰一人――誰一人として、残っていません。生き残ったのは――――私だけです」
ディーターは隣村を訪ねた。仲間の修道士たちや村人たちが生き残っていないのであれば、たとえ自分が隣村の者たちに殺されたとしても構わないと思っていた。
時に石を投げられ傷つくこともあった。だがディーターは諦めず、そして村人は誰一人として生き残らなかったのだと認めざるを得なかった。
「その後は、ここの修道院長様のお心遣いで、ここに置いて頂いています」
説明を終えたディーターは、そこで言葉を切った。沈鬱な空気が部屋を支配する。クライドもライリーも難しい表情で考え込んでいた。リリアナも思案する。
当然、当時の報告書は残っている。事前に内容も確認していた。そこには、村に火を放った犯人は不明だと記されていた。
同じことを考えていたのか、おもむろにライリーが口を開く。
「辛い記憶を思い出させてしまって申し訳ない。その上で更にこういう事を尋ねるのも酷だとは思うのだが、答えてくれるだろうか」
「はい、なんなりと」
ディーターは静かに頷いた。ライリーは相手を落ち着かせるようにいたわるような微笑を浮かべ、質問を口にした。
「残念ながら犯人は見つからなかったと、報告書には記載があった。噂でも構わないんだが、犯人に繋がるような情報はなかったかな?」
予想外の問いだったのか、ディーターはわずかに目を瞠った。少し考えるような素振りをみせて、一つ頷く。
「そういえば、隣村で子供の話を耳にしました」
「どのような?」
その村は王都に繋がる街道を通る時、必ず人が立ち寄る村だった。
「行商人でもない、変な旅人が居たと」
「変な旅人? 具体的には何か言っていたか」
「黒ずくめで、顔を隠すようにしていたようです。質素な身なりだったようですが、靴がピカピカだったと言っていたから――覚えています」
火を放たれた村も、その近隣の村も、王都からわざわざ訪れる者はいない。カルヴァート辺境伯領の領主直轄地に向かう行商人が通り過ぎることはあるが、途中通過する村や町に目ぼしい場所がないため、その経路を辿る者は滅多にいなかった。
「靴がピカピカ――ということは、貴族か大商人の可能性が高いね」
ライリーの独り言はリリアナにだけ聞こえる音量だった。リリアナはライリーを横目で一瞥する。
「その男が居たにも関わらず、犯人は隣村の村人ではないかと推測されたようだね。結果的に捕まえることはできなかったようだけど、その理由は何だと思う?」
ディーターは困ったように眉根を寄せる。しかし、すぐに何かに思い至った様子で目を瞬かせた。自信がなさそうな口振りで、恐る恐る続けた。
「実は――その男を見たというのが、子供一人だけだったんです。宿屋に泊まっていたというのですが、宿屋の主人はその日一人も客は居なかったと答えて――」
それだけではない。その村に居る者は、誰一人として黒ずくめの男を見ていないと証言した。結局、男を見たという子供の発言は幼子特有の妄言だと処理されたのだろう。
リリアナは眉根を寄せた。
(子供の言葉が正しいとは限りませんけれど、でももし本当なら――それはまるで幻術ではありませんか)
リリアナも良く姿を隠す目的で幻術を使う。だが、幻術の中でも禁術に指定されている魔術には、人の記憶を操るものがあった。仮にその人物が幻術を用いて村人たちの記憶を操作していたのであれば、証言に出て来なかったのも頷ける。ディーターに黒ずくめの男を教えた子供は、男が認識していなかったから幻術の対象から外れたのだろう。
もしその黒ずくめの男が禁術の使い手であり、わざわざ黒死病が発生した村に火を放つため足を運んだのだとしたら――それは、黒死病が自然発生したものではないという証拠になり得る。そして当時、村を囲む森に増えていたという魔物の存在――黒死病が沈静化するに従い、魔物は数を減らした。
実際の黒死病には原因菌が存在する。だが、魔物が発する瘴気と黒死病に関連性がないという証拠はどこにもない。
ぶるりと震えたリリアナは、片手に温かさを感じて視線を下に向ける。リリアナが膝の上に置いている手を、優しく微笑んだライリーが包んでいた。
「他に何か、その前後で変わったことは?」
更に質問を重ねたのはクライドだ。ディーターは困ったように眉根を寄せて考え込む。一生懸命記憶を辿って考えているようだが、なかなか思い出せないらしい。
特に何もなかったのだろうかとリリアナたちが思った時、遠慮がちな声が沈黙を打ち破った。
「あの」
口を開いたのはエミリアだった。高位貴族が居る中で発言することは、彼女にとっては非常に勇気のいることなのだろう。緊張で表情が硬くなっている。だが、クライドは優しく発言を促した。
それに勇気を得たらしいエミリアは、一つ唾を飲み込んでディーターに尋ねる。
「確か、孤児が突然居なくなったって――そんな話がありませんでしたっけ」
自分に話し掛けられると思っていなかったらしいディーターは目を丸くする。しかし、すぐに彼は頷いた。
「ああ、そうです。集団失踪――と言って良いのですかね。普段は姿が見えなくなっても素行の悪い数人だったんですが、その時は素行にそれほど問題がなかった子たちも居なくなったので大騒ぎになりました。ただ、その直後に黒死病が発生したので――」
「子供たちの行方を探ることもできなかった、と」
「はい」
沈鬱な表情を浮かべてディーターは頷く。彼が行方知れずになった子供たちに心を痛めていることは間違いがなかった。
「それでも、黒死病が一段落したら子供たちを探しに行こうと――そういう話も出たんです。ただ実行に移す前に、村に火が放たれてしまって。それに、子供たちを探す前に食い扶持を確保しないといけませんでしたから」
子供たちを見つけ出して連れ戻しても、食糧が十分でない村に戻れば餓死するだけだ。生き残った大人たちでさえ、冬を越えられるか不安になるほどの食糧しか残っていなかった。
だが、結果的に行方不明になった子供たちを探すことはできなくなってしまった。ディーターも時折思い出してはいたが、ネイビー修道院に身を寄せた後は自分のこととネイビー修道院のことだけで精一杯だった。
そして月日が経ちすぎた今、行方をくらました子供たちを探すのも無理だと諦めるしかなかった。生きているかどうかも分からないし、たとえ生きていたとしても既に自分たちの足で立ち生きていることだろう。今更ディーターが声を掛けても、迷惑になる可能性がある。
ディーターの説明に納得しながらも、リリアナは引っかかりを覚えていた。
(子供たちが一斉に行方不明に――)
そして増えた魔物、発生した黒死病、正体不明の黒ずくめの男、そして証拠を隠滅するかのように火を放たれた村。
(関連があると考えるのは、さすがに深読みしすぎでしょうか)
深くリリアナは考え込む。その横顔を、ライリーが探るように見つめていたことに、リリアナは気が付かなかった。









