36. ゼンフの町 7
ゼンフの中央部に聳え立つ神殿は、その権威を示すかのように荘厳だった。
色使いこそ落ち着いた白灰色だが、外壁を彩る装飾は精巧で美しい。左右対称に見せかけながらも、屋根にほど近い壁に施された神々の彫刻は様々な姿かたちを取り、スリベグランディア王国に伝わる神話の一幕を描いていた。
きっちりと閉められた両開きの門は鉄柵だが細かい草花の意匠に彩られ、よく見れば小鳥や子兎、林檎といった神話の題材がそこかしこに散りばめられている。
普段であれば誰がその門を叩いても開かれることはない。しかし、リリアナたちが到着する少し前、神殿の中から二人の神官が姿を現した。二人の背よりも長い槍を持ち、一定の間隔を保って真っ直ぐ門へと向かう。
纏っている衣服は白く長いローブだが、魔導士が纏っているローブとは全く違う。魔導士が着ているローブは実用性を重んじた簡素なもので、人によっては装飾として紐状の帯を締めているだけだ。魔導士たちが重んじるのは衣服ではなく、身に付ける魔道具と髪の長さのみだった。
一方、神官たちはその衣装で地位と役割を示す。一目で聖なる神々に仕える存在であると他に知らしめるため、白と臙脂を基調として様々な刺繍が施されている。槍を持って神殿から出て来た二人はローブの下にも衣服を着こみ、戦闘に移行してもローブが邪魔にならないような出で立ちだった。
門戸を開けた二人は、門前に立ち眼光鋭く前方を見据える。
ライリーたちと共に神殿に到着したリリアナは、門の前に立つ二人の神官を見て思わず眉根を寄せた。
「どうしたの、サーシャ」
目敏くリリアナの表情に気がついたライリーが優しく尋ねる。そしてリリアナの視線の先を目で追い、何かに納得したように「ああ」と頷いた。よく気が付いたね、と感心した声を漏らす。そして周囲には聞こえないように声を低めて、わずかに体をリリアナの方へ傾けた。
「あの二人は神官だよ。ただ武術に特化している、といえば良いかな。本来、神官は神に仕えるものだから武術は嗜まない。でも一部、領地を治めている神殿は武力を擁しているんだ」
「――ゼンフは神殿が治めている土地だからということですわね。騎士団と同じ役目を負っているということですの?」
「そういうことだ。庶民が作った自警団が居る場合の方が多いけどね」
リリアナは納得して頷いた。確かに書物には、神殿が領地を治めている場合は農民の自警団が領地を守っていると書かれていた。だがゼンフの町は例外らしい。そしてそれは同時に、ゼンフ神殿の力が非常に大きいことも意味していた。
「サーシャ、入る前にこれを付けてくれるかな?」
ライリーがそう言って懐から取り出したのは、見覚えのあるブレスレットだった。以前リリアナの声が出なくなった時に、ライリーが贈ってくれた魔道具だ。このブレスレットがあれば、心の中で言葉を思い浮かべるだけで、念話のように相手へと考えが伝わる。ただ、今手渡されたブレスレットは以前贈られたものとは多少違うように見えた。
首を傾げたリリアナに、ライリーは耳打ちする。
「私と揃いのブレスレット型魔道具だよ。以前渡したものは貴方から私へ一方通行だったけど、これは双方通行なんだ。それから、魔術と呪術を無効化する術も組み込まれている」
リリアナは目を僅かに瞠った。何故、ライリーがリリアナにこのブレスレットを渡すのかが分からなかった。ライリーは小声で言葉を続ける。
「ゼンフ神殿の中だけで構わないよ。私と護衛から離れなければ問題はないはずだけど、念のため持っておいてくれるかな」
ゼンフだけではない。神殿は教会と同じく、独特の魔術が施されていることが多い。ライリーはずっと確信を持てなかったようだが、ゼンフ神殿を間近に見て思いを改めたようだ。神殿内部に何かしらの危険に巻き込まれる可能性が高いと判断したらしい。
リリアナは納得してブレスレットを手首に付けた。ライリーは安堵したように頬を緩め、礼を告げた。
「ありがとう」
「大したことではございませんわ」
リリアナが答えた時には、一行は神殿の殆ど真正面に到着している。
王太子一行が到着したことは直ぐに神殿内部に知らされたらしい。リリアナたちが門の前に立った時には、門番のように控えている神官の他に二つの影が増えていた。一人は槍を持った神官と似たような意匠を凝らした神官服を着ているが、一般的な神官なのか裾が長く袖は大きい。もう一人は高位の神官らしく、施された刺繍は一層豪奢だった。ローブの色も他の神官とは異なり、臙脂色が基調となっている。
「ようこそお出でくださいました、王太子殿下。ゼンフ神殿神官長のハンフリーと申します」
臙脂色のローブを着た神官がライリーたちの顔を認めると、一歩前に出て右手拳を左胸にあて優雅に一礼した。貴族や騎士とも異なった作法だが、神官が最高位の相手に向ける礼だ。
ライリーはにこやかな笑みを浮かべながら鷹揚に歓待を受けた。
「歓待痛み入る、ハンフリー神官長殿。あまり堅苦しくしなくて構わない。視察といっても、かしこまったものにする予定はないからね」
「寛大な御心に感謝申し上げます」
臙脂色のローブを着た神官は一切表情を変えずに言ってのける。相手が王太子ということで一通りの礼儀は守るものの、一切媚びようという姿勢はない。寧ろどこかライリーを見下すような印象さえあった。即ち、王太子と名乗ってはいるが所詮自分の前には非力な子供だ――とでも言いたげである。
ライリーを護衛するため集まっている騎士たちの中でも、相手の態度に敏感な者たちは僅かに殺気立っていたが、ライリーは一切気にしていない様子で神官たちの後ろをついていく。
神殿の中に入ると、普段は職務中一切の感情を表さない護衛たちでさえも感嘆した雰囲気が伝わって来た。ライリーやリリアナ、クライドも驚きを隠せない。
神殿の内部はこれまでリリアナたちが見て来たどの神殿とも違った。王都にある本庁が最も豪華だと思っていたが、ゼンフ神殿はその種類が違う。東方の意匠を取り入れた内部は、スリベグランディア王国で信奉されている神話を描きながらも、色とりどりの荘厳さを醸し出していた。
「これは――凄いな。この神殿は何時頃建立されたのだったかな?」
「およそ三十年前と聞いております」
ライリーの問いに答えたのはハンフリー神官長だ。ライリーの隣でリリアナも無言のまま神官長の説明に耳を傾けていた。神官長は淡々と、神殿内部に施された意匠を解説し始める。ライリーたちはこの場所を視察のため訪れたのだから、当然だった。
「こちら、左手の天井付近に描かれておりますのは豊穣の女神フォルモントがこの大地に祝福を与えた場面です。一般的な神殿と異なっておりますのは、当神殿の建築様式には東方の技術が一部用いられているからでして――」
ハンフリー神官長の説明は単純明快で分かりやすい。リリアナやライリーだけでなくクライドも博識であるため、ある程度の基礎知識はある。そのため神官長が説明を省いた内容にも気が付くことがあった。
「女神フォルモントは一般的に太陽神ヘリオスと共に描かれることが多いが、この神殿ではあまり見かけないね」
ライリーの指摘に、ハンフリー神官長は一瞬だけ驚いた表情を見せる。しかしすぐに無表情に戻ると「ええ」と肯定した。
「太陽の光は月を隠すものですので」
「なるほど、だからオルトロス神が良く出て来るのか」
「左様です。月の美しさを真に輝かせるのは夜の闇ですから」
オルトロスは夜の神だ。ただし、他の神は一つしか名を持たないのに対し、夜を司るオルトロスはもう一つヴラズィという名も持つ。オルトロスは善き神だが、ヴラズィは悪しき神とされていた。夜は人の心を映す鏡――そのため、悪が蔓延すれば夜の神オルトロスは堕落しヴラズィに変わり、世界は滅びるという。
ヴラズィを善神オルトロスに戻す者は太陽神ヘリオスだけだ。そのため、神殿では普通ヘリオスとフォルモントばかりが描かれ、夜の神オルトロスは世界の滅亡を描く場面でしか現れない。オルトロス神の方がヘリオスよりも多く描かれていること自体が、ゼンフ神殿の特異性を示していた。
その後もハンフリー神官長は淀みなく神殿内部の装飾や規律について解説を加えていく。時折質問を挟むのはライリーやクライドで、リリアナは無言のまま彼らの会話を聞いていた。
神官長の話に違和感はない。あまりにも他の神殿と趣が違うため、神話の解釈が一般的なものとは違う可能性も考えたが、今のところその様子は見られない。本庁との仲が悪いことは間違いないらしく、どれほどライリーやクライドが話題を誘導してもハンフリー神官長は悉く本庁に関する話を避けていた。
(なかなか手強いお方ですわね)
リリアナはハンフリー神官長の背中を眺めながら、内心で彼をそう評した。
一見したところ神官長は真面目で敬虔な印象を与えるが、決して自分たちの弱味は見せないよう、瞬時に計算して言葉を選んでいる。神官長としては若いものの、そのような性質を考慮して選ばれたのかもしれなかった。
「ハンフリー殿は、確か半年ほど前に神官長になられたと聞いたけれど」
「左様です。前任の神官長が突然、神の御前に召されることとなりました。それほど高齢ではなかったのですが、不運なことに落馬いたしまして。神のご意思とは我々凡人には掴めぬものです」
「そうか。立派な方だったのだろうね」
ライリーが沈鬱な表情を浮かべてみせると、ハンフリー神官長はほんの一瞬、笑みを浮かべた。しかしすぐにその表情は消え、変わらぬ無表情で淡々と答える。
「ええ。神官たちにも慕われておりました。悲しむ者も多くおりましたよ」
他の者たちは、どうやら神官長の表情の変化に気が付いていない様子だった。リリアナは見間違いかと目を瞬かせたが、ふと視線を感じて顔を上げた。リリアナをエスコートしているライリーが、リリアナを見下ろしている。その顔は優しく微笑を浮かべていたが、双眸は物言いたげだった。
リリアナが小首を傾げると、ライリーは小さく頷く。
『――今、笑っていたね』
『ええ、わたくしにもそう見えましたわ』
ゼンフ神殿に入って初めて、ライリーが念話で話し掛けて来る。問題なく魔道具が作動したことにリリアナは安堵しながら静かに答えた。
『ここまでで違和感や異常は感じられない?』
ライリーは更に尋ねる。彼もまた周囲を警戒しているようだが、異変は感じられないらしい。
リリアナもまた、スリベグランディア王国ではまず見かけない独特な建築様式に目を奪われてはいたものの、特に異変や妙な気配は感じられなかった。
『ございませんわ』
『そうか。私も感じられなかったんだけど、貴方もそういうなら安心したよ』
ライリーは安心したように頷く。そして、何気なさを装ってライリーはハンフリー神官長への質問を口にした。
「前の神官長を慕っていたから、神官の入れ替えが近年には珍しく多かったのかな?」
その言葉に、ほんの僅かではあるがハンフリー神官長の眉がぴくりと動く。感情を一切消した鋭い眼光がライリーを貫くが、一瞬後にはその物騒な光は掻き消えていた。
「それとは無関係に、ただ年齢の高いものが多くおりましたので。時期が重なっただけにございます」
「――なるほど。それなら、色々と苦労も多かっただろうね」
ライリーは素直に神官長の言葉を肯定し、更には同情も寄せてみせる。しかし、リリアナにはライリーが罠を張ったことが感じ取れていた。
ハンフリー神官長はそこまで気が付いていない。ただ不穏な気配には勘付いたのか、目を細めた。
「いえ――神の御導きでございます故、苦労などとは思っておりません」
「そう。さすがだね」
にこやかにライリーは答えるにとどめ、それ以上は口を挟まない。神官長は胡乱な目をライリーに向けたが、それ以上踏み込もうとしない王太子に警戒が緩んだのか、そのまま廊下を進み奥まった場所にある応接間の扉を開けた。
「殿下方にはこちらで暫くお待ち頂ければと存じます。事前にご連絡いただいておりました当神殿の書類をお持ち致します」
「ああ、ありがとう」
ハンフリー神官長の言葉を受けて、ずっと彼の隣に控えていた神官が一礼すると部屋を出て行く。どうやら彼が書類を取りに行くらしい。
ソファーを勧められた一行は、神官長の対面に腰かけた。ライリーを中央に、左右をリリアナとクライドが挟む。オースティンやオルガたち護衛は背後と扉の外へと控えた。
「今回の視察はゼンフの町を確認することだけど、事前に知らせておいた通り、こちらの主張を把握しておきたくてね。本庁からは色々と話を聞いているけれど、どこまで信憑性があるのか判断が付かないことも多いんだ」
「殿下のお心遣い、痛み入ります」
扉が閉められた後にライリーが口を開く。神官長は礼を述べるが、慇懃無礼さは否めなかった。更に続けられた神官長の言葉に、護衛たちが殺気立つ。
「てっきりこちらの言い分は黙殺されるものかと思っておりましたので、此度のお心がけは私どもにとっても驚きでございました」
それはあまりにも不敬な発言だった。クライドは不快に眉を寄せ、ライリーは苦笑する。リリアナは純粋に驚きで目を瞠った。
三者三様の反応を、神官長は窺うように見つめる。緊迫した空気が応接間に満ち――沈黙を破ったのは、クライドの冷ややかな言葉だった。
「あまりにも不敬なお言葉ではありませんか、ハンフリー神官長」
ハンフリー神官長の発言に苦言を呈したのはクライドだ。神官長は僅かに片眉を上げてクライドを見やる。
「不敬、とは?」
「言葉の通りです。ご多用の中ご足労くださった殿下を軽視するご発言は、不敬以外にありません」
クライドの言葉にハンフリー神官長は初めて笑みを浮かべた。嘲弄を滲ませた表情でクライドを一瞥する。しかし彼は反論することもなく、肩を竦めてみせた。
「それは失礼いたしました。ここ最近は色々とありまして、多少神経が逆立っていたようです」
ゼンフ神殿はゼンフの町を治めている。その権力は強大だ。スリベグランディア王国内部では三大公爵家や辺境伯家があるため目立たないものの、ハンフリー神官長には権力者特有の余裕があった。
たとえ王族といえど自分を害することはできないだろうという自信が、態度のそこかしこから滲み出ている。クライドは眉根を寄せたが、ライリーは僅かに片眉を上げただけで反応はみせなかった。
ちょうどその時、扉を叩く音が響く。室内に入って来たのは、先ほど書類を取りに行った神官だった。彼は両手に書類を抱えていたが、おもむろに卓上に置く。
気まずい雰囲気が流れていたものの、ライリーは取り合う様子もなく淡々と用件を切り出した。
「それでは早速、話を聞かせて貰えるかな」
これ以上時間を割いて貰うのは忍びないからね、と、ライリーはハンフリー神官長の言葉をさらりと言い返す。神官長の眉間に皺が寄るが、言い返すことはできない。神官長はきつく両手を握りしめ、真っ直ぐにライリーを見返した。
「何からお話すれば宜しいのです?」
喧嘩を売るような言い草だ。もしかしたらハンフリー神官長にとってはこの態度が標準なのかもしれない。だがやりにくいことこの上ないと、リリアナは内心で嘆息した。









