36. ゼンフの町 6
リリアナたちと一旦分かれたクライドは、護衛を数人引き連れ目当ての場所に向かっていた。ゼンフの町に到着したら必ず行こうと思っていた場所がある。しかし、その場所に行くことはできるだけ内密にしておきたかった。特にクラーク公爵家の執事フィリップには知られたくない。そのため、今回引き連れて来た護衛はクライドが公爵位を継いだ後に自ら選んだ者ばかりだった。
「お前たちもこれを着ろ」
途中、事前に連絡を入れていた民家に立ち寄り古いローブを着こむ。足元を見られては身分の高さが知れてしまうから、靴も履き替えた。護衛たちは無言で、しかし手早く服を着替えてしまう。
準備が整ったのを確認すると、クライドは家の内部にある扉を潜って隣家に抜け、その裏口から出た。誰にも尾行されていないことは確認しているが、念には念を入れるべきだ。
ゼンフの町は全体的に栄えているが、それでも表の面と裏の面がある。クライドが向かうのは、いわゆる“裏の面”だった。噂には聞いたことがあるが、当然足を踏み入れたことはない。そしてそのような物騒な場所に、ライリーたちを連れて行くことはできなかった。当然、本来であれば三大公爵であるクライドも訪れるべきではない。
悪人ばかりが跋扈しているわけではないが、貧困層が集まる場所はどうしても治安が悪くなる。
身なりを変えた一行が更に歩くこと一刻、クライドは一人の護衛を残して他は近隣に潜伏させると、裏路地にこぢんまりと佇んでいるとある商店に向かった。扉の上には金銀細工師であることを示す看板が掛かっている。しかしその実体は贋金や偽の宝飾品の製作を生業とした店だった。
「――ここか」
低く呟く。その表情は険しい。
連れている護衛は一番体つきの華奢な男だ。まだ年も若い。しかし実力は屈指の若者だった。フィリップが見れば眉を顰めるだろう平民の出だ。しかし職務には熱心で忠誠心も高く、クライドはその能力を買っていた。
「行こう」
「――は」
当初は物慣れない様子だった若者も、顔つきが引き締まり一端の護衛らしくなっている。しかし、他の護衛と比べると雰囲気は柔らかく、今回の予定には一番適していた。
クライドは扉を叩く。しばらくして中から顔を出したのは、初老の男性だった。疲れたような顔をしているが、顔つきは端整で品がある。水浴びをして髪と髭を手入れし、衣服を上質なものに変えれば貴族の執事や従僕としても通るだろう。
「――あんたら、客かい?」
胡乱な目を向けて男は尋ねる。黒ずんだ顔の男は、まだ昼間だと言うのに強い酒気を帯びていた。だが意識はある程度はっきりしているらしい。
クライドは人好きのする笑みを浮かべて「いえ、貴方に訊きたいことがあるのですよ」と告げながら、銀貨を一枚翳してみせた。
*****
クライドが銀貨を見せたことで、細工師の態度は直ぐに変わった。顔一つ分しか開いていなかった扉は大きく開かれ、クライドと護衛の青年は中に通される。今にも壊れそうな椅子に腰かけたクライドと護衛は、細工師と向き合っていた。
店内は狭く所狭しと金銀細工の道具が詰まれ、男が座った椅子の近くには作成途中の製品が所狭しと積まれている。しかし男は製品には気を配る様子もない。酒が入っていたらしい樽が幾つか転がっていて、男はその内の一つに腰かけている。
相変わらず不愛想だが多少心を開いた様子で、男は「で?」とクライドに尋ねた。
「一体何を訊きたいんだ」
「人を探していまして」
「人ォ?」
「ええ」
眉根を寄せた男に、クライドは穏やかに頷く。だが、正直に全てを詳らかにするつもりはない。クライドは平然と、事前に準備していた物語を口にした。
「実は私の実家で暫く働いていた男なんですが、父が結構な大金を貸したんですよ。家族が病気だというから、気の毒に思ったようでしてね。ですが」
「なるほどねえ、そのまま消えちまったってわけか。あんたの親父ってのは随分と親切な奴みてえだな」
クライドの言葉を引き継いだ男はにやりと嘲笑を浮かべる。しかしクライドは怒ることはしない。苦笑しながら「ええ、本当に」と同意してみせた。
「お陰で私が苦労することになっているんですよ、全く困ったものです」
「へえ。爵位でも売る羽目になりそうってところか?」
男の問いにクライドは答えない。その代わり困ったように肩を竦めてみせた。それだけで、楽し気に男は喉の奥で笑う。
穏やかな仮面の裏で、クライドは慎重に男の様子を観察していた。恐らく男はクライドがそれなりに良い身分の人間だと気が付いているはずだ。だからこそ、当初はクライドを見て良い顔をしなかった。だが、クライドがその身分を危うくしていると思えば至極愉快だという雰囲気を滲ませる。
地位のある者や裕福な者、優れた者が没落していく様を愉しむ者は存外多い。今目の前にいる男がその類だと、クライドは看破していた。
案の定、男は楽し気にクライドの手元を見やる。嫌らしく口元を歪めて、訳知り顔で「なるほどなあ」と嘯いた。
「だから、金がねえ中でもそいつを見つけたいって腹かい」
「ご想像にお任せしますよ」
クライドは否定も肯定もしない。しかし男は自分の指摘が的を射ているのだと信じ込んだ。
「それで? 探してる男ってのはどんな奴だ?」
「偽名かもしれませんが、彼はエッカルトと名乗っていました。年齢は三十代前半です」
「エッカルトォ……?」
男は眉根を寄せて暫く考える。そして口をへの字に曲げて少し考えると、小さく首を振った。
「いや、この町には居ねえはずだ」
「そうですか……」
クライドは残念そうに肩を落とす。男はそんなクライドを眺めていたが、その双眸にはどこか面白がるような光が浮かんでいた。クライドは悄然としたまま、銀貨を一枚出す。そして男に渡そうとして一瞬躊躇い、質問を重ねた。
「今でなくとも構いません。昔、エッカルトと名乗る男が居たという話も知りませんか?」
「昔か? ああ、昔ならあるぜ」
男は嫌らしい笑みを浮かべて意味深に銀貨を眺める。クライドは苦笑を滲ませ、男が差し出した掌の上に銀貨を一枚落とす。男は仏頂面を保とうと努力したようだが、明らかにその頬は脂下がった。
「それは何時頃のことでしょうか?」
「さてな。もう十五、六年も前のことになるか」
「どんな方でしたか?」
「どんな方? さぁてな、都で一旗揚げるんだって言ってたぜ。周りが無理だつっても、全くいうことも聞かねえでよ」
クライドは更にもう一枚、銀貨を小袋から出す。それを示しながら更に質問を重ねる。
「ご家族はまだ御存命ですか?」
「ごぞん――? ああ、生きてるかどうかってことか? さあな、死んでるんじゃねえか」
ちゃりん、と音をさせて銀貨を男の掌に落とす。男はとうとう堪え切れずに相好を崩した。
「生きてるぜ。妹だがな。この町にはもう居ねえけどよ。確か――八年ぐれえ前か? 好いた男ができたって出て行って、それっきりだ」
「どこに行かれたのかはご存知ですか?」
クライドの質問に、男は手を付き出す。もう一枚銀貨を寄越せという合図だ。クライドは小袋に手を突っ込んだが、すぐには銀貨を出さない。男は苛ついたように顔を顰めるが、クライドは気にせずもう一度同じ質問を口にした。
「エッカルトの妹がどこに行かれたかはご存知ですか?」
「食えねえ野郎だな」
男は舌打ちするが、すぐに思い直した様子であっさりと答えを口にした。
「ネイビーとか言ってたよ。ここから遠いのかは知らねえけどよ」
その言葉に、クライドは内心で驚く。ネイビーというからには、明日クライドたちが訪れる予定の男爵領だろう。事前に調べておいた情報では、ネイビー男爵領はそれほど広くはない。男爵も領民を全て把握しているはずだ。尋ねれば男爵領に未だ居るのか、それともまた別の土地へ移ったのか、すぐに分かるに違いない。
「妹の名前は?」
「アニーだよ。ったく、これで十分だろ? とっとと金を寄越して失せな」
いい加減に質問に答えるのも面倒になったのか、男は再度掌を上にしてクライドに向け突き出す。これ以上は無理だと悟ったクライドは、銀貨をもう一枚男の手に載せた。男はにやりと笑って三枚の銀貨を弄ぶ。恐らく銀貨三枚は酒に消えるだろうが、クライドの知ったことではない。
「助かりました、ありがとう」
穏やかに礼を告げるが、男は全くクライドのほうを見ない。クライドはフードを深くかぶり直すと、金銀細工師の店を出た。しばらく道を歩き角を曲がれば、近隣に身を潜めていた護衛たちが一人ずつ姿を現わして合流する。
貧困街を抜けるまで、誰一人として口を開かなかった。
服を着替えた民家に入り元の姿に戻る。何となく異臭が身に沁みついた気がしたが、致し方がない。香水を軽く振りかけ臭いを誤魔化すと、クライドはリリアナたちと合流するためゼンフ神殿に向かうことにした。
金銀細工師の店は遠く、思ったよりも時間が経っている。
「急ぐぞ」
「はい」
短く告げれば、護衛たちも早足になる。思った以上に有益な情報を手に入れることができたクライドの足取りは、共にいる護衛たちよりも軽かった。
エッカルト――それは、クラーク公爵家で以前雇われていた下男の名前だった。ほんの数年しか勤めていなかったが、他にもそういう人間はいる。だがクライドが気になったのは、クラーク公爵家に勤める使用人の勤続年数が妙に短いことだった。
給与は他と比べても悪くはない。勤務状況もそれなりだ。きちんと休みは取れるようになっているし、睡眠時間を削って働かせていることもない。
報告と実際が違うのかと疑ったこともあったが、幾度となく領地に足を運んだ結果、それは自分の思い過ごしだということも分かった。
執事のフィリップにそれとなく確認しても、父より年若い彼は“根性が足りなかったのでしょう”とだけ答える。そして“平民には良くあることです”とクライドの疑念には一切取り合わなかった。寧ろそのような些末事に頭を悩ませる暇があるのであれば領地をより富ませることを考えるべきだと諭され、クライドは粛々と領地経営に精を出す他なかった。
――だが、本当にフィリップの言っていることは正しいのか。
クライドの心に芽生えた疑念は年々膨らんでいった。
フィリップは確かに優秀な執事だ。広大な公爵領が滞りなく管理できているのもフィリップの采配が上手いからだ。それは間違いがない。だが、付き合いが長くなればなるほど、違和感は積み重なるばかりだった。
そしてとうとう、クライドはフィリップには気付かれないよう独自で調査を進めることにした。フィリップは非常に敏い。隠れて調べ物をするだけでも時間がかかる。
過去に雇ったものの短期間で辞めて行った者たちのその後を、クライドは調べた。該当者は相当数に上る。特に身寄りのない平民出身の者が多く、調査は困難を極めた。貴族とは違い、彼らの殆どは紹介状を持たない。身寄りがないから、彼らには帰る場所がない。
人の記憶も年月を経れば曖昧になる。途中まで足取りを掴めてもその後は分からなかったり、そもそもクラーク公爵家を辞めた後の行方が一切分からない者も数多く居た。寧ろ、出生地を出てからクラーク公爵家に勤め始めるまでを調べる方が上手く行った。
その事実が、一層クライドの疑惑を深めていた。
何故、我が公爵家では次々と使用人が辞めているのか――否。姿を消しているのか。
クラーク公爵家が――父やフィリップが、使用人たちの失踪に関わっているのではないか。
あまり良い想像はできない。父が母を殺めようとした場面を見たあの日から、クライドの中で父に対する信仰のような尊敬は薄れていった。そして徐々に、父やフィリップに対する違和感が大きくなる。何か恐ろしいことを企んでいるのではないかという気がしてならない。だが、それが一体何なのかは分からない。
エッカルトという男は、その中でも一つの光明を齎すものだった。彼もまた公爵家を辞めてからの足取りが全く掴めなかった使用人の一人だが、彼は壊れた腕輪をとある細工師の元に持ち込んでいた。
『エッカルト――ですか。妹から貰った大切な腕輪だから修理して欲しいと言ってたんですがね。金だけ払って受け取りに来なかったんで、どうしたのか気になってたんですよ』
数年前に引退し息子に家業を引き継いだ男は、クライドの問いにそう答えた。
金だけを払って受け取りに来なかった――どう考えても、怪しい。何らかの事件に巻き込まれたと考えた方が自然だ。エッカルトはゼンフの町出身だということは比較的簡単に調べがついた。他に確認するべきことといえば、彼が何らかの面倒事に巻き込まれていた可能性だ。クラーク公爵家とは全く関係のないところで何かしらに巻き込まれていたのであれば、クライドの懸念は杞憂だったということになる。
その男はかなりの年数が経っているにも関わらず、エッカルトが預けた腕輪を保管していた。クライドはその腕輪を受け取り、男に口止めをした。もしエッカルトが事件に巻き込まれているのであれば、細工師の命が危うい。さすがに口封じのため殺される可能性はそれほど高くはないだろうが、万が一ということもある。
クライドの脳裏には、何の躊躇いもなく母を殺そうとした父の姿が過っていた。









