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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
257/563

36. ゼンフの町 5


魔道具屋を出た後、ライリーは普段通りの様子を取り繕いながらも、ほんの僅かに眉根を寄せて考え込んでいた。横目でオースティンを見れば、一瞬視線が邂逅する。しかしオースティンは近衛騎士の顔を崩さない。そして、その表情からは彼が()()()()に気が付いた様子は読み取れなかった。


――調べさせてみるか。


ライリーは内心で呟く。彼が気が付いたのは、ある意味必然だった。


王家は二種類の間諜部門を管理している。一つは王立騎士団八番隊だが、これはどちらかと言えば対間諜組織であり、防衛に特化している。ただし他国や反乱軍の間諜や刺客を調査し捕えるためには、彼ら自身も間諜や刺客の方法に詳しくなければならない。そのため、ある程度適性があれば八番隊の騎士たちは皆、間諜や刺客に転身できるほどの知識があった。

もう一つは“影”と呼ばれている組織だ。王家の“影”はそれこそ影のように姿どころか気配を隠している。“影”はまさに、間諜や刺客に特化した組織だった。その存在は高位貴族たちには薄々勘付かれているものの、他に広まることはない。そして王家の“影”を目撃する者も存在していなかった。


だが、ライリーは“立太子の儀”を執り行うよりも前に、正式に“影”を引き継いだ。それまでも一部は借り受けるような形で使っていたが、本格的に彼らの頂点に立つことが出来た。そのため、ある程度の人数、間諜や刺客と呼ばれる類の人間を目にしていた。


だからこそ、ライリーは()()()()に気が付いた。


――あの魔道具屋は仮の姿だ。


ライリーとリリアナに声を掛けて来た女店主は、普通に足音を立てて歩いていた。常に気配を発して自分の居場所を知らしめる。それが、ライリーには違和感しかなかった。


間諜や刺客は必ずしも常に気配を殺しているわけではない。刺客にも様々な種類がある。

夜闇に乗じて暗殺を企てる、武闘派の刺客であれば常に音を立てず動きもするだろう。いわば、普段から裏社会に浸っているような連中だ。

一方で、毒殺や事故死に見せかけた暗殺を専門にする者もいる。そして間諜は一般人に紛れ込んで情報を収集する。彼らは身を隠す場所がどこであろうと、上手く周囲に合わせた振る舞いができなければ直ぐに怪しまれる。とはいえ、例えば侍女に扮した刺客が夜中に主人の寝所へ忍び込む時は気配を殺さなければならない。つまり、社会に身を潜ませ仕事を遂行する類の刺客や間諜は、普段は敢えて物音を立てたり気配を発したりする。それは、気配を殺す術を知らない一般人とは僅かに違う所作だった。恐らく、同業者でなければ分からない程度の違いしかない。


尤もライリーもその違いが分かるようになったのは最近のことだ。そして、その目利きが今役立った。


――店主は間諜――いや、刺客か。


一瞬だけ見せた目付きの鋭さは、裏社会を歩んできた人間特有の気配があった。身のこなしも、敢えて気だるげにみせかけて隙がない。

あの女店主がただの魔道具屋でないことに気が付いた可能性があるのは、ライリーの見立てではオルガただ一人だった。


オルガが傭兵出身であることを嘲弄する騎士も稀に見かけるが、その彼らよりも明らかにオルガは場慣れしている。だからこそ女店主の違和感にも気が付いたのだろう。

とはいえ、ライリーやクライドの護衛たちを責めることはできない。一般的に、騎士たちは間諜や刺客と接する機会はない。王立騎士団八番隊も元は騎士であって、本職とは異質な存在だ。


ライリーは自分の隣でどこか嬉しそうにしているリリアナを見て頬を緩ませる。

気に入った細工箱を購入した彼女は、普段のリリアナからは想像できない程度に浮かれていた。尤も彼女を良く知らない人物が見れば、決してリリアナが喜んでいるのだとは思わないだろう。だが、ライリーの目には明らかだった。


――目端が利くサーシャも、あの魔道具屋のことには気が付かなかったようだね。


注意深くリリアナの様子を観察していたライリーは、そう結論付けるとほっと安堵の息を吐く。

リリアナが一人で背負い込み、単独で解決に向け動こうとする性格だということは良く分かっている。今回も魔道具屋の本性に気が付いてしまったらどう動くか分からない。だからこそ、魔道具屋の件はリリアナにも気付かれてはならなかった。



*****



ライリーたちが立ち去った後、魔道具屋の女店主は不快を隠さず溜息を吐いた。乱暴に漆黒の髪を搔き乱し文句を垂れる。普通にしていれば整っている部類に入る顔も、怒りに染まれば酷く醜く歪んでいた。


「王族が来るなんて、こっちは聞いてないよ、ったく」


ヒヤヒヤしたじゃないか、と毒づく彼女は一人ではない。ライリーたちが表通りに戻った直後、屋根裏からひらりと飛び降りて来た黒づくめの男が机に浅く腰かけていた。顔も半分以上を仮面で覆い、表情どころか顔立ちも見えない。しかし、それでも彼の感情は分かりやすく全面に押し出されていた。尤もその感情が全て本心からのものだとは限らないが、緩んだ気配は刺客や間諜というよりも寧ろ遊び人や旅人に近い。彼は手持ち無沙汰を紛らわすためか、卓上にあった短い杖を弄んでいた。


「その割には上手く躱してたじゃねえか、ジャリー」

「その名で呼ぶなって何度言ったら分かるんだい、この鳥頭。今のあたしはジーニーだよ」


吐き捨てられた言葉には明確な殺意が籠っていたが、男は全く気にした様子がなかった。寧ろにやけた笑みを浮かべて楽しそうに言い返す。


「似てるんだから良いだろうが」

「その適当さ加減で良く今まで生きて来られたねぇ……?」


ジーニーの目が鋭く光る。さすがに不味いと思ったのか、男は両手を上げて降参だと肩を竦めた。


「分かったって、ジーニー。ちゃんとするから勘弁してくれよ。あの王族共が消えるまでちゃあんと屋根裏に居たんだから、寧ろ感謝して欲しいくらいだぜ」

「あんたが出てきたら、それこそ今あたしはこんな腹を立てることもなかったんじゃないかと思うんだがねぇ?」


皮肉に言い放ち、ジーニーは口角を上げる。それはつまり、男が王族の前に姿を現したら最後、男を見放し殺害するということだった。

男はわざとらしく震えあがる。そして、これ以上女店主を怒らせては不味いと思ったのか、懐から一通の書簡を取り出した。


「分かったよ、ったく。ほら、これが俺の仕事。分家の長の任命状」

「――はあ?」


ジーニーは顔を顰める。汚いものを見るかのように顔を顰めて差し出された書簡を睨みつけた。


「分家の長だぁ? あたしが?」

「嫌だっつっても、もうどうしようもねえぜ。本家の総意だ。他の頭領共は相打ちで全滅。傍観者を気取ってた間諜担当の頭領にお鉢が回って来たってわけだ。ついでに初仕事が、裏切り者の粛清」


途端にジーニーは痛烈な舌打ちを漏らす。今にも目の前の男を殺したいと言いたげに、目尻を吊り上げ歯を剥いた。


「裏切り者って、あの林檎好きの烏だろ? あいつは鬼門だ、関わりたくないって何回も言ってんだろ」


しかし男は気に留めない。肩を竦めて飄々と、しかし困っているのは自分だと主張するように口をひん曲げている。


「って言われてもなあ。俺は本家の書簡持って来ただけだし? あんたが嫌っていうなら本家に伝えてはやるけど、その後は俺、どうなっても知らねえよ?」


言いながら、男はトントンと首の後ろを叩いてみせる。ジーニーは歯ぎしりをしながら眉間に深い皺を刻み、「どくされ野郎が!」と毒づいた。だがその文句は男に向けたものではない。それが分かっているからこそ、男は唯一仮面から覗く唇を緩やかに吊り上げる。

ジーニーは思い切り顔を顰めて貧乏ゆすりをしていたが、やがて痛烈な舌打ちを漏らすと低く「分かった」と答えた。


「本家には“承知した”って伝えときな。ったく、本当にあの連中ってのも碌でもないね」


ジーニーは目を細める。男はにやりと笑んで“了解した”と答えたが、すぐに「それで」と尋ねた。


「標的の居場所は掴んでんのか?」

「あたしを誰だと思ってんだい」


不機嫌に顔を顰めたジーニーは、しかし次の瞬間不敵に笑ってみせる。挑発するように目の前の男を睨み据えれば、男はどこか苦笑じみた表情を浮かべた。


「分かってるさ、狐魅(こみ)の生き残りと呼ばれたあんたなら抜かりはないんだろ」


女は答えなかった。鼻で男の言葉を笑い飛ばす。うっそりと微笑むその瞳にはぞっとするような色気と殺気が滲んでいた。それは、長らく刺客として生きて来た彼女の自信を表わすものだった。


「分かってるなら余計な手出しはするんじゃないよ――飛蝗(ひこう)のハオラン」

「それはさっきの仕返しか?」


ジーニーの言葉に、ハオランと呼ばれた男は苦い笑みを零す。ジーニーはニヤリと笑うと、しれっと答えた。


「よく分かってるじゃないか、ヨルク」


今度はジーニーも今彼が名乗っている呼び名を口にする。ヨルクは仕方がないというように首を振ると、肩を竦めた。そしてふらりと机から立ち上がる。そしてジーニーから一歩離れると、彼は「それじゃあ」と言った。


「本家にはあんたが全て了解したって伝えとくぜ。結果だけじゃなくて途中経過の報告もしとけよ」


それだけを一方的に告げると、ヨルクは扉に向かって歩いて行く。ジーニーはその背中が扉の向こうに消えるまでヨルクを凝視していたが、扉が閉まって暫くすると興味が失せたように視線を窓へ向けた。

その唇には微笑が浮かんでいる。


死の虫(デス・ワーム)――ねえ」


今回の標的が死の虫(デス・ワーム)だということは、ジーニーも良く知っていた。大禍の一族に属するようになってからは良く聞く名前だ。優秀と名高かったココエフキと同等の技術を持つ刺客だと聞いていたが、ジーニーが調べた限りでは、ココエフキとは比べものにならないほど死の虫(デス・ワーム)の能力は高かった。

いつしかココエフキの名前は聞かなくなったし姿も見なくなったから、恐らく彼は死んだのだろう。ココエフキほどの者が任務に失敗するはずはないし、一族に傾倒していた彼が裏切ったとは考えられない。恐らくココエフキは敵対心を抱いていた死の虫(デス・ワーム)に喧嘩を売って返り討ちにあったのだろうと、ジーニーは推測していた。


「あの坊やも随分と自分を買いかぶっていたみたいだからね。寝てる死神は起こさない方が良いと思うんだけどねえ……」


目を細めてジーニーはぼやく。

本家の意図は分かっている。対立していた分家の長と配下の頭領たちが討たれた今、ジーニー以外に分家を取りまとめられる人材はいない。しかし、そのジーニーも元々は外部の人間だ。一族からの離反を防ぐため、背中に()()()()()が刻み込まれているとはいえ、その呪術も完璧ではない。

自分たちの管理から離れて好き勝手している死の虫(デス・ワーム)を排除させることで、自分たちにとっての脅威を排しジーニーの忠誠心を確かめるまたとない機会だと思っているのだろう。


「さあて、そう上手く行くもんだろうかね?」


本家の連中は死の虫(デス・ワーム)の本当の恐ろしさを知らないのだと、ジーニーは嘲笑する。長年大陸の暗部を担う存在として名を馳せたことで慢心しているのではないかとすら思っていた。

だが、それを口にすることはできない。まだ、ジーニーには一族の首輪が付けられている。


「そろそろ仇討の準備でも始めようかね」


物騒な独り言を漏らし、ジーニーは静かに魔道具の整理を始めた。



4-3

21-11

21-12

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