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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
256/563

36. ゼンフの町 4


ゼンフの魔道具屋は、リリアナが予想した通り物珍しいもので溢れていた。ライリーやクライド、そしてオースティンも驚いている。近衛騎士の中でも魔術にある程度詳しい者は、店内の様子を見て愕然としていた。

ライリーは店内を見回し、感嘆の声を上げた。店内は開放感に溢れた造りをしていたが、壁には大小さまざまな棚が取り付けられ、所狭しと多種多様な魔道具が飾られている。そのどれもが、スリベグランディア王国ではまず目にすることの出来ない品々だった。


「これは――凄いな」

「殆どが東方魔術に関係した魔道具ですわね」


リリアナが興奮を抑えきれずに呟く。普段は静けさを湛えているリリアナの緑色の目は、爛々と輝いていた。

それも当然だ。東方魔術の魔道具はスリベグランディア王国に殆ど流通していない。そのためリリアナが東方魔術の魔道具を見たのはベン・ドラコの屋敷にあった彼の私物だけだ。あとはリリアナが暮らしている屋敷近くに隠された研究室にもあったが、呪具と呼ばれる呪術用の魔道具が大半を占めており、魔術用の魔道具はそれほどなかった。

つまり、今リリアナたちが居る魔道具屋に置いてある東方呪術の道具はリリアナにとって初めて見るものばかりだった。中には書物で読んだ覚えのあるものもあったが、大半は使い道も分からないような代物だ。しかし取り揃えられている魔道具はどれも芸術品のように美しく、眺めるだけでも楽しかった。


「サーシャ」


色々と眺めているリリアナに、ライリーが声を掛ける。顔を上げたリリアナがライリーを見ると、彼は掌に載る大きさの箱を眺めていた。光沢のある茶に草花の模様が彫られ、金の細工が施されている。ライリーは興味津々にその箱を見つめていた。


「これも魔道具なのかな?」

「普通の箱に見えますわね」


リリアナはライリーの隣に寄り添い同じように箱を眺める。一見何の変哲もない箱でも、魔道具ならば触っただけで何かしらの術が発動する可能性がある。指一本触れないという態度は、初見の魔道具を前にした時には正しい対応だった。


「私にもそう見えるね。確か――漆器というのだったか」


少し考えたライリーは、書物で読んだ内容を頭の片隅から引っ張り出して来たらしい。リリアナは頷いた。

一方のライリーは箱自体の美しさに目を引かれた様子で、まじまじと細かい文様を観察している。


「魔道具だと思うけど、芸術品としても十分美しいね」

「ええ、わたくしもそう思いますわ」


リリアナもライリーの言葉に同意する。

漆塗りの箱は、ライリーが見つけたもの以外にも置いてあった。どれも意匠が凝っていて、眺めているだけで目に楽しい。それでも、リリアナもライリーも最初にライリーが見つけた箱が気に入った。


「この繊細な感じが好みだな」

「金箔が上品ですわね」


ライリーの言葉にリリアナも同調する。しかし、魔道具屋にあるということはこの箱はほぼ間違いなく魔道具だ。一体どのように使うのだろうかと考えていると、無言で店の片隅に立ちライリーたちの様子を窺っていた店主らしき女性が音もなく近づいて来た。敏感に護衛たちが反応するが、店主の動きを把握していたライリーは片手を上げて護衛たちを抑える。

店主は濃紺の衣服に身を包み、黒髪を後ろで一つに結んでいた。若くも見えるが妙に老成した雰囲気もあり、年齢不詳だ。ピクリとも表情を動かさず、その女性はライリーとリリアナの顔をじっと見つめた。


「そりゃ魔道具じゃないよ。知らない奴は魔道具だって思うみたいだけどね」


言いながら、女性は粗雑な動作で手を伸ばし、ライリーとリリアナの前から二人が見つめていた箱を取り上げる。そして衆目の注目を浴びながら、彼女はまず普通に箱を開けてみせた。それだけを見ると何の変哲もない、ただの入れ物だ。しかし店主はそれだけでは済ませなかった。蓋を中途半端に開けたまま、器用にくるくると箱の様々な部分を動かす。

ライリーは目を瞠る。リリアナは、それと似た細工が記憶にあった。


「ほら」


暫く箱を弄り回した後で、女性は箱を掲げてみせた。当初の形とは全く様相が変わっている。何より皆の目を引いたのは、初見では飾りだと思っていた場所に現われた、物を収納する空間だった。


「細工箱って言うんだよ」

「これは素晴らしいね」


興味津々の様子で店主の手元を見ていたライリーは感じ入ったような声を上げる。リリアナもライリーの反応に呆れ顔を浮かべられない程度には、見事な細工に感心していた。


「どこの国のものなのかな?」


尋ねたのはライリーだった。店主は箱を元の場所に戻しながら答える。


「東方帝国の品だよ」

「へえ、東方帝国ではこのようなものも作っていたのか」


ライリーは目を瞬かせた。スリベグランディア王国では東方帝国と呼ばれているその国は、ユナティアン皇国よりも更に東方にある国だ。正式名称はアナトーレ帝国だが、正しく国名を把握しているのは高位貴族――それも外交に詳しい者たちだけだ。当然ライリーは知っているし、この場に居るリリアナやクライド、オースティンも把握している。


「東方帝国の民芸品や工芸品は見たことがあるが、そのどれもこれほど精巧なものではなかった」

「ええ、わたくしも存じませんでしたわ」


同意を求めるようにライリーに顔を向けられて、リリアナも静かに頷く。アナトーレ帝国は広大なユナティアン皇国を越え、乱立している小国の更に向こうにあるという。そのため、東方帝国からスリベグランディア王国まで運べるものといえば民芸品や工芸品など、持ち運びやすく腐らないものに限られていた。

その上、価格が高い芸術品はユナティアン皇国内で更に値段が吊り上げられ、スリベグランディア王国に届けられる頃には王族や一部の高位貴族でなければ手が出ないほどの価格になる。そのため、市井に出回っているアナトーレ帝国の品物はどれも元は安価だっただろうものばかりだ。尤も、安価だったものもそれなりの値段になっているため普通の庶民には手が届かない憧れの存在だ。

だからこそ、この店に置いてある細工箱がアナトーレ帝国のものだという店主の言葉は俄かには信じ難いものだった。


ライリーは一瞬の沈黙の後、何気なく店主に尋ねた。


「他に東方帝国のものはあるの?」

「どんなものが欲しいんだい」


店主は窺うような視線をライリーに向けた。ライリーはにこやかに答える。一見したところ人当たりが良い態度だが、リリアナはその横顔に違和感を覚えた。気付かれない程度に目を細める。ライリーはそんなリリアナの様子に気が付いて、リリアナの方を向くと安心させるように微笑んでみせた。そして再び店主の方を向く。


「元々東方の国々に興味があるんだ。東方帝国の品はなかなかないから、もしこの店にあるのならぜひ紹介して欲しい」

「へえ」


店主は呟くと、まじまじとライリーの顔を見つめた。近衛騎士たちが神経を尖らせている気配がするが、ライリーは気にしない。寧ろににこやかに店主の顔を見返していた。

暫く店主は無言でライリーを注視していたが、やがてふっと口角を上げる。そうすると、不愛想だった雰囲気が一掃されて優し気な面差しになった。


「いいよ、こっちに来な。狭いから、入るとしても三人くらいしか入れないけど」


試すような言い方で店主はぐるりとライリーたちを見回す。護衛がいる時点で、ライリーがやんごとなき身分だと理解しているはずだ。それにも関わらず、当初から店主にライリーを敬う態度は一切ない。不敬だと捕らえられてもおかしくないほどだったが、理解していないのか、それとも敢えて反骨精神を見せたい性質なのか、一切動じる様子は見せずに堂々としていた。


「ぜひお願いしたい。オースティン、一緒に来てくれ」

「御意」


オースティンは頷く。ライリーはリリアナを見下ろした。何か言いたげに口を噤むが、それも一瞬で消える。普段通りに優しく微笑み「サーシャも一緒に行く?」と尋ねた。リリアナは一瞬きょとんと首を傾げたが、すぐに頷いた。アナトーレ帝国の細工であればリリアナも興味がある。それが魔道具であれば尚更だ。

ライリーは優しく微笑むと、リリアナの横に立って歩き出す。その時、ライリーはリリアナに付き従っていたオルガを一瞥したのだが、棚に置かれた魔道具に気を取られていたリリアナが気付くことはなかった。



*****



クライド・ベニート・クラークにとって、妹のリリアナ・アレクサンドラ・クラークは“できれば関わりたくない相手”だった。

幼い頃は確かに兄として妹を守りたいと思っていた。だが、父が亡くなってからその気持ちは徐々に変わっていき、いつしかリリアナを前にしただけで複雑な感情に支配されるようになっていた。


父が亡くなり精神を病んだ母を領地の隅へ療養と称し追いやった後、クライドは疎遠だった妹と距離を縮めようと足繁く妹の住む屋敷へと通った。少しでも打ち解けて、それまではどれほど願っても叶わなかった兄妹としての関係を深めたいと願っていたのだが、そんな希望は敢え無く打ち砕かれた。

どれだけリリアナに歩み寄ろうとしても、二人の間には目に見えない壁がある。妹はクライドに心を開こうとはしなかったし、そしてクライドはやがて妹が何を考えているのかも分からず、疑心暗鬼に駆られるようになった。そして本格的に失望するのが嫌で、クライドは家業を継ぐ忙しさを言い訳に必要最小限しか妹に関わろうとはしなくなった。


リリアナと会うのは、彼女が婚約者である王太子に会いに来た時、偶然顔を合わせる程度。その時に交わす言葉も挨拶だけで、オースティンには不自然だと笑われ、ライリーには苦笑された。

だがリリアナは気にした様子がなかったし、クライドはその態度に僅か腹を立て、そして同時に諦めもしていた。所詮妹とは分かり合えないのだと――何を考えているのか腹の底も読めない妹を相手に歩み寄ろうと心を砕くのも空しいだけだと、そう考えていた。


「――サーシャ、か」


クライドは、妹がライリーと共に姿を消した隣室の扉を目にやり、誰に言うともなく呟いた。近くに立っていた護衛がクライドを一瞥したが、気付かない振りをする。若くして公爵を継いだクライドにとって、周囲に人がいることはあまりにも当たり前だった。


「私も――かつてはリリーと呼んでいたのに」


今度は内心で呟く。自分だけの愛称でリリアナを呼ぶライリーと、それを当然のように受け入れる妹。何度かその場面は目にしていたはずだが、魔道具に目を輝かせる妹の姿を見た後に二人の様子を眺めると、また違った気持ちが沸き起こる。

相変わらず妹が何を考えているのかクライドには読めないが、それでも兄である自分よりもライリーの方が、リリアナとの心の距離が近いように思えてならなかった。


苦く眉根を寄せて、クライドはそっと息を吐き出した。


父が亡くなった時、クライドは十五歳だった。社交界に出たとは言え、公爵という爵位を継ぐにはさすがに幼かった。あれから三年、振り返ればまだ自分も子供だったとようやく理解できる。そしてクライドが心を開いて欲しいと願った妹は、当時まだ十歳だった。大人びていたとはいえ、父が亡くなった当時彼女がしたことを考えれば、歩み寄って欲しいというクライドの願いはあまりにも独りよがりだった。

自分の気持ちばかりを押し付け、彼女の気持ちを解きほぐそうとはしていなかった。趣味や嫌いなものを尋ねても、リリアナにはただ押し付けがましいだけだったに違いない。


実際に、リリアナが魔術や魔道具に興味があるということをクライドは初めて知った。ライリーは既に知っていたらしいのに、と思うと兄としての悔しさや不甲斐なさが心に溢れて来る。


「僕がいなくても、隣には殿下が居たんだな」


改めて思えば、本来それは兄である自分(クライド)がすべきことだった。

父がずっとクライドを否定してきた悪夢から目覚めたところで、再び妹に拒絶されることが怖かった。

それは単なる言い訳に過ぎない。リリアナにとっては、クライドが兄らしく寄り添って来なかったという事実だけが存在している。


暫くして、隣室からリリアナがライリーと共に出て来る。どうやら気に入った品があったらしく、ライリーは包みを一つ持っていた。それをオルガに手渡す。護衛の手が塞がれることは避けるべきだが、オルガは気にした様子もなく、包みを受け取ると腰に袋をぶら下げた。


「行こうか」


ライリーに促され、クライドは歩き出す。

緊張で心臓が痛くなりながらも、クライドは時機を見計らい、心なしか頬を紅潮させている妹に声を掛けた。


「何を買ったんだ?」


クライドに声を掛けられたことに驚いたのか、リリアナはほんの僅かに目を瞠る。そして穏やかに微笑み、静かに答えた。


「一回り小さなものですが、細工箱を購入いたしましたの」

「ああ、確かにあれは素晴らしい品だった」

「そう思いますわ」


たったそれだけの会話を交わして、リリアナはライリーの隣に並ぶ。護衛の関係もあって当然ではあったが、その後ろ姿を見送ったクライドは、苦く目を伏せることしかできなかった。しかし、やがてクライドは苦笑と共に顔を上げる。


「いや――妹の幸福を願うのが、兄の役割だな」


何故、幼い頃から願って来た兄としての役割を果たせなかったのか――悔いるだけならば幾らでもできる。だが、リリアナは既に王太子の婚約者としてライリーと良い関係を築いているように見えた。それならば、妹が幸せになるよう、兄として尽力すべきだろう。

それが自分にできる唯一の罪滅ぼしだろうと、クライドは無言で一歩を踏み出した。


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