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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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36. ゼンフの町 3


ゼンフの町に到着した翌日、リリアナはライリー、クライドと朝食を摂った後、町に出かけることになった。町の散策はリリアナの人生で初めてのことだ。ライリーに誘われたクライドは一瞬驚いたように目を丸くしたが、少し考えた後に快諾した。

ただ、途中で別行動をしたいらしい。どうやら視察に行きたい場所が別にあるようだった。クライドが一体何を視察したいのかリリアナには分からなかったが、ライリーには思い当たる節があったらしい。それを聞いたライリーは楽し気に笑って頷いた。


「それなら最初は一緒に行動できるな。その後に一旦分かれて、昼頃にゼンフ神殿で会おう」

「御意」


クライドはライリーの言葉に頷く。

朝食を終えて出掛ける準備が整うと、リリアナは部屋から出て玄関に向かう。

リリアナたちが泊っている宿は王侯貴族御用達で、元々はどこかの貴族が避暑のために使っていた屋敷だったようだ。一般的に視察の際は領主の邸宅に泊まることが多いが、ゼンフは神殿が治めている。ゼンフ神殿も宿泊できるだけの設備は整っているが、本庁と関係が悪い神殿に王太子を泊めさせるわけにはいかないと考える者が一部に居たらしく、屋敷全体を貸し切れる宿に目が付けられたというわけだった。


そして、宿泊した屋敷の敷地は広く一部屋も大きかった。大勢の護衛たちも問題なく寝泊まりができ、そして王太子が泊っても遜色ないほどには設備が整っている。

リリアナの泊まった部屋は三室から成っていて、調度品も厳選された高級品だった。話に聞く限りでは、ライリーの部屋は五室あったらしい。王太子であるライリーの方が等級の高い部屋を使っていたことを確認したリリアナは、内心で安堵の溜息を吐いたものだった。


玄関に到着すると、既にそこにはクライドが居た。町中を散策するためか、普段と比べると簡素な服を着ている。しかし品位が全く隠せていない。その上いつ頃からかかけ始めた眼鏡のせいで、理知的な雰囲気が更に貴公子然とした佇まいを際立たせている。

階段を下りるリリアナに顔を向けたクライドは、わずかに目を細めた。近づいて来た妹に、クライドは低く声を掛けた。


「――変わりないようで安心した」

「お兄様も、お元気そうで何よりですわ」


クライドの言葉を聞いたリリアナはにこやかに答える。


二人が会うことは滅多にない。父を亡くした直後はクライドも頻繁にリリアナの住まいへ足を向けていたが、執務が忙しくなったのか、徐々に足は遠のいていった。その後も会う時は隣にライリーやオースティンが居たり、何かしらの行事であることが多い。二人きりで会う機会があっても、クライドは言葉少なで、あまりリリアナとは関わりを持ちたくない様子だった。


父親を亡くした直後と比べるとあまりの変わりように、リリアナも最初は驚いた。しかし同時に安堵もしていた。

よく考えればゲームのクライドも妹とは距離があった。その事に思い至ったリリアナは、声を取り戻したことを隠していた理由や転移の術を使えるという事実をひた隠しにしたかったこともあり、敢えて自分からクライドに関わろうとはしなかった。


そのせいか、ライリーたちが来るまでの時間が酷く気まずい。一体何を話せば良いのかも分からないし、そもそもクライドが何を考えているのかもリリアナには分からない。自分に向けられる視線が年々険しくなっていることには薄々勘付いていた。しかしその原因も分からないのだから、リリアナには為す術がない。ただ出来ることは、どうやらゲームと同じく(リリアナ)に嫌悪感を抱いているらしいクライドと二人きりでいる時間が早く終わるよう、ライリーの到着を心待ちにすることだけだった。


「――リリアナ」


しかし、リリアナの希望とは裏腹にクライドが名前を呼ぶ。以前は“リリー”と愛称で呼んでいたクライドも、いつしかリリアナの事は名前で呼ぶようになっていた。恐らく、それが心の距離の現われなのだろうと思いながらも、リリアナは静かに兄に視線を向けた。


「なんでございましょう」

「今日はどこに行く予定だ?」


リリアナは目を瞬かせた。わずかに首を傾げる。


「殿下にお任せしておりますわ」

「そうか」


何を考えているのか、クライドは僅かに目を伏せる。端正な横顔をリリアナは見つめていたが、兄の内心は掴み切れるものではなかった。

リリアナも無言を貫いていたが、ふと眉根を寄せる。どうにもクライドの横顔が疲れているように見えてならなかった。


「お疲れですか、お兄様」


そう声を掛けたのは、ほんの気まぐれだった。もしかしたら、王都を出てからゼンフの町に到着するまでずっと、リリアナの体調を気に掛けていたライリーに影響されたのかもしれない。少なくとも、これまでのリリアナであればクライドにそのような言葉を掛けることはなかった。

例え顔色の悪さに気が付いたとしても、関わりを減らすというその目的のためだけに見ぬふりをしただろう。

案の定、クライドもリリアナに心配されると思っていなかったのか、弾かれたように顔を上げてまじまじと妹の顔を凝視する。その視線の強さにリリアナは少し驚いたが、そんな感情は一切おくびにも出さずにこやかに言葉を続けた。


「少し顔色が悪いようにお見受け致しますわ」

「あ――ああ、いや。大丈夫だ。それよりも――その、」


普段であれば流暢に言葉を紡ぐクライドが、珍しく口籠っている。珍しい状況にリリアナは内心で目を丸くしていた。だが表面上は完全に平静を装っている。静かに兄の言葉の続きを待っていると、クライドは小さく嘆息して改めてリリアナに向き直った。


「お前が体調を崩していたという報告を受けている。もう大丈夫なのか」


恐らくクライドが言っているのは、魔力が増えたために寝込んだ時のことだろう。そう見当をつけて、リリアナはにこやかに答えた。


「ええ、御心配をおかけいたしました。もう大丈夫ですわ」

「そうか。殿下は酷く心配されているご様子だったが」


クライドの言葉に、リリアナは頭痛を覚えた。大したことはないと言うのに、どうやらライリーはクライドにまでリリアナの体調不良を零したらしい。

健康状態は、敵に知られてしまえば付け込む隙を与えることにもなる。軽々しく弱味を漏らすなどどういうことかと呆れるが、同時に仕方のないことだとも理解していた。


クライドを“敵になるかもしれない存在”として警戒しているのはリリアナだけだ。尤も、リリアナはライリーも含めた攻略対象者全員を未だ警戒対象としているが、そんなことを他人が知る由はない。

寧ろ傍から見れば、クライドはリリアナの保護者であり監督者であり、そして頼りになるほぼ唯一の肉親だ。父は亡くなり母は領地の片隅で療養という名の幽閉、そして祖母は夫を亡くして以来一線を退き隠居生活を送っている。その中で、リリアナが体調を崩したという報告をクライドにしたとしてもおかしな話ではない。それどころか、リリアナがクライドに連絡を取って居なかったという事実の方が重く受け止められるべき事柄だった。

尤も、リリアナとしてはあの体調不良はそれほど大騒ぎするほどの事でもないと思っている。もし体調を崩した翌日にライリーと会う予定がなければ、ライリーにも伝えることはなかっただろう。


「殿下は少々、御心配をなさりすぎる嫌いがあるようにお見受け致します」

「――――そうか?」


リリアナの言葉に、クライドは眉根を寄せる。あまりピンと来ていないらしい。わずかに口元を曲げ、クライドはリリアナを一瞥する。リリアナは首を傾げたが、クライドはそれ以上何も言わなかった。

しかし、今度は気まずくなる前に人の気配が近づいて来る。そちらに顔を向けると、近衛騎士を引き攣れたライリーが階段を下りて来るところだった。


ライリーはリリアナたちの近くまで来ると、嬉しそうに破顔一笑する。そしてまじまじとリリアナの服を眺めると、楽しそうに言った。


「サーシャ、そういう服も可愛いね」


リリアナは町歩きのしやすい服を着ているが、ライリーもまた簡素な衣服に身を包んでいる。しかし、立ち居振る舞いのせいでどれだけ贔屓目に見ても高位貴族に見えた。


「殿下も良くお似合いですわ」

「ありがとう」


微笑を浮かべながら告げられたリリアナの言葉が嬉しかったのか、ライリーは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。その隣でクライドは居心地の悪そうな表情を浮かべていたが、ライリーの後ろに控えているオースティンたち近衛騎士は慣れたものだ。特にライリーがリリアナに囁く誉め言葉は聞き飽きるほど耳にしている。


全員揃ったところで、一行は宿の外に出た。リリアナたちが宿泊している屋敷は非常に便の良い場所にあり、中心街まで馬車に乗る必要もないほど近い。護衛たちが付いているため大所帯ではあるが、リリアナたちは宿から歩いてゼンフ神殿に繋がる目抜き通りに向かった。

馬車に乗っている時も物珍しい景色に目を奪われたが、徒歩だと馬車に乗っているよりも一層小さな発見が目に付く。リリアナはライリーにエスコートされながら周囲を興味津々に眺めていた。そのせいで、一行の進みは遅い。しかし誰も文句を言うことはなく、それどころかライリーは優しい目で隣を歩くリリアナを見つめていた。


「何か面白いものがあった?」


リリアナの歩調がほんの僅かでも緩まると、ライリーは気が付くらしい。その時もライリーはリリアナの注意を引いたものを探そうと視線を彷徨わせながらこっそり尋ねた。そしてリリアナの返答より早く、ライリーはリリアナが目に止めたものを悟る。二人の視線の先には、一本大通りから外れた場所にある魔道具屋の看板があった。暗がりの中非常に小さい看板であるにも関わらず、あっさりと見つけたリリアナにライリーは苦笑を隠せない。


「ああ――さすが、魔術のこととなると貴方は目敏いね」

「あ、いえ――大丈夫ですわ、お気になさらず」


気恥ずかしさに頬を染め、リリアナは慌てて先に進もうとする。しかし、そんなリリアナには構わずライリーは足を止めてしまった。後ろを振り返って、ライリーとリリアナに付き従うようにしていたクライドに声を掛ける。


「クライド、時間は?」

「数軒でしたら店に立ち寄る時間もあると思います」


ライリーの質問はとても短かったが、クライドはあっさりと求める答えを返した。その答えにライリーはにこりと笑みを浮かべると、リリアナに視線を戻す。


「だって。狭い路地だから数人の近衛騎士を連れることになるけど、どうする? 少しなら立ち寄れるよ」


リリアナは僅かに目を瞠った。確かに魔道具屋に気を引かれなかったと言えば嘘になる。しかし今はライリーやクライドも共に居るし、この後はゼンフ神殿に向かう予定だ。単なる趣味でしかない魔道具屋へ立ち寄ることなどないと思っていた。

言葉を失い、珍しく目を瞠ったまま立ち尽くすリリアナを見て、ライリーは笑みを深める。そしてちらりと視線を近衛騎士に向けて短く命じた。


「確認を」

「御意」


近衛騎士の一人が短く頷き、もう一人を連れて足早に立ち去る。二人はリリアナが見つけた魔道具屋に向かっていた。恐らく、リリアナたちが立ち寄る前に店内や周辺に危険がないか確認するのだろう。

少しして戻って来た近衛騎士は、低く安全を告げた。


「だって。良かったね、サーシャ。行こうか」


ライリーに言われてリリアナは小さく頷く。このような場合、ライリーは近衛騎士だけを連れて行くことにしていた。他にも配置されている護衛騎士たちが居るが、能力だけでなく信頼という面でも近衛騎士たちの方が重用しやすい。

無言でライリーたちの様子を眺めていたクライドは、ライリーが一歩踏み出そうとしたところで声を掛けた。


「殿下」

「どうした?」

「――同行しても?」


一瞬言葉に詰まったが、クライドは低く尋ねる。ライリーは一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐに微笑を浮かべて快諾した。


「勿論」

「有難うございます」


クライドは短く礼を述べると、護衛二人を連れて加わる。ライリーには近衛騎士、リリアナにはオルガ、クライドには公爵家の護衛が付いているため、一本裏の路地に行けば多少手狭になる。


(本当でしたら、オルガとジルドが居れば十分なのでしょうけれど)


それにリリアナも居る。オルガは魔導剣士だし、ジルドは魔術の効かない体質であり優れた傭兵だ。そしてリリアナは優れた魔導士である。この三人が居れば他に護衛は要らない程度の戦力があるはずだが、さすがにそれを口にすることはできない。


(ただ、狭い路地裏でこれだけの人数が混戦になれば、危険ですわね)


下手を打てば同士討ちになりかねない。

リリアナは淡々と現状を考えながらも、内心では魔道具屋に立ち寄れることに浮足立っていた。だからこそ、魔道具屋の扉が開かれて一瞬ライリーから離れた時、クライドに声を掛けられた時には心底驚いた。


「お前は――魔術が好きだったのか」


思わず見上げた先には、複雑そうな表情のクライドが居た。何か言いたげな目をリリアナに向けている。何をどう答えたら良いのか掴めず困惑に口を噤んでいると、ライリーがリリアナを振り返った。


「サーシャ、入れるよ」

「え、ええ――」


分かりましたわ、とリリアナは慌ててライリーに駆け寄る。その後ろ姿を、クライドはどこか切なさの入り混じった表情で見つめていた。




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