36. ゼンフの町 1
リリアナ・アレクサンドラ・クラークは、婚約者であるスリベグランディア王国王太子ライリーと同じ馬車に揺られていた。向かう先はネイビー男爵領にある修道院だ。以前一度訪れたことがあるが、以来二度目である。
本当はリリアナも一人で馬車を使う予定だったが、護衛を配置する関係上、ライリーと同乗することになった。
「最近、体調はどう?」
王都から離れて少ししたところでライリーが尋ねる。リリアナは微苦笑を浮かべて「大丈夫ですわ」と答えた。
しかしそれだけでは代わり映えがないかと、少し考えて言葉を続ける。
「もう熱も出しておりませんし、寝込むこともございません」
「そうか、それなら良いんだけど。今回の視察は長丁場だからね、途中で辛くなったら直ぐに教えてくれ」
「お心遣い有難うございます」
リリアナが礼を言うと、ライリーはほんの僅かに目を細めた。その表情はどこか悲し気だったが、リリアナが違和感を覚えるよりも前に普段通りの表情へと戻る。リリアナは内心で首を捻るが、違和感を口にするより先にライリーが話題を変えた。
「今回の視察だけどね、案内役はエミリア嬢がしてくれるらしい。本当はアンガス殿が来る予定だったようだが、最近は騎士団の仕事が多忙らしくてね」
「アンガス様――カルヴァート辺境伯の御長男でしたでしょうか」
「そう。彼は若いけれど、カルヴァート騎士団の団長を務めているんだよ」
記憶を辿って問うリリアナに、ライリーは説明を付け加えた。カルヴァート辺境伯領はケニス辺境伯領の南側に位置している。ケニス辺境伯領と同じようにユナティアン皇国に接しているが、南半分が山稜に隔てられているせいか、隣国の脅威はさほど高くないと聞いていた。
だが、ライリーは“最近は仕事が忙しいらしい”と言う。違和感を覚えたリリアナは、正直に思ったことを口にした。
「最近お忙しいということは、隣国から圧力を受けていらっしゃるのでしょうか」
途端にライリーの目が煌めく。面白がる光を浮かべて僅かに身を乗り出すと、彼は対面に座るリリアナの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「どうしてそう思ったの?」
「アンガス様がお忙しいということは、騎士団が駆り出されるような事が起こっているということでございましょう?」
「うん、さすがに簡単な謎かけだったかな」
ライリーは満足そうに笑んで再び腰を背もたれに預ける。リリアナが気が付かないはずはないと確信しながらも、リリアナが悟ったという事実に満足しているらしい。
「カルヴァート辺境伯から私信を貰ったんだ。“北の移民”の失踪事件について、進展があったと」
「――辺境伯領では騎士団が調査なさっていたのですね」
「そう」
リリアナはライリーの言葉から一つの推測を導き出す。そして、その推測は誤ってはいなかった。ライリーは更に満足そうに笑みを深めて腕を組む。
「ずっと、ケニス辺境伯を通じて調査協力を依頼していたんだ。なかなか色よい返事を貰えて居なかったんだけど、この前の“立太子の儀”の後すぐに私信が届いた」
なるほどと、リリアナは納得して小さく頷いた。
恐らくカルヴァート辺境伯はライリーの人柄や能力を計りかねていたのだろう。だが“立太子の儀”で直接会話し、信用が置けると納得した。そこでようやく、自分の手の内を明かす気になったに違いない。
ライリーは静かにリリアナを見つめながら話を続ける。
「どうやら彼らは人身売買の実行組織に関する情報を掴んだらしい。ただ、異様なほどの戦力を抱えているようでね、カルヴァート騎士団も容易に摘発できず手をこまねいている状況だと言う」
「異様なほどの戦力――?」
リリアナは目を瞠った。カルヴァート騎士団は非常に強いと噂だ。ケニス騎士団が勇猛果敢で苛烈と呼ばれているのに対し、カルヴァート騎士団は冷静沈着で神出鬼没と言われている。しかし、いずれの騎士団も強いことに変わりはない。
そのカルヴァート騎士団が手をこまねくほどの戦力を有している組織、と言われてもあまり実感はわかない。つまり、その組織は下手をすると一国に匹敵するほどの強さを誇るという意味になる。
驚いた様子のリリアナを見て、ライリーは苦い表情になりながらも一つ頷いた。
「その通り。更に厄介なことに奴らは情報収集の能力にも長けているそうだ。一網打尽にしようと罠を張っても、初めからその罠の存在を知っていたかのように逃げるらしい」
「――間諜が紛れ込んでいたのではなく、ですか?」
「当然その線も疑ったようだが、結果的には否定された」
間諜はいない。しかし組織は着実に捜査網から逃れ、そしてカルヴァート騎士団が差し向けた間諜は惨殺死体で発見された。見せしめのように、その遺体は騎士団の訓練場近くに放置されていたそうだ。
「更に傭兵も掻き集めているそうだ。それに着実に武器も蓄えているという報告が上がっている」
「――戦でも始めるおつもりでしょうか」
リリアナがぽつりと呟けば、ライリーは肩を竦めた。
「少なくとも、身を護るためという消極的な理由ではないだろうね」
ライリーの指摘は尤もだった。リリアナも同意を示すように頷く。
何よりも気に掛かるのは、その組織が隣国と繋がっているという事実だ。以前は疑惑でしかなかったものの、リリアナがオブシディアンから渡された書簡の存在が裏付けになっている。即ち、少なくともスリベグランディア王国のタナー侯爵とユナティアン皇国のケプケ伯爵が人身売買に関わっていることは間違いない。
「ケプケ伯爵もあくまで一端を担っているだけでしょうから、その組織と直接関係はないかもしれませんわね」
「ああ、私も同じ意見なんだ。ケプケ伯爵が繋がっているのはタナー侯爵で、どちらかというとケニス辺境伯領との距離が近いからね」
リリアナは目を瞬かせた。まじまじとライリーの顔を見つめる。王太子は静かに微笑みを浮かべたまま、リリアナの目を見返した。
「つまり、複数の経路で取引がなされているとお考えですのね」
「おかしいかな?」
「いえ、妥当だと思いますわ」
小首を傾げて尋ねたライリーに、リリアナは小さく首を振った。
ケニス辺境伯領とカルヴァート辺境伯領は広い。北部で誘拐した“北の移民”をわざわざカルヴァート辺境伯領経由で隣国に連れて行くのも手間だし、逆に南部で捕えた彼らをケニス辺境伯領経由で連れ去るのもただ時間と金ばかりが掛かる。
これまで王立騎士団の力を借りてもなかなか尻尾を掴ませなかったことを考えると、非常に大規模で組織だった存在であることに納得しかなかった。
ライリーはリリアナの表情を見て、ここまでの話を理解したと見て取る。そして僅かに声音を変えて真剣な表情で尋ねた。
「そんな中で、私たちはネイビー男爵領の修道院に向かっている。これがどういう結果を齎すか、誰にも分からない。ただ以前よりも危険性は増していると、私は思っている」
少し目を伏せていたリリアナはゆっくりと顔を上げた。二人の視線が空中で絡む。リリアナは落ち着いた様子でおもむろに口を開いた。
「その組織が、わたくしたちを襲うとお考えですか」
「可能性は高いんじゃないかな」
ライリーは少しお道化た様子を取り繕う。しかしその双眸は変わらず緊張をはらんでいた。
「情報収集能力が高いということは、ほぼ間違いなく私やサーシャが調査に乗り出していることにも気が付いていると思う。私は王太子だから常に近衛騎士が近くに控えている。けれど、サーシャは二人しか護衛を付けていない。狙うとしたら」
「わたくし、ですわね」
リリアナは平然と答えた。普通の少女であれば狼狽し恐怖に震えるところだろうが、リリアナにそんな細い神経はない。ライリーもまた予想していたのか、落ち着き払ったリリアナの様子を見て小さく苦笑を漏らした。
「そう。だから今回は私とサーシャを同時に護衛できるように組んでいるんだ。だから、極力私から離れないようにして欲しい」
「――部屋も隣ということでしょうか?」
「そういうことだね。大丈夫、二人の部屋は繋がっていないから」
通常であれば、リリアナとライリーの部屋は離れた場所に用意される。婚約者同士ではあるが、未だリリアナの立場は公爵家の令嬢だ。王太子と同等の存在としては扱われない。しかし今回は警護の関係上、二人の部屋を離すことはできなかったのだろう。
「そこまでなさらずとも宜しいのではございませんか。わたくしにも護衛はおりますし、もし相手がわたくしを狙っているのであれば、寧ろ隙があると思わせた方が――」
「サーシャ、自分の身を危険に晒そうとするのは止めてくれ」
自分の婚約者が何を言おうとしたのか、ライリーには明白だったらしい。寧ろ自分が囮になることで敵を捕まえられるのではないかと言いかけたリリアナを、ライリーはきつい口調で遮った。
リリアナはきょとんと目を瞬かせる。いつも最後まで話を聞くライリーにしては珍しい態度だった。
ライリーは目元を険しくさせ、真っ直ぐにリリアナの目を射貫くように見つめる。
「危険は極力排除するべきだ。可能性があるなら、できるだけ最悪の状況を避けられるように努力する。私は貴方の身に危険が迫る可能性が少しでも残されていると思うだけで耐えられない。貴方を失いたくないんだ」
真摯なライリーの言葉に、リリアナは絶句する。普段から冷静に相手の意図を汲み取り、理性的な言葉を返す彼女にしては珍しかった。だが、ライリーもまたここまで感情を露わにするのも珍しい。正面から純粋な怒りと心配、そして悲哀をぶつけられ、リリアナは頭が真っ白になっていた。
「え――っと……」
まだ敵意や悪意をぶつけられるのであれば、平気だった。
ライリーの婚約者候補だった時に、マルヴィナ・タナーから暴言をぶつけられた時も気にならなかった。母親から詰られ怒鳴られ無視された時も、ただそういうものかと受け入れられた。必要がなければ反論もしないし、必要があれば適切だと思える言葉を返した。
悪意という感情は、リリアナには酷く分かりやすいものだった。父親が自分を隷属させようとした時も、悲しみすら覚えなかった。自分を害するのであれば、ただそれを取り除くべきだと冷静に判断した。
だが、ライリーがリリアナに突き付けた感情はそのどれでもない。リリアナのことを純粋に心配し、身に迫るかもしれない危険に疎い反応を見せるリリアナに腹を立て、そして――リリアナには理解できないが、どこか悲しそうにも見えた。
複雑な感情の絡みは、リリアナには理解できない。これまでリリアナに分からないことはなかった。すぐには飲み込めなくとも、時間をかけて考えればそこにある理屈を読み取ることができた。だが、感情となると話は別だ。
恋情や愛情、悲哀を物語る宮廷物語や吟遊詩人の歌を理解できないのは昔からだ。共感もできない。それでも、それはまだ自分とは関わりのないものだと割り切っていたから問題はなかった。
しかし、今ライリーが見せた心の片鱗はリリアナとは無関係ではない。寧ろ、リリアナに向けられたものだった。
「分かったね?」
念を押されて、リリアナは反射的に頷く。言葉はなかった。何を言えば良いのかも分からなかった。
自分は大丈夫だと言いたくとも、ライリーが言わせてはくれない。反論を一切許さない空気に、リリアナは戸惑いを隠せない。特に相手がこれまでリリアナの意志を尊重し続けていたライリーだからこそ、困惑は深かった。
頷いたリリアナを見て、ライリーは満足気に笑う。馬車の中の空気が緩む。
それでもリリアナの動揺はなかなか去っていかなかった。
9-1
32-4









