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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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6. フォティアの屋敷 5


翌日、リリアナは自室で朝食を摂った。マリアンヌの気遣いだ。食堂で万が一、母や兄に出くわした時のリリアナの心中を慮ってのことだろう。


(そこまで気を使って頂く必要は、ないのですけれどね)


声を失ってから、マリアンヌの過保護っぷりに磨きがかかっている気がしてならない。だが、敢えて食堂に行く理由もなく、リリアナは食事を終えると庭を散策することにした。シンプルで動きやすいが品のあるワンピースに袖を通し、マリアンヌを連れて屋敷を出る。

広い庭は披露宴や茶会に良く使われる。翌日に開かれる披露宴のために準備が整えられた花壇には美しい花々が咲き乱れ、吹き抜ける風が心地よい香りを運んで来る。その景色を堪能したリリアナは、そのまま裏庭に向かった。裏庭の更に奥は使用人たちの仕事場である炊事場だ。そして、そのまま裏にある深遠な森に繋がっている。

懐かしいような気もするが、既に遠い記憶の中に残された屋敷や庭を楽しみながら、リリアナはのんびりと庭を歩いていた。使用人たちの住まいに近づいたところで、ふとリリアナは気配を感じて立ち止まる。

視線を向ければ、そこにはローブを着たペトラが立ってリリアナを見ていた。その表情がどこか苦い。

リリアナが首を傾げていると、ペトラは「おはよう、お嬢サマ」と言いながら近づいて来た。


『おはようございます』


念話で答えながら、リリアナは笑みを浮かべて一礼してみせる。ペトラにはリリアナの声が聞こえているが、後ろで控えるマリアンヌには聞こえていない。ペトラとは意思疎通を図る気があるが、念話が使えることを他の人間には悟らせまいとするリリアナの思惑に気が付いたらしいペトラはにやりとした。


「すごい贅沢な屋敷だねー。あたしの部屋、使用人用だったけど、今の下宿よりも広かったよ」


驚いた、とペトラは笑う。背後でマリアンヌの怒りが増したのを感じながら、リリアナは困ったように眉根を寄せて小首を傾げてみせる。


『このお屋敷は、残念ながらどこに耳があるかわかりませんので。窮屈かとは存じますが、感想はまた帰りの馬車の中ででも、お伺いしとうございますわ』


ペトラは一瞬目を丸くしたが、すぐに普段の飄々とした表情に戻る。その変化はほんの一瞬で、マリアンヌにも気づかれなかったに違いない。ペトラは楽し気に笑いながら、雑談を重ねる。


「ご飯も美味しかったし、いっそのことここに就職したいぐらいだけど――残念なことに、今のあたし副業禁止だからなぁ」

「――そうですか」


声が出ず答えられないリリアナの代わりに、固い口調でマリアンヌが答える。ペトラは全く気負った様子なく、何気ない調子でリリアナに近づいた。そして、リリアナの首筋に手を伸ばす。気が付いたマリアンヌが気色ばむが、リリアナが片手で制する。リリアナはペトラを見上げた。魔導士の紫の瞳が不思議に煌めいている。

リリアナの長い髪の毛の下を通って一瞬だけ回されたペトラの手が、華奢な首を包む襟元を整えるようにして離れる。ペトラはリリアナにだけ聞こえる声で囁いた。


「お守り、あげる。誰にも気づかれるんじゃないよ。この屋敷、気色悪い臭いしかしないから」


――――魔導省以上に。


囁くような声に、リリアナは念話で礼を言う。リリアナの服の下には、つい先ほどまでは存在しなかったネックレスが掛けられていた。ひんやりとした感触から、恐らく金属か石が付いているのだろうとリリアナは見当をつける。ペトラが“お守り”と言うからには、恐らく呪術が掛かっているのだろう。


『ありがとうございます、嬉しいわ』


ペトラは何事もなかったかのように視線をマリアンヌに移した。


「襟元がねじれてた。あたしは往復の魔物退治が仕事だからこの屋敷ですることはないと思うけど、一応、何かあったら言って」


リリアナは会釈する。ペトラがリリアナから離れたことで、マリアンヌの物騒な気配が薄くなる。二人が見ている前で、ペトラはヘラリと笑って片手を挙げ、ふらりとその場を立ち去る。ペトラの姿が完全に屋敷の中に消えたところで、マリアンヌは一歩前に進みリリアナの隣に並び立った。


「全く、あの女はお嬢様に馴れ馴れしい」


どうやらマリアンヌはペトラの外見や出自ではなく、その態度自体が気に入らないらしい。ぷりぷりと怒る彼女は普段の姿からあまり想像がつかず、リリアナは笑みが深まるのを止められない。


(ペトラとマリアンヌが二人いると、意外と楽しいものでございますわね)


マリアンヌが不機嫌になるのを見たくて、ペトラも敢えて軽く振舞っているようにも見える。そしてマリアンヌも、腹を立てつつもペトラを完全に邪険にはできない。

それが少し面白くて、リリアナはゆっくりと再び歩き始めた。


*****


――それにしても不自然な家族だわ――とリリアナはこっそり溜息を吐く。

昼食を部屋で済ませた後、持ち込んだ本を読んでいたリリアナは、気分転換をしようと部屋を出た。ついて来ようとするマリアンヌには屋敷の外に出るつもりはないと断ったが、心配で堪らないのか、他に仕事がないと言いながら付いてくる。だが、無理にでも置いて来るのだった――とリリアナはわずかに後悔した。

絨毯が敷き詰められた広い廊下で立ち尽くすリリアナは、偶然出くわしてしまった母親の顔が醜く歪むのを見た。


「汚らわしい」


たった一言、しかし怨嗟のこもった声だった。耳から体の神経全てを犯すような毒。

一瞬何を言われたか判断できず立ち尽くしたリリアナの前で、母親は「とっととこの屋敷から出てお行き、どこぞで野垂れ死んで魔物にでも食われておしまい」と吐き捨て、大きな音を立てて扉を閉めた。


「――――お嬢様」


マリアンヌの絞り出すような声に、リリアナは振り向く。優秀な侍女の顔は悲痛に青ざめ、そして同時にこみ上げる怒りを必死に抑え込んでいた。

リリアナは微笑を浮かべ、気にしなくて良いのよ、と宥めるように首を振る。それを見た瞬間マリアンヌの顔は歪んだが、リリアナはそれ以上かける言葉も見つからず、ゆっくりと歩き出した。


(とても気の毒がられている気がいたしますけど――心苦しいですわね)


過去を思い出したせいか、リリアナは自分が傷ついていない自覚があった。昔から母親に悪意をぶつけられることに慣れているせいもあるだろう。事実、小さい頃からリリアナは()()()()()()()()()、と理解していた気がする。


――優秀な兄とは違い、生まれを忌避され存在を否定される。そもそもリリアナが優秀に物事をこなすという発想すら、クラーク公爵家の人間には存在していない。


しばらくは認めて貰いたいと足掻いていたような気もするが、そこに悲哀や憤怒は含まれていなかった。生きるために必要なことだという本能が、リリアナに努力をさせていた。前世の記憶を取り戻してからは、認めて貰いたいという欲求すら失せている。目指すは破滅フラグの阻止だ。


(客観的に考えたら哀れまれるのかもしれませんが、これが()()なのですから、戸惑いますわ)


零れかけた溜息を堪える。マリアンヌに聞かれたら、一層面倒なことになると予想できた。


(それにしても、お母様はあの調子で無事に宴を終えられるのかしら――?)


クラーク公爵は、対外的には家族仲の良さをアピールしたいと考えている節がある。声が出ないリリアナは適当なタイミングで退場するつもりだが、会場にいる僅かな間でさえ、母親はリリアナと空間を共にすることに耐えられないのではなかろうか。

しかし、それを気にするのはリリアナの仕事ではない。リリアナは悠然と構えて穏やかに過ごせば良いだけだ。そして、リリアナも必要以上に家族と関わる気はない。攻略対象である兄のクライドとはある程度友好的な関係を築きたいが、昨夜の様子を考えれば、リリアナがヒロインに嫉妬し王太子暗殺を企てない限り問題ないはずである。


リリアナはそう結論を出し、新鮮な空気を吸おうと庭に出ることにした。

しかし、ふとそこに先客がいることに気がつく。庭に出したテーブルに茶菓子を広げ、今朝到着したばかりの祖父母が歓談していた。この二人とも、リリアナはほとんど話したことがない。特に祖父は厳格な印象が強く、なによりも子供との相性が悪かった。

案の定、祖父はリリアナに気がついているだろうに顔を向けることもなく、そして祖母はリリアナを一瞥しただけですぐに視線を外す。だが、祖母が一瞬気遣わしげに祖父の顔色を伺ったことにリリアナは気がついた。


「あの――」


祖母は一瞬何かを言いかけ、諦めたように口を閉ざす。小さく溜息を吐いて肩を落とした。リリアナは少し考えたが、庭に出ることを諦めサロンに向かう。日差しが入るサロンは、壁と天井があるため風除けにはもってこいだ。

リリアナはソファーに腰掛け読書を始める。没頭してしばらく、リリアナは目の前に立つ人影に気がついた。顔を上げると、そこには祖母が立っている。一見したところ厳しく躾ける老女だが、その双眸にはリリアナを気遣う光が浮かんでいた。


「これを、食べなさい」


祖母が差し出したのは小さな皿に載せられたクッキーだった。咄嗟にリリアナは受け取り、軽く会釈しながらも目を丸くして祖母を見上げる。祖母は表情が乏しい。彼女はリリアナからわずかに視線を外しながら、辛うじて聞こえる程度の音量で口早に告げた。


「あの方は――あなたのお爺様は、厳格なお方です。あの方の心にあるのは今も昔もただお一人。その方のためだけに生きておられるのです。それは貴方のお父上も同じこと。我が公爵家の者として、身の程は弁えるように」


ただ聞いただけでは悄然としてしまうような内容だ。お前は重要でない、と宣言されたようなものなのだから。だが、リリアナにとっては大した言葉でもない。それに、母親と違い祖母には不器用ながらもリリアナを気遣う素振りがある。


(どうやら、一枚岩ではないようですわね)


リリアナは立ち去る祖母の背中を見送り、心中で呟いた。

恐らく祖母は、非常に不器用ながらも孫娘を励ましたかったのだろう。


(お父様も、そのお父様もたった一人のためだけに生きているというのでしたら――それは家系的な特質なのかしら)


それに、その“たった一人”というのが誰なのかも気になる。己の伴侶のことならば、常に祖母と共にいる祖父に関しては納得できるが、父に関しては違和感があった。


(まあ、誰でもようございますわ)


リリアナは嘆息しクッキーを齧る。詮索しようがしまいが、そのたった一人がリリアナでないことだけは確かだ。現状を変える手立てになるわけもない。

祖母がくれたクッキーは、リリアナの口の中でほろりと砕ける。祖父母は好きなのかもしれないが、リリアナには美味しいとは思えなかった。



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