35. 繋がれた意図 7
リリアナはベン・ドラコから受け取った手紙を持って魔導省に向かった。数日前に受け取った手紙には、魔導省に来て欲しいとだけ書いてある。しかし詳細は記されていない。
何事だろうと不思議に思ったものの、ベンが手紙に事情を書いていないということは、万が一でも他人に漏れては不味いことなのか――もしくはあまりにも複雑すぎて文章では伝えきれないことなのだろう。
そう判断し、リリアナは質問はせずに日程だけを決めた。
「何かあったのかしら」
馬車に揺られながら、リリアナは小さく呟く。あいにくと心当たりはない。前世の記憶から乙女ゲームの内容を引っ張り出して来ても、該当する出来事はなかったように思う。尤も乙女ゲームでは主人公のエミリアと無関係の出来事は簡単に述べられるか描写されないかのどちらかだったから、ただリリアナが認識していないだけの可能性もある。
「この時期は――ベラスタ・ドラコ関連の事件はありませんでしたものね」
ゲームにはベン・ドラコは出て来ていないから、魔導省関連の出来事といえばベラスタが絡んでいるものしか認識していない。そして、ベラスタ関連の出来事はもう少し遅くなってから――つまり、ヒロインがベラスタルートを選択した後、共通ルートが個別ルートに分岐してから発生する。
それを考えると、今回リリアナが魔導省に呼び出された理由はリリアナの将来を決定するような、重要なものではないのではないかと思えた。
リリアナを乗せた馬車は魔導省に到着する。事前にベンから送られて来た通行証をジルドが門番に示すと、難なく敷地内に入れた。
良く考えれば、リリアナが魔導省を訪れた時はたいていペトラの魔術によって姿と気配、そして魔力を消していた。正々堂々と正門から訪れるのは、これが初めてのことだ。魔導省に足を踏み入れた回数はそこまで多くはないとはいえ、ペトラも随分と無茶をしたものだとリリアナは内心で溜息を吐く。
「――仕方ありませんわね、取り戻したといっても知識と記憶だけで、それを使う方法は年相応の水準でしか知りませんでしたもの」
どれほど大量に知識があっても、その使い方を知らなければ意味はない。元々、リリアナは理論的に考えることは苦手ではなかった。だからこそ突然知識が増えても動じることはなく、今生きている世界の知識と組み合わせて活用することは出来ていた。それに、多少なりとも前世の記憶から“考え方”というものも思い出していた。同年代と比べるとかなり有利だったことは確かだが、それでもまだ六歳だったリリアナは大して疑問も覚えなかった。
「結構な魔術陣が仕掛けてあるというのに」
よくよく見れば、魔導省の施設には至るところに魔術陣が仕掛けてある。侵入者の存在を感知するもの、迎撃するもの、魔術行使を制限するもの――数え上げればきりがない。しかも、そのどれもが高度な陣だ。さすが魔導省といったところだろうか。
だが、その陣を見れば見るほど、リリアナの存在が感知されなかったことに感心してしまう。もしかしたらベンが誤魔化していたのかもしれないが、いずれにせよペトラの能力は当時から際立っていたということだろう。
馬車を停めて降りると、リリアナはジルドを伴い魔導省の中に入る。扉を開けたところには受付があった。受付の机にちょこんと乗っているのは、精悍な顔つきの鷲だった。
『貴殿ノ名ヲ、オ述ベクダサイ』
「――リリアナ・アレクサンドラ・クラークですわ」
まさか話し出すとは思わずリリアナは瞠目する。しかしすぐに気を取り直して名乗った。どうやら目の前にある鷲は魔道具らしい。鷲の剥製に術を施し、受付係としているようだ。
『リリアナ・アレクサンドラ・クラーク殿。登録済ミ。長官室ヘ、ゴ案内シマス』
片言に告げて、鷲は羽ばたく。そしてリリアナを先導するように廊下を飛んだ。わずかに目を瞠ったリリアナは鷲を追う。ちらりと受付を確認すると、そこには色違いの鷲がちょこんと座っていた。どうやら一羽が案内を始めると別の鷲に交代するようだ。
(便利なものですわね)
感心したように内心で呟く。鷲はリリアナの歩調に合わせて飛び続けた。
途中魔導士たちにすれ違うが、大半は鷲を見て納得するのか、すぐに興味を失ったようにリリアナから視線を逸らす。
暫く歩けば、段々と人が少なくなって来た。庭に面した廊下まで至れば、周囲には誰も居ない。静謐な空間は、多くの魔導士たちが行き交っている場所よりも空気が張り詰めている。その場所は、前世の乙女ゲームにも出て来た舞台だった。それに、以前ペトラと連れられて魔導省を訪れた時にも歩いたことがある。
この先を右に曲がれば長官室、左に行けば副長官室だ。以前は副長官室に用があったが、今回は長官室だ。
幾つかの角を曲がって進めば、やがて長官室に辿り着く。リリアナたちを先導してくれた鷲は、扉の取っ手に止まっていた。リリアナが扉に近づくと、鷲は再び宙を舞って元来た道を戻って行く。その後ろ姿を見送ったリリアナが扉を叩こうとした時、部屋の中から扉が開けられた。突然のことにリリアナは固まる。扉の向こう側には、少し疲れた様子のベン・ドラコが立っていた。
「待ってたよ、何もなかった?」
「問題は特に起こっておりませんわ。それにしても、鷲に道案内して頂けるとは思っておりませんでした」
「ああ、あの鷲ね」
簡単に挨拶を交わしながら、リリアナはベンの後を付いて部屋に入る。室内にはペトラも居た。ペトラはリリアナを見てにこりと笑みを浮かべてくれる。
誘われるままリリアナはソファーに腰掛け、ペトラから茶を受け取った。一口飲んで息を吐いていると、ベンが「あの鷲どう思った?」と楽し気に尋ねた。リリアナは少し考えて、正直な感想を告げる。
「珍しい術だと思いましたわ。傀儡の術というわけでもないようにお見受け致しました」
「その通り。さすがだね。あれは傀儡の術というよりも、全ての指示を細かく別の術で指定したんだ。今日から試験も兼ねた実用に移ったんだけど、上手く動いているようで安心したよ」
なかなか大変だった、とベンは溜息を吐く。どうやら案内役の鷲はベンが作ったらしいと知り、リリアナは目を瞬かせた。
「わざわざ作りましたの?」
「そう。つい先日の人事整理で、人手が足りなくなってさ。案内役くらいなら魔道具でどうにかなるんじゃないかと思って」
まだ実用化したばかりだから、今後は細かく調整して完成に近づけるらしい。魔道具は細かく高度な処理はできない。ただ、どれだけ細かい内容でも決められた作業ならば出来ないことはない。ただその術は難しく、実際に実用化しようと試みた人間は居ないはずだった。
「具体的にどのようなことができるのです?」
「基本的には来客の管理だね。通行証を門番に見せた客は直ぐに登録される。それから魔導省で働いている魔導士たちも全員登録してる。それから、魔導省の中は全て登録してる。今回は試験的に、来客者と目的地を事前登録しておいたんだ」
リリアナは思わず呆れ顔になった。指示内容が詳細になればなるほど、魔道具に書き込む術式は多くなる。案内役の鷲は普通の鷲程度の大きさだったから、ある程度までなら細かい術式も書き込むことはできるだろう。しかし、ベンが告げた内容を実行するためには、鷲はあまりにも小さすぎた。
「かなり複雑な術ですわね」
「まあね。だから術式をかなり削ってるんだ。それで不具合が出ないか、っていうのが現段階での検討事項の一つ。それから、あの鷲だけで完結してるわけじゃない。術式を書きこんでる魔道具は別に用意してある」
「複合型の魔道具ですわね」
「そう」
複合型――つまり、複数の魔道具を組み合わせることで一つの効果を出すものだ。複合型の魔道具も、在りそうでない。単一の魔道具に術を刻み込むよりも、難易度が遥かに高いからだ。その上必要となる魔力も膨大だ。
ベンの説明は理にかなっているが、実用化しようと考えること自体が普通ではない。リリアナは呆れ顔になる。リリアナの対面に腰かけていたペトラも、どこかうんざりした様子で口を開いた。
「お陰で寝不足だよ」
ベンは当然のことながら、ペトラもこき使われていたらしい。しかしニコラス・バーグソンが長官だった時と比べると疲労感は少ないようにも見える。正直に指摘すれば、ペトラは肩を竦めた。
「まあね。前の時は、ただ体力と気力と魔力をひたすら削られるだけの仕事だったからね。まだ今の方が、頭使うだけマシだよ。やり方によっては魔力も節約できるし」
あっさりと告げたペトラに、ベンも頷く。しかし口にしたのはペトラの発言を全く無視したものだった。
「ミューリュライネンは飲み込みも理解も仕事も早いから、色々と任せたくなるんだよ」
「仕事増やすのは良いけど、どうせなら権限増やしてくんない? 人が減ったお陰で滞ってるんだけど」
ペトラの今の位階では、何かを始めるにしても上位魔導士の許可を得なければならないらしい。そのため、任された仕事も上位魔導士の許可を得る段階で相当な時間が掛かってしまうそうだ。ペトラが片眉を上げて苦言を呈すると、ベンは思い出したように声を上げる。
「ああ、そうだ。次の考課の時に位階を上げようと思ってるから、試験対策よろしくね」
「はあ?」
ベンの言葉にペトラは目を丸くする。
「なにそれ」
「そのまんまの意味だよ」
あっさりと告げて肩を竦めるベンを前にペトラは言葉を失っていたが、やがて深く溜息を吐くと小さく首を振った。
「それ、今言うことじゃなくない?」
「そうかな」
「そうだよ。せっかくリリアナも来てくれてるのにさ」
貴重な時間を無駄にしたいのか、と言わんばかりの口調に、ベンは「それもそうか」と小さく頷いた。しかし二人の会話が本筋から外れていくのも、いつものことだ。リリアナはそろそろ頃合いだろうかと、微苦笑を浮かべて二人に尋ねた。
「それで、今回わたくしをお呼びくださった理由を教えて頂けますでしょうか」
途端にベンとペトラは苦い顔になる。リリアナは首を傾げた。いつも単刀直入に用件を述べる二人にしては珍しく煮え切らない態度だ。しばらく無言で二人の様子を窺っていると、やがてベンが重たい口を開いた。
「君にお願いしたいことがあるんだよね。長官室まで来る途中、庭に面した廊下通らなかった?」
「ええ、通りましたわ」
突然人が減ったあの場所だろうかと、リリアナは脳裏に思い描きながら頷く。前世で楽しんだ乙女ゲームにも出て来た場所のことだろう。
「そこに、正体不明の呪術陣が現れてね。どうやらそれを見るためには魔力量が条件になっているらしいんだけど、僕とミューリュライネンだとギリギリ足りないようなんだ。ただその呪術陣は不安定になっているようで、時々見えることもある。問題はその陣を見ること自体が難しいせいで、解術ができないことだ」
リリアナは普段と変わらない表情を保ったまま、しかし息を飲む。その様子を見つめ、ベンとペトラは真剣な表情で頷いた。
「多分気付いた通りだと思うけど、僕ですらその陣の存在は認識してなかった。魔導省では魔術陣は使うけど、呪術陣は使わない。元々施されていたものが何らかの理由で表に出て来たのか、それとも何者かが何かを企んで施したのか、そのどちらかだと思うんだけど」
「――どちらにしても、一体何を目的とした陣なのか分からないことには、対応のしようもございませんわね」
「そういうことなんだ」
話が早くて助かるよ、とベン・ドラコは疲れたような笑みを零す。ペトラも苦い表情を崩さないまま、溜息混じりに付け加えた。
「どんな危険があるか分からないからね。本当を言えば、お嬢サマの手は借りずに済ませたかったんだけど」
「お気遣いありがとうございます。ですが、わたくしに出来ることであればお手伝いさせていただきますわ」
リリアナはにこやかに答える。ペトラとベンは顔を見合わせて苦笑した。
「やっぱり、お嬢サマはそう言うと思ってたけどさ。でも油断したら駄目だよ。ちゃんとあたしたちも一緒に行くから。それと、不味いと思ったらすぐに逃げること」
「ええ」
勿論ですわ、とリリアナは素直に頷く。
「それじゃあ行こうか」
一言告げてベン・ドラコは立ち上がる。リリアナとペトラもソファーから腰を上げて、ベンと共に長官室を出る。
ペトラとベンは緊張した面持ちだ。呪術陣を解術することによって、身に危険が迫ることを懸念しているのだろう。しかし、それに対してリリアナは平然としていた。
もしベンとペトラの言っている呪術陣がリリアナの知るものと同じであるならば、陣を解析したところで危険は生じない。問題は、その呪術陣が目に見え始めたという事実そのものだった。
(何故――この時期に?)
危険を覚えて緊張する、などということはない。ただリリアナの心には焦燥と疑問だけが浮かんでいた。
(もし乙女ゲームに出て来た陣と同じなら――来年にならないと、その事件は起こらないはずですのに)
リリアナが動いたことで、多少なりとも乙女ゲームと差異が出てきていることは分かっている。しかし、その変化は決して良いものとは限らない。呪術陣が現れたという知らせは、寧ろ悪い部類の方だった。
(まだ何一つとして、整っておりませんわ)
その呪術陣を解析したところで、その陣が引き起こす危険性を抑え込む方法はまだない。エミリアと攻略対象者たちが知り合ったばかりの段階では、道具もそれを集めるための情報も揃っていない。リリアナは道具の存在も在り処も知っているが、一人で集めることはさすがに無理だ。
(他に方法があるのかしら。それに、わたくしは何もしていないのに――何故、出現してしまったの?)
だが、いずれにしても一度その呪術陣を見なければ判断はつかない。もしその陣がリリアナの記憶にある通りならば、現実は乙女ゲームと時間軸がずれていることになる。そうなれば、リリアナも考えを改めなければならない。
「ここだ」
ベンが足を止めて、廊下の壁を示す。一見したところ、その壁には何もない。しかし、リリアナは何のためらいもなく壁に手を触れると、掌からゆっくりと魔力を流し始めた。









