35. 繋がれた意図 6
ベラスタ・ドラコはその日、酷く緊張していた。歩けば右手と右足が同時に前に出る。扉を開けようとして顔をぶつける。乗合馬車に乗ろうとして、途中で行き先が違うことに気が付く――あまりにも散々だったが、それも全て直前に控えている魔導省の入省試験のせいだった。
「ううー、緊張する……胃が痛い……」
祈るように両手をすり合わせて、ベラスタは乗合馬車から降りた。何となく同乗していた人たちが興味津々にベラスタのことを見守っていた気もしなくもないが、今の彼にとっては周囲の視線よりも試験内容の方が気になって仕方なかった。
「面接もあるって言ってたよな……兄貴は面接官じゃないって言ってたけど、誰なんだろ」
誰なのだろう、と考えても意味はない。ベラスタが知っている“魔導省に勤めている人”と言えば、兄であるベンとペトラの二人だけだ。誰が面接の相手になろうと、緊張するに決まっていた。
ドラコ一族は皆、研究者肌であまり対人関係には重きを置いていない。ベラスタも例に漏れず、一族以外の人付き合いは酷く限定的だ。そのため、筆記試験や実技試験はともかく、面接が一番の頭痛の種だった。
結局面接の受け答えや喋り方は、兄ベン・ドラコの執事ポールに教えて貰った。とても厳しくて投げ出しそうになったが、逃亡した方が余程恐ろしい目に遭うことは経験上明らかだったから、どうにか耐えた。それでも幾度となく挫けそうになり、その度普段はベラスタにもきつく当たるタニアに宥めて貰っていた――まさかタニアがあそこまで優しくしてくれるとは思わなかった、というのはベラスタの本音だ。
「失敗したら練習に付き合ってくれたポールにどやされる……」
一体貴方は私から何を学んだのですか、とか、お菓子を作る時間を削ってまで貴方に費やした時間を無駄にしたのですか、とか、ポールが言いそうなことは幾通りも頭に浮かんで来る。それが一層ベラスタの恐怖を煽った。正直、入省試験に落ちて怖いのはベン・ドラコよりもポールかもしれない。
なによりも、怒ったポールはおやつを食べさせてくれないのだ。それは非常に困る。目の前でタニアたちが美味しそうにおやつを食べているのを、指をくわえて眺めているだけなんて耐えられるわけがない。
幾度目かも分からない重い溜息を吐きながら、ベラスタは魔導省の門を見上げた。普段はきつく閉じられている門も、入省試験があるためか開かれている。入省試験の受験者たちはベラスタが思っていたよりも多かった。次から次へと人が吸い込まれるようにして門の中へと入って行く。
「――魔導士ってこんなに多かったっけ?」
思わずベラスタは首を傾げた。魔術を使える人間はそれなりには居るが、決して多いわけではない。特に仕事として魔術を使おうと言うのであれば、尚更要求される水準は高くなる。
今回の入省試験は、魔導省が作られて以来の大規模な人員募集だという。だから応募人数も多いだろうと事前に聞いてはいたが、それにしてもパッと見ただけで魔導士にはなれない程度の魔力しかない人もいる。
「あ、そっか。魔導士以外も募集してるんだった」
ようやく合点がいったとベラスタは一人頷いた。
今回募集している職種は魔導士だけでなく、事務仕事を処理する文官も対象だ。恐らくそれほど魔力が多くない者たちは文官志望なのだろう。
「――まあそれでも緊張するってことに変わりはないんだけど」
ベラスタは小さく身震いした。多少現実逃避したところで、試験の時間が刻一刻と迫って来ていることに変わりはない。
周囲を見回しても、ベラスタと同じ年頃の受験者はいないようだった。殆どが彼よりもはるか年上だ。若くてももうすぐ二十歳に手が届きそう、という程度で、十代前半はベラスタだけだった。そのせいか、大半の受験者が胡乱な目でベラスタを一瞥して通り過ぎていく。
注目されるのも仕方がないのかと溜息を吐いたベラスタは、険しい顔つきの守衛の前をふらふらと歩いて通り過ぎた。守衛よりも恐ろしいものが待ち受けているのだから、多少睨まれたところで恐ろしくもなんともない。
魔導省の敷地は広いが、迷子にならないよう看板が道沿いに立てられている。看板は魔道具で、一定時間が経過するごとに表示される文字が変わっていく。入省試験の受付番号別に試験会場が分かれているらしく、ベラスタは慌ててポケットから手紙を取り出した。入省試験の受付証で、そこに受付番号が書かれている。
「えっと――」
「おい」
受験番号はどれだったかな、と思いながら紙を捲っていると、後ろから声を掛けられる。油断していたベラスタは驚いてびくりと肩を揺らした。慌てて振り向くと、そこにはローブを纏った若い男が立っている。ベラスタは目を真ん丸に見開いた。
「あー! ソーンさん!!」
「やっぱりお前か。よく覚えていたな。ベラスタ、ここで何をしている?」
「オレが忘れるわけないだろ。見て貰った工具、凄く使いやすかった!」
ベラスタはにこやかに答える。ベラスタを前にしたソーン・グリードは僅かに頬を緩めた。魔導省の同僚たちが見れば驚きに目を瞠るに違いない、彼にしては珍しい表情だった。
しかしベラスタはそんなこととは気が付かない。ソーンの問いに答えるべく、言葉を続けた。
「えっと、ここへはあれ……入省試験受けに来たんだよ。ソーンさん、もしかして魔導省の人だったのか?」
ソーンは頷く。しかしその表情はどこか複雑そうだ。ベラスタが首を傾げると、ソーンは一瞬言葉に詰まった。そして訝し気に質問を口にした。
「――自由が良いんじゃなかったのか?」
「へ?」
ベラスタは目を瞬かせた。不思議そうに首を傾げる。ソーンは眉間に皺を寄せた。不機嫌そうに見えるが、ベラスタを心配しているようにも見える。
「前会った時に言ってただろう。“しがらみがない方が自由で良い”と」
「え? あ、ああ! 兄貴が言ってたって話か」
「そうだ」
途端にベラスタは気まずそうになって、頭をぽりぽりと掻いた。少し言い澱むが、元々隠し事をするには向いていない。特に全く見知らぬ相手や警戒すべき対象ならばともかく、相手は以前たまたま会った時に親切にしてくれたソーンだ。しかも、今の問いもベラスタを気遣っているからこそ出た言葉だと分かっている。余計に誤魔化し辛い。しかし、本当のところを告げるのも問題だろう。ソーンが魔導省に勤めていると知らない時であればまだしも、今のベラスタはソーンから直接、魔導省に勤めていると聞いている。
「えっと……兄貴に受けろって言われてさ」
嘘はついていない。だが本当のことを全て告げているわけでもない。この程度なら許されるだろうか、と思いつつ恐る恐る顔を上げると、ソーンは更に顔を険しくしていた。明らかに先ほどよりも機嫌が悪くなっている。
「お前の兄が? お前に、そう言ったのか?」
「うん、そうだけど?」
ベラスタはきょとんと首を傾げた。何故ソーンがそこまで怒っているのか、ベラスタには分からなかった。しかしソーンは口をへの字に曲げたままだ。鼻を鳴らして「お前の兄はなんという奴なんだ」と低く唸る。ベラスタは訳が分からなかった。
「えーっと……怒ってる?」
「お前のせいではない。私は誤魔化す奴や理不尽な奴が大嫌いなだけだ」
吐き捨てるように告げると、ソーンはそこで話を切り上げる。そして険しくなっていた表情を元の無表情に戻すと、ベラスタに向けて尋ねた。
「恐らくお前が最年少だろう。受験番号は何番だ?」
「多分これだよな?」
ベラスタは受験証を見せる。指さす先には数桁に渡る番号が書かれていた。
だが、ソーンは答えない。どこか愕然としたように手紙を凝視している。ベラスタは目を瞬かせた。
「ソーンさん?」
「あ――ああ、いや。そうだ、これが受験番号だ」
「じゃあ場所は――あっちか」
ソーンの返答を受け、ベラスタは再度看板を確認する。幸いなことに、ちょうどベラスタの受験番号と試験会場の場所が表示されたところだった。無に近い表情を浮かべ、ソーンは機械的に答える。
「そうだ。一番近いから迷うことはないだろう」
「そっか! ありがとう、助かったぜ」
にっこりとベラスタはソーンに礼を言う。ソーンはどことなく挙動不審のまま、ぎこちなく頷いた。
ベラスタは意気揚々と試験会場に向かっていく。一度話しただけとはいえ、顔見知りに会ったお陰でベラスタの緊張は多少解けていた。
この調子なら不注意から落第点を取ることもないだろうと、ベラスタはご機嫌だ。そのせいか、取り残されたソーンが呆然と自分の後姿を見送っていたことには気が付いていなかった。
*****
ベラスタの小さな背中を見送ったソーンは、震える手で口を抑える。
「――嘘だろう?」
まさか。あの、純朴な少年が。
「ベラスタ・ドラコ、だと――?」
そういえば――とソーンは思い出す。
魔道具屋で会った時、どこかで見た記憶があると思った。何故魔道具屋で会った時にすぐに思い出せなかったのか、自分でも不思議だったが、確かにベラスタ・ドラコは研究棟に繋がる廊下で見かけた少年だった。ニコラス・バーグソン長官に呼びつけられ、緊急かつ重要な仕事を任せられた上に、仕事が立て込んでいて碌に顔も見ていなかったが、ほぼ間違いないはずだ。
そして彼が憎きベン・ドラコの弟だったなど、一体誰が信じられるというのだろう。
何故子供が居るのかとあの時は不思議に思いはしたものの、多忙を言い訳に疑問を解決しようとはしなかった。だが、ベン・ドラコに呼ばれたのであれば理解できる。ベン・ドラコは年端も行かない弟を、小間使いのように使っていたに違いない。
そう思ったソーンの腸は煮えくり返ったが、徐々に落ち着きを取り戻せばソーンの頭は冷えて来た。ぎり、と歯を食いしばる。
「なるほど――確かに、ベン・ドラコらしい」
幼く世間知らずの少年を小間使いのように使い、一人で下町の魔道具屋に行かせ、そして最年少で魔導省に入省させようとする。それは、ソーンから見ればあまりにも自分本位で、弟を良いように使っているようにしか思えなかった。
ベラスタは“兄に入省試験を受けるように言われた”と言っていた。だが、ベラスタは魔導省に入省するには幼すぎる。具体的に入省する年齢に制限は設けられていないが、暗黙の了解として十五歳を過ぎてからと決まっているはずだ。それにも関わらず、ベラスタを入省させようとしているなど、ベン・ドラコが何かしら企んでいるからに違いない。
まだ肉親の言うことを疑うことも知らない年齢だ。兄の言っていることがどれほどおかしな話なのかも理解していないのだろう。
「あの男――実弟を良いように使う気か?」
そんなことは許されないと、ソーンは怒りの炎を心の内に燃やす。自分と次兄の関係と、ベラスタとベンの関係を重ね合わせているという自覚はない。
もしソーンが試験官ならば、その権限を使ってベラスタの入省は見送りと決定できた。それこそがベラスタを――あの純朴な少年をベン・ドラコの魔の手から逃す唯一の方法だと、ソーンは確信していた。
だが、残念なことにソーンは面接官から外されている。もしかしたらそれすらもベン・ドラコの陰謀なのかもしれないと思うと、腸が煮えくり返る。
「くそっ――!」
貴様の思い通りにはさせんと、ソーンは内心で吐き捨てる。しかし、今からでは試験官たちに根回しするにも時間が足りない。一体どうすべきかと、ソーンは焦燥を抑えながら早足で歩きだした。
*****
ベラスタがソーン・グリードと会っていた頃、魔導省の奥まった場所ではベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンが難しい表情で顔を突き合わせていた。二人の前には何の変哲もない白壁がある。しかし、その壁には間違いなく呪術陣が施してあった。
「――見えないな」
「薄っすらと気配は感じるけどね」
「ここに陣があると知ってるから、気が付ける程度だ」
二人は小声で会話する。人の立ち入りは禁じているが、万が一誰かがやって来ないとも限らない。
壁に現われていた陣は、魔力が一定量以上なければ認識できないよう細工が施されていた。その上、安定性が悪く見える時と見えない時がある。そのためペトラは魔力を込めた魔導石を複数個持って来ていたのだが、今日は運が悪かったらしい。
「時間をずらす?」
ペトラの提案に、ベンは眉を寄せた。頷きたいが、軽々しく同意もできないという表情だ。
壁に施されているという陣が一体何の目的を持っているのか分からない以上、放置しておくわけにもいかない。とはいえ、解決策はそれほど多くはなかった。
ベンの表情を読み取ったペトラは淡々と考えられる案を一つずつ口にしていく。
「時間の猶予がないなら、今日はベラスタも魔導省に来てる。あたしたちよりも魔力は少し高いから、あいつなら見れるかもしれない」
だが、見れないかもしれない。こればかりは本人が直接この場に居なければ判断できないことだった。
「でも、ベラスタに見えたところで、解決策は多分見つけられない。あいつは魔術には詳しくても呪術はまだ勉強してないからね」
ペトラの言葉にベンは反論しない。全て事実だった。
そう考えると、残る選択肢はたった一つだ。苦い表情になってベンは顔を顰める。ペトラもまた、不機嫌にも見える表情を浮かべていた。
「そのどちらも選べないっていうなら、最後の一つだけど」
「――――そうだな」
唸るようにベンは言葉を返す。
最後の一つ――それは、リリアナ・アレクサンドラ・クラークに協力を願い出ることだった。
31-8
33-9
33-13
35-3









