35. 繋がれた意図 5
ネイビー男爵との面会を終えた後、ライリーは執務室で茶を飲みながら一息ついていた。近衛騎士として傍に控えていたオースティンだけを手招き、もう一人の騎士には聞こえないよう扉を閉めさせる。
当初、ライリーはオースティン一人に声を掛けることに躊躇していた。同じ近衛騎士の同僚が一人だけ破格の待遇を受けていることに嫉妬心を覚えるのではないかと思ったからだ。しかし、現実は意外なものだった。オースティンはライリーの側近候補と目されていただけあって、誰も違和感を覚えなかったようだ。寧ろ同僚が王太子に気に入られ頼りにされているという状況が誇らしいと、近衛騎士たちは心の底から思っている様子だった。
お陰で、ライリーはオースティンの立場を気にすることもなく、近衛騎士としての仕事に差し支えない範囲で呼びつけることが出来る。
なによりも、自分一人では判断に困ることや、頭が整理できない場合に相談する相手として、オースティンほど適切な人材はいなかった。
「相談があるんだ」
「視察のことですか?」
近衛騎士として近くに控えているオースティンは、ライリーの執務内容だけでなく面会の内容もある程度把握している。近衛騎士は本来、王太子の職務内容に立ち入らないよう、訪問客との会話には耳を閉ざすのが常識だ。ライリーもまた、必要に応じて近衛騎士たちに声が届かないよう配慮することもある。
しかしライリーは時折オースティンにだけ、話の内容を聞いておくようにと告げることがあった。今回のネイビー男爵との面会も、事前に二人の会話を耳に入れておくようにと言っていた。そのため、ライリーに呼び立てられた理由も直ぐに察したらしい。
ライリーは自分の対面にあるソファーを示した。
「ああ、そうだ。少し長い話になるから座ってくれ」
「それくらいで疲れるような鍛え方はしていませんよ。一応、仕事中ですから」
遠回しに“立ったままで良い”と告げるオースティンに、ライリーは了承の意味を込めて頷いた。そして自身は椅子に腰かけたまま、話を切り出した。
「ネイビー男爵領の修道院にクライドが視察に行くだろう。それに便乗していくつもりなんだけど」
「そう仰っていましたね」
近衛騎士として仕事をしている時のオースティンはライリーに対して敬語を使う。それが少し物悲しいと思ったのは最初の頃だけで、最近ではライリーもめっきり慣れた。
何よりもオースティンは三大公爵家嫡男として最高峰の教育を受けたにも関わらず、ライリーに対して使う敬語は非常に簡便だ。本人がその気になれば非常にへりくだった言葉――ライリーにしてみれば持って回った表現――も使えると知っているからこそ、オースティンが近衛騎士として距離を取りながらも親友としての立場を意識してくれているのだと思うようになった。
しかし、ライリーはそんなことはおくびにも出さない。
「クライドは公爵家の護衛を連れて行くだろう。私は近衛騎士に任せるつもりだ。サーシャは恐らくオルガとジルドを伴って来ると思う」
淡々と事実を告げると、全て理解しているとでも言うかのようにオースティンは頷いた。
「でしたら、リリアナ嬢の護衛は殿下と兼任した方が良いかもしれませんね」
それほど深い付き合いではないが、特にジルドと一般の護衛騎士たちの折り合いが悪いことは既に分かっている。
近衛騎士の面々はライリーが選りすぐった者たちであり、近衛騎士選抜の基準に“地位や身分に拘らない”という条件が含まれていたことからも、ジルドやオルガに対してもそれほど拒否感を持っていない様子だった。実際に、近衛騎士の中でも社交性の高い者が時折ジルドに話し掛けている場面も目撃している。
しかし、それ以外の護衛騎士たちは明らかにジルドを毛嫌いしていた。名誉ある騎士である自分たちと同じ仕事を、傭兵如きが任せられているという事実が我慢ならないらしい。
ジルドが相手にしないから大ごとにはなっていないものの、視察という長い道中を考えると、極力護衛騎士たちとジルドは引き離しておくべきだった。
ライリーは小さく頷いて同意を示す。それを確認したオースティンは、もう一点、確認のために口を開いた。
「同行されるのはエミリア嬢でしたか」
「ああ、あの男爵は――元々、カルヴァート辺境伯の傘下で働いていた監督官だったからな。王族や高位貴族の相手は荷が重いんだろう」
「ああ、確かに。平民出身でしたね」
監督官は農民たちから推挙された人物で、領主と農民の間を取り持ち農民たちを監督することが仕事だ。農民と領主の双方から信頼されていなければならない。ネイビー男爵は平民出身の監督官だった。その働きぶりと忠義が認められ、広大な領地を支配するカルヴァート辺境伯から男爵の地位を与えられたという。そのため、娘のエミリアはともかく、男爵自身は貴族としての教育を受けていない。
理解を示したオースティンは更に言葉を続けた。
「エミリア嬢に護衛は付けないつもりでしたが、それで宜しいですか」
「いや――念のため、何かあった時に対応できるようにしておいた方が良いだろうな」
男爵家の出身ということで、エミリアの護衛は優先順位が下がる。最も護らなければならないのは王太子、次いで公爵であるクライドと王太子の婚約者であるリリアナ。クライドに関しては公爵家の護衛が付くから、王立騎士団から連れて行く護衛騎士はライリーとリリアナの警護に当たる。近衛騎士はライリーを、そしてジルドとオルガはリリアナの身辺警護だ。
そして、ライリーが示唆したのは、その内一つの護衛集団にエミリアの安全を確認させておけ、ということだった。オースティンは眉根を寄せて考え込む。
「それでしたら――そうですね。クライドに頼んでおきますか」
近衛騎士はライリー専属だし、ジルドとオルガはリリアナ専属だ。それほど人数がいるわけでもない。万が一を考えれば、エミリアの身を護る余裕はないはずだ。消去法で考えれば、残るは護衛騎士とクラーク公爵家の護衛の二つとなる。
しかし護衛騎士は王族を護るという使命がある。全体的な均衡を考えると、クラーク公爵家の護衛に依頼した方が差しさわりはなさそうだ。
そう考えた結果の発言だったが、ライリーは少し考えた後に小さく首を振った。
「――いや、こちらで見よう」
「殿下?」
驚いたオースティンは目を瞠った。しかしライリーは本気らしい。
「エミリア嬢が視察に加わるのは男爵領の中だけだ。それなら、私とリリアナの周囲に居る方が安全だろう」
それに、平民に馴染んでいるエミリアにとってはジルドやオルガの方が、護衛騎士や近衛騎士たちよりも身近に感じられるに違いない。そう言ったライリーに、オースティンは思わず素に戻った。
「いや、緊張するだろ」
「そうかな?」
「お前、自分が王太子だって自覚はあるか?」
ライリーは目を瞬かせる。
「当然、あるつもりだけど……」
「そうは見えないから言ってるんだよ。オルガとジルドが平民だから安心するよりも、王太子とその婚約者の傍に居るって方がよっぽど緊張するだろうが」
はたとライリーは膝を打つ。考えが至っていなかったらしい。
ライリーはどうにも自身の地位の高さを忘れる――というよりも、下位貴族や平民にとって王族がどのような存在なのか忘れる傾向があった。
「確かにそうだな。でも、それならクラーク公爵家の護衛を付けると言っても同じことになるんじゃないか?」
「それはそうだが、でも王太子よりも公爵家の方がましだろ」
呆れた様子を隠さないオースティンに、ライリーは低く唸る。小さく「そうか……」と呟くと、素直に首を縦に振った。
「本来なら光栄に思われそうなものだが、そうか。緊張するのか」
「エミリア嬢は、どっちかというとそっちの性質だと思いますよ。それに男爵家ですから、殿下とリリアナ嬢の会話にも付いてはいけないでしょう」
カルヴァート辺境伯に教育は受けているようですが、と付け加えながらも、オースティンは容赦ない。辺境伯から教育を受けているのであれば、本人の資質さえあれば高位貴族の令嬢に匹敵するだけの知識を持っているだろう。だが、ライリーとリリアナはその高位貴族たちの中でも抜きんでて優れた頭脳の持ち主だった。
オースティンも決して愚かではないし、騎士団の中では頭脳派とも呼ばれている。だが、ライリーとリリアナの会話には時折付いていけないこともあった。
心の底から親切心で告げていることが分かるオースティンの言葉に、ライリーは納得しきれない様子ながらも頷く。
「分かった。それならそこの采配はお前に任せる。それと、オルガとジルドは私よりもサーシャを優先するから、その前提で編成を組んでくれ」
「――心得ています」
ようやく敬語を取り戻したオースティンは、元よりそのつもりだと、にやりと笑みを浮かべた。
そもそも、オルガとジルドがリリアナよりも王太子を優先するようであればリリアナの護衛は務まらない。一般の護衛騎士や近衛騎士はライリーの安全を優先的に確保するから、リリアナが手薄になる。そこを補うという意味でも、オルガとジルドの存在は必要だった。
「あの二人は傭兵といえど優秀な剣士ですからね。下手な護衛騎士よりもよほど頼りになりますよ」
実戦が楽しみです、と笑うオースティンにライリーは苦笑を隠せない。苦い笑みを浮かべながら呆れたように尋ねた。
「それは、視察中に賊に襲われたいというようにも聞こえるぞ」
「本意ではありませんよ。ただ、そこら辺の護衛騎士よりも遥かに良い動きをしてくれるのではないかと思っただけです」
「最近、つくづくお前は好戦的な性格だったんだなと思うよ」
しみじみとライリーが呟けば、オースティンは心外だとでも言うように片眉を上げた。
「別に好戦的じゃありませんよ。ただ、自分より強い人がいると手合わせしてみたくなるというだけです」
しれっと言い放つオースティンを面白がるように見やり、ライリーは「まあ確かに」と呟いた。
「そんなお前だから、私とも手合わせしてくれるんだろうな」
「ああ、そう言えばこの前、殿下と俺が手合わせしているのを見たヘガティ団長が惜しいと呟いていらっしゃいましたよ」
思いがけないオースティンの言葉にライリーは目を瞬かせた。
どうやら王立騎士団トーマス・ヘガティ団長はオースティンとライリーの手合わせを見たことがあったらしい。その時に、普段から余計なことは口にせず思慮深い彼には珍しく、ぽろりと独り言を漏らしたようだ。
「二番隊は難しくても七番隊には入れただろうし、隊長候補にもなれただろうに、だそうです」
ライリーは目を丸くする。二番隊は魔導騎士ばかりを集めた隊だから、魔導剣士としての素質のないライリーには最初から無理だ。しかし、よりにもよって七番隊とは――王立騎士団屈指の実力集団ではないか。
「それほど剣術に優れているとは思わないが――」
戸惑ったようにライリーが零せば、オースティンは呆れた目を旧友に向けた。一体何を言っているんだ、と無言で詰っているようにも見える。
だが、ライリーにとっては本音だ。剣術の指南は受けて来たものの、王太子という立場もあって様々な相手と手合わせをしたわけではない。時折気晴らしのためにオースティンと手合わせをすることもあるが、その程度だ。普段から訓練に明け暮れている騎士たちと比べると赤子も当然だろう。だからこその疑問だったが、オースティンは全く動じずに言葉を続けた。
「殿下が殿下でなければ騎士団に勧誘したのに、と」
あくまでもそれはヘガティ団長の独り言だった。オースティンがたまたまその場に居合わせなければ、決してライリーの耳に届くことはなかっただろう。ただ、だからこそ、その評価には信憑性が出る。
本心を読み取らせない笑みを浮かべ慣れたライリーには珍しく、ほんのりと頬を染めて口籠った。しかしすぐに立ち直ると、軽く咳払いして話を元に戻した。
「――取り敢えず、護衛の件についてはそれで頼む」
「御意」
オースティンは頷くが、その場から動かない。首を傾げたライリーに、オースティンは単刀直入に尋ねた。
「それにしても、何故リリアナ嬢を連れて行くんです?」
ライリーは目を細めた。質問の意図を考えているのだと、オースティンにも分かったらしい。彼は更に言葉を重ねた。
「元々この視察にはクライドが行く予定だったでしょう。黒死病に関することですから、殿下自ら視察に同行なさるのも理解できます。でも、そこにリリアナ嬢も加わる必要はないはずだ」
「うん、そうだね」
オースティンの指摘にライリーは薄っすらと笑みを浮かべた。その双眸には面白がるような光が浮かんでいる。ライリーは思案するように一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げてオースティンに尋ねた。
「黒死病に関してサーシャも色々と助言をしてくれた。特に彼女が提案した、黒死病の発生場所を地図上に記してその傾向を知るという手法は非常に合理的だ。その彼女を同行させることで、私たちでは気が付くことのできない“何か”が分かるかもしれない、と思ったのが理由の一つ」
「――理由の一つ、ですか」
ライリーの説明を聞いたオースティンは目を瞬かせた。リリアナをネイビー男爵領への視察に連れて行く理由としては納得できるものだ。実際に、オースティンも薄々思っていたことではあった。しかし、それならばリリアナをわざわざ連れて行かずとも、報告書を見せて助言を受けるという対応でも事足りる。もし更なる調査が必要なら、その時に改めて対応を検討すれば良い。
リリアナを同行させることで、視察団の規模は大きくなる。ライリーが参加することでも十分人数は増えるが、未来の王太子夫妻が加わった視察団となれば襲撃を企てる不届き者も増えるのは間違いがない。警護の観点から言えば、遠方の視察にライリーとリリアナの二人が同時に加わることの方が負担は大きかった。
ライリーも、事情は分かっているはずだ。だが、ライリーはそれでもリリアナを同行させたいと言って譲ろうとはしなかった。案の定、他にも理由があるという。
「最近、サーシャの体調は持ち直したみたいだけど、いつまた魔力暴走直前の状態になるか分からない状況だ」
声音を変えたライリーの言葉に、オースティンは僅かに目を瞠った。物心つく前から付き合いのある幼馴染の顔を見るが、ライリーの表情は真剣だ。
「頼って欲しいと言っても頼ろうとしない。ベン・ドラコ殿が渡した魔道具も“いざという時のために”保管していて使ってないらしい。体調が落ち着いているからとは言ってるけど、またいつどこで魔力が暴走しかけるか分かったものじゃない」
苦々しくライリーはぼやく。
オースティンは反論しなかった。唇を引き結んだままライリーの顔を注視している。確かにリリアナにはライリーが指摘するような傾向があると、オースティンもまた感じていた。
「――だから、傍に置いておきたいと?」
「うん、そう。本当ならベン・ドラコ殿もサーシャの傍に居て欲しいんだけど、今は忙しいから無理だろう」
ニコラス・バーグソンが死亡した後、魔導省の長官になったベン・ドラコは日々を多忙に過ごしている。魔導省に勤める魔導士や文官が激減したことに加え、未だに不正や禁術研究の証拠探しに奔走しているせいだ。最近は目の下に隈を作っている、という報告すら受けている。
そんなベン・ドラコを、いつ起こるかも分からないリリアナの魔力暴走に備えて魔導省から引き離すわけにもいかない。
「でも、もし彼女の魔力が暴走したら殿下の御身も危険です」
オースティンの忠言は、臣下としては当然のものだった。だがライリーは頷かない。曖昧な笑みを浮かべて無言を貫く。オースティンもまた、言っても無駄だと分かっていた。小さく溜息を吐いて頷いた。
「分かりました。事前にベン・ドラコ殿にも依頼して、馬車と魔道具を用意しておきます」
「有能な友を持っていることに、私は感謝しないといけないね」
ライリーはにっこりと心の底からの笑みを浮かべる。オースティンは呆れたようにライリーを眺めやったが、その目の奥には楽しそうな色が浮かんでいた。









