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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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35. 繋がれた意図 4


ライリーにしては珍しく、呆然として受け取った手紙を凝視した。わずかに掠れた声で、彼はリリアナに尋ねる。


「これは――どうやって手に入れたの?」

「恐れながら、申し上げられませんわ」


にこやかに答えたリリアナを注視していたライリーは、やがて諦めたように溜息を吐く。こういう時、リリアナは決して口を割らない。長年の付き合いで、ライリーはそのことを良く知っていた。しかし責めるようなことはしない。責めたところで意味はないと理解している。


「分かった、訊かない。何となく想像は付くけど――無茶なことはしないでね」


呟くように付け加えられた言葉を聞いても、リリアナはただ笑みを浮かべるだけだ。

ライリーも自分の思い付きを言葉にはしなかった。王太子という立場上、気軽に考えを口にしても良いことはないのだと身に沁みて知っている。

ただ、ケプケ伯爵はショーン・タナーの妹マルヴィナが嫁ぐ予定になっているとは聞いている。リリアナもそれを知っているはずだ。そこから導き出される可能性はそれほど多くない。

傾向は違うが、タナー侯爵だけでなくケプケ伯爵も慎重な性質だと報告を受けている。つまり、その警戒心を抑え込んでもタナー侯爵に書簡を送らねばならないと思う何かがあったということだ。そこにマルヴィナが絡んでいると考えてもおかしくはないだろう。そして、リリアナが書簡を手に入れたということは、その一連の流れにリリアナが関与しているに違いない。


ただ一つ、ライリーは確認せずには居られなかった。


「ただの御機嫌伺いの書簡じゃないというわけだね」


言いながら書簡を眺めると、既に封は空いている。もしこの書簡を根拠にタナー侯爵を追及しようとすれば、封が空いていることを理由に濡れ衣だと反論される可能性があった。しかし、取り出した手紙には一枚一枚にご丁寧にも紋章が刻まれている。その上、どうやら本人の直筆らしい。

ざっと目を通せば、明らかに人身売買に関わっていることが分かる文面だ。


「これだけでは不十分でしょう。それでも、一歩前進したのではないかと思いますわ」

「ああ、私もそう思うよ。この書簡は私たちにとって追い風だ」


最善の方法は人身売買の現場を抑えることだ。そうすればどれほど頭が回る人間でも言い逃れはできない。ただ現場を抑えることは非常に難しい。長年秘密裏に行われて来ただけあって、他人に探られても直ぐには関係者を特定できないよう様々な策が弄されている。更に、人身売買の現場を抑えたところで“人身売買をしていたこと”自体が罪に問えるかと言えば、そうとも限らない。あいにくと、スリベグランディア王国には人身売買を禁じる法はない。寧ろ多くの場所で“北の移民”たちは迫害されて来た。特に言葉が通じないが故に、“北の移民”たちの行動が闇魔術や邪教に基づくものだと勘違いした領主が不当に彼らを処刑することも多々あると聞く。

ショーン・タナーやケプケ伯爵を筆頭とした関係者たちにとっては“北の移民”など売り買いする品物と同じなのだろう。寧ろ“北の移民”たちを守ろうと動いているライリーたちの方が少数派だ。だからこそ、誰も異論を唱えられない理論が必要だった。


とはいえ、結局は人間がしていることだ。詳しく探れば必ずどこかに綻びがある。そして今リリアナが持って来た手紙は、まさしく“綻び”の一つだ。


「この手紙には“北の移民”なんて一言も書いていないからね。我が国の民を隣国に売り飛ばすなど、国を裏切るに等しい行為だ」

「その通りですわね」


リリアナも心得たもので、ライリーの言葉に素直に頷く。

万が一ショーン・タナーが“売ったのは異端者だ”と訴えたとしても、彼がケプケ伯爵と懇意にしている書簡の存在(じじつ)は変わらない。そして“北の移民”たちを“異端者”と判断できる材料もない。

ライリーもまたにっこりと笑みを浮かべて、リリアナの手を握った。


「サーシャ、ありがとう。助かったよ」

「当然のことをしたまでですわ。また新たに情報を得られましたら、ご報告申し上げますわね」

「貴方にそう言って貰えると心強いな。でも無理はしないでくれ。それから危険なことも」


くれぐれも、始める前に私に相談してね――と告げるライリーは真剣だ。リリアナは素直に頷いているが、ライリーは疑わし気な目を隠さない。さすがにリリアナも苦笑して小首を傾げた。


「信用してはいただけないのでしょうか」

「貴方の能力も頼もしく思っているし、信用もしているよ。でも、自分の身を顧みずに一人で何でも決めてしまう性格だとも思っている」

「そうでしょうか」


ライリーの言葉を聞いてもリリアナは半信半疑の様子で不思議そうにしている。自覚がないのも問題だと、ライリーは思わず深い溜息を吐いた。何気なく視線を扉の横に立っているジルドに向ける。ジルドは相変わらず不機嫌な態度だったが、リリアナを見つめる目には呆れが滲んでいた。

どうやらジルドも自分と同じ意見らしいと、ライリーは微苦笑を漏らす。そしてリリアナに告げても埒が明かないと、ライリーはジルドに顔を向けた。


「――リリアナ嬢が何かやらかしそうな時は、全力で止めて欲しい」


しかし、ジルドはあっさりとしたものだった。肩を竦めて“何を抜かしてやがんだ”というような視線をライリーに向ける。


「無理だ」

「そう? それなら、私に連絡してくれないか」

「難しい相談だぜ」


ライリーは呆れたように眉根を寄せる。しかしジルドは平然としたものだった。


「それでもお前は護衛なのか?」

「純粋な力だけなら俺の方が強いけどな、嬢ちゃんは俺よりも(こっち)が良いのさ」


自分の頭を指さし、ジルドはにやりと一癖ある笑みを浮かべてみせた。

つまりジルドが気付いた時には全てが終わっているのだと、恥ずかし気もなく豪胆に言い放つ。そんな護衛を見たライリーは、しかし責める言葉を見つけられなかった。


リリアナは元々頭の回転が速い。更に努力家だからか、常に新しいことを思い付く。同じ事象を見ても、他の人間とリリアナが推察できる内容には大きな差がある。普段であれば頼もしいそんな性質も、緊急時にはリリアナだけが見通せる未来や事実が存在する、という事態になる。

そしてその未来や事実は、リリアナが説明したり実際に見せたりしない限り、他の誰も気が付かない。長く共に居て良く会話をしているせいか、ライリーはある程度リリアナの思考回路を読めるようになって来た。それでも予想外のことを言われることは数知れない。傍で聞いているオースティンに至っては、時折呆れ顔で“頓珍漢なこと言ってるのかと思ったけど、最後まで聞くと辻褄が合ってるな”と感想を述べるほどだった。

確かにそんなリリアナを相手に、彼女がするだろうことを見越して手を打つなどできないだろう。直前で悟れたとしても、リリアナであれば引き留めようとする手も難なく潜り抜けていく気がする。


リリアナの行動を予測できる人物は――今は亡きエアルドレッド公爵家前当主ベルナルドくらいだろうか、と考えたところで、ライリーは顔を顰めた。


「――――分かる気がするな」

「まあ」


溜息混じりに頭を抱えたライリーを見て、リリアナは眉を下げる。その表情は雄弁に“心外だ”と告げていたが、ライリーは苦く首を振ることしかできなかった。



*****



リリアナは、ライリーと別れて王宮の廊下を歩いていた。後ろをジルドが付いてきているが、二人とも無言だ。執務室から離れ、文官たちが執務をする棟が窓の外に見えるほどの場所まで来た時、リリアナは歩調を緩めた。


「――あら」


前から侍従に先導され緊張した様子で歩いているのはネイビー男爵だ。リリアナは目を瞬かせたが、挨拶はしない。立場は三大公爵家令嬢であり王太子の婚約者であるリリアナの方が遥かに上だ。

ネイビー男爵はリリアナのことを覚えていたらしく、侍従とほぼ同時にリリアナを認識すると飛び上がらんばかりに驚いた。それほど質の良くない服の裾をくしゃくしゃに握り、壁に引っ付くほど隅に寄る。しかし王宮内部は廊下の壁と言えども豪奢だ。一面に絵画が施され、一部にはタペストリーが掛けられている。一定間隔で神々の像や舶来品が飾られているし、その全てが一介の男爵領では何年掛かっても購入できないほど高額なものだ。それが分かっているからか、男爵は極力壁際に寄りながらも、体が一切壁に触れないよう緊張していた。


侍従と男爵が頭を下げるのを眺め、リリアナは苦笑混じりにネイビー男爵に近づく。まさかリリアナが自ら寄って来るとは思っていなかったらしく、侍従は目を丸くし、男爵はギョッと顔を引き攣らせた。


「ネイビー男爵でいらっしゃいますわね」

「あ、え、ええ? ええ、そうで、いや、左様です」


男爵はあまりにも驚きすぎて言葉が上手く出て来ないらしい。暑い季節ではないというのに、彼は額から汗をだらだらと零している。

本音を言えば、リリアナはネイビー男爵に声を掛けるつもりはなかった。前世の記憶にある乙女ゲームの中でも、リリアナはヒロインの父親とは接点がない。実際に、ライリーとオースティン、そしてクライドがエミリアとの仲を深める切っ掛けとなった視察にリリアナは同行していなかった。

しかし、現実ではそうも言っていられなかった。


「殿下との御面会にいらしたのかしら?」

「は、はは、左様で――」


さすがに見苦しいと思ったのか、男爵は服の袖で額の汗を拭う。それを横目で見た侍従が不快そうに眉根を寄せたが、高貴な身分の麗しい令嬢を前にした男爵は全く気が付いていない。失礼がないように言葉と態度に気を配るだけで精一杯の様子だ。

リリアナはにっこりと更に笑みを深めた。


「生憎、わたくしは同席できませんが――またお目にかかる時が来ると思います。その時は色々とお話をお聞かせくださいな」

「――――――勿体ないお言葉です……?」


男爵は驚きすぎて目を真ん丸にしている。リリアナは“目が零れ落ちそうだ”と客観的にその様子を眺めながら、再度「宜しくお願いしますわね」と告げてその場を立ち去る。呆然とした男爵の視線を背中に感じながら無言で廊下を歩いていたが、廊下の角を曲がったところで少し距離を詰めたジルドが口を開いた。その声は酷く小さく、リリアナが辛うじて聞き取れる程度の音量だ。


「本当に、ネイビー男爵領に王太子と一緒に行くのか?」

「お断りする理由もございませんでしょう?」


元々は、クライドが黒死病に関する情報を得るため単身向かう予定だった。だが黒死病は伝染病だ。クラーク公爵領で起こった疫病が他の地域でも起こらないとは限らない。

そのため、クライドの視察にライリーも同行することとなった。当然、そうなるとライリーの近衛騎士になったオースティンも随行する。ここまでは乙女ゲームと同じ展開だ。しかし、現実はゲームとは少し違う様相を見せた。


『サーシャも良かったら一緒に視察に行かないか?』


ケプケ伯爵からタナー侯爵に宛てられた手紙について話をした後、少ししてからライリーが話を切り出した。リリアナは何の話をしているのか咄嗟には分からなかった。首を傾げていると、ライリーは黒死病の視察にクライドが行くことになったから、同行しようと話をしているのだと教えてくれた。


(それに、わたくしが行くことで何か変化が訪れるかもしれませんもの)


その変化が良いものか悪いものかは分からない。いずれにせよ、リリアナにとっては悪い話ではなかった。

何よりも、姿を隠して転移せずとも、間近でエミリアと攻略対象者たちの関係性がどのように変化していくのか確認することができる。それは大きな利点だ。


「――俺も一緒だよな」

「貴方とオルガにも付いて来ていただくことになりますわね」


王家の護衛や騎士団から人を借りるつもりはない。彼らの優先順位は王太子(ライリー)であってリリアナではない。リリアナには、彼女を優先的に護ってくれる者が必要だ。何より、ジルドやオルガ以上に腕の立つ騎士をリリアナは知らない。そして信頼できる相手がほとんど居ないリリアナにとって、慣れた人間以外に自身の安全を託す気にもなれなかった。


「いけ好かねェ貴族の坊ちゃんたちと行動すんのは面倒だが――仕方がねえか」


嫌々ながらもジルドは諦めの溜息を吐く。

元々が傭兵なのだから、本気で嫌ならばリリアナの元を去れば良いだけだ。リリアナは止めもしないし、追いもしない。ジルドの人生は彼だけのものなのだから、好きにすれば良いと思っている。しかし、それを知りながらもジルドは決してリリアナに契約を終了したいとは言わなかった。毎度、契約期間の終了が近づく度に短く“日付だけ延ばしといてくれ”と告げるだけ。

そして今も、ジルドはあっさりとリリアナに同行する道を選んでくれた。そのことに、リリアナは知らず頬が綻んでいた。



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