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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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35. 繋がれた意図 2


目が覚めたリリアナは、普段と変わらない態度を心掛けた。そのお陰か、マリアンヌにも訝しまれた様子はない。だが、内心は落ち着かない気分だった。

脳裏では昨夜、小屋で発見した手記の内容を何度も思い返している。考えれば考えるほど、何かが分かるのではないかという気持ちが抑えきれなかった。


「――でも、情報が足りませんわ」


魂に掛けられた術であれば解析すること自体難しいが、ベン・ドラコやペトラ・ミューリュライネンに協力を依頼することも不可能ではない。一人で悩むよりその道の第一人者に頼った方が早道だろう。解析が上手くいけば、リリアナが心に抱いている多くの疑問もたちどころに解決できる可能性はある。だが、リリアナは他に頼る気にはなれなかった。

あまり自分のことを曝け出したいとは思えないし、何よりも事が事だ。あの小屋や研究内容について知る者は居ない方が良い。

しかし研究のことを記した手記だけでは、研究者が一体誰を“主”と仰いでいたのかも分からない。“主”の正体が分かれば多少なりとも魔力量が莫大な人間を作ろうとした理由も把握できるだろう。いずれにせよ碌でもない理由には違いないが、その被害がどの程度なのかも問題だ。


「わたくし一人だけでしたら宜しいのですけれど――もし王国に影響、が……」


まさか、とリリアナは目を見開く。震える手を組み合わせ、必死に落ち着こうとする。

このような状態に陥ったこと自体初めてだった。何歳の時であろうと感情に飲み込まれることはなく、冷静に物事を考えることが出来ていたというのに――これが恐怖というものなのだろうかと、頭のどこか冷静な部分で思った。


「もしかして、」


思い至った一つの推測はあまりにも荒唐無稽だった。しかし思い付いてしまったせいか、それが正解のような気がしてならない。


リリアナの頭に浮かんだのは、前世の記憶にある乙女ゲームだった。ゲームはあくまでもヒロイン視点で進んでいたため、その裏にある様々な事柄は描写が省かれているのではないか。

何よりもヒロインであるエミリア・ネイビーは男爵家の令嬢だ。たとえ王太子(ライリー)ルートに進んでも、ゲームのエンディングでは結婚に至らない。ただ恋人となり将来を約束する場面(シーン)が描かれるだけだ。つまり、国家機密に値する情報を知ることはない。

ゲームの都合上、恐らく国家機密だろうと思われることに触れてはいた。だが、その中核には全く関わっていない。それでも問題は一切なかった。ゲームの物語はヒロインと攻略対象者たちの恋愛が主軸であって、サスペンスではないのだから――主人公たちの恋愛に不必要な情報は描写されないし、設定資料集や攻略本にも描かれることはない。物語で描かれている事件や出来事の裏側にどれほど大きな陰謀があったとしても、プレイヤーであるリリアナには知る由もないのだ。


しかし、それでもリリアナは疑問に思ったことがあった。

何故ゲームのリリアナは風魔術を得意としていたはずなのに、闇魔術を駆使できていたのか。正確に言えば使っていたのは黒魔術だろうが、黒魔術と一番親和性が高い魔術の属性は闇だ。

現実とは違い、ゲームのリリアナはペトラ・ミューリュライネンやベン・ドラコとの接点はない。あったかもしれないが、ゲーム本編にも設定資料集にも記載されていなかったため、リリアナに影響を与えたとは考え辛かった。


「わたくしは――」


信じたくない可能性を、それでも検討しなければならない。

唇を噛みしめたリリアナは、身に馴染んだ気配を感じて顔を上げる。窓に視線を向けると、そこにはオブシディアンが居た。わずかに目を瞠ったリリアナを見て、オブシディアンは小さく首を傾げる。許可も得ずに室内に入ると、オブシディアンは気楽な調子で「よお」と口を開いた。


「久しぶりだな、お嬢」

「――そんなに久しぶりではございませんでしょう」


一瞬瞠目したが、リリアナはすぐに笑みを浮かべた。しかしその表情がぎこちない自覚はある。案の定、オブシディアンは訝し気に眉根を寄せた。


「何かあったのか?」

「いいえ、取り立ててなにも。貴方は如何なさいましたの?」


リリアナは直ぐに普段の調子を取り戻す。平然と答えたが、オブシディアンは納得した様子がなかった。探るような視線をリリアナに向けている。その目を堂々と見返してやれば、オブシディアンはやがて諦めた様子だった。小さく溜息を吐くと頭を掻く。

窓際から離れると、無言でソファーに腰掛ける。それもいつものことだとリリアナは気にしない。オブシディアンに合わせるように、リリアナは対面に座った。

オブシディアンは懐から一通の手紙を取り出し、テーブルの上に放るようにして置く。首を傾げるリリアナに、その手紙の出所を告げた。


「ケプケ伯爵からタナー侯爵に宛てた手紙だ」

「まあ」


目を瞬かせたリリアナは一言だけ呟くと、卓上に置かれた封書を手に取った。

ケプケ伯爵はマルヴィナ・タナーの嫁ぎ先だ。ユナティアン皇国の西方に位置する領地を治めていて、商魂逞しく様々な商売に手を出していると聞く。伯爵でありながらも、富んだ領地を封ずる彼の実質的な権力は皇国の高位貴族に及ぶと囁く者さえいる。さすがにそれは言いすぎだろうが、確かに昨今のケプケ伯爵家はそれほどの勢いがあった。


「よく持って来られましたわね」


感心したようにリリアナが漏らせば、オブシディアンは何を思い出したか、楽し気な笑みを零した。


「あの甘ったれたお嬢ちゃんが働いてくれたぜ」

「――マルヴィナ嬢が?」

「ああ」


あまりにも意外で目を僅かに丸くしたリリアナに、オブシディアンは頷く。

オブシディアンがマルヴィナに近づいたのはリリアナの指示だ。彼女の兄であるショーン・タナーが人身売買に関わっていることは間違いがないが、証拠がない。オブシディアンが盗み聞いた会話だけでショーンを捕えられないことは分かり切っている。そもそも、リリアナはオブシディアンの存在を他人に話すつもりは毛頭なかった。それはオブシディアンも同様だ。普通、王家や高位貴族の一部が使っている間諜、刺客といった類の人間は表に姿を見せることなどあり得ない。


しかし、そうは言ってもショーン・タナーは慎重な男だった。屋敷に忍び込んで探っても、人身売買に関わっている証拠は一切出て来ない。それどころか、隣国の領主たちと関係している証拠となる書簡の類も必要最小限しか残っていなかった。

これではショーンを捕えることもできない。そこでリリアナが目を付けたのが、ショーンの妹であるマルヴィナだった。マルヴィナはショーンほど小賢しくはない。彼女が興味を持っているのは贅沢ばかりで、政治的な駆け引きや思惑といったものは理解の範疇外だ。そしてショーンもマルヴィナのことは完全には御しきれていない。そもそもショーン自身がマルヴィナを心の底では侮っているのだから、どれほど行動を制限しようと思っても必ず隙はできる。そして不審がられずに屋敷内を自由に行き来できる存在――と考えれば、上手く使わない手はないだろう。


「『王太子妃の座(あなたの地位)を取り戻すためにご助力を』、つったら喜々としてケプケ伯爵の執務室に忍び込んでくれたぜ。執事が受け取った手紙の束の中から抜き取って来たらしい」


そしてケプケ伯爵はショーン・タナーと同じ穴の狢で、女子供と見ると途端に侮る。更に、まだマルヴィナの本性を見抜いていない。そのため、タナー侯爵家に居る時よりもマルヴィナは自由に全ての部屋を出入りできるようだ。


「それも、あのお嬢ちゃんからケプケ伯爵に手紙を書くように言ったんだと」

「マルヴィナ嬢から?」

「そう。『お兄様は最近他の貴族とも懇意になさっているようですわ、きっと私が嫁ぐことが決まったから貴方が裏切ることはないとお考えなのね』って言ったらしい。多少知恵は付けたが、まさかここまで上手くやるとは思わなかったよ」


オブシディアンの言葉を聞いたリリアナは僅かに苦笑を漏らす。どうやらオブシディアンは気位の高いマルヴィナを上手く動かしたらしい。マルヴィナ本人も、自分がオブシディアンの掌の上だとは気が付いていないに違いない。

いずれにせよ、多少の時間は必要だったが、リリアナが期待した以上に事は上手く運んでいるようだった。


マルヴィナの言葉にケプケ伯爵は焦ったのだろう。無言で封書から取り出した手紙にざっと目を通せば、オブシディアンの言葉を裏付けるような文言が書き連ねてあった。

曰く、他の貴族よりもケプケ伯爵の方がタナー侯爵家に便宜を図れること、そもそも“奴隷売買”に関してはケプケ伯爵に一日の長があり、もしタナー侯爵家が他家と手を結ぶのであれば伯爵家が持つ経験を他の貴族に共有する用意があること――早い話が、他の貴族に鞍替えするのであればお前の家を没落させる用意は整っているぞ、という強迫だ。


「だいぶ焦っていらっしゃるご様子ですわね」

「ケプケ伯爵が今の権力を維持できるようになったのも、人身売買が軌道に乗ったからみたいだしな」

「もっと堅実で安定した商売をなされば宜しいのに」


全く仕方のない、と言ってリリアナは手紙を封筒に戻す。そしてオブシディアンに目をやると、穏やかに尋ねた。


「この書簡は、わたくしが処理してもよろしくて?」

「ああ、そのつもりで持って帰って来たんだしな」

「助かりますわ」


入手元を教える気は更々ないが、オブシディアンが持ち帰った書簡はリリアナの手を離れライリーの元に届く。そうすれば間違いなくタナー侯爵を糾弾する材料になるだろう。特に書簡の差出人が隣国の有力貴族という点も重要だ。上手く事を進めることが出来れば、ショーン・タナーは隣国と密通した疑いを掛けられ国賊として処断される。

“北の移民”の内、特に戦闘能力が高い者――つまり“アルヴァルディの子孫”はスリベグランディア王国にとっても貴重な戦力だ。隣国に連れ去られ従軍することになれば、スリベグランディア王国の脅威になり得る。


「それから、もう一つ報告がある」

「報告?」


一体なにかしら、とリリアナは小首を傾げてみせる。オブシディアンは「証拠とか、そういうんじゃないんだけどな」と前置きをした上で“かつての仕事仲間”が捕えた傭兵のことを口にした。

目を瞬かせてオブシディアンの話を聞いていたリリアナは、わずかに目を伏せて考えていたがおもむろに顔を上げる。


「つまり“北の移民”は傭兵たちを雇って王国から皇国に運ばれていたということですのね。依頼主は北部領主の一人――ということ?」

「そういうことになる。勿論、その北部領主が黒幕ってことはねえだろうな。黒幕が誰なのか知られねえように、あくまで名義だけ借りてるんだろう」


黒幕はタナー侯爵ショーンとケプケ伯爵――ということではないはずだ。現状はまだ二人が主要人物であると思えるような情報しか掴めていないが、問題はタナー侯爵が人身売買に手を染める前から“北の移民”は誘拐され皇国に売り飛ばされていた、という点だった。そしてケプケ伯爵領をオブシディアンが探っても、捕らえられた“北の移民”たちが生活している気配はない。


「ケプケ伯爵領から、またどこかに連れて行かれてるんだろうけど――それが掴めねえんだよな」


オブシディアンも苦い表情だ。しかしリリアナは責めなかった。ゆるゆると首を振って微笑んだ。


「そこまで調査するのも大変でしょう。急ぐ必要はありませんわ」

「調べなくて良いとは言わねえんだな」


思わず苦笑したオブシディアンに、リリアナは心外そうな表情を作ってみせた。


「当然でしょう、どのみちこの件は解明すべきことですわ」


単なる奴隷商売だろう、と考える者もいるかもしれない。だが、それはあり得ないとリリアナは確信していた。何故なら、狙われている“北の移民”の中には、一般的な奴隷商売で求められている女性がいないからだ。勿論奴隷の中には力仕事が出来る男も含まれているが、女を含めないという訳ではない。寧ろ女も男とは違う意味で重宝されている。

オブシディアンもそれは分かっているのだろう。きらりと目を光らせて瞬いた。


「下手すりゃ、皇国が王国に攻めて来るって?」

「既に攻め入られていますわよ」

「ケニス辺境伯領か」

「ええ」


悪戯っぽく告げたオブシディアンに、リリアナは平然と頷いた。ケニス辺境伯領を襲った隣国領主の軍勢には“アルヴァルディの子孫”も居た。オブシディアンは恐らくそこまで把握していないのだろうが、リリアナはその事実と人身売買の間に何らかの繋がりがあるのではないかと踏んでいる。


「隣国の組織的な陰謀でしたら厄介ですから、くれぐれも見落としのないようにして頂けるかしら」


リリアナの依頼に偽装した命令に、オブシディアンは肩を竦める。呆れ顔だが心底嫌がってはいないらしい。そしてオブシディアンは、芝居っ気たっぷりに立ち上がると優雅な一礼を披露した。


「お姫さまのご命令通りに致しましょう」


まさかそんな態度を取るとは思わず、リリアナは僅かに目を細める。そして、彼女は冷たさの滲む声で言い放った。


「貴方、従者の役はお似合いではないわね」

「まじで? あの甘ったれたお嬢ちゃんには受けが良かったんだけどなあ」


オブシディアンは矜持を傷つけられたとでも言いたげな表情でぼやく。しかし、リリアナは首を振った。何も言わなかったが、それはマルヴィナの見る目がないからだと思っていることはオブシディアンにもしっかりと伝わったようだった。



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