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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
239/563

34. 身に刻まれた呪い 6


気が付けば、リリアナは黒い手帳をじっくりと読んでいた。手帳には非常な小さな文字で、時には図や表を用いて詳細に研究目的や経過、結果、考察が記載されている。しかし、その内容は一貫して人の魔力量をいかに増幅させるか、ということを目的にしていた。


『肉体と魂の両方を最適な形に成す必要を認むる。肉体に関しては交配を通じ過大魔力に耐え得る被験体作製が必須であるが、魂に関しては質の調整が難しく量で補う必要性を感ずる。いずれにせよ、被験体となる人間の供給には非常に困難を伴っており、流通経路を確保することが今後の最大の課題である』


手帳も終盤に差し掛かったところで、リリアナはページを捲る手を止めた。そこには、手帳の持ち主がこれまでの研究を振り返った上での考察を纏めていた。


『第一に肉体作製につき私見を述べる。本課題に関し、魔力に不感応な素質と強靭な肉体を持つ者と魔力量の多い者との交配が望ましい。先立って述べた事例にも示した通り、一部の“北の移民”と魔力量の多い者の間に生まれた子は八割程度の確率で魔力量が膨大であることが確認された。ただし、その殆どは生後まもなく死亡している。最長での生存期間は六年だが、四年七ヶ月を経過したところで人格に異常な変容が見られた。これは肉体が過大魔力に耐えられても精神が耐えられなかった証左であろう』


人格に見られた異常な変容――それは“狂暴化”だった。幼い子供は当初こそ優しく穏やかな性質だったが、四歳を過ぎたあたりから物に当たることが多くなった。やがて身の回りの人を殴ったり蹴ったり、挙句の果てには嚙みついて大怪我をさせたこともある。結局その子供は六歳になった頃、鬱状態で自らの手で短い人生を終わらせた。

家族も本人も悲痛だっただろうが、今リリアナが手にしている手帳では子供の観察記録以外のことは分からない。ただ、その子供は不義の子供であり――そして不義に至る切っ掛けを、研究のために手帳の持ち主が作り出したことは確かだった。


――その子供と両親は、幸福だったのだろうか。


決してそうは思えないと、リリアナは眉根を寄せた。

この国は一夫一妻制が徹底されている。一神教ではないにも関わらず、その決まりは厳格だった。スリベグランディア王国で最も広く信奉されている宗教はそこまで厳格ではないが、一部には離婚を禁じる宗派も存在している。その流れは有史より大きく変わってはいない。

王侯貴族であれば妾を囲うことは許されているし、平民でも不倫を楽しむ者はいる。しかし、大半の者は自身の伴侶が他の人間と密通したと知れば悋気に駆られ、相手を糾弾するものだ。そしてこの世界に存在している“共同体”は酷く狭い。その共同体から爪弾きにされてしまえば、生きていくことも難しい。

そのような文化的背景を考えると、不義により出来た子が幸せだったとは考え辛い。


「理論的に考察しているつもりでしょうけれど、環境要因を完全に無視している点で信憑性は低いですわね」


自覚のないまま、リリアナは僅かに苛立った口調で呟く。

四歳から六歳といえば多感な時期だ。周囲の様子にも大きく影響されるだろう。推察でしかないが、もしその子供が“親の不義によって生まれた”と口さがない噂話を聞いたり、憐れみや侮蔑の視線を向けられていたのであれば――そして、親が罵られるのを見ていたのであれば。小さな体では昇華しきれない鬱憤や悲哀を周囲にぶつけた可能性もあるだろう。


リリアナは細く長い息を吐いた。

気になるのはそれだけではない。もう一つ、リリアナの目は引っかかる文言を捕えていた。


「まさか――ここで名前を見ることになるとは思っていませんでしたわ」


そしてその細い指先で“北の移民”と書かれた場所をなぞる。ほぼ間違いなく、ここに書かれている“北の移民”とは“アルヴァルディの子孫”のことに違いない。

つまり、この手帳の持ち主は“アルヴァルディの子孫”と魔力量の多い者から生まれた子供を実験台にしたということだ。実際に“アルヴァルディの子孫”を認識していたのかは定かではないが、強靭な肉体を持つ北の移民を探せばその殆どは“アルヴァルディの子孫”だろう。


しかし今は一つの考えに没頭するわけにもいかない。既に当初予定していた以上の時間が経過している。リリアナは一旦続きを読むことにした。


『第二に魂についての私見を述べる。魂に関しては肉体ほど研究が進んでいない。しかしながら魂の変質を人為的に促すことは現時点で不可能であり、よって東方にて行われていた巫術(シャーマニズム)を参考とし、()()()()()()()()()()()宿()()()()()()()光明を見た』


リリアナは息を飲む。そしてその文言を目にした時、手帳を持つ手が震えた。


『既存の肉体に魂を定着させる場合、生体の魂を肉体から分離させること自体多大な困難を伴う。魂は肉体に癒着しており、肉体から引き離した場合、肉体と魂の双方に大きな傷が残ることとなり、一部の例外を除いて、いずれもその後何の用途にも資することはできないと確認できた』


生きた人間から無理矢理魂を抜き取る実験は悉く失敗した、と研究者は書いている。その術中も、被験者はあまりの苦痛と恐怖に泣き叫び赦しを乞うていたようだ。

その時の様子も、研究者は克明に書き記していた。

しかし、この研究者は研究と称して実験“材料”にした人間を、被験“者”ではなく被験“体”と一貫して書いている。彼か彼女か分からないが、その研究者にとっては実験のために連れて来た人間は全て、単なる実験対象でしかなかったのだろう。


『死者から分離した魂を複数肉体に定着させる研究は成功を見たが、人格が分裂し日常生活に支障を来す上に精神を病むことが判明した』


当然だとリリアナは眉根を寄せる。何しろ、一つの体を複数の魂――即ち、人格が取り合うのだ。

前世では一般に広く知られていた多重人格という文字が脳裏に過る。しかし、手帳に記載されている事例を見れば多重人格とは似て非なるものだと分かる。多重人格では表に出ている人格は一つだけであることが多い。他の人格は別人格が表に出ている間は意識を失うか、後ろから隠れ見ている状態だと読んだ記憶がある。

しかし、複数の魂を一つの肉体に定着させた場合は些か状況が違うようだった。複数の人格が一つの肉体を取り合うようになる報告が相次いだ。もしくは中心となる人格――もしくは持って生まれた本来の人格というべきか――が混乱し、最終的には錯乱したという報告が同程度存在している。


『また、複数の魂を一つの肉体に定着させた場合、必ずしも過大魔力に耐え得るわけではない』


手帳の主は淡々と事実のみを書いている。それが一層、研究者の異質さを浮き彫りにしているようでリリアナは眉根を寄せた。言いようのない感情が腹の底に渦巻いているのを感じる。それを無視してリリアナは更に先を読んだ。


『魂には許容量が存在し、過大魔力を制御するに十分な容量を確保する必要がある。そのために被験体に定着させる魂に残存させる情報と排除する情報の選別が重要であり、被験体の錯乱や自傷といった不都合を避けるためにも記憶と感情の削除が最適解であるとの結論に至るところである。ただし、現段階では記憶と感情の削除は困難であり、出生前に魂水準(レベル)での記憶制御および感情制御の術を施すことにより諸問題の解決に繋がると推察する』


そこまで読んだリリアナは、強く目を瞑った。

その先を読みたくない、という気持ちがせり上がる。既にリリアナの中には一つの仮説が組み立てられていた。そして最後までこの手帳を読めば、自分の推測が肯定されるのではないかと思うと、今すぐに手帳を閉じて燃やしたくなる。

しかしここで留まるという選択肢はなかった。


ずっと、疑問だった。亡父が一体何を企んでいたのかも謎だったが、同時に自分自身にも不可解な点がいくつかあった。長年その謎を心の内に抱えながら、器用にも見ない振りをして過ごして来た。


なぜ、前世の記憶があるのか。

何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


それが全て、今リリアナが見つけた手帳に書いてあった実験が成功したからなのであれば納得ができる。リリアナの中には、本来であれば存在するはずのない死者の魂が複数、入っているのだろう。

前世だと信じていた記憶も、乙女ゲームにはなかったはずの場面を夢に見るのも――全ては、異なる魂が体に存在しているから。そして恐らくその術は成功し、リリアナは膨大な魔力を持つに至った。


「それなら――わたくしの、本当の魂はどこに――」


あるのかと、口にはできなかった。ぞくりとリリアナは体を震わせる。それが恐怖故のものだと、もうリリアナは理解していた。


「いえ、わたくしが持っているはずよ」


己に言い聞かせるような声は、しかし小さく震えていた。

自分には感情がないと理解した時も、どこか諦めきれない気持ちがあった。その“諦めきれない気持ち”というのが、一体何に由来するものなのか――それは、リリアナが“ない”と断じた“感情”そのものではないのか。ただ、その感情がリリアナ自身のものなのか、それとも禁術によって植え付けられた魂のものなのか、もはや区別はつかない。

元々リリアナにとって遠い存在だった“感情”が、今ここではっきりと眼前に突き付けられていた。


――ずっと“感情”には距離を置いて来た。

前世の記憶があったからではない。身の破滅を避けるために感情を押し殺さなければと考えていたわけでもない。無意識のうちに、リリアナは“感情”を触れてはならないものだと信じていた。自分の内側にある()()に触れることも触れられることも、本能が恐れていた。他人に優しくされることも手を差し伸べられることも、リリアナには決して近寄らせてはならないものだった。


記憶を辿れば、感情が昂りかけた時には眩暈や頭痛、胸痛を覚えたり、意識を失っていたように思う。

それは、魂に掛けられた感情制御の術がリリアナの情動を()()()()()()()()()()()()()()()()()()


呪術も魔術も、その大半が時間の経過と共に効力が弱まっていく。術者が死亡していれば尚更だ。魔術であればほぼ全てが、術者の死亡と共に効力を失う。

たとえ魂に掛けられた術であろうと、その基本は変わらない。どれほど強固に掛けていようと、リリアナの生きて来た十三年という月日は魔術や呪術を弱体化させるに十分な時間だ。


深呼吸を繰り返して、リリアナは目を開ける。緊張を携えた面差しで、彼女は最後のページを開く。そこには考察を締めくくる言葉が書かれていた。


『今後の研究課題として以下の内容を検討する。即ち“北の移民”の血を引く者と魔力量の多い者の交配により子を成し、胎内の時より複数の魂を定着させ、記憶および感情の抑圧術を施す。その後、魔力の制御が安定したとみられる頃に更に外部より魔力を注入し、過大魔力に耐え、かつ自由自在に制御および魔術行使可能な被験体を作製する。もし私の仮説が正しいと証明されるのであれば、本被験体は人を遥かに超越し、過去存在したと言われる精霊と同等の魔力を有するようになるであろう』


そして、最後に書かれた被験体を作るために必要な“両親候補者”に挙げられた名前。それを見たリリアナは、固く拳を握った。


『第一候補者――エイブラム・クラークならびにベリンダ・エッバ・サムズ。エイブラム・クラークは代々魔力量が多く、また、サムズ伯爵家は“北”の血を引くとの調査結果がある』


やはり、と、どこか諦めに似た感情を持て余しながらリリアナは肩から力を抜いた。気が付かない内に緊張していたらしい。

溜息を吐いて、手帳を元の場所に戻す。


この手帳の持ち主たちの研究成果――それが自分(リリアナ)だという事実は、あまりにも衝撃的だった。だが、その事実を受け止めた冷静な部分は妙に納得している。


元々の魔力量が多いことも、感情がないと思い込んでいた理由も――そして、前世の記憶があることも。

恐らく最近さらに魔力が増え始めた理由も、この手帳の持ち主が行った実験に関係しているのだろう。詳細は分からないが、現在この場に残されている手帳に書かれた研究番号が“其の三”となっているから、少なくとも他に二つ分の研究記録があるはずだ。


自分の出生の謎が明らかになった衝撃から立ち直ると、腹の底からどろどろと熱い何かが沸き起こって来る。深呼吸を繰り返してもその感覚は収まらない。それどころか、徐々に体中へと伝播していく。その一方で、リリアナの頭は白く冷めていた。


――これが怒りというものなのだろうかと他人事のように考えながら、リリアナは椅子から立ち上がった。そしてゆっくりと隠し部屋を歩いて外に出る。扉口で振り返れば、膨大な書物が視界一杯に広がっていた。

初めてこの部屋を見た時に感じた高揚は、もう存在していない。寧ろこの部屋自体が悪しき場所のように思えてならなかった。しかし、今この場でこの小屋を消滅させたら後々確認したいことが出来た時に困るだろう。

リリアナは溜息を堪えて扉を閉め、元通り術を掛け直す。一度解術した呪術陣を再度掛け直すことなど普通はできない。しかし、リリアナには容易かった。


この魔力(ちから)さえも、何者か分からない手帳の主が重ねた禁術の研究成果だと思うと、やりきれない気持ちになる。その研究が数多くの犠牲の上に成り立っているのだと思えば、沸々とした怒りさえ覚えてしまう。


この隠し部屋を中心に行われていた研究こそが、神をも恐れぬ所業だ。否、恐らくこの研究者と研究者の言う“魂の主”は己こそが神だと信じていたに違いない。己だけでなく、他人の人生も世界のことも全てが己の思うままに動くと信じている。

命も、心も、そして感情さえも――ただ一人の人間に属する、他人が害する権利などありはしないのに、その全てを我欲の赴くまま玩具のように弄んでいる。


「身の程知らずも甚だしいこと」


一切の感情を瞳から消したリリアナの唇から漏れた呟きは、冷酷なほど冴え冴えとしていた。



9-8

18-5

21-9






禁術[=不正行為=チート(Cheat)]により得られた、前世の知識と魔力

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