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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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34. 身に刻まれた呪い 3


烏に教えられた通り、テンレックはしばらく進んだ場所の森に身を潜めていた。オブシディアンが姿を見せてやれば、ゆっくりと手綱を引いて馬と共に出て来る。テンレックはオブシディアンを見ると、わずかに安堵した様子で「やっぱりお前だったか」と言った。


「久しぶりだな。こんなところで何してんだよ、あんた」

「それはこっちの台詞だ。最近めっきり噂を聞かないが、お前どこで何やってんだ?」


テンレックは探るような視線をオブシディアンに向ける。オブシディアンは呆れたようにテンレックを見やった。


「知ってるんじゃないのかよ」


テンレックは裏社会でも有名な情報屋だ。彼が知らないはずはないと思って言えば、テンレックは首を竦めた。


「さあな、俺が知ってるのはお前が年端もいかねえ貴族のガキに良いように使われてるって話だ」

「へえ」


オブシディアンはわざとらしく目を瞬かせる。珍しく胸に不快感が沸き起こって来る。どうやら嫌な気分になったらしいと自覚した瞬間、オブシディアンは無意識ににやりと笑みを浮かべた。しかし目は全く笑っておらず、冷え冷えとした残酷な光を浮かべている。テンレックがびくりと肩を震わせたのを眺めると、目を眇めて尋ねた。


「誰がそんなこと言ったんだ?」


テンレックは怯んでいた。オブシディアンの纏う雰囲気は明らかに普通ではない。下手なことを口にすれば、その瞬間自分の首と胴が離れることになるだろう。冷や汗が流れたが、ここで情報元を口にすればそれこそ情報屋の名折れだ。

喉に絡んだ声で、テンレックはどうにか言葉を絞り出した。


「――誰から聞いたかなんざ、言えるわけねえだろ。安心しろ、噂にはなっちゃいねえよ」

「なってたら全員、今頃息してねえだろうな」


物騒に笑うオブシディアンだが、つい今し方彼が放った殺気は綺麗さっぱり消え去っている。そのことにほっとしたテンレックは、体から力を抜いた。

そして直ぐにオブシディアンは雰囲気をがらりと変える。普段通りの飄々とした空気を纏い、彼は話題を変えた。


「さっきあんたを追ってた傭兵たち、一体何があったんだ?」

「ああ――あいつらか」


途端にテンレックは苦い顔になる。誤魔化すように頭を掻いていたが、やがて諦めたように嘆息した。

はぐらかそうにも、オブシディアンがテンレックの命を助けたのは間違いない。オブシディアンが無言で圧力をかけるようにテンレックを凝視すると、テンレックは渋々と口を開いた。


「――話せば長くなる。だがその前に、一旦奴らの積み荷を確認したい」

「積み荷? 分かった」


良いぜ、とオブシディアンは頷く。オブシディアンは、テンレックが人身売買組織を追っていると知っている。だが、テンレックはオブシディアンが知っているとは認識していない。

傭兵たちの積み荷が本当に人間なら、彼らの身柄を確保した上で詳らかにしなければならないと考えているのだろう。だが、テンレックはどこまでオブシディアンに告げて良いのか悩んでいるはずだ。


――テンレックにとって俺は裏稼業の、それも暗殺者だからな。


歩き出したテンレックの後を追って足を動かしながら、オブシディアンは心の中で呟く。

テンレックにとってオブシディアンは良い仕事仲間だが、裏社会で生き抜く彼にとって“同業者”とは“手を汚すことに躊躇いのない連中”という意味だ。テンレックは他人に頼らず自ら動くほど人身売買を重要視している。それもテンレックは商売ではなく私情で動いている節がある。同業者を関わらせたいと思う道理はない。


そうは言っても、オブシディアンもテンレックが探っている人身売買を調査している。表向きはジルドが色々と調べているものの、リリアナの命令を受けたオブシディアンはジルドが対応できない分野を担当していた。

つまり、テンレックとオブシディアンの目的は同じはずだ。ただ、それを知っているのはオブシディアンだけだ。そしてオブシディアンも簡単に事情を打ち明けるつもりはない。

つい先ほどまで味方だった相手が敵となることもあれば、再び味方に戻ることもある。それが裏社会の人間関係だ。そして、それを互いに不満に思うこともなければ不快に感じることもない。勿論例外は居るものの、オブシディアンとテンレックは割り切った間柄だった。


「――全員転がして来たのか」


少し戻ったところで、テンレックは足を止めた。二人の足元には雑多に縛られた男たちが転がされている。数人は意識が戻ったらしく、体中に感じているだろう痛みに呻いていた。それなりの速度で走っていた馬から落とされたのだから当然だろう。死なないように術を使ったとはいえ、痛くないように気遣ってやるつもりは、オブシディアンには毛頭なかった。


「逃がすわけにもいかねえだろ」


呆れたようなテンレックの声音に、オブシディアンは肩を竦めてあっさりと答える。テンレックは複雑そうな表情で首筋に手をやり、背後に立っているオブシディアンを振り返った。


「こいつらの馬は?」

「馬で逃げられても面倒だろ? 迷い馬としてそこら辺の領主にでも接収されんじゃねえか」

「――まあ、そうだろうが」


テンレックは「相変わらず、どこかズレてやがんな」とぼやいたが、オブシディアンは気に留めない。そしてテンレックもまた、裏社会に生きる男らしい人間だった。傷だらけの男たちを一瞥すると、それ以上は注意を払うことなく馬車に近づいて行く。

傭兵たちとテンレックの追走劇は結構な距離だった。倒れ伏した男たちを残して、二人は取り残された馬車に近づいて行く。そこには頭たちに残された傭兵たちが居た。


「そういや、残党も居たんだったな」

「あんたが残党って言うとなんだか妙な気分になるな」


思わず呻いたテンレックの言葉をオブシディアンは聞き咎める。同じ裏社会に生きる人間であるにも関わらず、残党という言葉には堅気が使う響きがあった。思わず茶化すが、オブシディアンの目は一寸の隙もなく傭兵たちの様子を窺っている。傭兵たちはまだテンレックとオブシディアンの存在には気が付いておらず、気の抜けた様子で暇そうに仲間と雑談に興じていた。


「どうする?」


オブシディアンは隣に立つテンレックに尋ねる。答えは予想が付いていたが、自分から言い出すつもりはない。案の定、テンレックは静かに答えた。


「積み荷を取り返す」


普段と変わらない態度に見えるが、馬車を見つめる瞳には怒りに似た激情が浮かんでいる。それを横目に、オブシディアンは口角が上がりそうになるのを辛うじて抑えた。

テンレックは情報屋として情報を集めてはいるものの、普段は全く他に興味を示さない男だ。こだわりもなく、好き嫌いも興味関心もあるのかすら掴めない。


オブシディアンは元々他人の興味や関心、感情の動きを把握することが得意だ。そうでなければ当代最強の刺客とは呼ばれない。

しかし、そのオブシディアンにも例外が居た。情報屋のテンレック――そしてリリアナ・アレクサンドラ・クラークだ。その二人だけは、オブシディアンも未だに良く人柄を掴めない。それにも関わらず、今目の前に居るテンレックは身の内に蠢く激情を抑えかねている様子だった。


「傭兵はどうする?」

「死んでも構わんだろう。どうせ、俺たちと同じ穴の狢だ」


自嘲するようにテンレックが言う。オブシディアンはその点には興味がない。彼にとっては殺すか殺さないか、それだけが重要だった。

オブシディアンは少し考える。傭兵たちがリリアナの追っている人身売買に関わっているのであれば、情報は得たい。しかし彼らの関係性から推察するに、情報を全て知っているのは頭だけだろう。それならば、頭だけ生かしておけば他の傭兵などどうでも良い。


「頭は生きてるからな。雑魚は生かしていても面倒だ、適当に吊るし上げとくか」

「ああ。――頼んでも良いのか?」

「手数料は頂くぜ」


訝し気に眉根を寄せたテンレックに、オブシディアンはにやりと笑む。

オブシディアンが必要なのは情報と証拠だけだ。頭を一人抑えておけば、そのどちらも手に入る可能性がある。馬車の積み荷になっているだろう“売られて行く人間”に用はない。その積み荷を助けたいと思っているのはオブシディアンではなくテンレックであり、そしてそのために手助けするのであれば、テンレックはオブシディアンにその対価を支払うべきだった。


「――分かった。お前の言い値で払う」


テンレックは唇を引き結んで告げる。そのことに、オブシディアンは目を瞠った。慎重なテンレックらしくない言葉だった。


「本気か?」

「ああ」


金に糸目はつけない、とテンレックは答えた。オブシディアンは今度こそ呆れを隠さずテンレックを見やった。


「あんたらしくもねぇなあ。そんなこと言って、あの積み荷があんたにとって命の次に大事だって白状してるようなもんだぜ」


裏社会で生きるためには幾つかの掟がある。その内の一つが、他人に弱点を掴ませないことだった。しかし今のテンレックはその掟を破っている。それも最強の刺客の前で、自らの弱味を披露した。命が惜しくないらしい。

しかし、テンレックは慌てなかった。


「分かってるさ、これでも長らく裏社会で生きて来たんだ」


平然と言ってのける。その本心を探るように目を眇めたオブシディアンに、テンレックは僅かに気の毒そうな視線を向けた。


「だが、それでも譲れねえもんが俺にもあってよ。それがあるからこそ、俺はこの年まで生きて来られた」


途中で絶望したこともあったが、その“譲れないもの”があったからこそ切り抜けられたのだ――そう続けたテンレックの言葉に、オブシディアンは小さく息を吐いた。


「へえ――そんなに“北の移民”が大事だとは、思わなかったぜ」


オブシディアンの言葉を耳にした途端、テンレックが愕然と目を瞠る。何故お前がそれを知っているのかと、斬りつけるような目が無言で問うていた。しかしオブシディアンはそれに答えることもなく、あっさりとテンレックに背を向ける。次の瞬間オブシディアンの姿はテンレックの前から消え、馬車の周囲で暇を持て余していた傭兵たちの背後に現われていた。



*****



リリアナは、王都近郊の屋敷で思わず歓声を上げそうになっていた。慌てて両手で口を塞ぎ、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。


「――ようやく、ですわね」


堪え切れずに呟いた声には喜色が滲んでいる。

アジュライトが見つけて来た、湖の傍にある森の中で見つけた四阿――その四阿に仕掛けられた呪術陣の解析は終わっていたが、解呪のための術式がずっと未完成だった。何度か試したがなかなか上手くいかず、とうとう今最後の術式が完成したのだ。

これで四阿に仕掛けられた呪術陣を解呪することができる。

今すぐにでも四阿に向かって新しく組んだ解呪用の術式を試してみたいが、まだ日は高い。夕暮れ以降、誰もリリアナの私室を訪れない時間帯まで待つべきだ。

そうするべきだと思っていても、心はそわそわと落ち着かない。


「今日は、アジュライトはいらっしゃるかしら」


四阿の存在を見つけたのはアジュライトだ。だからこそ、解呪する時にはアジュライトも傍に居た方が良いのではないかと思った。

しかし、アジュライトも気まぐれだ。毎日訪れることもあれば、前触れもなく数ヵ月近寄らないこともある。そして、アジュライトはリリアナに四阿の解呪は自分を待たなくて良いと言っていた。


「いらっしゃらなくても、今夜参りましょう」


リリアナは心を決めた。

一度解呪してしまえば、その後は解呪の必要もない。アジュライトが来た時に、改めて解呪後の四阿に連れて行けば十分だろう。


心を落ち着けようと、リリアナは本を手にしてマリアンヌを呼ぶ。茶を淹れてくれるように頼むと、リリアナは最近取り寄せた魔術書を読み始めた。



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