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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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34. 身に刻まれた呪い 2


ようやくたどり着いた宿場町で、テンレックは追っていた男たちが泊る宿の裏手にある森で一夜を過ごすことにした。男たちを見つけた村とは違い、寂れたその宿場町に宿は一軒しかない。同じ宿に泊まれば、男たちを尾行していることも直ぐに気付かれてしまう。それではテンレックは目的を達成できない。


「あんまり森で野宿はしたくねえんだがな……」


思わずぼやいてしまう。数年前よりは多少減ったとはいえ、未だに魔物は出没する。その上、魔物の()()()()()()と専らの噂だ。世間一般には流布していない噂ではあるが、裏社会では実しやかに実感を持って語られていた。


()()()()()魔物が増えたって言うしな――森から出て来なくなったのは良いが」


森の外、特に街道沿いで大規模な魔物襲撃(スタンピード)が発生したのは、五年前に王都近郊で起こった史上最大規模のものが最後だ。その後は基本的に森の周辺でおさまっている。

当時はやたらと森の外に魔物が出て来ていた、とテンレックは他人事のように思いを馳せた。何故そんな例外的な動きをしたのか、未だに謎は解明されていない。しかし現実に魔物はだいぶ大人しくなった。


「頭の良い魔物(やつら)が、俺の寝泊まりする場所に出て来なきゃ良いんだが」


こればかりは運だ。仕方がないかと溜息を一つ吐き、テンレックは森の中に足を踏み入れた。



*****



幸運なことに、テンレックは魔物に襲われることもなく森の中で一夜を明かした。だが、彼にとっての不運は傭兵たちを追って村を出て数刻経った後だった。


街道を進めば徐々に道は悪くなる。道幅は狭く、森の中を曲がりくねった細道が続く。疲労が重なるほど進んだところで、道が大きく曲がっている場所に辿り着いた。木々が生い茂り日は遮られ、視界が酷く悪くなっている。その場所を抜けた瞬間、テンレックは思わず身構えた。

彼の目の前には、馬車を停めて各々の武器を抜いた傭兵たちが立っている。どうやら男たちはテンレックが来るのを待ち構えていたらしい。


「おい」


傭兵たちの(かしら)らしい男が不躾に声を掛けて来る。油断なくテンレックが男たちの様子を窺っていると、頬に傷を(こしら)えた頭はにやりと笑んだ。


「お前、前の村から俺たちのこと付けて来てたよなァ?」


テンレックは答えなかった。否定しても肯定しても、この手合いは自分たちの中に確固たる答えを持っている。どのような答えを口にしても、逆上するのは目に見ていた。

だからといって、黙っていても事態は好転しない。わずかに逡巡した後、テンレックは飄々とした口調で、しかし表情だけは訝し気に問い返した。


「あぁ? 何言ってんだ?」


傍から見れば、傭兵たちの言っていることが分からないのだろうと誰もが思っただろう。しかし傭兵たちはテンレックが予想した通り、相手が何を言おうがどうでも良い様子だった。

頭の後ろから、まだ若い男が威勢よく怒鳴る。


「しらばっくれてんじゃねえよ!!」


気の弱い人間であれば恐ろしさに震え出してしまいそうな、ドスの利いた声だったが、テンレックは片眉を上げるだけだった。

情報屋のテンレックは、実戦経験はそれほど多くない。しかし場数だけは踏んでいる。そのため、相手と自分の実力差がどの程度のものなのかもある程度見極めることができた。


「――ちっと不味いかな」


テンレックは男たちに聞こえないようにぼやいた。一人一人はそれほど強いわけではない。しかし、一人で相手にするには少々人数が多かった。

このような場合は逃げるに限る。しかし自分も相手も馬がある。逃げきれるかどうかは、正直賭けだった。

傭兵たちは反応を示さず静かに対峙するテンレックに腹を立て始めた様子だ。苛立ったように、挑発するような言葉を繰り返す。


「ビビって腰でも抜かしちまったか?」

「何で俺たちを追いかけて来たのか、きっちり吐いたら命だけは助けてやらなくもねえよ」

「おら、とっとと吐けや。俺たちを追って来るなんざ、てめえ何者だ?」


しかしここで真正面から傭兵たちと戦うつもりはない。相手の隙を狙うために、テンレックは敢えて愚かな様子を取り繕うことにした。


「一体全体、旦那方が何を言ってらっしゃるのか、俺にはちっと分からないんですがねえ」

「ああ? 俺たちを馬鹿にすんのも大概にしろや。前の村では宿に泊まってたのに、今回の村では泊ってねえ。てことは、お前は俺たちに気付かれたくなかったってことだろうがよ」


テンレックの言い訳を一刀両断にしたのは、傭兵たちの頭だった。

なるほどと、テンレックは心の中で呟く。他の傭兵たちはそれほど頭の出来は良くないようだが、頭は洞察力とそこから情報を読み取る能力がある程度はあるらしい。

頭とテンレックの厳しい視線が絡み合う。互いの力量を図る。


――まずい、とテンレックは冷や汗を掻いた。


人数だけが多いと思っていた。確かに傭兵たちは皆、それほど強いわけでもなさそうだ。しかし、頭だけは別だった。

数々の修羅場を掻い潜り、死線を通り抜けて来たのだろう。底冷えする光がその双眸から滲み出ていた。他の傭兵たちからは逃れられても、この頭は決してテンレックを逃さないだろう。

積み荷が一体何なのか、他に知れたらまずいと頭はしっかりと分かっている。だからこそ、積み荷に疑いを持った人間も含めて生かしておくつもりはない。それは傭兵たちの身を護ることに繋がる。


じり、とテンレックは馬上で僅かに体勢を整え、服の下に仕込んだ暗器を意識する。その動きに気が付いたのは傭兵たちの頭だけだった。にやりと壮絶な笑みを浮かべる。どう見ても、その表情は獲物が罠に掛かったのを舌なめずりして眺めている獣さながらだった。


「生きて帰れると思うなよ」


それは、頭が発した脅迫じみた宣言だった。今この場でお前を殺すという意思表示だ。テンレックは舌打ちを漏らした。一見したところでは、傭兵たちは飛び道具を持っていない。隠している可能性はあるが、彼らが得意な武器は剣なのだろう。


「――そうかい」


テンレックはおもむろに答え、にやりと笑んだ。傭兵たちがいきり立つ。違和感を覚えたのは頭だけだった。頭が眉根を寄せたのを見た瞬間、テンレックは服の下に隠し持っていた煙玉を傭兵たちに向けて投げつける。白煙を吸い込んだ傭兵たちはむせたが、頭はテンレックの動作を見た瞬間口と鼻を袖で抑えていたようだ。煙から逃れ、無事だった仲間に声を掛ける。


「怯んでんじゃねえ! 相手は間抜けた男一人だ、とっとと掛かれ!」

「へ、へい!」


傭兵たちは、テンレックが煙玉を隠し持っているとは思っていなかったようで愕然としていたが、頭に発破を掛けられて慌てたように我に返った。慌てて剣を片手にテンレックを追いかけて来る。

その時には、テンレックは既に馬首を返して逃げ出していたが、馬に跨った傭兵たちも大したものだった。道が悪いことも手伝い、徐々に距離が近づいて来る。

ひゅん、と風を切る音がして、テンレックの耳元を矢が通り過ぎる。テンレックは舌打ちを漏らした。案の定、飛び道具を隠し持っていたらしい。それも使い手はなかなかの腕前だ。

矢に驚いた馬の足が乱れる。少しの間ではあったが、それはテンレックにとって致命的な時間だった。すぐ背後に傭兵たちの気配を感じる。剣が風を切る音がして、テンレックは己の命運を悟り目を固く瞑った。


「――――っ!?」


しかし、いつまで経っても痛みは襲って来ない。それどころか背後に迫っていた殺気がふつりと消え、悲鳴が上がる。一体何事かと目を見開いたテンレックは手綱を引きかけたが、誰も居ないはずの耳元で良く知る声が響いた。


『走れ』

「な――っ!?」


何故こんなところで、という気持ちと、まさかという思い。そして何よりも姿が見えないという事実に息を飲んだが、すぐにテンレックは表情を引き締めた。

いずれにせよ、その声が自分を助けようとしていることは間違いがない。それならば今彼にできることは、声の指示に従ってそのまま走り続けることだけだった。



*****



ユナティアン皇国の伯爵家に滞在しているマルヴィナ・タナーの様子を探っていたオブシディアンは、一旦スリベグランディア王国に戻って主のリリアナ・アレクサンドラ・クラークに途中経過を報告しようと思い立った。そしてスリベグランディア王国に入り街道を歩いている時、彼は遠くに妙なものを見かけた。


「――なんだ、ありゃあ?」


というか何故あいつがこんなところに居るんだ、と胡乱な顔になる。彼の漆黒の瞳は星が煌めく夜空のような色合いに染まっていた。

常人離れしたオブシディアンの目は、森の木々に遮られた更に向こう側の道に居る人物と傭兵たちを認識している。傭兵たちに見覚えはなかったが、彼らに対峙している男の気配には記憶があった。


「あの薄い気配――ほぼ間違いなくテンレックだよなあ。何だって王都から離れてんだ?」


テンレックは様々な場所に出没するが、どこも彼の隠れ家がある町だ。最近は王都に入り浸っていることが多かった。テンレックは優れた情報屋だが、自ら動いて情報を収集することはない。ただ一度だけオブシディアンはテンレックが他人任せにせず、自分の足で情報を集めに動いていた場面を目撃している。


「てことは、今回もそれ関係か? ならお嬢にも関係があるよなあ」


テンレックが調べていたのは、タナー侯爵と北部の地域を治めている伯爵が手を組んでいる人身売買だ。彼らの商売相手がユナティアン皇国に居ることも情報として分かっている。


「一つ、貸し作ってやるか」


オブシディアンはにやりと笑うと、軽く地面を蹴った。ぐん、と体が前のめりになってオブシディアンは疾走する。人の目には見えないほどの速度であっという間にオブシディアンは傭兵たちに肉薄した。傭兵たちはオブシディアンが近づいていることに気が付かず、馬に乗って逃げている小男を追っている。その姿を見たオブシディアンは小さく苦笑を漏らした。


「――正解だな」


案の定、逃げている男はテンレックだ。追っている傭兵たちを見てオブシディアンは目を細めた。

一人を除いて雑魚ばかりだ。だが、たった一人だけ隙のない身のこなしの男がいる。他の男たちを見ていると、皆その一人の指示に従っているようだ。どうやらその男が頭らしい。そう思った時、男は上着を脱ぎ捨てた。背中に矢を背負っている。

馬上で器用に弓を取り、素早く構える。しかし全力疾走している馬上で、動いている的を狙うことほど難しいことはない。外すのではないかと思いながら見ていると、案の定男の放った弓はテンレックの耳元を通過していく。テンレックの馬が足を乱した。


「意外と上手いじゃねえの」


オブシディアンは目を丸くする。傭兵たちの頭はそれなりに弓も扱えるらしい。もしかしたら、他の男たちとは違って、単なる破落戸あがりの傭兵ではないのかもしれない。

このまま眺めていては、テンレックが捕まり殺されるのも時間の問題だろう。そう判断したオブシディアンは、術を使って姿を消した。次の瞬間、彼は傭兵たちの真後ろに迫っていた。武器を手にするまでもない。手刀を男たちの首筋に落とす。だが、一番他人の気配に敏感な頭は咄嗟に体を捻ってオブシディアンの攻撃を避けた。

オブシディアンは目を瞠る。思わず小さく口笛を吹いた後、声だけを風に乗せてテンレックに走り続けるよう指示を出した。


「おい、姿消してやがんな……? 顔、見せろ」


他の傭兵たちは皆気絶して走る馬から落ちた。死なないよう術で細工はしておいたが、しばらくは動くのも苦痛だろう。随分と人間らしくなったものだと自分の変化に苦笑しながら、オブシディアンはゆっくりと姿を現わす。

テンレックを追いかけることを諦めた頭は馬を止め、馬上からオブシディアンを見下ろした。


「――ガキじゃねえか」


仲間が皆、馬から落ちたというのに、心配する素振りすら見せず男は嘆息した。ぐるりと首を回してオブシディアンを睨みつける。


「てめえ、良い度胸してやがんな」

「そうかあ? 普通だと思うぜ」


飄々とオブシディアンは答える。男は苛立ったように痛烈な舌打ちを漏らした。


「まあ良い。どのみちさっきの男も殺してやるが――お前が先だ」


次の瞬間、傭兵はオブシディアンを一刀両断しようと、剣を抜き馬上から振り下ろす。しかし、それを黙って受け入れるオブシディアンではない。寧ろ、大陸最強の暗殺者と裏社会に名を馳せる彼にとっては、児戯にも等しい動きだった。


「遅ぇよ」


その声を、男は言葉として認識で来たのか――それとも、認識するより先に意識を飛ばしたのか。

男が剣を振り下ろした先から掻き消えたオブシディアンは、ゆらりと男の背後――馬の尻部分に立っていた。それにも関わらず、馬は全く暴れていない。オブシディアンの体重や気配を一切感じていない様子だった。

男の首筋に迷いなく手刀を落としたオブシディアンは、地面に降り立って傭兵たちを縛り上げる。そして馬の尻を叩いて全てその場から走り去らせる。どこかの領地に入れば、迷い馬として領主のものになるだろう。

その上で、オブシディアンは走り去っただろうテンレックを追うことにした。口笛を吹いて烏を呼び、左腕に止まらせる。


「おい、テンレックはだいぶ離れたか?」


オブシディアンは道を歩き始めながら烏に尋ねる。烏は全く鳴かなかったが、オブシディアンは「そうかい」と頷いた。


「ありがとよ」


労うように軽く首を撫でてやると、烏はばさりと羽を動かし宙へと飛び立つ。オブシディアンは鳥影を見送ると、テンレックが逃げた方角に向かって走り出した。




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