34. 身に刻まれた呪い 1
リリアナは、目の前に座っているライリーの様子に違和感を覚えていた。一見したところは普段通りだが、どこか集中力を欠いてるように見える。その証拠に、普段であればリリアナとの会話はライリーが主導するにも関わらず、沈黙の時間が長い。
普段であれば無言の時間もそれほど気にならないが、リリアナは少し考えて素直に疑問を口にすることにした。
「最近はお疲れでいらっしゃいますか、ウィル」
「え? あ、ああ――いや、そうでもないよ」
ライリーは一瞬目を丸くしたものの、すぐに誤魔化すように笑みを浮かべる。それでも納得できないように首を傾げるリリアナに、ライリーは「ちょっとね」と呟いて肩を竦めた。
「さっきまでオースティンと手合わせをしてたんだ。少し熱が入りすぎて……そのせいかな」
「そうですのね」
うん、と頷くライリーを見てリリアナはあっさりと納得した様子を見せた。話したいのであれば話せば良いが、隠したいのであれば無理に聞き出す必要性も感じない。
ライリーはよくオースティンと手合わせをしている。趣味と実益を兼ねているのだと、以前聞いたことがあった。元々ライリーは体を動かすことが好きで、剣術を極めることが楽しいらしい。そして、嫌なことがあってもオースティンと手合わせをすれば気が晴れるようだ。
つまり、ライリーは何か嫌な気持ちになることがあったらしい。普段であれば剣の手合わせをした後は嫌な気分を引きずらないはずだが、今回は珍しく、苛立ちを発散しきれなかったのだろう。
それ以上追及しようとはせず、お茶を一口飲むリリアナの様子を眺めていたライリーは、やおら口を開いた。
「サーシャは、魔術や呪術に詳しいよね」
「多少は存じている、程度ではございますが」
唐突な質問の意図を理解できず、リリアナはきょとんと首を傾げた。彼女の返答を聞いたライリーは何を思ったか苦笑を滲ませる。
「謙遜しなくて良いよ。ペトラ殿とベン・ドラコ殿の会話に付いていける人なんて、そうそう居ないんだから」
それで“多少は知っている程度”なんて言ったら、魔導省の魔導士たちも皆、魔導士という称号を返上しなければならないよ、とライリーは肩を竦めた。しかしリリアナは首を縦に振ろうとはしない。
「わたくしはご教授頂いているだけですわ」
「――うん、あの二人の教え方で理解できるだけで十分凄いんだけどね」
ライリーは困ったように頬を掻いて「私も何を言っているのか分からない時も多いし」とぼやく。
ベン・ドラコとペトラ・ミューリュライネンは天才肌の研究者気質だ。幼少時から、大した努力もなく呪術や魔術のことは理解できる。そのため、一般人や魔術と呪術を苦手とする人間に説明することは酷く苦手だった。本人たちにその自覚はないが、教えられる側にとっては明確だ。
寧ろ、魔術や呪術が苦手で苦労して学んで来た人間の方が、他人に教えるのは上手だったりする。
「とにかく、今はそのことについてじゃなくて――サーシャに訊きたいことがあるんだ」
「わたくしに、でしょうか」
一体何を知りたいのだろうかとリリアナは首を傾げる。
これまでもライリーがリリアナの意見を尋ねたことは幾度となくあった。全て国の施策に関することばかりだったが、今回は前振りとして“魔術や呪術に詳しかったよね”と確認されている。恐らくは魔術や呪術に関することだろうと当たりを付けたリリアナは、不思議に思って尋ねた。
「魔術や呪術に関することでしたら、わたくしよりもベン・ドラコ様やペトラ様にお話なさった方が宜しいのではないでしょうか」
「一応、彼らにも書簡を送ったけどね。魔導省の仕事で手一杯らしくて、すぐに時間は取れないようなんだ」
リリアナは納得した。
ベン・ドラコは反逆罪で捕縛され命を落としたバーグソンの後釜として、魔導省長官の地位に就いた。バーグソンの息が掛かった魔導士は殆どが魔導省から追放されたとはいえ、地盤を固め再び魔導省を軌道に乗せるためには莫大な時間と労力が必要だろう。恐らくペトラもベンを手伝っているはずだ。
「恐らく呪術だとは思うんだけど、自信はないから魔術も含めて教えて欲しい」
慎重な語り出しに、リリアナは目を瞬かせる。恐らくその内容がライリーの心を重くしているものなのだろうと察しはついた。それほどまでに、ライリーは真剣な中に沈鬱な色を見せていた。
「対象者は人。特定の事柄を口にすれば、本人ではなく本人の周囲に災厄が降りかかる。災厄の規模ははっきりとは分からない。そして対象者を解析しても、術者が何者なのか、どのような術が掛けられたのか分からない。相当長い期間効力を発揮する術で、そして“特定の事柄”もかなり広いようだ」
リリアナは目を細めて考え込んだ。どうやらかなり複雑な術らしい、ということは、ライリーの端的な説明でも直ぐに分かる。ただし、簡単に答えが見つかるような代物でもなかった。
真っ直ぐな視線をリリアナに向けるライリーは、リリアナの返答を待っている。リリアナは伏せていた目をゆっくりと上げて、ライリーの目を見返した。
「出来ない訳ではないと思いますわ。ただ、かなり高度な術ですわね。恐らくは呪術を基礎としたものではないでしょうか」
「呪術、か――」
「ええ」
ライリーは難しい表情で考え込む。
魔術ではなく呪術が主体となっているものであれば、恐らくは東方呪術の流れを汲むものだ。西方――即ちユナティアン皇国やスリベグランディア王国では魔術が主体で呪術は殆ど扱われていないため、ライリーが口にしたような高度な術を呪術では再現できない。
「長期間というのが数年ということでしたら、魔術でも不可能ではありません。ですが、魔術は常に魔力の供給が必要ですから――術者か魔導石を使う必要がございますが、伺う限りでは、それほど強大な術を発動するに足る魔力を一介の術者や魔導石が持っているとは思えませんわ」
「なるほど。それでは、本人を調べても術について知ることが出来ない、というのもあり得るのかな?」
リリアナは一瞬言い澱んだ。しかし、はっきりと頷く。
「不可能ではございませんでしょう。成功させるのは非常に難しいでしょうが」
対象者に直接ではなく、別の媒介物に陣や術式を刻めば良いのだ。その陣の中に、対象者が特定の言動を取った場合にどのような事態を引き起こすか、術式を書き込めば良い。ただし、その内容は個別具体的である必要がある。そうでなければ、術者が想定しない結果が引き起こされる可能性もあるし、陣や術式を動かす魔力が不足して効果が出ないこともあり得る。
簡潔な説明を聞いたライリーは、溜息混じりに「なるほど」と頷いた。
「つまり、その呪術――と仮定して、呪術を成功させるためには莫大な魔力と陣や術式を書き込める巨大な媒介が必要だということだね」
「そう思いますわ」
慎重にリリアナは頷く。勿論ライリーはこの後ベン・ドラコやペトラにも話を聞くつもりだろうが、リリアナの考えも大筋では間違っていないはずだ。
そして、リリアナは目を細めた。
「――その“対象者”とやらは、身近にいらっしゃるのでしょうか?」
もしそうなら、スリベグランディア王国にとっては大きな影響がある可能性が高い。ライリーの身近に居る人物と言えば、高位貴族か王族ばかりだ。
ライリーは逡巡した。素直にリリアナに告げて良いのかどうか、悩んでいるようにも見える。しかし、やがて彼は心を決めたのか、顔つきを僅かに険しくしてリリアナに向き合った。
「ああ、そうだ」
一体誰なのかと、リリアナは眉根を寄せる。ライリーは声を潜めてリリアナにだけ聞こえるように告げた。
「父だ」
「――え、」
リリアナは愕然と目を瞠る。予想外の言葉だった。ライリーは表情を一切崩さない。真っ直ぐに見つめて、ライリーは再びはっきりと言った。
「陛下に掛けられた術――だがその術について口にすることは禁じられているらしくてね。詳細は一切分からないんだよ、サーシャ」
困ったように、ライリーは眉を八の字にしてみせた。彼が口にした内容はあまりにも衝撃的だった。
国王という国の頂点に立つ人物が、掛けられた呪術――それも、数年単位で効果を発揮するもの。
「――呪殺の術だけでは、なかったのですか」
「呪殺の術はバーグソンが掛けたものだった。だが、バーグソンがそれほど難解な呪術を扱えたとは到底思えない」
「そうですわね。わたくしもそう思いますわ」
それならば、もう一つの可能性は。
「バーグソンを使って陛下に呪殺の術を掛けた黒幕――その人物に繋がるのではないかと思うんだけど、サーシャはどう考える?」
ライリーはリリアナの思考をなぞるように、言葉を紡ぐ。リリアナは小さく息を漏らした。
「可能性としては、あり得ますでしょう。しかし、そうだと断言するには時期尚早ですわ」
「そうだね。でも、これは見過ごしてはおけないことだ」
その黒幕が一体何を企んでいたのか、全容は掴めない。そもそも、黒幕の正体すら分からないのだ。
リリアナは小さく頷いてライリーに同意を示した。しかし、その形の良い頭の中では様々な可能性が浮かび上がっては消えていく。
バーグソンを使って国王に呪いをかけた人物。
長期間に渡って国王を呪うことが出来るほどの腕前の持ち主であるなら、なぜ直接自分で国王を呪殺せずに他人を使ったのか。
“隷属の呪い”をバーグソンに掛け、バーグソンが捕まれば蜥蜴の尻尾よろしく殺害した。その人物がバーグソンを操っていたのだと思っていたが、本当にその人物と、国王を長期間呪い続けている術者は同一人物なのか。
リリアナの推測が正しいのであれば、莫大な魔力を必要とする陣や術式を書きこむことのできる媒介は一体どこにあるのか――そして、恐らく今もなお供給され続けている魔力はどこに存在しているのか。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
*****
裏社会で情報屋を営んでいるテンレックは、自分で動くことはまずない。情報屋は情報を集めることが仕事であって、間諜はそれに秀でた者がすれば良い。
しかし、その仕事だけは他人任せにするつもりがなかった。
スリベグランディア王国とユナティアン皇国を繋ぐ街道沿いにある、少し栄えた村の酒場で、テンレックは客を装い酒をちびちびと飲んでいた。店の中は雑然としていて独特な臭いが漂っている。食事は美味く安いが、傭兵や雑兵たちが良く集まっているせいか、多少柄の悪い雰囲気だった。
テンレックの目深にフードを被った姿は旅の傭兵さながらで、目付きは鋭く客たちの様子を窺っている。しかしそれと気付かれてしまえば喧嘩を売っているのかと難癖をつけられかねないため、テンレックは極限まで気配を消している。そのため、他人の気配に敏感な傭兵たちもテンレックには一切注意を払っていなかった。
「おい、そろそろだぞ」
酒場の隅で暇そうに賭け事をしながら酒を飲んでいた傭兵たちの仲間が、一人外から戻って来た。声を掛けられた傭兵たちは小さく舌打ちをすると、残っていた酒を一気に煽る。
傭兵といっても様々な種類があるが、その男たちは明らかに荒事や犯罪に手を染め慣れた者たちだった。身に纏っている雰囲気は明らかに堅気ではない。
しかし、完全に裏社会で生まれ育った種類の人間でもなかった。最初から裏社会で生きるように育てられた人間に荒んだ雰囲気はないが、テンレックの前を通って屋外に出て行く傭兵たちは粗暴な空気を纏っていた。
テンレックは男たちが出た時を見計らい、何気ない表情で裏口から外に出る。周囲を良く見れば、先ほど店を出た傭兵たちは、つい今し方やって来た馬車に近づいて何やら御者と話をしている様子だった。近づいて木陰に潜み、耳を澄ませる。御者と傭兵たちは知り合いのようだった。
「前金は貰ってる。いつもの場所まで行って、無事届けりゃ残りをくれるって寸法だ」
「いくらだ?」
「前金か?」
御者が尋ねれば傭兵の頭らしき男は苛立ったように顔を顰めた。
「残りの方だ。前金はいつも通り、銀貨十枚でかわりゃしねえだろ」
「後金か? 金貨二枚だとよ」
すげえな、と傭兵たちは歓声を上げる。平民であれば一生金貨など目にする機会もない。銀貨でも滅多に触れることはないのだから、彼らが請け負っている仕事が破格の報酬を得られることは間違いがなかった。
「すげえ良い仕事だよな。ただモノを運ぶだけでそんだけ貰えるんだからよ」
「普通の商人の護衛なら、もっと安い上に途中で魔物と戦わなきゃならねえんだからな。もう二度とあんな仕事なんざできねぇよ」
この仕事いつまであんだろうな、と雑談を交わしながら、男たちは御者と交代で馬車に乗り込む。
テンレックは目を細めた。確証はないが、その馬車にテンレックが探し求めていたものが乗せられているに違いない。
テンレックは急ぎ足で店の裏手に繋いでおいた自分の馬に駆け寄り、手綱を柵から外すと飛び乗る。そして彼は傭兵たちの後を付け始めた。
街道は広いが、ユナティアン皇国との国境に近づくと人通りは疎らになる。あまり近づきすぎれば気が付かれる恐れもあるため、テンレックはある程度の距離を開ける。しかし、どれほどテンレックが自分の気配を殺すことに長けていても、怪しまれる危険性は常にあった。
「――どこまで行くかな」
念のため皇国への入国許可証を持って来てはいるが、それを使うことになるのかは分からない。傭兵たちが正規の道を通って皇国に入るのか、それとも裏道を使うのかは定かではない。
次の宿場町までは少々距離がある。テンレックは傭兵たちに気が付かれないよう神経を張り巡らしながら、ゆっくりと街道を進んで行った。









