33. 悪因悪果の実 14
豪奢な部屋の中で、ゆったりとした椅子に腰かけた三人の男が顔を突き合わせていた。二人は眉根を寄せ気難しい表情だが、もう一人は不機嫌さを隠しもしない。
口を開いたのは、難しい顔で腕を組んだメラーズ伯爵だった。
「面倒なことになりましたな」
「ええ、本当に」
応えたのはやはり渋い表情のグリード伯爵だ。しかし、そんな二人の様子に残る一人――スコーン侯爵は苛立たし気に椅子のひじ掛けを殴りつけた。
「くだらん、ただ魔導士がひっ捕らえられただけではないか! それが一体我らにとって何の不利益になるというのだ」
「ただの魔導士ではなく、魔導省を統べる長官が捕えられ死刑に処せられるのですよ。いえ、もしかしたら既に処せられた後かもしれませんが」
メラーズ伯爵は、癇癪を起こしそうな侯爵に視線を向け、呆れを隠して諭すように告げる。更に不機嫌さを露わにして口を開こうとしたスコーン侯爵には気が付かぬふりをして、メラーズ伯爵は言葉を続けた。
「ご存知の通り、我が国の趨勢は貴族、王立騎士団、魔導省、この三本柱をどの程度味方に引き入れられるかによって変わります。先の魔物襲撃の際に王立騎士団を大公派に引き入れることは敵いませんでしたが、魔導省は取り込むことができた。それもバーグソン長官あってのことです」
しかし、今や魔導省にバーグソンはいない。その上、その後釜に座ったのは副長官ソーン・グリードではなくベン・ドラコだ。ドラコ一門は優れた魔導士を輩出することで有名な家系だが、同時にどの権力にも与しないことも知られている。彼らは常に王族を含めた権力から一定の距離を置き、しかし決して王家から切り捨てられることもないのだ。
メラーズ伯爵たちにとっては酷く扱いにくい相手と言えた。
だからこそ、ベン・ドラコが謹慎を言い渡され、バーグソン長官を筆頭とした体制が出来たのは大公派にとって僥倖だったのだ。
ただ一点、副長官となったグリード伯爵の三男ソーンは思っていた以上に使えない男だった。権力には従順であるため命令には唯々諾々と従うが、基本的には不正を嫌う性質だ。バーグソンが使えなくなった時にはソーンを長官に挿げ替えれば良いと考えていたものの、そうすれば未来は安泰だとは言い難かった。ソーンと比べると、バーグソンの方が遥かに考える頭がある。具体的な指示をせずとも、こちらの意図を汲んで上手く手筈を整えてくれる。しかし、ソーンにそれを考える頭はない。具体的な指示を出してやらなければ動けないというのであれば、自分たちの手間が増えるだけだった。
しかし、それでもベン・ドラコが長官になるよりは遥かにマシだった。
スコーン侯爵が鼻を鳴らす。
「ふん。魔導士の家系だか何だか知らんが、所詮は平民の魔導士に過ぎんのだろう。副長官は我らの駒だ、それほど動じることもあるまい」
しかし、メラーズ伯爵は良い顔はしなかった。小さく溜息を吐いて頑是ない我が儘を言い張る子供に向けるような目で、スコーン侯爵を見やる。幸か不幸か、侯爵はメラーズ伯爵の視線が含む感情には気が付かない様子だった。
「ベン・ドラコが副長官だった折、バーグソン殿が我らの密命を受けて動かそうとした計画の九割以上が頓挫したのですよ」
「――なんだと?」
どうやらスコーン侯爵には初耳だったらしい。グリード伯爵は驚いた様子がない。どこかで情報を掴んでいたようだ。二人の反応をつぶさに観察しながらもおくびには出さず、メラーズ伯爵は淡々と「本当です」と言った。
「最初は研究にばかり邁進している偏屈人だとばかり思っていたのですが、これがどうして目端が利く男でして。何をどうやったものか、綺麗さっぱり殆どの計画がなかったことにされたのです。魔物襲撃の折に彼を失脚させることができたのも、幸運が我々に味方した部分が大きかったのですよ」
スコーン侯爵は黙り込んだ。メラーズ伯爵の言葉を深く考えているのだろう。
その様子を見て、メラーズ伯爵は溜息を堪えた。スコーン侯爵は愚かではない。だが、本人も無自覚の内に他人を見下しその実力を過小評価する傾向がある。侯爵にとって平民は勿論魔導士や下位貴族、騎士といった人種は取るに足らない存在だった。そして侯爵という地位に相応しく、領地経営も執事や差配人に全て任せて豪奢に着飾り豪華な食事を堪能する生活を送っている。彼が興味を持つのは王宮や社交界で権力を振るい影響力を持つことであって、自分よりも格下と思っている相手を目に入れることはない。
だからこそ、魔導省長官バーグソンが失脚した一大事も重要視せず、寧ろ深刻になっているメラーズ伯爵たちに苛立ちを覚えているのだろう。
「本当でしたら、バーグソン長官が失脚したとしても内部の手の者を動かして人事に介入できたのですが」
メラーズ伯爵は苦々しく首を振る。結果として、それはできなかった。
“立太子の儀”直前に王太子が刺客に襲われた直後、王宮と騎士団に勤める者たちの背後関係を調査すると指示が出された時、王太子が魔導省にも手を付けるのではないかとメラーズ伯爵は疑った。しかし王太子側に動きは見られず、勤めている文官と魔導士の一覧表と入省時に提出させた来歴書を提出するよう要請があっただけだった。多少、その一覧表と来歴書に手は加えさせたものの、それ以上の追及はなかった。王宮と騎士団の内部調査の対応に手を取られていた伯爵にとっては不幸中の幸いだった。大公派の貴族たちはそれなりに居るが、手数が潤沢にあるわけではない。
王太子たちも王宮や騎士団の方にかまけていて、魔導省の調査にまで気は回らないだろうと思っていた。
そして王宮と騎士団内部に居る間諜は最低限残せたと安堵していたところに、魔導省の騒ぎだ。どうやら王太子たちは極秘に対策を進めていたようで、伯爵が対策を講じる暇すらなく、大公派の息が掛かった魔導士や文官たちは一斉に摘発されてしまった。その手際はあまりにも抜かりがなく、メラーズ伯爵はまんまと出し抜かれた。王太子たちは膨大な執務に加え、騎士団や王宮に勤める大量の人員の身辺調査に時間を費やしていたにも関わらず、魔導省で不正に手を染めていた魔導士をほぼ全員捕らえたのだ。それも言い逃れもできない証拠を用意していた。
腹が立つほど見事な手腕だった。
僅かに手の者は残っているが、魔導省を動かせるほどの権力を持つ魔導士も文官も残っていない。それどころか、妙に目端の利くベン・ドラコが長官になったことで、多少の横領でさえ難しくなるだろう。
「それにしても、騎士団八番隊は我々の傘下だと思っていたのですが――全く情報を掴んでいなかったのでしょうかね。早目にこうなることが分かっていれば、我々としても対処が出来たでしょうし、今のような最悪な事態は避けられたでしょう」
どこかひんやりとした響きで口を挟んだのはグリード伯爵だ。冷たく光る目は何もない宙に固定されているが、彼が一体何を示唆しているのかは明らかだった。息子が八番隊隊長を務めているスコーン侯爵の眉尻がぴくりと反応する。彼は目を眇めてグリード伯爵を睨みつけた。
「何を言いたい、グリード伯爵」
「いえ、他意はありませんよ。ただ疑問だっただけです。非常に優秀と名高い八番隊が、一切情報を握っていなかった――というのも不自然ではありませんか」
グリード伯爵が言外にスコーン侯爵を責めているのは間違いなかった。
息子ブルーノ・スコーンから何かしら聞いていたにも関わらず、一切の報告をしていなかったのではないか――ということだ。
侮辱に敏感な侯爵は、当然ながら怒りに眦を吊り上げた。今にもグリード伯爵に斬り掛かりそうな勢いだ。握りしめた両手の拳が小刻みに震えている。
それを見たメラーズ伯爵は、どうやらグリード伯爵の指摘は図星だったらしいと判断した。
スコーン侯爵は、息子ブルーノからバーグソン長官失墜に向けて王太子派が準備を進めているという情報を聞いていたのだろう。しかし、たかが魔導士一人の首が飛ばされたところで問題はないと考えた。どの段階でその情報を掴んでいたのかは分からないが、知った時点でメラーズ伯爵に書簡でも寄越してくれていれば最悪の事態は免れられた可能性が高い。
とはいえ、今更侯爵を責めても仕方がない。時を戻すことは誰にも出来ないのだから、今後の方策を考えるべきだった。
しかし、ようやく気持ちを切り替え始めたメラーズ伯爵の前でスコーン侯爵はグリード伯爵を怒鳴りつけた。
「私を愚弄する気か!」
「まさか。ただ純粋な疑問でしかありませんよ。よもや侯爵ともあろう方が、些細な矜持に捉われて必要事項の伝達を忘れていたなどとは露ほども思っておりません」
最早ここまで来るとあからさまな嘲弄だ。スコーン侯爵の顔が真っ赤に染まる。頭の血管が切れるのではないかと思うほどだ。しかしグリード伯爵は一切動じず、そして侯爵もまた怒りに我を忘れるようなことはなかった。感情を隠すことは出来ないが、激情を押さえこむことは辛うじて出来るらしい。
恐らく相手が貴族の当主ではなく、平民や魔導士であればこの場で首を切り落とそうとしただろう。そう思えるほど、侯爵は憎々しくグリード伯爵を睨んでいた。
ゆっくりと深呼吸を繰り返すと、少し落ち着いたところでにやりと笑みを浮かべる。そして侮蔑と嫌悪を滲ませた視線をグリード伯爵に向け、わざとらしく声を上げた。
「ああ、なるほど。そこまで自信満々に言うということは、どうやらグリード殿は魔導省をどうにか出来る伝手があるということだな。確かに三男の――名は忘れたが、確か魔導省副長官だったか。その者を使えばドラコ家の若造が長官になったとしても、ある程度はこちらの思惑も動かせるのではないですかな」
グリード伯爵は感情の読めない顔をスコーン侯爵に向けた。静かに見つめ、侯爵の言葉の続きを待っている。一瞬侯爵はたじろいだが、しかし自分の思い付きが気に入ったようで笑みを深めた。
「そう、例えばドラコ家の若造の弱味を掴ませれば良い。別になんだって構わんだろう、女なり男なりを宛がっても良いし、金に弱ければ金を掴ませれば良いだけの話ではないか」
たかが魔導士だろう、とスコーン侯爵は言ってのける。彼は二人の伯爵が呆れを滲ませていることに気が付いていなかった。
メラーズ伯爵は辛うじて洩れそうになる溜息を堪える。侯爵はどうやらこれまでの話を聞いてはいても理解はしていなかったらしい。
ベン・ドラコは副長官の時代から、上司である長官の謀略をも全て潰して来たのだ。多少の弱味を握ったところで、こちらの思い通りに動かせるとは思えない。そして仮に脅しが利いたとしても、これまでのように協力者が自発的に動いてくれるのとは事情が違う。自分たちに飛び火する可能性もその分高くなるのだ。勿論直接の交渉は人にやらせるが、自発的な協力者と無理矢理の協力者では計画の成功率も変わって来る。
だが、それを言い聞かせたところで侯爵は理解することもないだろう。そう判断したメラーズ伯爵はグリード伯爵を一瞥した。同時にグリード伯爵もメラーズを見やり、二人の視線が空中で交差する。
互いの意見は同じらしい。
そう判断したところで、メラーズ伯爵が口を開いた。グリード伯爵よりもメラーズ伯爵の方がスコーン侯爵を落ち着かせられる。
「そうですね、これまで我々は関わっていませんでしたが――今後はソーン・グリード殿にもご協力賜ることに致しましょう。お願いできますかな、グリード伯爵」
「ええ、仕方ありませんな」
渋々といった体でグリード伯爵は頷くが、息子が自分のいう事を聞くに違いないと自信があるようだ。安心させるようにメラーズ伯爵の目を見て頷いたところで、メラーズは僅かに体の緊張を解いた。それでも、ソーン・グリードが本当にこちらの期待通りの働きを見せてくれるのか、今後を注視しなければならないだろう。
しかしその懸念を口にすることはできず、メラーズは話を纏めに掛かる。これ以上、二人と――特にスコーン侯爵と同じ部屋に居たくはなかった。
「それでは魔導省に関しては、ソーン・グリード殿の協力を仰ぎ、手の者を増やす方向で考えましょう。他にも我々にはすべきことがありますから」
一番の問題は王太子の扱いだ。“立太子の儀”前後では騎士団の警備が厚くなり刺客を差し向けることも難しかった。
「そうですな、特に騎士団の二番隊と七番隊が動いたのは正直意外でした」
「いかさま」
グリード伯爵の言葉にメラーズ伯爵は頷く。理由は分からないが、王立騎士団の二番隊と七番隊が警邏に加わることが増えていた。儀式当日は刺客を差し向ける予定もなかったものの、多少やりにくかったことは否めない。
「こちらも、何故突然二番隊と七番隊が動いたのか調べておきたいところです。もし何か情報を得られましたら、即座にご連絡を頂けますと助かります」
魔導省の件があるせいで、どうしても言い含めるような口調になってしまう。しかし、多少溜飲が下がっていたのかスコーン侯爵は不機嫌そうに顔を顰めるだけで反論はしなかった。
「他にも、わずかな情報の遅れが命取りですからね。どうぞそこをお忘れなきよう。そうでなければ、いつまでも陛下や殿下がご健勝であられてしまいます」
それは困りますからね、とメラーズ伯爵はさらりと告げる。
国王と王太子が健在では、大公が玉座に座ることもない。国王の呪術が解けて体調も回復しつつある今、当初の予定――即ち王太子だけを廃して大公を王太子の座に祭り上げ、実権を握るという計画は現実味を失いつつある。
「それでは、我らがフランクリン・スリベグラード大公閣下の栄えある未来を祈って」
三人で会った時の、決まり文句を口にする。当初は自分たちの未来は明るいと確信をもって口に出来ていた台詞も、いつの間にか祈るような響きが滲み始めた。恐らくそれに気が付いているのは、メラーズ伯爵だけだろう。
スコーン侯爵は根拠のない自信を持っている様子だし、グリード伯爵もまた強かではあるが本当の意味で不穏を感じてはいない。
メラーズ伯爵は苦々しい思いを抱え、溜息を堪えた。二人には気付かれないように小さく毒づく。
「――碌な人材が居ないな」
大公派に与する人間は、元々それほど多くなかった。長い時間をかけて仲間を集め、ようやく今ではそれなりに集まっている。特にメラーズ伯爵が目を付けていたのは、魔導省と王立騎士団を手中に収めるための駒だった。だからこそ、グリード伯爵とスコーン侯爵を引き入れる必要があった。
グリード伯爵は三男が魔導省に勤めているし、スコーン侯爵は次男が王立騎士団八番隊隊長だ。
それにも関わらず、事はメラーズ伯爵が思うほど順調には進んでいない。上手く事が運んでいると思っても、気が付けば王太子に全てをひっくり返されている。
「全く、煩わしい」
大公フランクリンの意向もあり“立太子の儀”では暗殺を含む全ての活動を禁じたにも関わらず、王都に転移陣を持ち込んだ愚か者が居た。しかも発見したのは、スコーン隊長率いる八番隊ではなく二番隊だ。二番隊隊長はカルヴァート辺境伯の嫡男であり、明らかに国王派――即ちライリーを支持する立場である。
無許可の転移陣を王都に持ち込んだ咎で捕らえられた商人は二番隊の管轄だったため、メラーズ伯爵でさえ手が出せなかった。騎士団や王宮の人事に手が加えられる前であれば対処できたのに、あまりにも時期が悪かった。
「大した能もない者共が余計な色気を出すからだ」
もしあの方が――今は亡きエイブラム・クラーク公爵が存命なら、まだ情勢は違ったのだろうか。
そう考えるも、答えてくれる者はいない。
スコーン侯爵とグリード伯爵が立ち去った後、メラーズ伯爵は棚に仕舞い込んでいた高級葡萄酒を取り出した。以前であれば二人に提供していたが、今はもう分け与える気分にはなれない。
「碌な働きをみせずに――それどころか余計なことばかりをして甘い汁を啜ろうという者に、必要以上の褒美を与えようとは思わん」
一人ぼやいて、メラーズ伯爵は勢いよく葡萄酒を煽る。口中に広がる味は苦くも深みがあり、心が満たされる気分だった。
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